Chapter: 116話部屋の扉がノックされたので、櫂斗は「入れ。」と指示を出した。 「失礼します。」と入ってきたのは、櫂斗の部下の一人で、男はスイートルームのソファに深く腰かける櫂斗の前まで来ると、緊張した面持ちで手を身体の前で組んだ。 「何だ?」 櫂斗は書類から目を離さず尋ねる。 部下はゴクリと一つ唾を飲み込むと、 「かすみ様を見張らせていた男との連絡が、一時間ほど前から途絶えました。」 櫂斗はピタリと動きを止めると、ゆっくりと視線を上げ、部下の男に目をやった。 男は思わずサッと目を伏せると、 「どういたしましょうか?」 櫂斗はクッと笑うと、人差し指をくいくいっと動かして、男に傍へ来るよう指示を出す。 男は慌てて櫂斗の元へと走り寄ったのだったがー 「がっー」 櫂斗に顔面を殴られた男は、痛みに呻いた。 櫂斗はいつも両手の中指にゴツゴツとした指輪を嵌めているのだが、それが見事に前歯に直撃したことで、男の前歯は2本とも折れ、そこからダラダラと血が流れ出す。 男は涙目になりながらも、すぐさま櫂斗に向かって、「申ひはけありまへんでひた。」と、その足元にひれ伏すようにして謝罪した。 櫂斗はそんな男を、まるで汚いものを見るかのような目で見下ろすと、 「何のために金を払ってお前らを雇ってると思ってるんだ?それとも何か?俺は自分の仕事の傍ら、お前らの取るべき行動までも一語一句教えてやらないといけないのか?あ?」 男はブンブンと顔を振る。 そんな男に、腹の虫が治らない櫂斗は瞳孔を開いて、 「お前、俺を舐めているのか?俺にはジェスチャーだけで十分だとでも?」 再び拳を強く握り締めた櫂斗の姿に、男は口を抑え、そ両目から涙を流して必死に詫びた。 その時だった。 軽いノックの後、櫂斗の返事を待たずして、部屋のドアがそっと開けられた。 扉を開けた人物は、櫂斗よりもずっとずっと身体の大きな男が、その足元で怯える様を目にし、眉根を寄せた。 その男は血を流す男に近づくと、胸ポケットからハンカチを取り出し、男の口に充てるようにした。 それから、「歯はあるのか?」と、血を流す男に聞き、男が首を横に振ると、 「ならば、さっさと病院に行くことだ。急ぎなさい。」 男の言葉に、血を流す男はちらりと櫂斗を見たので、 「人の顔
Terakhir Diperbarui: 2026-07-21
Chapter: 115話コンビニに降ろされた二人はというと、一定の距離を保ったままその場に立ち尽くしていた。 そんな中、弥一はおもむろに携帯電話を取り出すと、 「今タクシー呼ぶね。」 そう言って、いつものアプリを開こうとしたのだったがー かすみが「あっ。」と言ったことに、その手を止めた。 「どうかした?」 「あ、いえ。そのー」 時刻はまもなく午後の七時を迎えようとしていた。 弥一は明日仕事なわけで、早く帰るに越したことはない。 だが、まだ帰りたくない、とかすみは思ってしまったのだった。 とはいえ、一向に弥一の方を見れないくせにまだ帰りたくないだなんて、一体自分は何がしたいというのだろうか。 かすみは「ごめんなさい。」と言って謝ると、 「帰りましょう。」そう、口にした。弥一はそんなかすみの横顔をじっと見ていたが、何も返すこともなく、顔を携帯電話に戻すと、アプリを起動して操作を再開した。しばらくしてタクシーが到着すると、弥一はかすみを後部座席に乗せ、自身は助手席にと乗り込んだ。かすみはそんな弥一を後ろから見つめていたが、自身の態度のせいだと理解すると、その視線を下へと移す。二人を乗せたタクシーは、ゆっくりと事前に伝えられていた目的地へと向かって走り出した。「着きましたよ。」そう言われ、かすみが顔を上げ窓の外を見ると、「え?」 驚くかすみに、運転手にお礼を言って先に降りていた弥一は、後部座席のドアを開けると、何も言わずかすみに向かって手を差し出した。かすみはその手にそっと自身の手を添えると、弥一は乗せられたかすみの手を、優しくそっと包む。弥一にリードされ、かすみも運転手に向かってお礼を言ってタクシーを降りた。そして、降りた先に佇むお店を前に、かすみは弥一に目をやる。「この間食べられなかったでしょ?あれからずっと気になってたんだ。」そのお店は、この間定休日のために入ることができなった、かすみが弥一を連れて行こうとしていたあの喫茶店であった。「中入ろ?」そう言って、弥一は喫茶店のドアを開けて中へと入ったので、かすみも後へと続いた。店は昭和レトロな趣きのある雰囲気で、弥一は物珍しいその店内に、楽しそうに目を輝かせた。この店のマスターである、白髪の紳士的な男性がカウンターから、「いらっしゃい。」と言うと、弥一もかすみも微笑を浮かべて会
