雲城市の黒い契約 ~追放花嫁と檻の帝王~

雲城市の黒い契約 ~追放花嫁と檻の帝王~

last updateTerakhir Diperbarui : 2026-06-15
Oleh:  柳 雪音Baru saja diperbarui
Bahasa: Japanese
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雲城市最強の財閥・神崎グループ。その後継者にして、裏社会でも「帝王」と恐れられる男――神崎怜。 母の治療費と弟の学費を支えるため、一条凛は彼から「一年間の契約結婚」を持ちかけられる。しかし結婚式当日、鳴り響いた銃声によって運命は一変。血に染まった花嫁は教会から追放され、すべてを失ってしまう。 一方、自ら凛を遠ざけた怜は、誰にも明かせない真実を胸に孤独な戦いを続けていた。 愛を知らない帝王と追放された花嫁が辿る、切なく危険な契約結婚の物語――。

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Bab 1

第1話 血に染まった結婚式

永遠の愛を誓った直後、夫が私を撃った。

乾いた銃声が大聖堂に響いた瞬間、左肩に灼熱の痛みが走る。

熱い。

まるで鉄の棒を押し当てられたような、焼けるような熱。

すぐに、純白のドレスに赤が広がっていく。

痛みは遅れて、波のように全身を襲ってきた。

どうして。

その問いは、喉の奥で凍りついた。

目の前には、神崎怜。

彼は何も言わない。

ただ、静かに私を見下ろしている。

冷たいはずの瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた気がした。

まるで、何かを必死に押し殺しているように。

(……見間違いだ)

この男に、そんなものがあるはずがない。

「……夢を見ていたみたい」

掠れた声で、私は呟いた。

「とても、悪い夢を」

愛されるなんて、最初から思っていなかった。

それでも、誰かの隣に立ち、その人を支えられるなら——それでいいと、思っていた。

(……本当に、馬鹿みたい)

視界が滲む。

純白のドレスに、赤がゆっくりと広がっていく。

やけに綺麗で、残酷な色だった。

* * *

——これは、少し前の話。

雲城市の中心部、聖エレナ大聖堂。

この街は、表向きは近代的で華やかな国際都市でありながら、どこか底知れぬ闇を抱えている。

高い天井から降り注ぐ光が、空間を白く満たしていた。

花も、装飾も、参列者の服装も。

すべてが完璧に整えられた“白”だけがあった。

まるで、何かを覆い隠すための、純粋すぎる仮面のように。

私はベール越しに、前方を見据えた。

バージンロードを一人で歩く。

肌は光を通すように白く、黒髪は柔らかく肩に落ち、瞳は少し潤んで透き通っている。

そんな自分の姿が、今日ばかりは痛いほどに場違いに感じられた。

「……見て! 父親がいないわ!」

「どうなっているの? 神崎家の結婚式なのに……」

「介添人もいないみたいよ。こういうスタイル……雲城市では珍しいわね」

小声のざわめきが、背後から聞こえてくる。

好奇心と驚き、わずかな軽蔑が混じった視線が、私の背中に突き刺さる。

ベールの内側は息苦しかった。

薄い布が顔に張りつき、呼吸をするたびに自分の吐息がこもる。

心臓の音が耳の奥でうるさく響き、足元が微かに震えていた。

それでも、私は背筋を伸ばしたまま、ゆっくりと前へ進んだ。

(……分かっている)

これは普通の結婚ではない。

祝福されるものでもない。

父親は家庭を顧みない人だ。

「急に仕事が入った」と連絡をよこしたきり、最後まで姿を見せなかった。

介添え人も、神崎家側が用意しなかった。

私はただ一人、白い道を歩くしかない。

何より、私たちは秘密を抱えている。

視線を逸らさず、背筋を伸ばして、ゆっくりと前へ進む。

透き通るような白い肌のせいか、頰に落ちる涙は見えないはずだった。

でも、私には自分の震えがはっきりとわかった。

(……後戻りは、できない)

