たとえば、舞台作品の'〈Matilda the Musical〉'は原作を直接下敷きにしているが、そのエネルギーの出し方や皮肉の効かせ方、そして子ども主体で物語が回る構造は、現代の児童演劇における一つの参照点になった。劇場での表現が映画やドラマに影響を与え、子どもたちの“反抗”や“自立”をポップかつ力強く描く作風が広がったように思う。
映画的には、'〈The Kid Who Would Be King〉'のように少年たちが力を合わせて不条理に立ち向かう話にも、マチルダ的な“若さの機知”を感じる部分がある。また、子どもの天才性をテーマに据えた'〈The Book of Henry〉'は、賢い子どもが大人の欠点を補うという点で共通点があり、暗転するような大人社会と対峙する子どもの描写を通じて、観客に同情と応援を促す作りになっている。こうした流れは直接の模倣ではなく、むしろ『マチルダ』が示した物語的可能性の拡張だと受け取っている。
例えば、ティム・バートン監督の映画'〈Miss Peregrine's Home for Peculiar Children〉'には、奇妙さと温かさが同居する子どもコミュニティ、そして大人の圧力に立ち向かう若い主人公たちが登場する。僕はそこに『マチルダ』の静かな反抗心と、孤立した天才児が周囲とつながっていく感覚を感じる。映像表現の遊びや、子ども側の視点で進む語り口も共鳴している。
別に、近年のシリーズ'〈A Series of Unfortunate Events〉'や児童向けアドベンチャー'〈The Mysterious Benedict Society〉'にも同様の構図があると考えている。どちらも大人の不条理さや冷酷さを批判的に描きつつ、知恵と連帯で切り抜ける子どもたちを主人公に据えている。名作の要素が直接の影響源であるとは断言しないが、子どもが“賢さ”で世界に抗うというアイデアの普及には、'マチルダ'が果たした役割が小さくないと思う。
考えてみると、レズバトルという言葉が指す「女性同士の激しい対立や闘いに恋愛や性の要素が絡む表現」は、意外と広範な影響を現代作品に残しています。僕が見てきた範囲だと、その影響は直接的な作品もあれば、モチーフや構図、キャラクター同士の緊張感として間接的に反映されているものもあります。ここではジャンルを横断して、特にわかりやすい具体例を挙げつつ、どの点でレズバトルの系譜を感じるかを自分の視点で整理してみます。
まずアニメ方面では、視覚的に「女の子同士の闘い」と「感情の交錯」を同時に見せる作品が代表的です。たとえば『百合熊嵐』は、明確に女性同士の恋愛感情と対立を寓話的に描き、暴力や対峙を通して愛憎が表出する作りがレズバトル的なダイナミズムを強く感じさせます。また、一見するとアイドルや舞台劇モノに見える『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は、決闘シーンを通して仲間同士あるいはライバル同士の感情が濃縮される点で、同種の影響を受けていると言えます。海外作品だと『She-Ra and the Princesses of Power』や『Steven Universe』のように、女性同士の強い感情や融合(象徴的な意味での“戦い”や“結びつき”)を通して関係性を描く手法が、現代の視聴者に受け入れられています。
マンガやゲーム界隈にも顕著な事例があります。古くからのファンサービス寄りのバトル作品である『クイーンズブレイド』は、女性キャラ同士の肉体的な対決とその妖艶さが際立ち、レズバトル的演出の商業的成功例といえます。対照的に、心理描写に重きを置く『やがて君になる』や『ささめきこと』のような作品は、闘いそのものを主題にしないものの、感情の衝突やすれ違いにレズバトル由来の緊張感を見出せます。ゲームでは女性キャラ主体の格闘ゲーム『Skullgirls』が、キャラ同士の対立と濃厚なキャラクタードラマを併せ持ち、ビジュアルと演出でレズバトル的要素を表現しています。小説だと『The Priory of the Orange Tree』のように、スペクタクルな戦いと女性同士の情感が絡むファンタジーが、西洋でも支持を得ています。
結局のところ、レズバトルの影響は「暴力的な対決そのもの」だけでなく、「対立の中にある情愛」「勝敗を越えた執着や嫉妬」「身体性を通した関係性の表現」といった部分に強く残っています。最近の作品は、単純に戦わせるだけでなく、その対立がキャラクターの内面を照らし出すような使われ方が増えていて、以前よりも多層的で深い描写になってきているのが面白いところです。個人的には、そうした変化こそがジャンルの成熟を示していると思います。