LOGIN光雅が自ら出向いてきたことで、その場にいた誰もが察した。真琴と西脇家の態度は明確だ。彼女と信行がよりを戻すことなど、決して許さないという強烈な意思表示である。差し出された光雅の手を握り返し、拓真は愛想よく笑った。「西脇社長、どうぞお気遣いなく。俺たちと真琴ちゃんは幼馴染ですから、ただの腐れ縁みたいなものでしてね」その後、少しばかり言葉を交わすと、光雅は真琴を連れて早々に立ち去っていった。今や、東都市の政財界はこの話題で持ちきりになっていた。浜野市が真琴を強引に連れ戻し、次世代制御技術のプロジェクトから引き抜こうと画策しているという。浜野側の野心は痛いほど理解できる。だが、東都市の政府機関も決して指をくわえて見ているつもりはない。何としてでも真琴を引き留め、三社合同プロジェクトを継続させようと躍起になっている。彼女という頭脳の有無で、最終的な技術の到達点が天と地ほど変わってくるからだ。光雅の車を見送りながら、拓真はズボンのポケットに両手を突っ込み、横に立つ信行へ視線を向けた。「真琴ちゃんを迎えに行った時、少し話したんだがな。今度ばかりはそう簡単に振り向いてくれないぜ。相当骨が折れると思うぞ」信行は遠ざかるテールランプから静かに視線を外し、何も答えなかった。やがて、一行はその場で解散となった。……真琴を家まで送り届ける車中。光雅は信行から遠ざかれというような小言は一切口にせず、ただ仕事の話だけを振った。助手席に座る真琴が、運転する光雅の横顔を見つめて問いかける。「浜野の上層部には話した?向こうはどんな反応を?」両手でハンドルを握ったまま、光雅は平然と返す。「連中の態度なんかどうでもいい。お前は自分のやりたい研究を、好きなようにやればいいんだ」上層部が納得するはずもなく、激怒していることは想像に難くない。だが、そんなものは光雅には一切通用しない。「帰還させない」と彼が決めた以上、相手が誰であろうと絶対に首を縦に振るつもりはなかった。実は今日の午後、父親である康祐からも光雅のもとに電話が入っていた。真琴本人はどう考えているのかと尋ねられ、光雅が事情を説明すると、康祐は真琴の立場を深く理解し、彼女の決断に全面的な賛意を示してくれた。アークライトが主導するワイヤレス電
おそらくこの先、真琴を巡って東都市と浜野市の間で、しばらくは激しい引き合いが続くだろう。最終的な行方は、光雅の出方と真琴自身の意思に委ねられている。ただ、彼ら数人にしてみれば、公私ともに、真琴にはこのまま東都市に留まってほしいというのが本音だった。冗談めかした拓真の言葉に、真琴は彼の方へ顔を向けてふっと微笑んだ。まもなくして、車は南江ホテルの車寄せに到着した。真琴は拓真の後ろに続き、足並みを揃えて上の階へと向かう。二人が貸し切りの個室に足を踏み入れた瞬間、パンッという甲高い音と共に、色鮮やかなクラッカーのテープが真琴に向かって舞い散った。「真琴、論文の大成功おめでとう!このままノーベル賞まで一直線ね!」紗友里と良一が満面の笑みで手荒い祝福を浴びせてくる。真琴は両手を広げて紗友里を抱きしめ返し、くすっと笑った。「ありがとう、紗友里」「真琴、本当におめでとう」「いやあ、凄すぎるって。俺たちまで鼻が高いよ」「おめでとう、真琴ちゃん」「ありがとう」「皆さん、本当にありがとうございます」次々と飛び交うお祝いの言葉に、真琴は笑顔で感謝を返していった。一通り皆との挨拶が落ち着いた頃。信行が真琴の目の前へと歩み寄り、綺麗に包装された小さなギフトボックスを差し出した。「……おめでとう」たった一言。それでも、信行の声音はひどく優しく、耳の奥を心地よく震わせた。目の前に差し出された箱を見下ろし、真琴は静かに口を開く。「ありがとう。でも、気持ちだけ受け取っておくね。他の人たちからも、贈り物はもらってないから」2年前、信行に対してはっきりと告げている。もう二度と贈り物はしないでほしい、決して受け取ることはない、と。だからこそ、今ここで彼の贈り物を受け取る理由などどこにもない。たかが論文を一つ発表しただけだ。大袈裟なプレゼントなど必要なかった。それに、贈り物を受け取らないのは真琴の確固たる意思表示でもあった。彼に、これ以上の無駄な希望を持たせるつもりは毛頭ない。その時、ふと真琴の視線が信行の左手に落ちた。薬指に嵌められていた、由美とお揃いのペアリングが外されていることに気づく。だが、今の真琴にとって、そんなことはもはや何の意味も持たない。きっぱりと線を引く真琴の態