私は、この契約を選んだ。

私はただの道具だ。

神崎怜が目的を成し遂げるための、ただの道具。

その目的を私は知らない。

ただ、母の治療費と弟の学費が手に入る。

それだけで十分だと、私は自分に言い聞かせてきた。

その時、私はまだ知らなかった。

この選択が、どれほどの代償を伴うのかを。

そして、神崎怜がその「道具」を捨てるのが、あまりにも早い男だということを。

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第1話 血に染まった結婚式
永遠の愛を誓った直後、夫が私を撃った。乾いた銃声が大聖堂に響いた瞬間、左肩に灼熱の痛みが走る。熱い。まるで鉄の棒を押し当てられたような、焼けるような熱。すぐに、純白のドレスに赤が広がっていく。痛みは遅れて、波のように全身を襲ってきた。どうして。その問いは、喉の奥で凍りついた。目の前には、神崎怜。彼は何も言わない。ただ、静かに私を見下ろしている。冷たいはずの瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた気がした。まるで、何かを必死に押し殺しているように。(……見間違いだ)この男に、そんなものがあるはずがない。「……夢を見ていたみたい」掠れた声で、私は呟いた。「とても、悪い夢を」愛されるなんて、最初から思っていなかった。それでも、誰かの隣に立ち、その人を支えられるなら——それでいいと、思っていた。(……本当に、馬鹿みたい)視界が滲む。純白のドレスに、赤がゆっくりと広がっていく。やけに綺麗で、残酷な色だった。* * *——これは、少し前の話。雲城市の中心部、聖エレナ大聖堂。この街は、表向きは近代的で華やかな国際都市でありながら、どこか底知れぬ闇を抱えている。高い天井から降り注ぐ光が、空間を白く満たしていた。花も、装飾も、参列者の服装も。すべてが完璧に整えられた“白”だけがあった。まるで、何かを覆い隠すための、純粋すぎる仮面のように。私はベール越しに、前方を見据えた。バージンロードを一人で歩く。肌は光を通すように白く、黒髪は柔らかく肩に落ち、瞳は少し潤んで透き通っている。そんな自分の姿が、今日ばかりは痛いほどに場違いに感じられた。「……見て! 父親がいないわ!」「どうなっているの? 神崎家の結婚式なのに……」「介添人もいないみたいよ。こういうスタイル……雲城市では珍しいわね」小声のざわめきが、背後から聞こえてくる。好奇心と驚き、わずかな軽蔑が混じった視線が、私の背中に突き刺さる。ベールの内側は息苦しかった。薄い布が顔に張りつき、呼吸をするたびに自分の吐息がこもる。心臓の音が耳の奥でうるさく響き、足元が微かに震えていた。それでも、私は背筋を伸ばしたまま、ゆっくりと前へ進んだ。(……分かっている)これは普通の結婚ではない。祝福されるものでもない。父親は家庭を顧みない人だ。「急に仕事が入った」と連絡を
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第2話 契約結婚
バージンロードの先で、神崎怜が待っていた。黒いスーツに、無駄のない立ち姿。白に満ちた大聖堂の中で、その男だけが異質だった。光を拒むような、深い黒。誰よりも静かで、誰よりも強く存在を主張していた。(……やっぱり)場違いなのは、私だけじゃない。この結婚そのものが、どこか歪んでいる。距離が縮まる。あと数歩。あと一歩。そして、私は彼の前に立った。「一条凛」低い、よく通る声。ただ名前を呼ばれただけで、逃げ場を失ったような圧を感じた。顔を上げる。目が合った。冷たい瞳。感情の欠片も見えない。(……分かっている)この人は、私を愛して結婚するわけじゃない。神父が祝福の言葉を述べ、私たちは永遠の愛を誓った。ーー形式通りに。「嫌なら言え」参列者に聞こえないほどの低い声で、怜は刺すように告げた。氷のような冷たさに、思わず体が小さく震えた。「この契約を破棄したいなら、今ここで言え」契約結婚。一年間だけ。