Terakhir Diperbarui: 2026-07-20
Chapter: 114話その後、四人は加島のおすすめのお蕎麦屋さんで美味しいお蕎麦を食べ、海沿いをドライブしながら所々でサービスエリアに寄っては買い物などを楽しんだ。 時間はあっという間に過ぎ、時刻は間もなく、加島がディナーにと予約したレストランの予約時間へと近づいていっていた。 加島はハンドルを握りながら、バックミラーにちらりと視線を向け、後部座席に座るかすみに目をやる。 そんな彼女は、目の前の助手席に座る弥一を見つめていた。 赤信号で車を止まると、加島が唐突に、 「あーっと、いけない。俺としたことが忘れてた。」 助手席の弥一は加島を見ると、 「何をです?」 「店のことだよ。今日休みなの忘れてて、納品頼んじゃったんだった。」 「そんなことあります?」 「あるんだよ、ごくごくたまーにな。年に一回あるかないかくらいでさ。てことで、次のコンビニでお前とかすみのこと降ろしていい?」 「良ければ手伝いますけど?」 加島はしっしっと手を振って、 「いらない、いらない。素人がほいほい触っていいもんじゃないの!悪いけど、コンビニで降ろすから、自力でタクシーでも捕まえてくれる?」 「俺は構いませんけど。って、あれ?今日ってディナー予約してるんじゃなかったんですか?」何で知ってるんだよ、と加島は思いながら、 「あー、するの忘れてたわ。ダメだな、今日はなんかうまくいかねーわ。疫病神が付いてるからかな?」 そう弥一を揶揄うと、加島は宣言通りにさっさとコンビニに車を停め、 「はい、じゃあ降りて。」 と、弥一に言ってから、かすみに振り返ると、 「てことで、ごめんね、かすみ?彼と一緒にここで降りるてくれる?」 かすみはハッとすると、 「え、あ、うん!こちらこそ、ごめんね、約束守れなくってー」 加島はフッと笑って、 「大丈夫だよ、なんとなくそんな気はしてたからー」 「え?」 「なんでもないよ!ほら、降りた降りた!業者さん待たせちゃってるかもだからさ!」 そう加島に言われ、かすみは急いで後部座席から降り、弥一も「楽しかったです。」と言って車から降りた。 そして、かすみに続いて愛蘭も降りようとすると、 「お前は俺と一緒に来るんですー。」 「嫌よ。」 「それぐらい付き合えっての。共同経営だろ?」 その言葉に、愛蘭は唇を軽く噛むと、 「誰と組むかはちゃんと考え
Terakhir Diperbarui: 2026-07-19
Chapter: 113話「え?」 かすみを探すのに必死だった加島は、荒くなった自分の呼吸音で、愛蘭の言ったことが聞こえていなかった。 加島は手の甲で汗を拭いながら皆に歩み寄ると、 「今なんて言った?というか、こちらの方は?」 「こちらは巴さん。御子柴君のお母さん。」 「ええっ!?」 そう驚く加島に愛蘭は、 「で、あんたのことは、間男の加島ですって紹介しといてあげたの。」 「誰が間男だよっ!どちらかっつーとあいつの方がー」 そう言いかけて、弥一の母親が目の前にいることを思い出した加島は、弥一に向けた指を素早く引っ込めると、 「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。先程彼女が言ったことはすっぱり忘れてください。改めまして、僕は加島真琴と言います。普段はエートル・カプティヴェというスイーツ専門店でオーナー兼パティシエをしています。」 