ログイン伝説と呼ばれた元トップモデル・歌原レイラは、不審な死を遂げてから一ヶ月後、幽霊としてこの世に戻ってきた。 彼女が目にしたのは、両親の愛を受けられず、孤独の中で生きてきた妹・歌原彩の姿だった。 かつて二人は誓っていた。 ――いつか、姉妹で同じランウェイを歩こうと。 その約束を胸に、夢を諦めず努力を続ける妹の姿を前に、レイラは決意する。 何者でもない中年男・与那嶺良太に引き寄せられ、幽霊としてこの世に留まった彼女は、妹を再び表舞台へ導くことを選んだ。 だが、幽霊であるレイラは、直接この世界に触れることができない。 良太の助けを借りながら、妹をモデルの道へと導いていく。 後悔、喪失、そして再生。 過去と向き合いながら、人はもう一度、人生をやり直せるのか。 これは、死んだ姉が託した想いが、残された者たちの未来を動かしていく物語。
もっと見る春の夕暮れ。
アスファルトに残る昼の熱が、まだ足元から立ちのぼっていた。 小学一年になったばかりの彩は、 背中に大きすぎるランドセルを揺らして歩いている。 その隣を歩くのは、姉――十八歳の歌原レイラ。 死まで、あと十年。 1. 楽屋裏・ファッションショー会場(都内某所) 制服のまま。 大きすぎるランドセルが、背中をいっそう小さく見せる。 彩は、控室の扉のすき間から中をのぞいていた。 鏡台の前。 一流のメイクアップアーティストたちが、迷いのない手さばきでレイラを仕上げていく。 パウダーの匂い。 ライトの熱。 空気そのものが、張りつめている。 彩は目を丸くし、夢中で見入った。 ――お姉ちゃんが、どんどんきれいになっていく。 キラキラして、まぶしくて。 ほんとうに、“おとぎばなしのお姫さま”みたいだった。 鏡越しに、レイラが視線を送る。 ずっと、気づいていた。 「……ふふ。そんなに見られると、こっちが照れるんだけど」 彩は、はっとして顔を引っ込めようとする。 「大丈夫。入ってきて。……ちゃんと見てて、彩」 彩は嬉しそうにうなずき、小走りで寄ってくる。 レイラが、そっと彩の頬に触れる。 ――そのとき。 レイラの視線が、袖口に止まった。 左腕。 淡い紫色の痣。 一瞬、呼吸が遅れる。 「……」 言葉にならないまま、視線だけがそこに縫い留められる。 「あ、それね」 無邪気な声。 彩は、自分の腕を差し出した。 「だいじょうぶだよ」 レイラは、触れない。 触れられない。 「きのう、ちょっといたかったけど」 一拍。 「お母さんがね、“間違ってごめんなさい”って」 レイラの眉が、ほんのわずかに動く。 鏡越しでも分からないほどの変化。 「わざとじゃないって。 だから、わたし、ゆるしたの」 “ゆるした” その言葉が、静かに落ちる。 「……そう」 声は、完璧だった。 「いまは、もう痛くないよ。ほら」 痣の上で、指を動かそうとする。 「――やめなさい」 強くも、怒ってもいない。 ただ止める。 彩はきょとんとする。 「だいじょうぶだよ? お母さん、ちゃんと謝ってたし」 レイラは、ゆっくりと息を吐いた。 ――二度目。 一度目は、偶然と呼べた。 二度目は、もう違う。 「……彩は、悪くない」 それだけ言う。 彩は、意味も分からないまま、にこっと笑った。 レイラは、そっと袖を整える。 痣が完全に隠れる。 ――これは事故じゃない。 ――取引だ。 レイラの瞳の奥で、何かが静かに切り替わる。 「レイラさん、あと三分です!」 「はい」 レイラは立ち上がり、彩の目線までしゃがむ。 そっと頬をつつき、囁く。 「行ってくるね、彩」 「うん! がんばって!」 レイラは、光の方へ歩いていく。 その背中は、遠くて、まぶしかった。 ――あのとき、私は思ったんだ。 “お姉ちゃんみたいになりたい”って。 