母の治療費と、弟の学費のために。それが、私が神崎怜の妻になる理由だった。私はただの道具だ。彼が何かを成し遂げるための、都合の良い道具。——それが、この結婚のすべて。(……後戻りは、できない)「……契約は契約です」伏目がちに、しかしはっきりと答える。「私は、約束を守ります」あなたの道具として。一瞬。怜の瞳が、ほんのわずかに揺れた気がした。——すぐに消えた。「そうか」それだけ。それ以上、何も言わない。まるで最初から私の答えなど分かっていたかのように。「では——」神父が緊張した声で続ける。「指輪の交換を——」その瞬間だった。「お待ちください」澄んだ、よく通る声が大聖堂に響き渡った。一斉に視線が動く。空気が、明らかに変わった。ゆっくりと、一人の女性が前に進み出ていた。蘇我美玲。神崎グループ統括秘書。完璧な所作、揺るぎない眼差し、迷いのない足取り。その瞳に宿るのは、冷たい確信だけだった。「その方は——」彼女は私を一瞥し、怜に向かって深く頭を下げた。「神崎家の妻に、相応しくありません」「……え?」その言葉の意味を、私はまだ理解できていなかった。
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第3話 断罪
「神崎家の妻に、相応しくありません」蘇我美玲の声は、大聖堂の高い天井まで澄み渡った。一瞬で、白い空間の温度が急激に下がる。ざわめきが波紋のように広がり、参列者たちの視線が一斉に私へと突き刺さった。美玲は微動だにしない。完璧な姿勢で立ち、私を真正面から見据えている。そこにあるのは、怒りでも憎しみでもない。ただ、冷たいまでの確信だけだった。「その方には、複数の男性との不適切な関係が疑われています」息が止まった。会場が、再び大きくざわついた。「まさか……」「神崎家の結婚式で、そんな……」「信じられない」非難と好奇の声が、白い壁に冷たく反響する。私は唇を震わせ、かろうじて声を絞り出した。「……違います」それだけだった。それ以上、何も言葉が出てこない。美玲は静かに首を傾げた。その仕草さえも、優雅で計算され尽くしているように見えた。「では、なぜ説明なさらないのですか?」説明?何を、どう説明すればいいというのか。私は何もしていない。誰とも、不適切な関係など持っていない。純白のベールが頰に触れる。先ほどまで美しく感じたこの白さが、今はまるで「汚れを待つ布」のように恐ろしく思えた。「神崎家は雲城市の秩序そのものです」美玲の声は冷たくも澄んでいた。「その隣に立つ方には、相応の品位と清廉さが求められます」品位。清廉さ。その言葉が、胸の奥深くに鋭く突き刺さる。私がこの契約結婚を選んだ理由は、ただ一つ。病気の母の治療費と、弟の学費。綺麗な理由など、どこにもない。それでも、私は誰かを裏切ったつもりなどなかった。私はただの道具。神崎怜が何かを成し遂げるための、都合の良い道具。それを受け入れたはずだった。「一条様」美玲が、少しだけ声を柔らかくした。それは優しさではなく、むしろ残酷なほどの慈悲のように感じられた。「本当に、怜様の隣に立つ覚悟がおありですか?」その問いに、私は答えられなかった。覚悟はある。母と弟を守るためなら、どんな代償も払う覚悟はできている。でも——私なんかが、ここに立っていいのだろうか。透き通るように白い肌に、冷たい視線が刺さる。長い黒髪の先が、微かに震えている。消えてしまいたい——そう思いながらも、華奢な肩は、すべての非難を受け止めていた。私は無意識に、怜の横顔を見た。彼は
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第4話 疑惑の証拠