少しでも自分の素性をわかってもらおうと、加島はそう巴に自己紹介をした。 「え?あのすごく美味しいって有名なスイーツ店の?あなたのような若い方がオーナー兼パティシエだなんて。それに、すごくイケメンさんじゃない⁉︎天は二物も三物も与えてくださったのね〜!」 加島をまじまじと見つめる巴だったが、ふいにそんな彼女の携帯が鳴った。 巴が「失礼。」と携帯電話を取り出し確認すると、ジョンからのメッセージで〈怪しい男を確保した。今は薬で眠っている。この間に場所を移したい。〉 巴は短く〈了解。〉と返すと、 「ご丁寧に自己紹介くださりありがとうございます。夫からのメッセージで、どうやら彼、お腹を下してしまったみたいで。私はここでお暇しないとなんですけど、加島さんに、円城寺さん。かすみちゃんと仲良くするついでに、ウチの愚息のことも、どうぞよろしくお願いしますね?」 加島と愛蘭は二人とも「はい!」と元気よく返した。 そんな加島に弥一はスススッと近づくと、小声で、 「仲良くしてくださいね、加島さん?」 加島は口だけで笑ってみせると、 「もちろんだよ、愚息の御子柴君。」 そんな男二人に巴は笑って、 「じゃあ、私は行くわね。弥一、あまり遅くならないようにね?」 弥一は呆れ顔で「小学生じゃないっつーの。」と呟きながらも、じゃあね、というように手を上げた。 それから、巴は最後にかすみのそばによると、
Terakhir Diperbarui: 2026-07-18
Chapter: 112話巴に手を握られながらかすみは、 「巴さん、どうしてここに?」 巴はイタズラっ子のように笑うと、 「あの日、かすみちゃんが水族館に行くって聞いてから、私も久々行ってみたくなっちゃって。ジョンに頼んで連れて来てもらったの!あ、彼は今トイレで席を外してるんだけどね。」 そう答える巴に、かすみは微笑むが、その顔はどこか浮かない。 巴はそんなかすみの顔を覗き込むと、 「かすみちゃんこそ、みんなから離れてどうしたの?もしかして、ジョンみたくかすみちゃんもお手洗いに行く所だった?」 かすみはその巴の目を見つめ返すことができず、俯くと、 「あ、いえ。違うんです、私はー」 「あ、いたいた!おーい、どうしたのかすみ!」 その愛蘭の声に、かすみは瞬間ビクついた。 言い合いに夢中になっていたところ、いつの間にかかすみが居なくなっていることに気づいた弥一が、急に青い顔になって走りだしたので、愛蘭と加島は顔を見合わせると、二人もかすみを探しに後へと続いた。 ただ、幸いにもかすみは近くにいて、彼女のそばには見知らぬ綺麗な女性が立っていたが、彼女がとにかく無事であることに、愛蘭は安堵の息を吐く。 それから、愛蘭は自分と反対方向に走って行った二人に、メッセージで、かすみが見つかったことを報告した。 二人への報告を素早く済ませると、愛蘭はツカツカとかすみたちに向かって歩いて行く。 だが、かすみが自分の方を見ようとせず、顔を下に向けたままであることに愛蘭は違和感を覚えた。 だが、歩みを止めることなくかすみの元へと近づくと、 「こんにちは。」と先ずは巴に向かって挨拶をすると、 「どうしたの、かすみ?急にいなくなってたからびっくりしちゃったよ!」 そう言って、愛蘭もかすみの顔を覗き込んだ。 かすみは眉を下げで笑うと、 「ごめんね、何だろ。急に明るい所に行きたくなっちゃって、気づいたら何も言わずに展示場から出ちゃってたみたい。ごめんね?」 そう口では笑っているものの、その目は相変わらず自分とは合わないことに、愛蘭はたまらずグイッとかすみの顔を掴んで無理矢理自分へと向けさせた。 「私に何か怒ってる?」 真っ直ぐな目でそう聞いてきた愛蘭に、かすみは思わず眉根を下げる。 「全然、怒ってなんてないよ。」 「じゃあ何
Terakhir Diperbarui: 2026-07-17
