登入あれから一度も部屋を出ることなく睦合い、疲れたら落ちる様に寝て、起きたらまた交わって時間の経過すら分からなくなって来ていた。
オブライアンが扉の外に用意してくれる食事を寝台の上で取り、満たされたらまた抱き合ってを繰り返す。
貧弱な体を抱き潰されて心地よい疲労感を通り越し、息が上がる程の激しい行為に意識を失った気もする。
「これが
「ナタリス様、勝手に入っては旦那様に叱られます」
「良いの良いの。分かってて籠ってんだろ、そろそろ出て来て貰わないと」
……誰の声だろう?
ふと瞼を開くと、至近距離でジッとこちらを見ている男が「あ」と声を上げた。
深いナイトブルーの丸い眸が、パチパチと瞼を瞬かせる。
「っ⁉ だ、誰っ……?」
「オーリィ……? どうし……」
そう言いかけた公爵がオルタナの顔にシーツを掛け、
「私がネロ区へ行きたいなんて言ったから……?」「ラティ、僕はラティが来てくれて心強かったし、一緒にお出かけ出来るの嬉しかったよ」「オルティ……」 涙をこらえる様にして唇を震わせた王妃を、オルタナはぎゅっと抱きしめる。 頑張ったのにアラベルの要らん一言で、また傷ついてしまった。 一緒に行きたかった王陛下を放って、王妃が我儘を貫き通したみたいになったじゃないか!「あ、あの……すまねぇ、オル坊」「親父さん、最低だよ」「すまねぇ……」「そんなんだから、婆ちゃんに嫌われるんだ」「ひどっ、酷くねぇか? オル坊……」「親父は天才だよな……。普段怒らないオーリィを怒らせるんだから」 いや、ちょっと前までスーランも大差なかったけどね?「スーラン、お前まで!」「先の不要な発言は私の顔に免じて許してやって貰えませんか? 王妃様」「マダム……」「王陛下が連れて行きたかった気持ちも本当でしょうが、私達がいる事も含めて一番遠いネロ区にいて欲しかったのも嘘ではないのです。ケルメスと言う不穏分子が居たとしても、もし和平交渉が決裂した場合、悪党一人とは秤にかけられない程の危険がありますから」「そうですわね……では、マダムに免じて今回だけ許すわ。アラベル」「あ、有難き幸せっ」 大げさにそう言って頭を下げたアラベルに、やっと王妃は花のような笑顔を見せた。 ラカンからの情報提供もあり、子供の密輸や種芥子の栽培に関するケルメスの関与の証拠が示され、拘束されたケルメスは両膝をつく格好で馬上から見下ろす公爵の前に座らされていた。 オルタナ達の所からは声も聞こえない程の距離がある。 だが、後ろ手に縛られているケルメスの姿を見るだけでも、大きな仕事が一つ終わったのだと肩の荷が下りる。 大聖堂のあの特別な祈りの間の鍵もこちらにあるし、真実は後で
ドドドドドドと言う大群が押し寄せる様な地響きが聞こえた。 ふいに身を竦め、視線の先にはためく国軍の軍旗を見付けて目を見開いた。 黒い軍服を着たサリバン公爵が先頭になって、その両脇にはノエルとミレーの姿もある。 その後ろに数百名の兵士が列をなしていた。「ヴィー様……」 モリガンにいるはずでは? モリガンはどうなったの? でも、公爵がここにいると言う事はモリガンはきっと無事のはずだ。「これよりネロ区全域を封鎖! 抵抗する者にだけ攻撃を許可する。それ以外の者には一切危害を加えるな!」 その公爵の号令を皮切りに、国軍はネロ区の全域へと小隊ごとに分かれて行く。 オブライアンが迎えに行った王妃とダリスが遅れて到着し、公爵の姿を見て「レイは?」と泣きそうな顔で呟いた。「ラティ、きっと大丈夫だよ」「レイ……ここには来てないの?」「ラティ、落ち着いて」「レイに防衛戦の指揮なんて無理よ。何でヴィンスが行かないの? 何でヴィンスがこんな所にっ……」 そう言った王妃を宥める様に口を開いたのは、本物の大公妃だった。「ラチア王妃、陛下はモリガンで和平交渉に尽力されています。大丈夫ですよ、戦争ではないのです」「戦争ではない……? 本当ですか? マダムキャンベル」 そう言いながら、よく似た偽大公妃に気付いて王妃は目を瞬かせた。「え? どういう事?」「王妃様、あの偽物は私が許可したサリバン公爵の工作員です」「工作員……え? ずっと⁉」「アラベルと申します。恐れながら夜会から潜入させて頂いておりました」「……オルティは知ってたの?」「いや、僕もさっき知った所で……」「またヴィンスに騙されたって事⁉」「そう、だね……ははっ」「それにマ
