Mag-log in「たとえ泣いてすがりつこうと、俺たちが離婚するなどあり得ないぞ、絵里!」 結婚して三年、結城絵里(ゆうき えり)は夫から微塵の気遣いもされず、常に冷たくあしらわれてきた。若き敏腕CEOであり、一人息子を抱える神崎瑛司(かんざき えいじ)との結婚生活は、束縛と苦痛に満ちたものだった。 特に、彼の元妻が姿を現し、義実家から「瑛司は元妻と復縁する」と告げられてからは、その苦しみはさらに深まった。夫が元妻と親密に過ごす様子を目の当たりにする日々は、絵里の心を容赦なくえぐっていく。病魔に蝕まれ弱っていく中で、絵里は自分がこの家で完全に居場所を失っていると悟った。不幸なことに、彼女はその頃、医師から白血病ステージ2という非情な宣告を受けていたのだ。 次々と押し寄せる絶望に耐えかね、絵里はついに離婚届を夫に突きつける。しかし、事態は彼女の想像通りには進まなかった。 あんなに冷たかった夫が離婚を頑なに拒否し、決して彼女を手放そうとしないのだ――!
view more飛ぶように数日が過ぎ、絵理は仕事に追われる忙しい日々を送っていた。医療費、食費、そして家賃。一人で生きていくための出費が予想以上に重くのしかかり、絵理はどうにかして少しでも多くのお金を稼がなければならなかった。そこで彼女は、美しい造花を使ったアクセサリーや手作りのリースを作り、薫の店で販売させてもらうことにしたのだ。「信じられないわ、絵理!見て、あなたの作ったフラワーアクセサリー、ものすごい数の注文が入ってるわよ!」薫が興奮して手を叩きながら歓声を上げた。絵理は満面の笑みを浮かべ、喜びのあまり薫を強く抱きしめた。「本当ね、薫……!私の作ったお花のアクセサリーが、こんなにたくさんの人に気に入ってもらえるなんて!」絵理は目を輝かせて歓喜した。「ええ、当然よ!私、絵理にはすごい才能があるって最初から分かってたもの!」薫は誇らしげに親指を立ててみせた。薫は、あっという間に完売してしまった絵理のハンドメイド作品の売上金を、嬉しそうに計算していた。別の花の注文を仕上げていた絵理の元へ、薫が歩み寄り、数枚の紙幣を手渡した。「絵理、これがあの造花アクセサリーの売上よ!もっとたくさん作らなきゃダメよ!」薫は腰に手を当てて、嬉しそうに捲し立てた。絵理は深く頷き、そのお金を両手で受け取った。「ありがとう、薫……」S国にいた頃、叔母から教わった造花作りの技術が、大人になってから自分の命を繋ぐことになるとは思いもしなかった。疲労と強烈な眠気に耐えながら、毎晩夜中まで起きて花を作った努力が、ようやく報われたのだ。絵理は、手の中の紙幣を大切そうに見つめた。もっともっと頑張って働かなきゃ。お金をたくさん貯めれば、S国に帰るチケットが買えるわ。絵理は心に固く誓い、再び仕事への意欲を燃やした。絵理が束の間の喜びに浸っていたその時。不意に、テーブルの上のスマートフォンがけたたましく鳴り響いた。絵理は急いで手を止め、画面を確認した。そこに表示された名前に、彼女は不思議そうに眉をひそめた。「真理おばさん……?」絵理は呟いた。叔母、結城真理(ゆうき まり)から直接電話がかかってくることなど、滅多にないことだった。絵理は急いで電話に出た。「もしもし、おばさん?」「もしもし、絵理……?絵理、ご主人のお家の住所を教えてくれないかい?
