Short
返事のない昨日にさよなら

返事のない昨日にさよなら

By:  パクチー好きの静香Completed
Language: Japanese
goodnovel4goodnovel
7Chapters
69views
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

私は瀬戸紗雪(せと さゆき)。 三年前から、恋人の鈴田響(すずた ひびき)とは離れて暮らしている。 一か月、残業を詰め込んでようやく時間を作り、響に会うため、彼の住む街へ向かった。 けれど、その日、響とは連絡がつかなくなった。 見知らぬ街で一人、十時間待った。 ようやくかかってきた電話の向こうから聞こえたのは、響ではなく、親友の森谷穂波(もりや ほなみ)の弾んだ声だった。 「紗雪、びっくりした?先にいろいろ回ってきちゃった。すごく楽しかったよ。響、案内うますぎ」 穂波ははしゃいだ声で、今日行った場所や面白かったことを次々に話した。 まるで響のスマホに残った三十件の不在着信など、最初から目に入っていないみたいに。 私は黙って聞いていた。 穂波が「寒い」とこぼすまで。 その一言で、ようやく響が電話を代わった。 「先に穂波をホテルまで送る。お前はもう少し待ってろ」 その声を聞いて、私は思わず尋ねた。 「私が何時間待ってたか、知ってる?」 響は少し黙ったあと、冷たい声で言った。 「穂波はお前の親友だろ。そこまで張り合うことか?」 あからさまに責められて、私はもう何も言えなくなった。 電話を切ると、家に帰るために呼んでいた車が来ていた。 運転手は私を見るなり、心配そうに声をかけてきた。 「お客様、もう夜中の十二時を過ぎてますよ。この辺り、あまり治安がよくないんです。家の人は心配しないのでしょうか」 私は雪で濡れた靴を見下ろした。 「そうですね」 そう答えて、少しだけ笑った。 「でも、もう二度とこんなことをしません」