「証拠はあるのですか」静まり返った大聖堂に、誰かの声が響いた。蘇我美玲は、ゆっくりと頷いた。その所作は、どこまでも美しく、完璧だった。無駄がなく、乱れがなく、揺るぎない。生まれながらに“正しい場所”に立ってきた人間の動き——それが彼女だった。「目撃証言に加え、いくつかの記録がございます」白い手袋に包まれた指先が、丁寧に黒い封筒を開く。乱暴さは一切ない。誰かを貶めるためではなく、ただ“事実を正す”ための、静かで冷たい手つき。「こちらをご覧ください」写真が、参列者の間をゆっくりと回されていく。ざわめきが、徐々に大きくなっていく。抑えた驚きの声、押し殺した非難。白い空間の空気が、確実に変わっていくのがわかった。やがて、一枚の写真が私の手元に届いた。そこに写っていたのは——私だった。夜の街角。知らない男に腕を掴まれ、至近距離で向かい合っている姿。角度のせいで、まるで親密な関係のように見える。(……あの日)仕事帰り、道を聞かれただけだった。それだけのはずなのに。「……違います」か細い声が、私から溢れた。それ以上、言葉を重ねることはしなかった。説明はできる。でも、きっと届かない。そして——全部が嘘でもない。私は神崎怜に近づいた。契約のために。お金のために。その事実がある限り、この場で完全に潔白を証明することなど、できない。「一条様」美玲の声は、相変わらず静かで澄んでいた。責める響きはなく、ただまっすぐに私を見つめている。「神崎家は、雲城市の秩序を担う家です」彼女の言葉には、静かな誇りと重い責任が込められていた。「その隣に立つ方には、相応の品位と清廉さが求められます」私は何も言わなかった。言い訳も、否定も、繰り返さなかった。ただ、背筋を伸ばして立っていた。どんな視線が突き刺さろうと、逃げないように。逃げられないように。(……分かっている)ここは、最初から対等な場所などではなかった。切られる側は、私だ。それでも、私はこの場所に立つことを選んだ。その結果なら——受け入れるしかない。「……怜様」美玲が、ゆっくりと視線を隣に移した。判断を委ねるように。会場中の視線が、一斉に神崎怜へと集まる。私も、彼を見た。助けを求めるためではない。ただ、知りたかった。(……あなたは、どうするの
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第5話 切り捨てられた花嫁
視線が、すべて神崎怜に集まる。白に満ちた大聖堂の中で、彼の黒いスーツだけが異質に際立っていた。彼は動かない。何も言わない。ただ、冷たい瞳で血の気を失った私を見下ろしている。ざわめきが、徐々に大きくなっていく。「やはり……」「最初からおかしかったのよ」「神崎家に、あんな女が……」非難の声が、白い空間を冷たく凍てつかせた。(……まさか)胸の奥が、冷たく軋む。これが、神崎怜の望んだ光景だったのだろうか。私を神崎家から排除するために?最初から、この結婚式そのものを壊すつもりだったの?でも、どうして……そんなことをすれば、神崎家の名声にも傷がつくはずなのに。分からない。この人が、何を考えているのか。「一条凛様」蘇我美玲の声が、静かに響いた。「あなたは本当に、神崎家に嫁ぐおつもりですか?」私は顔を上げた。指先が小さく震え、ブーケにその震えが伝わっていく。喉がからからに渇いて、声が出そうにない。透き通るように白い頰が、冷たい汗で濡れている。それでも、ここで倒れたら、すべてが無駄になる。私はただの道具。最後まで、その役目を果たさなければ。「……私は——」微かな声を振り絞った瞬間。パンッ——!乾いた銃声が、大聖堂に響き渡った。左肩に、灼熱の痛みが突き刺さる。焼けるような熱が一気に広がり、息が詰まった。視界が激しく揺れ、純白のドレスに鮮血が弾けるように広がっていく。「……っ」痛みと衝撃で、体がよろめいた。ベールの繊細なレースが、みるみる赤く染まっていく。長い黒髪が脂汗に濡れて頰に張りつく。会場は一瞬で混沌と化した。「撃たれた!?」「誰が!?」「まさか——」悲鳴と混乱が、聖エレナ大聖堂を飲み込んだ。その中で、神崎怜だけが微動だにしなかった。私は崩れ落ちながら、ぼんやりと彼の姿を見つめていた。(……どうして)白い光が、ゆっくりと遠ざかっていく。——私は、切り捨てられた。怜の低い声が、静まり返った大聖堂に落ちた。「……お前を壊すのが、俺じゃなければよかった」