絵理が花屋の戸締まりを終えた頃には、すっかり夜も更けていた。彼女は真っ直ぐに自分の部屋へ向かうと、大きなボストンバッグを引っ張り出し、クローゼットの衣類を次々と詰め込み始めた。もはや一刻の猶予もない。絵理は、このまま薫の店に居座り続けることはできないと悟り、家を出る決意を固めたのだ。どんな手を使ってでも、瑛司の手の届かない場所へ逃げなければならない。「絵理、ちょっとこれ見て!明日、すっごく大きなブーケの注文が入って――」薫が絵理の部屋のドアを勢いよく開け、その言葉は途中でピタリと止まった。薫は唖然として部屋に立ち入り、すべての荷物をバッグに詰め込んでいる絵理を信じられないというように見つめた。「ちょっと、絵理……!?どこへ行くつもりなの?」薫は驚愕の声を上げた。絵理は、動揺する親友に向けて精一杯の笑顔を作った。「薫、私……今日から一人で暮らすことにしたの。自分の力で生活してみたいし、自分の部屋も持ちたいから」と、絵理は取り繕って説明した。「ちょっと絵理、本気で言ってるの!?こんな夜更けに家を飛び出して、外で何かあったらどうするつもり!?だいたい、どこに引っ越すっていうのよ!」薫は絵理に詰め寄り、彼女のバッグを強引に取り上げた。薫は眉を吊り上げ、唇を尖らせて、絵理の無謀な決断に猛抗議した。最初は宗介に頼まれて絵理を住まわせた薫だったが、今では絵理と一緒に働き、同じ屋根の下で暮らす日々を心から楽しんでいたのだ。「どうして急に出て行くなんて言うのよ?何があなたをそんなに急き立ててるの?」薫は、納得のいく理由を聞き出そうと絵理を問い詰めた。必死に引き止めようとする薫の真剣な顔を見て、絵理は小さく笑い声を漏らした。薫が自分をどれほど大切に思ってくれているか、痛いほど伝わってくる。しかし、絵理にはどうしてもここを離れなければならない決定的な理由があった。瑛司に居場所を知られてしまった以上、ここに留まれば、薫まで瑛司の脅威に巻き込んでしまうかもしれない。絵理は、隣に座り込んだ薫の背中を優しく撫でた。「自立したいの、薫。それに……あなただって、神崎社長から融資してもらった大金を、少しでも節約して返済しなきゃいけないでしょう?」絵理は、薫を傷つけないように慎重に言葉を選んだ。「ああもう、絵理ったら……!あなたの食費くらい
その日の朝、神崎邸には雅と梨沙が連れ立って訪れていた。どうやら二人はあらかじめ示し合わせてやって来たらしい。昨夜、絵理が間男と一緒にいるところを目撃したという梨沙の報告を聞き、雅は怒り狂っていた。彼女は、息子に今すぐ絵理と離縁するようヒステリックに命じた。「あんな泥棒猫のどこに未練があるっていうの、瑛司!あの女があなたを裏切って、あなたの目の前で堂々と間男と逢引していたのは明白じゃないの!」雅が金切り声を上げた。「四の五の言わずに、今すぐあの女と離婚しなさい!」瑛司は小さく咳払いをした。「……それは俺の問題だ、母さん。決断は自分で下す」「あの性悪女を追い出すのに、これ以上何を躊躇う必要があるっていうの!」雅が畳み掛ける。梨沙がしおらしく雅の手に触れ、甘い声で宥めた。「お義母様、どうか落ち着いてください。瑛司なら、きっと自分にとって一番の決断を下してくれますわ……そうよね、瑛司?」しかし瑛司は無言のまま、ピクリとも動かなかった。雅は沈黙を貫く息子を忌々しげに睨みつけた。「梨沙さんの方が、あの絵理なんかよりずっとあなたのことを分かってくれているわ!」雅が甲高い声で叫ぶ。「梨沙さんと再婚した方が、あなたにとっても絶対にいいのよ。彼女なら、あなたに跡取りだって産んでくれるわ!それなのに、あの絵理ときたらどう!?結婚して三年も経つのに、子供一人まともに産めないじゃないの!石女か、それともどこか病気でも抱えてるんじゃないの!?」母親の口から飛び出したその無神経な言葉に、瑛司の目には殺気が立った。「いい加減にしろ、母さん!」瑛司がドスの効いた声で一喝した。「……くだらない話は二度とするな!」「分かってるわよ、でもね……ちょっと、瑛司!どこへ行くの!?お母さんの話はまだ終わってないわよ、瑛司!」瑛司が突然ソファから立ち上がり、雅と梨沙を置き去りにして部屋を出て行こうとしたため、雅はヒステリックに喚き散らした。雅の口から激しい舌打ちが漏れる。なぜ自分の息子がここまで反抗的なのか、彼女には全く理解できなかった。梨沙はすかさず雅の手を握りしめ、同情を引くような悲劇のヒロインの顔を作った。「お義母様……私、もう二度と瑛司の心を取り戻すことなんてできないのかもしれません。昔のようにやり直せるだなんて、ただの幻想だったんだ
