INICIAR SESIÓN山間の小さな町で行われる秋祭り。 提灯の灯りが揺れる夜、少女・くれはは謎めいた声に導かれるように姿を消した。 必死に探す母・春香は、その瞬間に悟る。 ──これは二十年前にも起きた「忌まわしい出来事」と同じ始まりだ。 町に伝わる古い言い伝え。 “赤い森に呼ばれた者は戻らない” だが、外から赴任してきた刑事・祐真は、その話をただの迷信と切り捨てる。 少女の失踪を追ううちに、彼は次第に目を逸らせぬ現実に直面していく。 森に蠢くもの。木々に浮かぶ人の顔。 血のように濡れた葉が降りしきる中で、人々はひとり、またひとりと消えていく──。 過去と現在が交錯し、町の秘密が暴かれるとき、 くれはの名を呼ぶ声の正体が明らかになる。
Ver másその夜、町は赤かった。
秋祭りの夜明け前の空はまだ群青色を残していた。 祐真は交番の窓を開け放ち、外の冷たい空気を吸い込んだ。 胸の奥に、昨日から貼りついた不快なざわめきがある。 机の引き出しにしまった赤い葉──それは朝になっても、かすかに湿り気を帯びていた。 「呼ばれてる……」 春香の声が脳裏に響く。祐真は額を押さえ、首を振った。 迷信じゃない。だが、論理で説明できるものでもない。 午前、祐真は町の図書館を訪ねた。 資料室に入り、地元史の棚を漁っていると、背後から声をかけられた。 「刑事さん……また余計なものを探してる」 そこに立っていたのは、司書の老人だった。 痩せた背筋は曲がり、眼鏡の奥で小さな目が細められている。 「橘の家に関わるな」 いきなりそう告げられ、祐真は眉をひそめた。 「なぜです?」 「……あの家は、森に選ばれたんだ。代々、女の子が……」 老人はそこで言葉を濁した。 祐真は思わず問い詰める。 「20年前の失踪も、今回の件も、森と橘家に関係があると?」 「口に出すな!」 老人の声は図書室に不釣り合いなほど鋭かった。 周囲の誰もいない本棚の影。 その一瞬、窓の外の木立がざわめき、紅い葉がひらひらと舞い込んできた。 老人は顔を青ざめさせ、祐真の胸ぐらを掴んだ。 「呼ばれるぞ。あんたもな……!」 その眼に浮かんだのは狂気か、それとも純然たる恐怖か。 夕方。 祐真は橘家を再び訪れた。 春香は仏壇の前
町役場の資料室は、午前の光に照らされながらも重苦しい空気を纏っていた。 古い木造の建物の一角、誰も近寄らない埃まみれの棚の奥に、祐真は目的のものを見つけた。 ──町内で発生した行方不明事件記録簿。 厚いファイルを開いた瞬間、紙の黄ばみと古い墨の匂いが鼻を突いた。 時代を感じさせる手書きの記録。丁寧な筆跡で記された事件の数々が並んでいる。 そして──二十年前の項に、その名はあった。 「橘美桜(三歳)」 日付は秋祭りの夜。 「自宅より外出し、その後行方不明」 捜索を行うも手がかりなし、と短く書かれていた。 祐真は息を詰めた。 苗字は「橘」。 春香と同じ。つまり、春香が20歳のときに失った娘だ。 ページの端には、鉛筆で小さく書き加えられた走り書きがあった。 「赤い葉に導かれた」 「母親の証言、記録せず」 ──なぜ、証言を削った? 祐真の胸に重いものが落ちる。 資料室を出ると、町役場の年配職員が廊下で待っていた。 「刑事さん、あんまり古いものに触れない方がいい」 「どういう意味ですか?」 「……その事件は、この町では“なかったこと”になってるんです」 男は怯えるように声を潜める。 「森に触れた者は、また森に呼ばれる。記録を残せば、繰り返す。そう言われてる」 「迷信で、記録を隠すんですか?」 問い詰める祐真に、男はただ首を振った。 「刑事さん、夜はあの森に近づかない方がいい。あなたまで呼ばれる」 祐真の胸に苛立ちが募る。 迷信を盾に真実から目を背ける──。 だが昨夜見た赤い葉と、木の顔と、少女の声は、どう説明する? その日の夕暮れ、祐真は春香の家を訪ねた。 玄関を開けると、線香の匂いが漂っていた。 居間には小さな仏壇があり、写真立てが置かれている。 そこに映っていたのは、幼い少女。 笑顔の横に「美桜」と名前が書かれていた。 春香は静かに言った。 「……あの子は三つでした。私が目を離したすきに、祭りの音に惹かれて外へ出て。 気づいたときには、もう……」 声が震え、目に涙が溜まる。 「捜したんです。どれだけ叫んでも、答えは返ってこなかった。 ただ、森の奥から、囁きが聞こえたんです。 “かえして”って……」 祐真の背筋に冷たいものが走った。 春香は、唇を噛み、続けた。