普段穏やかな人が怒ると怖い――。 まさにそれを体現しているかのような、静かな怒りの中に震える程の畏怖を感じられる。 オブライアンには王妃とダリスを迎えに行って貰い、残ったメンバーでケルメスとその護衛の身柄を拘束し、大公家の馬車で護送する。 拘束されていると言っても狭い車中に膝を突き合わせて乗るのが嫌で、オルタナはスーランが手綱を引く御者台の隣に乗せて貰う。 ガラガラと坂を下る立派な馬車の騒音に紛れて、スーランが呟く。 ――来た。「何か言った? スーラン」「いんや、何でもない」「そう?」 確かに何か呟いたように聞こえたのに、とオルタナは首を傾げた。 だが聞き間違いかと思い、深くは問い質さなかった。「さっきは助けてくれてありがとうね、スーラン」「滅相もございません、オルタナ様」「ちょ、止めてってば!」「ははっ」「師匠……オブライアンさん、厳しいの?」「うーん……厳しいって言うか、凄い圧? があるって言うか……」「あぁ……何となく分かるかも」「ド正論で隅から隅まで詰められて逃げ場が無くなる……みたいな。すげぇ小言言うし、物言わぬ獅子とか絶対嘘じゃんって思ってた」「あははっ、スーランの苦手なタイプだ」「ちょっとドーラに似てんだよな」「婆ちゃんに?」「絶対許してくれないし、ノルマ熟さないと寝かしてもくれないんだけど、ちゃんとやると褒めてくれんだ」「確かに、婆ちゃんもそういうトコあるね」「最初はうるせぇおっさんだって思ってたけどさ。でも、師匠のお陰でオーリィ―の傍にいられる。感謝してるよ」 そう言ったスーランにオルタナは、公爵がもしスーランをナタリスに預けていたら……。 そんな余計な妄想をしてしまい、身震いした。 アステール河の袂まで戻って来た。 オルタナ達一行を待っていたのは、真白い海軍の軍服を着た金髪の男と、本物の大公妃だった。「エヴレカの子!」 大公妃はそう言ってオルタナを抱きしめ、隣に立っていた白い軍服の美丈夫はお茶目にウインクして見せた。「本当にエヴィにそっくりだね」「あ、あの……」「私は大公の金の君と呼ばれているカロス・キャンベルだ」「は、初めまして……オルタナと申します」 抱きしめたまま放してくれない大公妃に、どうしていいか分からないオルタナは、カロスに助けを求める様に眉尻を下げた。「
巨木の木陰に隠れる様にして馬を繋ぎ、下馬したオルタナとスーランは鉢合わせた馬車から当人達が出て来るのを盗み見ていた。 先に出て来たのはケルメスで、遅れて大公妃が降りて来る。 少し離れた場所から見ているオルタナには話し声までは聞こえていないが、スーランにはその会話は丸聞こえの様だった。「行ってくる」「うん。気を付けて!」 スーランは腰に付けた剣を抜き、背後からケルメスに忍び寄る。 大公妃からは丸見えだが、それに気付いても大公妃は眉一つ動かす気配はなかった。 スーランが何をしようとしているのかをまるで分っているみたいに、ケルメスの気を惹き足止めしている。「動くな」 そう言ってケルメスの首元にスーランが剣を突きつける。 大公妃はそれを見て、満足そうに笑った。 この人はケルメスの悪事を知っている。 その顔を見てオルタナは大公妃はこちら側なのだと確信出来た。 そう思った瞬間、ケルメスの馬車からもう一人降りて来る――。「スーランッ! 後ろぉっ――――!!」 スーランの背後に降り立った剣を振りかざしている護衛の姿に、オルタナは思わず駆け出していた。 だが、その刹那。 大公妃が右手で何かを投げると、背後に現れた護衛は絶叫しながらしゃがみ込む。「ぎゃぁぁああっ!!」 顔を押さえたその護衛は悶絶し、手の隙間から血を流している様に見えた。 何かが顔に刺さっているらしい。 隠れていろと言われたのに飛び出してしまったオルタナは、その状況に驚き、ふいにこちらへと襲い掛かって来る護衛に後れを取る。 顔から血を流し興奮しているその護衛に掴まれ、オルタナはその力の強さに振り払う事も出来ず羽交い絞めにされてしまった。「オーリィッ!」「うぐっ……
「鹿笛って人間には聞こえないらしいんだけど、俺、聞こえちゃうんだよね」「スーラン、耳良いもんね」「まぁ普通じゃないらしいけど、他人に聞こえないなら都合が良いからさ。親父から大聖堂へ行けって連絡があって……」 向かっている途中に王妃を乗せた馬車と遭遇したスーランは、護衛を全員気絶させ、王妃特製の睡眠薬で眠らせる事にした。 その護衛達を見つからない様に叢へと隠して、王妃からある程度の事情を聞いて護衛の衣服と祈りの間の鍵を追剝し、大聖堂の裏山へと来たらしい。 そこでオルタナが落とした公爵家の家紋の入ったハンカチを見付けたのだと、ハンカチを抓んで振って見せる。「ラティとダリスは?」「見つからない様に隠れて貰ってる」「オーリィ、どっか痛い? 何か動きが変」「……大丈夫」 本当はさっきから背中が疼いて痛い。 でもそれより、とオルタナはスーランの顔色を診て、確かめる。 