彼女の聡明さは、どこまでも純粋だ。拓真の手放しの称賛に対し、真琴はさらりと返す。「まあ、ぼちぼちですね」「おいおい。嫌味なくらい謙虚だな」拓真の冗談めかしたからかいに、真琴はぱっと花が咲いたような明るい笑みを向けた。車は夜の街を滑るように進んでいく。しばらく他愛のない会話を交わした後、拓真がふいに話題を切り替えた。「なあ、お前と信行の間には、本当に可能性はゼロなのか?もう一度だけ、あいつにチャンスをやってくれないか」これまで拓真は、真琴にプレッシャーを与えないよう、ずっと信行の方をたしなめてきた。しかし、真琴がこちらへ戻ってきてからそれなりの時間が経過している。だからこそ、遠回しな探りはやめにして彼女の率直な意思を確かめたかった。真琴が口を開くより早く、拓真は言葉を継ぐ。「信行の性格は、お前もよく分かってるだろ。あいつは確かにプライドが高くて傲慢なところがあるけど、お前のことを本気で想っていたのも事実だ。ただ、あの頃は若すぎたし、恋愛経験も乏しかった。持ち前の自尊心も相まって、どうしても極端な行動に走っちまったんだよ。でもな、信行の心の中には確実にお前がいる。それだけは否定できない。あれからいろいろあって、長い時間が過ぎた。俺たちもそれなりに歳を取って成熟したし、今なら昔よりずっと冷静に、お互いの関係や問題に向き合えるはずだ」そこで言葉を区切り、拓真は横目で真琴の様子を窺う。「だから……もう一度だけ、信行にチャンスをやってくれないか。もし今度また失望させるような真似をしたら、その時はもう、俺たちもあいつを庇ったりしないからさ」拓真の真摯な説得を聞きながら、真琴はフロントガラスの向こうへ視線を向けていた。その横顔はひどく穏やかだ。この話題を持ち出されたことに対して、反発する様子も全くない。拓真が言いたいことをすべて話し終えるのを待ち、真琴はゆっくりと口を開いた。「拓真さんの言いたいことはよく分かります。信行が私に対していくらかの情を抱いていることも、あの頃の彼が若さゆえに意地を張っていただけだということも、信じています」少しだけ間を置き、言葉を続ける。「信行のことを恨んだり、責めたりはしていません。あの時、火事に紛れて姿を消したのは……ただ、私自身が自分の感情をどうにも制御できなく
どうしてあんなに必死に努力してきたのに、なぜ自分の方が劣っている?やり場のない鬱憤が、由美の胸の奥で重く渦巻いている。苛立ちに任せてスマートフォンをデスクに放り投げると、彼女は力なく背もたれに沈み込み、天井を仰ぎ見た。かつては、あの人が戻ってくることなど欠片も望んでいなかった。だが今、由美は痛切に彼女の帰還を待ち望んでいる。自分一人では、もう峰亜を支えきれないところまで追い詰められているからだ。じっと天井を見つめ続ける。ネット上でも現実の社交界でも、どこへ行っても真琴の話題ばかり。誰も彼もが、浜野からやってきた「西脇家の次女」とコネを作りたがっている。今の由美には、周囲を惹きつけるような光など何一つ残されていなかった。……一方、真琴はというと――ネット上の熱狂も、ひっきりなしに鳴り続けていたスマートフォンの通知も、研究所に足を踏み入れた瞬間にすべて真琴の意識から排除されていた。ただひたすらに、目の前の仕事へと没頭していく。目下のところ、何よりも待ち望んでいるのは、東央システムズの専用研究室が一日も早く完成することだ。研究環境が整えばさらに身動きが取りやすくなり、今後着手できるプロジェクトの幅も劇的に広がるからである。夜の七時四十分。数組の検証データを記録し終えた真琴は、大きく伸びをした。そろそろ退勤しようとした矢先、スマートフォンが着信を知らせる。画面に表示されたのは、拓真の名前だった。それを見て、真琴はようやく昼間の通話内容を思い出した。「八時前に仕事が終われば、みんなの集まりに顔を出す」と、彼と約束していた。凝り固まった首筋を揉みほぐしていた右手を下ろし、通話ボタンをタップする。「拓真さん」すぐに、電話の向こうから拓真の声が飛び込んできた。「八時に終われそうか?迎えに行くよ」その気遣いに、真琴はふっと笑みをこぼした。「本当に絶妙なタイミングですね。たった今、片付いたところです。お店には自分で行きますから、住所を送ってもらえますか?」ところが、拓真はあっさりと返してきた。「今日は研究所の方にいるんだろ。もうビルの下に着いてるから、そのまま降りてきな」「……」真琴は思わず言葉を失った。このフットワークの軽さ、行動力の凄まじさには恐れ入るしかない