赤い葉が降りしきる夜、森は異様な静けさに包まれていた。 虫の声も、鳥の気配もない。ただ、風に揺れる枝葉がざわりと擦れる音が耳にまとわりつく。 祐真は懐中電灯を構え、一歩、また一歩と奥へ進んだ。 湿った土の匂い。踏み込むたびに靴底が沈み、ぬめりを帯びた感触が残る。 振り返れば、参道の灯りはもう見えない。闇が背後を閉ざしていた。 「……気味が悪い」 小さく呟く声さえ、森に吸い込まれる。 やがて視界の端で、赤いものが揺れた。 祐真は立ち止まり、光を向ける。 それは木の幹に貼りついた一枚の葉だった。 しかし、ただの落ち葉ではない。 葉脈が脈打つように動き、幹に滲むような血色を広げている。 「……何だ、これ」 指先で触れかけた瞬間、葉が震えた。 まるで自らの意思で、祐真の手を拒むように。 ──かえれ。 囁きが響いた。 祐真は反射的に懐中電灯を落とし、慌てて拾い上げた。 光が揺れた瞬間、幹の表面に“顔”が浮かび上がった。 女の顔。閉じた瞼。 だが、その口元はゆっくりと開き、赤い葉を吐き出す。 祐真は後ずさった。心臓が激しく脈打つ。 理屈では説明できない。幻覚? 疲労による錯覚? だが足元に落ちた葉は確かに存在していた。 拾い上げると、冷たく湿り、血の匂いがした。 そのとき、森の奥から声がした。 ──ここだよ。 少女の声。 くれはの声だった。 「くれは!」 祐真は思わず叫び、声の方向へ駆け出した。 枝葉が頬を掠め、赤い葉が雨のように降り注ぐ。 光の先に、小さな影が見えた。 白い浴衣姿の少女が、こちらを振り返る。 確かに、くれはだった。 「大丈夫か! 今助ける!」 だが次の瞬間、彼女は静かに笑った。 その瞳は真っ赤に濁り、口から赤い葉が零れ落ちる。 祐真は言葉を失った。 くれはの体が崩れるように地面へ溶け、落ち葉となって散った。 残されたのは一枚の赤い葉だけだった。 ──刑事さん。 背後で声がした。 振り返ると、そこにいたのは晴香だった。 着物姿のまま、蒼白な顔で立っている。 「どうして……ここへ」 「あなたが行くと、分かっていたから」 晴香はかすかに微笑んだ。だがその笑みは恐怖に歪んでいた。 「刑事さん、この森には入ってはいけません。二十年前も、私はここで娘を失ったのです」 その言
祭りの灯りが消えていくのを、春香はただ呆然と見つめていた。 人混みに飲み込まれたはずの娘の姿は、どこにもない。 「くれは……!」 喉が裂けるほど叫んでも、太鼓の音がすべてをかき消した。返事はない。 ただ一枚、足元に落ちていた赤い葉だけが、残酷に答えていた。 警察が出動したのは、それから一時間後のことだった。 境内に設けられた臨時の詰所には、祭り帰りの人々が心配そうに集まり、ざわめきが途絶えない。 誰もが口を揃えて「少女は急にいなくなった」と言う。 祭りの喧噪の最中に忽然と消えた。目撃者はいない。 春香の説明は、動揺に満ちていて要領を得なかった。 「参道を歩いていたんです。ほんの少し目を離したら……赤い葉が……」 そこで声が詰まる。握りしめた手の中、血のような葉がまだ湿り気を帯びていた。 警察官たちは顔を見合わせ、困惑気味に母親を宥める。 その場に現れたのが、刑事の一ノ瀬祐真だった。二十八歳。若さは残るが、どこか擦れたような目をしている。無精ひげに整っていない髪、着古したスーツ。まだ若いはずなのに、年齢以上の疲れを纏っていた。都会から数か月前に赴任してきたばかりで、この山間の町には馴染んでいない。 「失踪、ね」 報告を受けた祐真は、疲れたように煙草を探した。だが祭りの会場では吸えず、舌打ちを呑み込む。 「年端もいかない子供が夜に消えた。真っ先に考えるのは事故か誘拐だ。……だが、あんたは違う顔をしてるな」 祐真は春香に向き直った。 彼女の手の中にある葉に、ふと目を止める。 「それは……落ち葉か?」 「……いいえ。違います。これは……あの森のものです」 晴香の声は震えていた。 「森?」 「……“紅葉ヶ森”。」 その名を口にした瞬間、近くの町の人々がざわついた。口を閉ざす者もいれば、露骨に顔を歪める者もいる。 その反応に、祐真は眉をひそめた。 「何だ、それは?」 「言わないほうが……。刑事さん、あなたは知らないんです、この町で何があったか」 春香は言葉を飲み込み、唇を噛む。涙が頬を伝う。 祐真はその夜、森の入り口へ足を運んだ。 参道の先、屋台の灯りが途切れた闇に、大木が影のように並んでいる。 風が吹くたび、葉がざわめき、赤黒い影を揺らした。 足元に一枚、赤い葉が落ちていた。 拾い上げると、指先にぬめり