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第6話 手渡された誓いの花
会場は一瞬で混沌と化した。「撃たれた!?」「誰が!?」「まさか——」悲鳴と怒号が、白い壁に冷たく反響する。誰かが叫び、誰かが走り出す。警備員たちが参列者を出口へ急かして、祈りの場だった大聖堂は恐怖の匂いで満たされた。その混乱の中で、神崎怜だけが微動だにしなかった。私は支えを失ったように、その場に崩れ落ちた。ブーケが床に落ち、白い花びらが血の上に散る。純白のベールが、床に張り付いた。やがて騒ぎは遠ざかり、大聖堂に残されたのは私と怜だけになった。革靴の音が、ゆっくりと近づいてくる。怜が、私の前に立った。濡れた黒鳥の羽のような漆黒の髪。鋭さの中に憂いを帯びた瞳。教会のステンドグラスの光に照らされて、残酷なほど輝いていた。その視線から、どうしても目を逸らせなかった。怜の低い声が、静まり返った大聖堂に落ちた。「一条凛。 ……お前を壊すのが、俺じゃなければよかった」(…どういうこと?)訳が分からない。困惑する私を一瞥すると、怜はスッとダークスーツの胸元に手を伸ばし、白い薔薇のブートニアを外した。それを、私に差し出す。震える手で受け取ると、怜の指先がわずかに触れた。その指は、意外なほど熱を持っていた。(ああ……)もう、必要ないから。花婿の証も、誓いの花も。全部、ここで終わりなのだ。怜は背を向けた。「手当をさせる」冷たい声だった。「終わったら……俺の元から去れ」胸の奥が、ひどく冷たくなった。去れ。それが、夫になったばかりの男が私に告げた、最初で最後の言葉だった。聖エレナ大聖堂の巨大な扉が、冷たい音を立てて閉ざされる。咲きたての白い薔薇だけが、私の手の中に残っていた。——私は、追放された。***黒塗りの高級車の後部座席で、蘇我一郎は深くため息をついた。「全く、とんだ結婚式だったな」「……いいえ」黒い封筒を見つめたまま、蘇我美玲は静かに首を振った。
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第7話 美玲の疑惑
「全く、とんだ結婚式だったな」黒塗りの高級車の後部座席で、美玲の父親・蘇我一郎はため息をつく。彼は雲城市の市長だ。「…いいえ」蘇我美玲は、ぼんやりと封筒を見つめていた。一条凛の素行を暴く写真が入った黒い封筒。(…これで、良かったのよね?)胸に広がる微かなザラつきを掻き消すように、美玲は一郎に眼差しを向けた。「しかし、白昼に発砲事件なんて…雲城市の治安に関わることです」「ああ。警察長官には全力で捜査に当たるよう伝えている。全く、私の面子にも傷が付いたよ。あんな名士の集まる場で発砲事件だなんて。市政を預かる立場にもなってくれ」(面子…立場…)美玲の思考は、また写真に引き戻された。「私は、神崎家の面子を潰すようなことをしてしまったのでしょうか…」ポツリとこぼれた言葉は、年相応に揺れていた。「美玲…」一郎は穏やかに愛娘の名を呼んだ。「神崎家がお前に感謝することはあっても、お前が神崎の家を傷付けたなどと、誰も思わないよ。雲城市の名門の席に、あんな女の居場所はない。今日の唯一の救いは、お前の高潔さだけだ」「でも…」美玲は言いかけて口を噤んだ。確かに、一条凛は神崎怜の夫人として、相応しくないと感じていた。それは今もそうだしーー最初からそうだ。父親が研究者というだけの、平凡な女。なのに、雲城市一の名門の…才気溢れる神崎怜の夫人の座に滑り込んだ。(何か、裏があるとは思っていた)神崎怜と一条凛の婚約が報じられてから、一条凛に関する情報は雲城市中に拡散された。中流家庭からのシンデレラストーリーとして。あるいは、醜聞にまみれたゴシップとして。しかし、美玲はそのどちらとも距離を置いて来た。彼女の感想はこうだ。ゴシップ記事ひとつ、止められないなんて。良家の子女であれば、そんな情報は流させない。しかし、一条凛には情報をコントロールする力は無かった。家の影響力の違いだとは理解している。それでも、その無力さ自体が、神崎家の婚約者に相応しくないと美玲は感じていた。一条凛に関するゴシップは結婚式が近づくに連れて増加していった。怜に対しても、秘書として苦言を呈したことはある。「神崎グループのイメージにも繋がります。火のないところに煙は立ちません。軽率な行動は控えていただくよう、凛さんにも伝えていただけませんか?」神崎怜は、この上なくど