Chapter: 111話それから、水族館を好きに見て回る加島とかすみの後ろを、弥一と愛蘭は宣言通りに、付かず離れずの距離でついて行った。 だが、サングラスをしているとはいえ、さすが有名人。弥一に気づいた人々は、最初は遠巻きに見てこっそり撮影しているくらいだったが、ある人が「ファンです。」と言って弥一に話しかけたことを皮切りに、続々と彼の周りに人が集まり出した。 「あの、この間ミコ様が女性を探して街中を走り回っている記事をネットで見たんですけど、もしかしてこの方がその時の女性ですか?」 弥一の隣に立つ、モデル並みのスタイルと美貌の愛蘭を目に、期待を込めた目で皆が弥一を見る。 だが、その問いに対し愛蘭がばっさりと、「違います。」と答え、その声の冷たさに、皆はピタリとはしゃぐのを止めた。 さらに愛蘭は腕を組むと、 「明らかに彼がプライベートだってことわかりますよね?それなのに話しかけてくるってことは、皆さんは記者の回し者か何かなんですか?」 サングラス越しとはいえ、背の高い愛蘭に見下ろされがらの説教を喰らった野次馬たちは、途端に罰が悪くなったような顔をした。 と、その時。 人だかりを掻き分けるように、加島が、「すみません、ごめんなさい。」と言いながら、輪の中心となっている二人の元まで来ると、 「僕の連れがすみません。この子、今日朝ごはん食べてくるの忘れちゃったらしくて、だからお腹が減ってて攻撃的になっているだけなんです。ごめんなさい。」 そう皆に説明すると、自身の言ったことに反発する愛蘭の手首を掴んで、その背中へと彼女を隠した。 「すみません、僕が責任持って彼女に餌やりをしますので。」 そう言うと、加島はその場から愛蘭と弥一を連れ出した。 加島に言われて、離れた所からこの様子を見守っていたかすみにも加島は、「行こう。」と声をかけると、彼に連れられ、四人はその場から一目散に離れる。 加島は幻想的な空間が作り出されたクラゲの展示場まで皆を引き連れてくると、そこで急に振り返って、 「なんでちょっと目を離しただけで、こうも騒ぎを起こすわけ?」 まだ加島に手首を握られていた愛蘭は、なぜか少し顔を赤くして、 「痛い!離してよ!」 だが、加島は手首を離す代わりに、その手首をグイッと引っ張って愛蘭を自身に引き寄せると、 「嘘吐くな
Terakhir Diperbarui: 2026-07-16
Chapter: 8話そう言って、顔を上げた人物の目が、ベッドの上で戸惑ったように身をこわばらせる真子を捉える。 すると、その人物はあからさまにホッとしたような顔になると、「なんだ、生きてるじゃないか。」と、彼にしか聞こえない声量で呟き、その後、馬鹿馬鹿しいといったように苦笑して、頭を振った。 それから、ドア付近の人物は走ったことで乱れた前髪を掻き上げ、スーツの乱れも直すと、真子がいるベッドへと、長い足を使って一気に近づいた。 硬直した様子の真子を目の端で捉えた綾は、真子とその人物の間に立ちはだかると、目の前の人物を睨みつけながら、 「一体何の用ですか、門脇社長。」 冷たい声でそう問いかけた。 問われた人物である、門脇社長こと門脇司は、冷徹な瞳で彼女を捉えると、 「退け。お前にはこれぽっちも用はない。」 だが、綾は一切臆することなく、怒り心頭な様子で、 「退きません!真子は御宅の会社の階段からまたしても落ちたんですよ?一度ならず、二度までも!まともな人間ならこのことをおかしいって思うはずですけど、門脇社長は絶賛盲目中でしょうから、このおかしさに気付けないのでしょうね!」 「キャンキャン喚くな、野良犬風情が。お前の金切り声は頭にも勘にも障るんだよ」 「話を逸らさないで下さい!」 そう声を張り上げる綾に、司は侮蔑するように見下ろすと、 「同じことを何度も言わせるなよ?退けといってるんだ。お前のとこの吹けば飛ぶようなおんぼろ会社が、誰のおかげで存続できているのか忘れたか?」 その一言に、綾は言葉を詰まらせた。 司はそんな綾を鼻で笑うと、何も言い返せない彼女の脇をすり抜けようとするが、それを阻止しようと綾が身体を半歩横にズラした。 まだ邪魔立てする綾に、いよいよ司の怒りが沸点に達そうとしたその時、 「綾、大丈夫だから。ほら、こっちに来て。」 と、ベッドの上の真子がそう優しく声を掛ける。 綾は真子に振り返ると、 「どこが大丈夫なの?そんなにひどい怪我を負ったっていうのに!」 そう心配から声を荒げる綾に、真子は柔らかく微笑むと、 「心配してくれてありがとう、綾。ただ、今の私も、あなた同じくらい心配なの。だから、私のことを思ってくれるのなら、お願いだからこっちに来て」 と、綾が少しでも司から距離を取れるよう、