View More

Chapter 1

第1話

私は瀬戸紗雪(せと さゆき)。

三年前から、恋人の鈴田響(すずた ひびき)とは離れて暮らしている。

一か月、残業を詰め込んでようやく時間を作り、響に会うため、彼の住む街へ向かった。

けれど、その日、響とは連絡がつかなくなった。

見知らぬ街で一人、十時間待った。

ようやくかかってきた電話の向こうから聞こえたのは、響ではなく、親友の森谷穂波(もりや ほなみ)の弾んだ声だった。

「紗雪、びっくりした?先にいろいろ回ってきちゃった。すごく楽しかったよ。響、案内うますぎ」

穂波ははしゃいだ声で、今日行った場所や面白かったことを次々に話した。

まるで響のスマホに残った三十件の不在着信など、最初から目に入っていないみたいに。

私は黙って聞いていた。

穂波が「寒い」とこぼすまで。

その一言で、ようやく響が電話を代わった。

「先に穂波をホテルまで送る。お前はもう少し待ってろ」

その声を聞いて、私は思わず尋ねた。

「私が何時間待ってたか、知ってる?」

響は少し黙ったあと、冷たい声で言った。

「穂波はお前の親友だろ。そこまで張り合うことか?」

あからさまに責められて、私はもう何も言えなくなった。

電話を切ると、家に帰るために呼んでいた車が来ていた。

運転手は私を見るなり、心配そうに声をかけてきた。

「お客様、もう夜中の十二時を過ぎてますよ。この辺り、あまり治安がよくないんです。家の人は心配しないのでしょうか」

私は雪で濡れた靴を見下ろした。

「そうですね」

そう答えて、少しだけ笑った。

「でも、もう二度とこんなことをしません」

響が、私の不在に気づいたのは、二時間後だった。

彼のスマホの着信音は、海外で流行っているロックナンバーだった。

私の好みではない。

以前、少し拗ねたふりをして、私の好きな静かな曲に替えてほしいと頼んだことがある。

響は、あからさまに嫌な顔をした。

そのときの突き放すような声を、私は今でも忘れられない。

「なんで俺が、いちいちお前に合わせなきゃいけないんだよ」

私はひどく気まずくなり、すぐに謝った。

けれど、ついさっき、親友の穂波がインスタを更新していた。

【まったく。三か月前に例のおバカさんにすすめた曲、私はもう聴き飽きてるのに、あの人まだ着信音にしてるんだけど】

三分前、響がそこにコメントしていた。

【誰がおバカさんだよ】

【ほかに誰がいるの】

穂波の返信は早かった。

スマホには、まだひっきりなしに着信が入っている。

私はふいに笑いそうになった。

私が頼んだときは、あんなに嫌そうだったくせに。

別の女にすすめられた曲は、三か月経っても着信音にしたままなんだ。

電話に出ないでいると、今度はメッセージが次々に届き始めた。

【どこにいるんだよ。頼むから、もう意地張るのやめてくれ。こんな時間に、本当に疲れるんだけど】

響は、文句ばかり並べていた。

思い返してもぞっとするのか、そのとき、前の席から運転手の男性がまた口を開いた。

「知らないかもしれませんね。おととい、あの駅で性的暴行事件があったんですよ。被害に遭った人は助からなくて、そのせいで市内はずっと物騒な空気なんです。

だから今日、あそこでお客様を見かけたときは、正直ひやっとしましたよ。親御さんが知ったら、心配で一晩眠れなかったでしょうね」

指先が小さく震え、私はまた画面に目を落とした。

【なんでそんなに意地になるんだよ。迎えが少し遅れただけだろ】

【穂波だってわざわざ来てくれたんだし、お前の親友でもあるんだから、少しはこっちの事情もわかってくれよ】

スマホを握る手が、また震えた。

胸が締めつけられるように痛かった。

運転手のおじさんは、私が泣きそうになっていることに気づいたらしい。

「ごめん……泣かせるつもりじゃなかったんです……もうこの話はしませんよ」

私は赤くなった目で、ゆっくり首を横に振った。

その言葉に、張りつめていたものが少しだけゆるんだ気がした。

「いいえ。助けていただいたのは、私のほうです」

響はそれからもしばらくメッセージを送り続け、最後には投げ出すように一文だけ寄こした。