僅かな間でもあの蒸気の中にいたスーランの状態も気になっていたからだ。「スーランは体、変じゃない? 大丈夫?」「うん。俺、親父と一緒で鼻がバカだからさ。フェロモンとか効かねぇの」「そうだったんだ……」 スーランは戦争孤児で幼い頃親父さんに拾われた子供だ。 血が繋がっていないのに、似ているなんて不思議だ。「凭れかかってて良いよ」「あ、ありがと……」 スーランが乗って来た馬の前側に座らされて腰を抱かれるのが、少し居心地悪い気がした。 兄弟の様に育って来た隣の肉屋の息子は、いつの間にこんなに手が大きくなったんだろうか。 二つ年上だし、αだから昔から体格差はあった。 けれど、
「何です? 騒々しい……」「S級の孤児院で感染症らしき症状が出た子供がいると」「感染症だと?」「それより、それを伝える為に大公妃がこちらへ向かっておられます」「何だと?」「ここは私が! 早くお戻り下さい!」 そう言われてケルメスはバタバタと洞窟内を駆け上がる様にして出て行く。 オルタナはアルバに壁際まで追い込まれて、身動き取れない状況になっていた。「怖くないよ、兄さん。気持ち良い事しかしないから」「煩い! 誰がお前なんかとっ……」「他のΩの子達はみんな喜んでくれるよ?」 そう言ったアルバに唇を寄せられ、オルタナは怒りに任せてそれを噛んだ。「痛っ……ちょ、噛むなんて酷いよ……」「僕はサリバン公爵の番だっ! ヴィー様以外とはしないっ!」 苦し紛れにそう虚勢を張った時、ケルメスを呼びに来た護衛がアルバの背後に立っていた。 嘘だろ――? 二人相手じゃ詰みだ……。 そう思った瞬間、その護衛はアルバの首根っこを掴むと力任せに引き剥がし、アルバは後ろへと尻もちをつく。 護衛は腰に付けていた剣を抜いてアルバに突きつけた。「何をするっ! 僕にこんな事して許されると思っているのか?」「知るかよ。オーリィに触るな」 そう言って覆面を取った護衛は、見覚えのある赤い髪をしている。「……スーラ……ン」「大丈夫ですか? オルタナ様」「止めてってば、その喋り方……」 オルタナはスーランの顔を見て、安心してズルズルと壁沿いを滑る様に座り込んだ。「ふっ、師匠いねぇし、まぁいっか。……オーリィ、こいつ何?」「……弟、らしいよ」「公爵様の? 確かに似て……」「うん、後……
ミレー中尉に至ってはヴィンス・サリバン公爵閣下の番がどうお得なのかを延々と語って来る始末。 結局、番の話は有耶無耶になったが、この日を境にノエルやミレーとも普通に会話出来るようになった。 庭の方から子供の笑い声が聞こえて、オルタナは不思議に思い二階の私室の窓から顔を出す。 広く美しい庭園のガゼボで、ミレーと少女が笑い合っている。 少女は下級貴族の様な質素な装いで、傍には見た事のない中年の髪のない下男らしき男が侍っているが、少女の髪は鴉の濡羽の様な美しい黒髪だ。 あんな黒髪を持つ少女が下級貴族
今からでも逃げるか……いや、無理だ。 少なくともローブの男と大柄なノエルと呼ばれていた男は間違いなくαだろう。 ミレーと呼ばれていたもう一人は女性だったが、纏う雰囲気がもう凡人のそれではない。 間違いない、全員αだ。 詰んだ。 でも、どこかで逃げなければ、このまま監獄にでも入れられたら、本当に人生が詰む。 ドーン王国では魔女狩りと称して薬師が大量に殺された時代があった。 当時の王が薬師に王妃を殺されたとして、国中の薬師を虐殺したのがキッカケだったとか。 そのせいでドーン王国は他国に比べ薬学が廃れて久しい。 現王レイモンドは積極的に他国からの薬も輸入し、自国の薬師を増やす政
ベルの花が鳴く頃、モリガン区の雪も少し解け始める。 雪原から顔を出した青白いベルの花は、リンリンと鳴いて春を告げるのだ。 そんな北の果てに不穏な噂が流れていた。「王都じゃ余計に死人が出たってさ」「ここじゃ当たり前だが、去年は寒かったからねぇ」「何でも王都じゃ病で死んだ者は、教会で死体を燃やすんだと」「罪も犯してないのに病で苦しんだ挙句、体を焼かれるなんて酷い話じゃないか」「王様も教会には強く言えないんだろうさ」「サンノ国から来られた王妃
馬なんて王都の貴族か、国軍くらいしか乗らないものだからだ。「逃げるか……」 オルタナは非常時に備えていつも用意してある荷袋を持って、カウンターの後ろに設えてある子供一人が通れるほどの隠し扉を開けて潜り込む。 その出口を知っているのは、祖母と自分だけだ。 なのに、出た瞬間覆い被さる様な人影に、オルタナは動きを止めた。「あ。出て来た」「は?」 四つん這いになって見上げたその先にあった影は、ローブを被った軍人の物だった