Terakhir Diperbarui: 2026-07-21
Chapter: 7話だが、こういった患者への接し方をよく心得ていた医師は、決して怒ることはなく、むしろ優しい声色で、 「あなたの名前は清川真子さん。瑞鳳市の清掃業者で働く、19歳です。」 と、敢えて真子が聞いてない個人情報まで付け加えて、説明してくれたのだった。 それを聞いた真子は、信じられないというように目を見開いた。 先程、医師が自分の年齢を19歳だと言ったのは、再度医師がそう言い切ったことから、どうやら聞き間違いではなかったことがわかった。 さらには、真子が今現在瑞鳳市で清掃業者として働いているとも言っていた。 信じられないが、信じるより他なかった。 (時間が、巻き戻った) そんな彼女の頭に、ふと、さっき見ていた夢の中で二人の男女が言っていた言葉が思い起こされる。 彼、彼女らは確か、人生をやり直すとか何とか言っていた気がする。 あと、自分を何より一番にとか、最後まで言えてはなかったがラッキーパーソンがどうとか言っていたはずだった。 まさか。だが、そうだとするとこの状況全てに合点がいく。 (私が人生をやり直すために、時間が巻き戻った) となると、現在のこの状況は過去にもすでに経験済みなはずで、真子は素早く頭を回転させると、これがいつのことだったかを思い出そうとした。 そして、それをはっきりと思い出した彼女は、そろそろ来るはずだ、そう思い病室のドアへと目をやる。 すると、真子の予想通り、そのドアは勢いよくスライドされると、そこから一人の女性が病室の中へと駆け込んできた。 その女性は苦しそうに肩で息をしながら、真子がいるベッドの淵に手を掛けると、 「真子大丈夫なの?あなたがまたあそこの階段から落ちたって聞いてあたしびくっりして慌てて飛んできたんだよ!」 そう息継ぎもなく話す彼女に、真子は安心させようと、「あたしは大丈夫だよ。目覚めた時は混乱してて、変なこと話しちゃったみたいだけど、今はもう意識もはっきりしてるから大丈夫。心配かけてごめんね、綾(あや)」 “綾”と呼ばれた女性は、身体を折り曲げたまま、顔だけ上げて真子を見ると、 「どこか痛いところはない?」 「うん、ないよ。大丈夫」と、綾を安心させようとそう答えたものの、本当は、強く打ったという頭をはじめ、身体のいたるところがジクジクと痛んでいた。
Terakhir Diperbarui: 2026-07-21
Chapter: 6話急に目覚めた真子に、看護師は隣にいる医師に向かって慌てて、 「先生!患者さんが目覚められました!」 医師は看護師のその言葉に頷くと、 落ち着かない様子でキョロキョロと辺りを見回している真子に向かって、 「清川さん、心配しなくても大丈夫ですよ、ここは病院です。」 そう言って、真子を安心させようと穏やかな声で話し掛ける。 だが、真子はそんな医師の胸元の服を縋るように掴むと、 「すみません、私の子供は。双子はどこですか?」 まだ未成年の少女とはいえ、真子のその整った顔を急に近づけられた医師は、どぎまぎとしながらも、自身の胸元を掴む真子の手をトントンと叩くと、 「清川さん、ここに来る前の出来事について何か覚えていらっしゃいますか?」 そう聞かれた真子は間髪入れずに、 「覚えてます!熊に。ヒグマの母親に襲われたんです。」 それを聞いた医師と看護師は、すぐさま互いに意味あり気な視線を交わし合ったのだが、そのことに気づかない真子は話を続ける。 「子グマが明希と叶多の近くに来てしまって、何で家に入ってきたのか。戸締りは嫌ってほど確認したはずなのに。けど、とにかくヒグマの親子が我が家に入ってきてしまって。ヒグマの母親が子供を守ろうと私たちに襲いかかってきたんです。