【もういい。これ以上は付き合いきれない。少し一人で落ち着けよ】

二十八件のメッセージ。

読み返してみれば、そのほとんどが私を責める言葉だった。

最後の一通だけは、まるで彼がずっと私をなだめていたかのように書かれていた。

急に全身の力が抜けて、強い眠気が押し寄せてきた。

私はスマホの電源を切り、そのまま目を閉じて眠った。

目を覚ましたときには、もう家に着いていた。

運転手のおじさんは、疲れきって眠っている私を起こさず、三時間もそのまま待っていてくれたらしい。

私は料金を支払い、感謝の気持ちとしてお釣りは受け取らなかった。

運転手のおじさんは少し照れたように笑い、帰り際にも声をかけてくれた。

「お客様、家に入ったらすぐ靴を替えてくださいね。ずいぶん濡れてるから、風邪をひきますよ」

その気遣いが、素直にうれしかった。

私は小さくうなずいて、「はい」と答えた。

Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters
No Comments
7 Chapters
第1話
私は瀬戸紗雪(せと さゆき)。三年前から、恋人の鈴田響(すずた ひびき)とは離れて暮らしている。一か月、残業を詰め込んでようやく時間を作り、響に会うため、彼の住む街へ向かった。けれど、その日、響とは連絡がつかなくなった。見知らぬ街で一人、十時間待った。ようやくかかってきた電話の向こうから聞こえたのは、響ではなく、親友の森谷穂波(もりや ほなみ)の弾んだ声だった。「紗雪、びっくりした?先にいろいろ回ってきちゃった。すごく楽しかったよ。響、案内うますぎ」穂波ははしゃいだ声で、今日行った場所や面白かったことを次々に話した。まるで響のスマホに残った三十件の不在着信など、最初から目に入っていないみたいに。私は黙って聞いていた。穂波が「寒い」とこぼすまで。その一言で、ようやく響が電話を代わった。「先に穂波をホテルまで送る。お前はもう少し待ってろ」その声を聞いて、私は思わず尋ねた。「私が何時間待ってたか、知ってる?」響は少し黙ったあと、冷たい声で言った。「穂波はお前の親友だろ。そこまで張り合うことか?」あからさまに責められて、私はもう何も言えなくなった。電話を切ると、家に帰るために呼んでいた車が来ていた。運転手は私を見るなり、心配そうに声をかけてきた。「お客様、もう夜中の十二時を過ぎてますよ。この辺り、あまり治安がよくないんです。家の人は心配しないのでしょうか」私は雪で濡れた靴を見下ろした。「そうですね」そう答えて、少しだけ笑った。「でも、もう二度とこんなことをしません」響が、私の不在に気づいたのは、二時間後だった。彼のスマホの着信音は、海外で流行っているロックナンバーだった。私の好みではない。以前、少し拗ねたふりをして、私の好きな静かな曲に替えてほしいと頼んだことがある。響は、あからさまに嫌な顔をした。そのときの突き放すような声を、私は今でも忘れられない。「なんで俺が、いちいちお前に合わせなきゃいけないんだよ」私はひどく気まずくなり、すぐに謝った。けれど、ついさっき、親友の穂波がインスタを更新していた。【まったく。三か月前に例のおバカさんにすすめた曲、私はもう聴き飽きてるのに、あの人まだ着信音にしてるんだけど】三分前、響がそこにコメントして
Read more
第2話
浴室でシャワーのお湯が温まるのを待っていると、穂波のインスタがまた更新された。【SNSで話題のミルクティー、やっと買えた。わざわざ一時間も並んでくれたのに、味はまあまあ。一口だけ飲んだから、残りは並んでくれた本人に引き取ってもらった】写真の端には、カップを手にしてこちらへ笑いかける響が写っていた。潔癖のせいで、響は私の飲みかけには一度も口をつけたことがない。それなのに、穂波の飲みかけは受け取るんだ。私は小さく息を吐き、そっと「いいね」を押した。それから、社長に電話をかけた。「社長、先日の件ですが……まだ間に合うようでしたら、私に担当させていただけませんか」電話の向こうで、社長は少し驚いたようだった。けれど、すぐに声がやわらいだ。「やっと決めてくれたか。正直、あの案件は君に任せたいと思っていた。