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-06-13
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第8話 ドレスを引きずって
病院内は消毒用アルコールの匂いに包まれていた。治療室から出ると、弟が待っていた。「ニュースで、神崎家の結婚式で花嫁が撃たれたって見て…結婚式には参列できなかったけど…」心配そうに私を見つめる弟の眼差しが、胸に染みた。「ありがとう…銃弾は掠っただけだって。見た目より、全然軽傷みたい」大粒の涙が、次から次へと溢れ出す。「本当に…全然、大丈夫だから…」肌は青ざめ、肩は小刻みに震えていた。弟の手が肩をさする。温かく柔らかい手。安堵の涙は、一度流れ始めたら、もう止まらなかった。再開の喜びは、長くは続かなかった。血に染まったウェディングドレス姿の花嫁を見て、病院内はざわついた。ひそひそとした声。抑えきれない好奇と興奮。「あれって、神崎家の…」「関わらない方がいいわよ」断片的な言葉が、耳に突き刺さる。どれも現実味がなくて。それなのに、全部が私を形作っていく。「…ねえ」誰かが、低く言った。「自作自演じゃないの?」その一言で、空気が変わった。「確かに…」「同情を引くためとか?」違う。違うのに。もはや否定する気力は残っていなかった。「姉ちゃん、歩ける?」「…うん、ごめんね」ドレスの裾を引きずりながら、私たちは病院を後にした。夜の帳は重く深く下ろされていた。「本当に送っていかなくて良いの?」「…うん、あなたにも迷惑かけちゃうから」病院で向けられた、好奇と軽蔑が入り混じった視線。あんな目で家族が見られるのは、耐えられなかった。「迷惑なんて…」「大丈夫だから。お母さんも心配してるでしょ? 元気だったって伝えて、安心させてあげて」「姉ちゃん…」「あ、タクシー!」私はタクシーに乗り込んだ。運転手は私の身なりに一瞬驚き、深く関わらないことを決めたようだった。タクシーの窓から、流れる街を眺める。(私が選んだことだから…)雲城市の夜に、ネオンがまばゆく瞬く。白々しいカラフルな光の下、私は決意した。(この報いを、私はひとり静かに背負って行こう)そのときだった。ドン——!夜空に、大きな音が響いた。反射的に顔を上げる。花火だった。色とりどりの光が、雲城市の夜空に大きく広がり、ぱっと輝いては、すぐに消えていく。(…ああ)少し遅れて、理解した。神崎家が用意していたのだ。結婚式のために。(さすが神崎
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-06-13
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第9話 神崎家の男
神崎グループ本社ビル、最上階。 重厚な扉の向こうは、煙と酒の匂いに満ちていた。 執務室の中央で、会長である神崎蓮が親族の役員たちに酒を振る舞っている。 その輪の外、下座に神崎怜は控えていた。 グラスには一切手をつけていない。 「まさか、神崎家の結婚式でこんなことが起こるとはな」 「全く信じられない」 「いい恥晒しだ」 傍流の親族たちが、遠慮なく言葉を重ねる。 矛先が向いているのは、明白だった。 「怜」 神崎蓮が静かに名を呼んだ。 室内の空気が凍りつく。 親族たちの声がぴたりと止み、全員の視線が一点に集まった。 「みんな、お前を心配してくださっている」 穏やかな声音。 しかしその奥にある冷たいものを、理解できない者などここにはいない。 神崎怜はゆっくりと膝に手をつき、深く頭を下げた。 