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第3話

Auteur: 局所宇宙
長い沈黙のあと、隼人はようやくゆっくり口を開く。

「俺と柚葉は、もう十年だ」

「それで?」

「なぜかは分からない。ただ、柚葉とそんなに長く一緒にいたと思うと……飽きた……もう愛していないんだ」

電話の向こうで息づかいが荒くなり、亮介のかすれた声が聞こえる。

「本当に愛してないのか?それともただ新しいものに目がくらんでるだけなのか?自分でよく考えろ。

それとな、もし柚葉にバレて離婚になったらどうする?ほんとに手放せるのか?

だって莉緒と柚葉、顔はほとんど見分けがつかないくらいそっくりなんだろう?」

いつだって、よく見えているのは傍観者だけ。

隼人の指先がかすかに震え、手の甲に落ちた灰がじゅっと焼きつく。黒ずんだ痕が残った。

「そっくりだって?そんなはずが……」

私はそっと目を伏せ、踵を返して事務所へ戻った。

離婚協議書に条項をもう一つ、付け足したい。

【離婚後は、双方いかなる形でも相手を騒がせないこと】

すべて終えると、私は引っ越し業者に電話をかける。

明日の十二時、搬出の予約を入れる。

夜、隼人は帰らなかった。

きっと、あの莉緒と一緒にいるのだろう。

なにしろ退勤前、彼女からおつかい便で荷物が届いたのだ。

隼人の車にあった下着と同じシリーズの赤いブラジャー。

メモにはこうあった。

【下着を置き忘れちゃったから、代わりにこれあげる。セットにしてね】

それを受け取って、私は証拠として保管する。

身支度を終えて眠りにつこうとした矢先、スマホが立て続けに震え始めた。画面に並んでいたのは、隼人からの何十件もの着信。

事故に遭い、今は病院にいる。すぐに来てほしい、と。

考える間もなく私は家を飛び出す。

救急処置室の前で、隼人は落ち着きなく行き来していた。私の姿を見つけるなり駆け寄り、そのまま採血室へと押し込む。

「莉緒が今、手術中だ。輸血が必要なんだ。お前はO型で、いわゆる万能型だろう?きっと助けられる」

腰のあたりをドア枠にぶつけ、鋭い痛みに息を呑んだ。堪えきれず、私は思わず隼人に問いかける。

「莉緒は、誰のこと?」

隼人は視線を落とし、話を逸らす。

「柚葉、お前は優しいだろう。人が死にかけていても、見捨てたりしないよな?

それに、昔、俺だって一度、お前を救ったじゃないか」

心臓が一拍、止まった。私はひどくぎこちなく言う。

「いいわ、助ける。返すだけ。これで、もうおあいこ」

「何だって?」

隼人は聞き取れず、どこか不安げだ。

さらに問いただそうとしたときには、私はもう看護師の前に座らされている。

太い針が容赦なく血管に突き立てられ、200cc、400cc、600cc……

800ccになったところで、隼人がついに堪えきれず怒鳴る。

「まだ足りないのか?干からびさせる気か!」

看護師は眉をひそめ、苛立ちを隠さぬまま言う。

「そんなに騒がないでください。妊婦の出血というのはこういうものなんです、とても危険な状態です。赤ちゃんを助けたいのであれば、この程度の輸血ではまだ足りないかもしれませんよ。

続けます?やめると言うなら、この針はすぐに抜きますが」

舌の先を強く噛みしめ、血の味が口の中に広がる。

――そうか。二人には、もう子どもがいるのか。

隼人の顔は蒼白に染まり、何度もためらった末、私の手を強く握りしめる。そしてようやく、喉を裂くように言葉を絞り出す。

「もういい。やめてくれ」

その言葉を吐き出した途端、彼の肩から力が抜けた。

だが私は看護師の手を押さえ、静かに告げる。

「続けてください。私は、彼に借りがあるから」

その夜、どうやって気を失ったのかは覚えていない。

ただひとつ、はっきりと覚えているのは、私が「続けてください」と口にした瞬間、隼人の顔から血の気が一気に引いたこと。

驚愕と困惑、そして拭いきれない罪悪感が、その表情に重なっていた。

けれど、罪悪感はいらない。

次に目を覚ましたのは、翌日だ。

隼人は私の手を握ったまま、ベッド脇で突っ伏して眠っている。

目の下には濃い隈が刻まれている。

私はそっと手を引き、彼を起こしてしまった。

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