一年だけ海外に行ってもらうことになるが、結果を出せば、戻ってきたあと会社としてもきちんと評価する。それに、一年なんて長いようであっという間だ。大事な相手なら、きっとわかってくれるはずだ」私は少し笑って、何も言わなかった。本当は、この仕事を受けると決めた時点で、私と響の関係はもう終わっていた。私はゆっくり時間をかけて、熱いシャワーを浴びた。浴室を出るころには、さっきの投稿は消えていた。少し意外だった。穂波も、見られて困るという意識くらいはあるらしい。そのとき、響から電話がかかってきた。嫌な予感はした。それでも私は、通話ボタンを押した。「何考えてるんだよ。俺の電話は無視するくせに、穂波の投稿には反応するんだな。わざとだろ。あいつを困らせて、楽しいのか?」早口で責め立てる声には、焦りがにじんでいた。けれどそれは、私を案じているからではない。穂波を守ろうとしているからだ。一か月、残業を重ねてまで響に会いに来たのに。その先で向けられたのは、こんな言葉だった。急に、全身から力が抜けた。「響、あなたはいったい誰の彼氏なの?」響はそこで言葉を詰まらせた。長い沈黙のあと、彼はため息まじりに言った。「……なんでそうやって、いちいち大げさにするんだよ」「響、やっぱり……私から話したほうがいい?」電話の向こうから、穂波の不安げな声が聞こえた。私は時間を確認
Read more
第3話
しばらくして、浴室から響に呼ばれた。パジャマを持ってきてほしいらしい。私は一着持って、浴室のドアを開けた。その瞬間、響は慌ててスマホを伏せた。濡れた顔のまま、こちらに笑いかける。「ありがと」そう言うなり、またすぐにドアを閉めた。私はその場を離れなかった。数秒後、浴室の中から穂波の笑い声が聞こえてきた。「なにこれ。私たち、こそこそしてるみたいじゃない?」響の返事は、どこか気の抜けたものだった。「お前も紗雪のこと知ってるだろ。すぐ気にするんだよ」穂波は小さく鼻を鳴らし、はしゃいだ声で言った。「早く腹筋見せてよ。さっき、ちゃんと見えなかったんだから」響は呆れたふりをして笑った。「ほんと、エロいな」……私はそれ以上、聞いていられなかった。響が寝室に来たのは、それから一時間ほど経ってからだった。頬は赤く、目には妙な熱が残っていた。何に煽られてきたのか、考えたくなくても分かってしまう。部屋の明かりも消さないまま、響はそのまま私を抱こうとした。私は彼を押し返し、静かに言った。「今日は無理。ゴムもないし」響は一瞬固まった。そして、反射的に口を滑らせた。「穂波が、安全日なら平気だって……」私は思わず彼を見た。嫌悪感が、はっきりと胸に広がった。「そういうことまで、穂波に話してるの?」「違う」響はすぐに否定し、気まずそうに髪をかき上げた。けれど私の視線に耐えきれなかったのか、少しだけ声を落とした。「あいつは他人じゃないだろ」私は響の顔を見た。言い訳をしているはずなのに、響の目は少しも揺れていなかった。彼にとって、穂波をかばうことは、もう当たり前になっているのだと思った。それをおかしいと思っているのは、私だけなのかもしれない。もう、響と同じベッドで眠ることすら耐えられなかった。「今日は別の部屋で寝て」響は信じられないという顔をした。「は?そこまですることかよ。わざわざ会いに来たのに、俺を追い出すのか?」「会いに来たんじゃなくて、そういうことがしたかっただけでしょ」響は黙って私を見た。その目に、怒りが浮かんでいるのが分かった。私はふと、別れを切り出すなら今かもしれないと思った。けれど、言葉にする前に、響は乱
Read more
第4話
穂波はその場で固まり、気まずそうに目を伏せた。私がここまで言うとは思っていなかったのだろう。隣で響が眉をひそめた。「どういうことだよ。お前たち、いつ喧嘩したんだ?」私は響から目をそらさずに答えた。「四日前。穂波が私についてきて、あなたに会いに行くって言ったのを、私が断ったとき」それが面白くなくて、私への仕返しみたいに、先に響に会いに行ったのだろう。「それだけのことで?」響はまだ、信じられないという顔をしていた。もちろん、それだけではない。この一年、穂波は何かと私と響の時間に入り込んできた。私が響に会いに行こうとすると、決まって穂波から連絡が来る。