「この度の件は——一重に、私の不徳の致すところです」 無駄のない動作。 迷いも、揺らぎもない。 その姿は、責任を取る者としてあまりにも完成されていた。 会長室は水を打ったように静まり返った。 怜は頭を上げない。 役員たちは言葉を待つ。 神崎蓮はただ黙っていた。 「あー、しかしなんだな」 軽い声が場を崩した。 神崎次郎——蓮の弟であり、グループのナンバー2。 「私は逆に安心したよ」 グラスを揺らしながら、彼は笑う。 「怜は仕事では超人的だからな。恋に盲目になる……なんて、案外可愛いところもあるものだ」 室内にぎこちない笑いが広がる。 それで十分だった。 神崎グループの“公式見解”は、たった今、この場で決まったのだから。 次郎はスッと立ち上がると、怜の肩に手を置いた。 「まあ、気に病むな。 ——では、失礼。」 次郎が会長室を後にすると、親族たちも次々と席を立ち、怜にそれ以上の言葉をかける者はいなかった。 責任は、すでに回収されたからだ。 会長室には神崎蓮と怜が残された。 神崎コンツェルンの絶対君主と、その養子。 窓の外で、ドン—— と音が響く。 夜空に、花火が上がっていた。 色とりどりの光が、雲城市を照らす。 神崎家の式典でしか許されない、豪華な花火。 怜は顔を上げなかった。 ただ、膝の上の拳を、ゆっくりと握り締める。 (……ここから先へ、進む) あの場で決めたことは、もう揺るがない。 (切っ
last updateTerakhir Diperbarui : 2026-06-14
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第10話 日常よりの使者
結婚式から、三日が経った。ワイドショーはまだ騒いでいる。『神崎家追放花嫁』『黒蛇会との関係は?』朝から同じ言葉ばかりが流れ続けていた。ブツッ。凛はテレビを消した。狭いワンルームに、急に重い静寂が落ちる。肩の傷はまだ疼く。けれど、それより深刻なのは——仕事だった。「…退職届、書かなくちゃ」神崎グループの子会社の事務職。大学を卒業して二年、そこそこのやりがいを感じながら、真面目に取り組んできた仕事だった。結婚式の翌日、人事部から届いたメールには簡潔にこう書かれていた。『自主退職を勧告いたします』「あれは…銃で撃たれたよりも、痛かったなー。なんちゃって」おどけるように呟きながら、ボールペンを探す。「本当に、馬鹿なことしちゃった……」一年間、神崎家の嫁になる契約。終わってみれば、実に浅はかな選択だった。けれど、あの渦中にいたときには、“断る”という選択肢が、本当に見えなかった。「あー、タイムマシンがあったら、数ヶ月前の自分を全力で殴りに行きたい。目を覚ませー!!って」凛はゆっくり立ち上がった。冷蔵庫を開ける。牛乳。バター。半分残った食パン。それだけだった。「……働かなきゃ」小さく呟いたそのときだった。ガタン。外から、何かを落としたような音がした。凛は反射的に体を硬くした。——記者?——週刊誌?心臓が嫌な音を立てる。けれど。「っだ〜…やば…」聞こえてきたのは、間の抜けた男の声だった。「最悪。卵やった…」沈黙。凛はそっと玄関のドアを開けた。アパートの古い廊下で、スーパーの袋を抱えた男がしゃがみ込んでいた。床には割れた卵が広がっている。「あー……」男は困ったように笑った。その瞬間、ふわりと視線が合った。「あ」柔らかい声だった。「……こんばんは」凛は一瞬、戸惑った。——普通だ。その男は、あまりにも普通の顔をしていた。「えっと……同じ階の人、だよね?」男は立ち上がる。茶色い髪が、木漏れ日のように揺れた。長身で、清潔感のある服装。人の良さそうな笑顔。けれど、押しつけがましさは一切ない。「404号室の白石です。はじめまして。」凛は少し遅れて、掠れた声で答えた。「……407号室の一条です」「そっか。一条さんか」白石は、自然に微笑んだ。その笑顔が、あまりにも温かくて—
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