私も二人を守ろうとしたんですが、情けないんですけど真っ先にやられてしまって。そんなヒグマの母親は次に叶多にー」 だが、そこであの時の光景がフラッシュバックしてしまった真子は、ショックからその先の言葉が出なくなってしまう。 一分ほど黙った後、真子は何とか心を落ち着かせると、 「でも、真っ先にやられた私がここにいるってことは、明希も叶多も助かったんですよね?二人はどこですか?」 そう焦ったように尋ねる真子に、医師と看護師は再度視線を交わすと、 「清川さん、今のあなたは、どうやら事故のショックによりかなり混乱されているようです。」 と、言葉を選ぶように医師が言う。 言われた真子は、圧倒的な力差のある野生の獣に襲われたのだから、混乱するのは当然で、わざわざそんなことを言って確認してくれなくていいから早く双子の安否を、どこにいるのかを教えてほしい。そう思い、 「先生、私の子どもたちはどこですか?」 と、悲痛な面持ちで再度問いかけた。 それを聞
Terakhir Diperbarui: 2026-07-21
Chapter: 5話落ちているのか、はたまた浮いていってるのか。 不思議な感覚の中、真子の体は暗闇の中を漂っていた。 目を開けたいのに、ひどい金縛り襲われているかのように、開くことはおろか、指先の一つも動かせない。 すると、不意にどこからか若い男女の話し声が聞こえてきた。 その声ははじめ、遠くの方からしているようだったが、段々とそれが近づいてくるようで、真子はそちらに顔を向けたいのだが、それができない。 為すすべもなく、ただの浮遊者としてその場にいるしかない真子は、二人の会話に注意深く耳を傾けた。 男女は真子のそばまで来ると、男の子の方が、 「すごい!見て、本物の眠り姫だ!けど、かわいそうに。よっぽど悲しかったんだね。彼女、泣いてる」 そう騒ぐ男の子に、 「泣かなくてもいいのにね。しかたのないことだったんだから」 そう言うと、女の子は真子の目尻から溢れ出た涙を掬ってくれた。 二人がそう言うまで、真子は自分が泣いていることすら気づかなかったのだが、心優しい二人の対応に心の中で感謝の言葉を述べた。 それから、女の子は短いため息を一つ吐くと、 「姫って呼びたくなるほど可愛いのは認めるけど、目覚めてもらわなきゃ困ることになるのは私たちだよ」と、冷静な声で言った。 そんな二人の不可解なやり取りに、真子は質問をしたい衝動に駆られたが、口も動かせない彼女ではもちろんそれが叶う事もなく、再度黙って二人の会話に耳を澄ませた。 女の子は話を続けると、 「目覚めてもらった上で、前の人生とは違う選択をしてもらわないとだしね。」 「じゃないと、また同じ結果になっちゃうんだっけ?」と聞く男の子に、女の子は静かに、「そう。」と返す。 “前の人生とは違う選択?” どういう意味だろう、と考える真子を他所に、二人は、 「彼女には何よりも自分自身を大事にすることを学んでもらわなきゃいけない。そうでなければ、何度人生を繰り返そうとも同じ結末しか訪れない。」 「けど、彼女が人生をやり直せるのは今回限りでしょう?優しすぎる彼女には難しいんじゃない?」 「そうなったら、残念だけど、今回も彼女とあの双子ちゃんたちが犠牲になるだけだね。」 "彼女とあの双子ちゃんが犠牲になるだけ、って・・・これってまさか、私たちの話?" 「うわぁ・・・よく
Terakhir Diperbarui: 2026-07-21
Chapter: 4話 (H道の朝日川市って、あいつらが住んでるところじゃないか?) 「ねえ、ねえ、パパー!早く僕に買ってきてくれたお土産見せてー!」 そう、司の手を掴み、ブンブンと振ってせがむ息子に、彼は、 「うるさいなっ!ちょっと黙ってろ!」 と言って、その手を振り払うと、急いでテレビへと駆け寄った。 残された息子は、父のただならぬ様子と、生まれて初めて、父からぞんざいに扱われたことへの驚きから、泣き出してしまう。 そんな息子のただならぬ泣き声を聞きつけ、母である彩花は慌ててドレッシングルームから駆けつけると、 「流央、一体どうしたの?