旅行に付き合ってほしいとか、具合が悪いから来てほしいとか、理由はそのたびに違った。響とペアリングを選んだときでさえ、穂波はよく似た指輪を買って、平然と自分の指にはめていた。そこまでされて、気づかないほど鈍くはない。だから騒ぎ立てずに、穂波とは距離を置いたつもりだった。それでも、ここまで平気で踏み込んでくるとは思わなかった。穂波はゆっくり立ち上がった。目にはうっすら涙が浮かんでいる。「ごめん。私、帰るね」その瞬間、ガタンと椅子が倒れる音がした。響が勢いよく立ち上がり、穂波の前に出る。「穂波が帰るなら、俺も帰る」「そう。じゃあ帰って」私はすぐにそう返した。自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。響は一瞬、目を見開いた。私はこれまで、一度も彼を追い出したことがなかった。喧嘩をしても、たいてい先に折れるのは私だった。けれど、もう本当にうんざりしていた。それでも響は動かなかった。奥歯を噛みしめるようにして、私をじっと見ている。穂波が小さく鼻を鳴らし、響の手をつかんだ。「行こう。なんで私たちがこんなこと言われなきゃいけないの。響がそうやって許すから、紗雪も調子に乗るんだよ」結局、響は穂波に手を引かれるまま、部屋を出ていった。ようやく肩の力が抜けた。私は席を立ち、皿に残った目玉焼きをそのままゴミ箱へ捨てた。それから寝室に戻り、荷造りを始めた。夜、ベッドに入ろうとしていたとき、仲のいい友人の滝沢千帆(たきざわ ちほ)から突然メッセージが届いた。【やばい、紗雪。これ見て。とんでもないの撮
Read more
第5話
「紗雪、今どこだよ。大家さんに聞いたら、もう部屋を出たって……どこに行ったんだよ。なんで待っててくれなかったんだ。俺、三時間も待ってたんだぞ」響の声には、不満と怒りが入り混じっていた。彼が言葉を切ったところで、私は口を開いた。「響。あの日、私は十時間待ってた。三十回も電話した。雪の中にずっといて、足は凍傷になった。その間、私がどんな気持ちでいたか、考えたことある?」響は黙った。電話の向こうから、乱れた呼吸だけが聞こえる。私はフランスの街並みを見ながら、コートの前をそっと合わせた。「その日の帰り、タクシーの運転手さんから聞いたの。私がいた駅で、その少し前に性的暴行事件があったって。同じ市内にいたあなたが、知らなかったとは思えない」あの夜のことを思い出すと、目の奥が熱くなった。「それでもあなたは、私を一人であそこに残した。十時間も。私は、あなたに何かあったんじゃないかって本気で心配してた。警察に相談しようかとまで思った。でも、やっと電話がつながったときに聞こえたのは、あなたと穂波の笑い声だった。あのとき、自分がひどく惨めに思えた」「紗雪……」響の声が震えた。「まだ話してる途中だから」私は彼の言葉を遮った。「女の人が自分に好意を持っているかどうかくらい、気づかないわけないよね。それなのに、穂波は私の親友だからって言って、平気で思わせぶりなやり取りを続けてた。昨日の夜もそう。穂波とのビデオ通話を切ったあと、私を抱こうとした。私がどんな気持ちだったか、分かる?」目の前にタクシーが止まった。私は一度息を吸い、静かに続けた。「あなたと穂波がこれからどうなろうと、もう私には関係ない。だから、これ以上連絡してこないで。響。もう終わりにしよう」電話の向こうで、響が何か叫んでいた。私はそれ以上聞かずに、通話を切った。響は暗くなった画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。大家さんはその様子を見て、だいたいの事情を察したらしい。「……今は、そっとしておいたほうがいいんじゃないかしら。追いかけても、かえってこじれることもあるから。紗雪ちゃん、普段は穏やかな子だし。時間を置けば、話くらいはできるかもしれないわ」響は赤くなった目で、大家さんを見た。
Read more
第6話