絵理の体調は、ここ二日間で著しく悪化していた。より正確に言えば、瑛司と予期せぬ再会を果たした直後から、強烈なストレスに身体が蝕まれていたのだ。絵理は病院を訪れ、主治医である宗介の元で定期治療を受けることにした。白衣姿の宗介は、絵理の処置を終え、二人の看護師が退出していくのを見送った後、ひどく思い詰めた顔をしていた。「……どうしてこんなに数値が落ちているんだ?数日前までは、あんなに回復の兆しを見せていたのに。一体、何があったんだい、絵理?」ベッドに横たわる絵理を、宗介が心配そうに覗き込む。絵理は少しの間、言葉に詰まった。これ以上、自分の抱える絶望のすべてを宗介に背負わせるのは申し訳なかった。「……大丈夫よ、何でもないわ」絵理は目を逸らして答えた。「嘘をつくなよ、絵理。君の身体に、とてつもない負荷がかかっていることくらい僕には分かるんだ」宗介は再び、彼女の瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。その真摯な視線に、絵理はたまらず唇を噛み締め、不安を押し殺そうとした。すべてを自分一人で抱え込めば、いつか心が完全に壊れてしまう。絵理は観念したように口を開いた。「宗介……薫のお店を助けてくれた社長って……瑛司だったの」絵理は震える声で打ち明けた。「なんだって!?」宗介は驚愕のあまり言葉を失った。「瑛司が?一体、どうして……!?」絵理は力なく首を横に振った。「分からないわ。昨日、彼が突然お店に現れたの。私、薫の店にいることが彼にバレてしまって、恐ろしくてたまらなかった。……今も、恐怖で少しも落ち着かないわ。彼から逃げ出したかったのに、こんなに早く見つけられるなんて思ってもみなかった」絵理は両手の指を白くなるほど固く絡ませ、恐怖に顔を歪めた。宗介は、彼女がどれほど深い絶望と不安の底に突き落とされたかを痛いほど理解した。「絵理――」「でも、何があっても私は彼から逃げる。もう二度と、あの男の顔なんて見たくないの……」絵理がギュッと目を閉じると、宗介の温かい大きな手が、彼女の震える両手をそっと包み込んだ。ガタガタと震える絵理の手が、彼女の底知れぬ恐怖を物語っていた。「絵理、何も恐れることはない。僕がいつでも君の側にいる。瑛司に、君の指一本触れさせやしないよ」宗介は、彼女を安心させるように力強く誓った。「でも、宗介……」
その日の朝、絵理はベッドが微かに沈み込むのを感じた。そして、小さな腕が彼女を力強く抱きしめてきた。頬に何度も可愛らしいキスが降らされ、愛おしい囁き声が耳元をくすぐる。「ママ……ママ、翔、帰ってきたよ」小さな声が、絵理を深い眠りから引き戻した。絵理はゆっくりと瞼を開けた。真っ先に視界に飛び込んできたのは、愛嬌たっぷりに微笑み、自分にぎゅっとしがみつく翔の顔だった。絵理もすぐさま、負けないくらいの力で息子を抱きしめ返した。「……翔くん」「ママ、きのう、なんでいなかったの?ママ、どこに行ってたの?翔、ママ探して泣いちゃったんだよ!」翔は両頬をぷくっと膨らませて抗議した。絵理は
「奥様、本当にこれでよろしいのですね?」絵理は静かに、しかし迷いのない瞳で頷いた。「ええ。この決断を後悔することはないわ」屋敷の裏庭に面したテラス。絵理は、向かいに座る白髪の老紳士がテーブルに差し出した書類をじっと見つめていた。栗原健三(くりはら けんぞう)弁護士。絵理が二日前に連絡を取り、秘密裏に重要書類の作成を依頼した、彼女が唯一信頼できる人物だ。「……承知いたしました。奥様のこれからの人生が、穏やかなものであることを祈っております」絵理は微かに微笑みを浮かべた。「ありがとう、栗原先生。私も、そう願っているわ」「それでは、私はこれで失礼いたします」グレースーツに
日が経っているが、絵理の体調が回復することはなかった。悪夢から弾かれたように、彼女はハッと目を覚ました。薬の強い副作用のせいで、泥のような眠りに二時間も落ちてしまっていたのだ。——翔を幼稚園へ迎えに行くことすら忘れて。「嘘……今、何時!?」壁掛け時計を見上げた瞬間、絵理の血の気がサッと引いた。「どうしよう、私……っ!翔くん、きっと一人で泣いてる……!」絵理は弾かれたようにベッドから跳ね起きた。鉛のように重く、力の入らない身体に無理やり鞭を打つ。もつれる足で階段を駆け下りる。しかし、一階へ辿り着くよりも早く、玄関の重厚なドアが乱暴に開け放たれた。「ママぁ……っ、うわあああんっ
翔を遠ざけられ、瑛司が息子を屋敷に連れ帰らなくなって数日が過ぎた。絵理の毎日は、息の詰まるような静寂と、どうしようもない虚無感に支配されていた。あの男は、あの日絵理に告げた残酷な宣告を冷徹に実行していた。絵理は、翔に指一本触れることすら許されなくなったのだ。絵理は必死に心を奮い立たせようとした。目の中に入れても痛くないほど愛している翔に会えないのは、身を裂かれるほど辛い。けれど、彼女は前を向いて歩き出す決心をしたのだ。今の彼女には、何よりも優先すべきことがあった。その日の午後、絵理は病院の静かな廊下を足早に歩いていた。親友である宗介の診察を予約していたのだ。「こんにちは」絵理は
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