何で泣いてるの?」 流央は司を指差しながら、 「パパが僕に痛いことしたの!僕のこと怒った!僕何も悪いことしていないのに!」 実際にはそんなに痛くはなかったものの、母親には心配してほしくて、少し大げさに伝えた。 泣きながらそう訴える息子に、彩花はまさかと思いながら、司に目をやった。 彼が自身と同じく、息子のこともどれほど大切にしてくれているかは、誰よりも彩花が良く知っていた。 そんな彼が、息子に声を上げるなど信じられなかったのである。 だが、司は、そんな妻にも息子にも目をくれず、ただただ食い入るようにそのニュースを見つめていた。 そして、その頭の中では絶えず、 (頼む、どうか。どうか人違いであってくれ) そう、切に願っていた。 しかし、そんな司の願いは無情にも届かず、 「ヒグマに襲われたと見られる遺体は、この家に住む清川真子さんと、その子供たちである双子の叶多くんと明希ちゃんのものであることが、その後の警察の調べにより判明しました。」 そう女性キャスターが読み上げると共に、テレビの画面には、規制線が貼られた見覚えのある家と、真子と双子の子供たちの写真が映し出された。 ヒグマに襲われたのが真子たちだっと知るや否や、 「うそだ。うそだ、うそだ、うそだー」 そう、取り憑かれたように司は呟く。 そんな司を他所に、さらにアナウンサーは、「また、この清川さん親子の住宅の敷地内で、遺体として発見された男性の身元も同時に判明しました。なお、この男性は清川さん親子を襲ったヒグマに襲われて亡くなったわけではなく、男性の胸元には刃物のようなもので刺された後と、この男性の遺体の近
Terakhir Diperbarui: 2026-07-18
Chapter: 3話「パパ、おかえりなさーい!」 出張先から三日ぶりに帰った父を、息子である門脇流央(かどわきるおう)は玄関先で嬉しそうに出迎えた。 司はそんな息子の頭を撫でながら、同じく「おかえりなさい。」と笑顔で出迎えてくれた妻の彩花(さいか)に向かって、 「はい、これお土産。」 そう言って、ブランドのロゴが入った紙袋を手渡す。 彩花はそれを嬉しそうに受け取ると、 「うそ、もしかしてこれ、限定品のバッグじゃないの?」 それはこのブランドが、限定コレクションとして十五個のみ出したバッグの内の一つだった。 たったそれ一個で外国産の高級車が買えてしまうほどの値段だったが、そのデザインの美しさから金持ちたちがこぞって欲しがり、あっという間に売り切れてしまったはずだった。 そんなものが、どうしてここに? そう驚いたように見る彩花に、司は、まるでなんてことないと言うように、 「君に似合うと思って取り置きしてもらってたんだ。」 それを聞いた彩花は、感動したようにその長いまつ毛の目元を潤ませると、 「司、ありがと〜。」 そう言って彼に抱きつくと、その頬にキスをして、 「私って、世界で一番幸せな奥さまね?」 司はそれに、フッと目元を緩ませて応えると、 「鏡の前で合わせてきてみたらどう?」 そう言われた彩花は、再度、司の頬にキスをすると、嬉しそうにドレッシングルームへと走っていった。 そこへ向かいながら、彩花はふと、半年前にこのブランドのバッグが発売されることをそれとなく司に仄めかしていたのを思い出す。 今回のように、例え手に入れるのが困難な商品であっても、莫大な富と権力を誇る門脇家の次期当主である彼の手にかかれば、難なく手に入るということを彼女はよくわかっていた。 また、そんな彼がどれほど自分を愛し、気遣ってくれているかを熟知していた彼女は、司の前でこのバッグを欲しがった時点で、それはもう手に入ったも同然だということをわかっていたのであった。 (ほーんと、あたしって世界一幸せな女だわ♪) そう思うと共に、自分のこの待遇とは打って変わって、辺鄙な土地に母子共々送られた人間の存在を思い出すと、彩花はその美しい顔に意地の悪い笑みを浮かべたのであった。 「ねーねー、パパー?僕にはお土産ないの?」 そう拗ねた
Terakhir Diperbarui: 2026-07-18