2. ショー本番・ステージ上 煌めくランウェイ。 歓声とフラッシュが交錯する。 レイラが登場した瞬間、会場の空気が変わった。 流れるような一歩。 完璧なポーズ。 そのすべてが、“スター”だった。 観客席最前列。 小さな椅子に座る彩は、両手を胸の前でぎゅっと握りしめている。 足元にはランドセル。 制服の上着が、きちんとたたまれていた。 ……お姉ちゃんって、ほんとにすごい。 ステージ端で、レイラが彩にウインクする。 彩の頬が赤く染まり、目を大きく見開いた。 3. ショー終了後・控室裏の廊下 「おねーちゃんっ!」 レイラは、ハイヒールのまましゃがみ、彩を抱き上げる。 「ただいま。どうだった?」 「すっごくかっこよかった! わたしも、ぜったいモデルになる!」 一瞬、レイラは驚いた顔をして。 すぐに、笑った。 「ふふ……じゃあ、約束ね」 小指を絡める。 「いつか、ふたりでランウェイを歩こう」 「やくそくだよ!」 4. その夜・車の中 黒塗りの車。 運転席に歌原和人。 助手席に歌原陽子。 後部座席に、レイラと彩。 彩は制服のまま寄りかかり、眠そうにしている。 足元には、ランドセル。 「ねえレイラ、今月も……例の件、なんとかならないかしら」 「お前が稼いでるから、彩を育てられるんだ。 家族のためだと思え」 レイラは、目を閉じて息を吐いた。 「……振り込みは、明日しておく」 一度は、彩を引き取ろうとした。 二人で生きる未来も、考えた。 でも―― “親権”という鎖を盾に、和人と陽子は彩を渡さなかった。 断れば、また痣が増える。 だから私は、差し出すしかない。 「ほんとレイラは頼りになるわねぇ。 彩にお金かけてあげないと、可哀想でしょ?」 彩が、うっすらと目を開ける。 眠たげに、瞬いた。 レイラは身をかがめ、小さな声で耳打ちする。 「……彩は、私が守るから」 その言葉の意味も、重さも。 幼い彩には、まだわからなかった。 お姉ちゃんの匂いがしてた。 あの頃の思い出は、ずっと光ってる。 でも、 あれが“最後のやくそく”だったなんて、思いもしなかった。 約束を守れなかった悔いと共に、 私の物語は始まった。 ――第2話へつづく。ナレーション 服は。 布を縫い合わせただけでは。 完成しない。 着る人がいて。 歩いて。 呼吸して。 初めて。 服になる。 けれど。 一人のために作られた服だからこそ。 作る人間は。 自分が一番。 その人を見ていると思ってしまう。 ―――――――――― 1.Atelier SAKUMA・午後 静かな工房。 ミシンの音が。 一定の間隔で響いている。 机の上。 糸。 針。 型紙。 裁断された布。 その中央。 白い服が置かれている。 まだ。 完成品ではない。 本番で使う生地でもない。 色もない。 装飾もない。 形だけを確かめるために作られた。 仮縫い。 佐久間圭介は。 服を持ち上げる。 正面。 横。 背中。 縫い目を確認する。 肩の位置。 袖の付け根。 腰から裾へ落ちる線。 何度も。 何度も。 見直す。 「……悪くない。」 小さく。 呟く。 悪くない。 むしろ。 思っていた以上だった。 最初のデザイン画。 展示会の夜。 歌原彩だけを思い浮かべて描いた。 あの一枚。 そこにあった線が。 ようやく。 服の形になった。 けれど。 佐久間は。 すぐに首を横へ振る。 「まだだ。」 まだ。 歌原彩は。 着ていない。 その時。 インターホンが鳴る。 佐久間は。 服をトルソーへ掛ける。 一度。 大きく息を吐く。 そして。 扉へ向かった。 ―――――――――― 2.集まる人たち 扉が開く。 良太。 彩。 その後ろに。 七瀬。 奏。 もちろん。 良太の隣には。 誰にも見えないレイラもいる。 佐久間は。 少し緊張した顔で頭を下げる。 「どうぞ。」 良太 「今日はお願いします。」 佐久間 「こちらこそ。」 彩も頭を下げる。 「お願いします。」 七瀬は。 工房へ入るとすぐ。 周囲を見回す。 トルソー。 生地。 作業机。 照明。 鏡。 そして。 中央に掛けられた白い仮縫い。 足が止まる。