フランスでの暮らしは、想像していたよりずっとゆったりしていた。仕事は忙しい日もあったけれど、退勤後や休日の時間は驚くほど自由だった。休みが取れるたびに、私はヨーロッパのいろいろな街へ出かけた。友人も少しずつ増えていった。文化の違いはあっても、みんな気さくで親切だった。私がフランス語に詰まるたび、根気よく言葉を引き出してくれた。フランス人の友人、ディアナが言った。「フランス語を早く上達させたいなら、フランス人の彼氏を作るのが一番よ」言い終わるか終わらないかのうちに、隣にいたフランス人の男友達が手を挙げた。「紗雪、僕でよければ!」みんなが笑い出し、私も少し考えるふりをした。「じゃあ、考えておく」けれど、そんな穏やかな時間は長く続かなかった。その夜、家に戻ると、部屋の前に響がしゃがみ込んでいた。かなり長い時間待っていたのだろう。立ち上がった拍子に、膝が少し崩れた。「おかえり」響は私の手荷物を持とうとして、手を伸ばしてきた。昔の彼なら、そんなことはしなかった。私は拒まず、黙ってドアを開けた。響が中に入ってから、私は振り返った。「来ないで、とは言わなかった?」響は目を伏せたまま、何も言わなかった。握った手に、少しだけ力が入る。やがて顔を上げた響の目は、うっすら潤んでいた。「ごめん」私は額に手を当て、小さく息を吐いた。「どうやってここを知ったの?」響は一度だけ私を見て、言いにくそうに口を開いた。「仕事用のメールを見た」私は一瞬、言葉を失った。そういえば以前、急ぎの仕事を手伝ってもらったときに、パスワードを教えたことがあった。私はコートを脱ぎながら、背中越しに尋ねた。「仕事は?」響はエンジニアで、収入も悪くない。ただ、そのぶん仕事は忙しく、簡単に休めるような職場ではなかったはずだ。「大丈夫……」思わず笑いそうになった。大丈夫で済むことだったのか。働き始めてからの三年間、私たちはほとんど離れて暮らしていた。会いに行くのは、いつも私だった。響は忙しい、どうしても時間が取れないと、毎回そう言っていた。それなのに今は、仕事を放り出してまでフランスに来られるらしい。水をひと口飲んだところで、響の手元に目が留まった。「
Read more
第7話
響は血の気の引いた顔で私を見上げた。立ち上がろうとした瞬間、めまいでもしたのか、膝が崩れかける。彼はしばらくその場で動けずにいた。やがて息を整えるようにして、ゆっくり立ち上がった。「分かった。もう押しかけたりしない。でも、お前がまた振り向いてくれるまで待ってるから」その目には、私のよく知る頑なさが残っていた。私は眉をひそめ、何か言いかけた。けれど響はそれを聞かず、背を向けて部屋を出ていった。広い背中が、夜の廊下に消えていく。それきり、響が私の前に現れることはなかった。一か月後、代わりに穂波から電話がかかってきた。「紗雪、響に何言ったのよ!」電話口の穂波は、いつもの余裕をなくしていた。「私、ブロックされたんだけど。住む場所まで変えられてるし……紗雪はもう響と別れたんでしょ?だったら、どうして私までこんな目に遭わなきゃいけないの?」言っているうちに、穂波の声が少しずつ震え始めた。「私、本当に響のことが好きなの」でも、それが私に何の関係があるのだろう。「それはあなたと響の問題でしょ。私には関係ない」「違う!」穂波はすぐに言い返した。声には焦りが混じっていた。「紗雪から響に言ってよ。私の電話に出てって。響、紗雪の言うことなら聞くでしょ。お願い、言って」あまりの身勝手さに、思わず笑いが漏れた。「どうして私がそんなことをしなきゃいけないの?」「お願い。何でもするから。紗雪の言うことなら何でも聞く。だから、響に私を避けないでって言って」私はため息をついた。「響は、あなたをそういう目で見てないよ」「そんなの嘘。私が近づいても、響は避けなかったじゃない」穂波はむきになって言い返し、自分に都合のいい出来事をいくつも並べ始めた。私は黙って聞いていた。あの日、駅で待っていたときと同じように。「気づかなかった?響があなたに近づくのは、私を怒らせたいときだけだった」昔、響は言っていた。「あいつは男友達みたいなものだし、そういう相手としては見てない」あの言葉は、たぶん嘘ではなかった。穂波は、響のタイプではない。だから最初、私は穂波をそこまで警戒していなかった。「嘘よ。自分に都合よく言ってるだけでしょ」そう言っていた穂波の声が、途中から涙に濡れ
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status