確かに、真琴が東都という街に深い愛着を抱いているのは事実だ。それに、彼女の先ほどの主張は正論だった。東央システムズと興衆、そしてアークライトが三社間の提携契約を結んだばかりのこのタイミングで、中核である真琴をプロジェクトから引き抜くのは、企業としてあまりにも不義理である。光雅はさらに、真琴の次なる目標も把握していた。彼女は次世代型の遠隔制御システムを完成させた後、アークライトが主導する「ワイヤレス動力伝送」のプロジェクトへ参画することを望んでいる。このプロジェクトは智昭が最も心血を注いでいる肝入りの事業であり、智昭と信行の二人が莫大な資金を投じている。とりわけ智昭に至っては、自らの時間と労力の大半をこの研究に捧げてきた。しかし、プロジェクトの規模があまりにも巨大すぎるがゆえに、未だ完全な実用化には至っていないのが現状だった。東央システムズに在籍したこの二年間、真琴がずっとワイヤレス動力伝送の基礎研究を続けていたことを光雅は知っている。彼女は自分自身のキャリアプランを、恐ろしいほど明確に思い描いていた。真っ直ぐに真琴を見つめ返す。その瞳の奥に宿る揺るぎない意志と眩いほどの光を目の当たりにし、光雅の決意は揺らいだ。光雅は真琴を高く評価している。だからこそ、彼女の思い描く計画に水を差し、その歩みを止めるような真似だけはしたくなかった。研究という分野において、真琴は類まれなる天賦の才を持っている。自分に何が必要で、いつ、何をすべきか。彼女自身が誰よりも理解している。やがて、光雅は小さく息を吐き、折れるように言った。「……分かった。なら、慎吾がこっちへ到着してから、改めて話し合うとしよう」即座の帰還を強要されず、真琴は内心でホッと胸をなで下ろした。東央や西脇家のために尽力したいという思いは強い。だが同時に、智昭の恩義を裏切るような真似は絶対にしたくなかった。二年前に彼女の身を案じ、浜野の西脇家へと逃がしてくれたのは、他でもない智昭だからだ。光雅を見つめ、真琴は穏やかな声で申し出た。「それじゃあ、黒田部長たちには電話で説明しておきましょう」その言葉を、光雅がピシャリと遮る。「その必要はない。お前は自分の研究開発だけに集中していればいい。それ以外の雑事は、すべて俺が処理する」泥沼のよう
光雅が言い終えるなり、真琴の眼差しは先ほどよりもぐっと真剣味を増し、その表情はすっと引き締まった。「そんなに急ぐ必要があるの?どうしても明日じゃなきゃ駄目?せめて橘さんがこっちへ来るのを待ってから、直接引き継ぎをさせてほしい」光雅が自分と信行の関わりをひどく嫌がっていることは真琴も重々承知しているし、その心情も理解できる。それに加え、今回の論文が巻き起こした凄まじい反響だ。浜野の上層部からすれば、真琴がこのまま東都に長居し、現地の研究機関に取り込まれてしまうことを何より恐れているはずだ。間違いなく、光雅にも相当な圧力がかかっているのだろう。いずれこうなることは予想していたが、まさかここまで焦っているとは思いもしなかった。論文の発表から、まだたったの三日。それなのに浜野は今すぐ彼女を連れ戻そうと躍起になっている。真琴の問いかけに対し、光雅は首を横に振った。「慎吾との業務引き継ぎなら電話やビデオ通話で十分に事足りる。あいつの到着をわざわざ東都で待つ必要はない」彼が口にした「慎吾」とは、東央システムズの技術責任者を務める橘慎吾(たちばな しんご)のことだ。光雅と同い年であり、長年タッグを組んできた二人の間には阿吽の呼吸がある。東央システムズに身を置いたこの二年間、真琴自身も慎吾から多くのことを学ばせてもらっていた。一刻も早く帰還させようとする光雅に対し、真琴はどうにか妥協点を見出そうと食い下がる。「興衆やアークライトとのプロジェクトは、契約を交わして立ち上がったばかりだわ。契約書にも、私と他二名の技術員が第一責任者として明記されているの。今このタイミングで急に投げ出して帰るなんて、興衆やアークライトに対してあまりにも無責任じゃない?いくらなんでも筋が通らないと思うけど」次世代型の遠隔制御技術。真琴自身、このプロジェクトには並々ならぬ情熱を注いでいる。もし今後の開発フェーズに今回の論文の技術を組み込むことができれば、防御や攻撃システムにおいて世界を震撼させるほどのブレイクスルーが起きるはずなのだ。もしここで浜野へ帰還する道を選べば、向こうの上層部は間違いなく新たな特大プロジェクトを立ち上げ、真琴をトップに据えるだろう。だがそれは結果的に、興衆とアークライトをあっさりと見捨てて蹴り飛ばすことを意味