1.与那嶺家・夜 玄関の扉が開く。 「ただいま。」 久しぶりだった。 この時間に。 良太が家へ帰ってくるのは。 少し前まで。 毎日のようにいた家。 五年間。 ほとんど。 ここから出なかった。 それが今は。 帰ってくる方が。 珍しくなっていた。 「おう。」 リビングから。 父親の声。 与那嶺和男。 良太が。 リビングを覗く。 「まだ起きてたのか。」 「まだ九時だ。」 「そうか。」 「お前が帰ってこないから。」 「時間の感覚がおかしくなってんじゃないか。」 良太は。 少し笑う。 「かもな。」 テレビがついている。 ちょうど。 番組が終わったところだった。 画面には。 《RE:CODE MODE CONTEST》 その文字。 良太の足が止まる。 「見てたのか?」 和男が。 テレビを見る。 「特番やってた。」 「へえ。」 「へえ、じゃない。」 良太が。 冷蔵庫を開ける。 水を取り出す。 和男が。 その背中を見る。 「お前。」 「何?」 一拍。 「本当に社長なんだな。」 良太の手が。 止まる。 「今さら?」 「今さらだ。」 和男は。 テレビを見る。 「名前出てたぞ。」 「UTAHARA MODEL OFFICE。」 一拍。 「代表。」 「与那嶺良太。」 良太は。 水を飲む。 「俺だな。」 「お前以外に誰がいる。」 「だよな。」 和男は。 少し黙る。 そして。 良太を見る。 「歌原彩。」 良太の表情が。 少しだけ変わる。 「うん。」 「この子。」 「ずいぶん注目されてるみたいじゃないか。」 「まあ。」 「まあって。」 和男は。 呆れた顔をする。 「日本一を決めるコンテストなんだろ。」 「正確には。」 「ノルディコレクションに出るモデルを決めるコンテスト。」 「同じようなもんだろ。」 「全然違う。」 「俺には分からん。」 良太は。 少し笑う。 「俺も。」 和男が。 良太を見る。 「お前が言うな。」 二人とも。 少しだけ笑う。 でも。 和男の表情は。 すぐに戻った。 「良太。」 「何?」 「大丈夫なのか。」 良太は。 父を見る。 「何が?」 「全部だ。」 一拍。 「つい最近
1.1207号室・午後 「良太。」 レイラが。 突然言った。 《何だ?》 「スタジオと。」 一拍。 「家庭教師。」 《……は?》 良太が。 ノートパソコンから顔を上げる。 《何の話だ?》 「手配して。」 《ちょっと待て》 《何で同時に必要なんだ?》 レイラは。 当然のように答えた。 「彩を歩かせるから。」 《歩かせる?》 「ウォーキング。」 一拍。 「次は、それ。」 良太は。 机の上の資料を見る。 《RE:CODE MODE CONTEST》 開催日まで。 時間はない。 《スタジオは分かった》 《でも》 《なんで家庭教師まで必要なんだ?》 レイラは。 良太を見る。 「ウォーキングの練習には。」 「時間を使う。」 一拍。 「でも。」 「だからって。」 「彩の勉強を。」 「おろそかにはできない。」 良太は黙る。 レイラ 「学校。」 「仕事。」 「ウォーキング。」 「全部やる。」 《無茶じゃないか?》 「だから。」 「時間の使い方を変えるの。」 一拍。 「移動を減らす。」 「勉強は効率を上げる。」 「練習する日は。」 「練習に集中する。」 「休む日は。」 「ちゃんと休ませる。」 良太は。 レイラを見る。 世界を目指している。 でも。 世界のために。 彩の生活を壊すつもりはない。 それが。 歌原レイラだった。 《家庭教師か……》 良太は。 ノートパソコンを開く。 《分かった》 《探してみる》 レイラ 「あと。」 《まだあるのか?》 「スタジオは。」 「鏡があるところ。」 《鏡?》 「できれば。」 「端から端まで。」 「ちゃんと歩けるところ。」 《注文多いな》 「当たり前でしょ。」 《で》 《そこで何するんだ?》 レイラは。 少しだけ笑った。 「私が。」 一拍。 「彩に。」 「ウォーキングを教える。」 良太が。 止まった。 《……お前が?》 「そう。」 《どうやって?》 レイラは。 良太を見る。 そして。 当然のように言った。 「あなたがいるでしょ。」 《俺?》 「私が見る。」 「私が教える。」 一拍。 「私の声を。」 「あなたが彩に届けて。」 2.最初の一歩 数日後。
1.Atelier SAKUMA・夜静かな工房。机の上。何枚ものデザイン画。その横。一台のタブレット。画面には。歌原彩。一枚。指で送る。また。歌原彩。正面。横。後ろ姿。立っている姿。歩いている姿。振り向く瞬間。座っている姿。笑っている顔。何もしていない時の顔。すべて。良太たちから提供された写真だった。服を作るために。佐久間が。歌原彩というモデルを知るために。彩自身も。協力してくれた。「こんな写真でいいですか?」そう言いながら。何枚も撮らせてくれた。佐久間は。一枚ずつ。見ていく。指を止める。歩いている彩。見る。そして。紙へ目を落とす。ペンを走らせる。肩。首元。袖。裾。一度止まる。タブレットを見る。また。描く。「……違う。」紙を横へ置く。次。彩の写真を見る。描く。止まる。「これも。」机の上には。何十枚ものデザイン画が並んでいた。どれも。悪くない。むしろ。自信はあった。二十年。服を作ってきた。独立して十一年。売れなかった。評価されなかった。それでも。服だけは作り続けてきた。だから。分かる。今。自分が描いている服は。決して悪くない。完成度は高い。今まで描いてきた中でも。上位に入る。それでも。佐久間は。首を横に振る。「……違うんだよな。」何が違うのか。分からない。タブレットを見る。そこには。歌原彩がいる。ちゃんと。見ている。そのはずだった。佐久間は。もう一枚。写真を送る。その隣。パソコンの画面。《RE:CODE MODE CONTEST》出場モデル。十六名。御堂玲奈。真壁ミラ。歌原彩。そして。それぞれを支えるチーム。スタイリスト。ヘアメイク。デザイナー。佐久間は。その名前を見る。知っている。この名前も。その名前も。海外コレクション経験者。高級ブランドを手掛けるデザイナー。世界で評価されているブランド。佐久間は。タブレットへ戻る。歌原彩。そして。また。パソコンを見る。《NORDI COLLECTION》アレッサンドロ・ノルディ。世界五大ファッションショー。そのランウェイ。もう一度。彩を見る。描く。世界を見る。描く。ノルディを見
歌原レイラ(25歳)――死まで、あと三年。 妹を守る戦いは、 もう後戻りできない領域へと踏み込んでいた。 1 マンション前・夕方 レイラの部屋で過ごした帰り、 彩はまだ温もりの残る廊下を抜けて、マンションのエントランスに姿を現した。 エントランス前。 建物の影に、数人の記者が静かに待ち構えている。 新人記者 「あ……! 歌原レイラさんの妹さん! 裁判について――」 その瞬間、 ベテラン記者が新人の腕を強く掴んだ。 ベテラン 「やめろ。映像もインタビューも禁止だ」 新人 「え? でも――」 ベテラン 「知らないのか。 レ
歌原レイラ(25歳)――死まで、あと三年。歌原彩(13歳・中学一年生)。妹を守るための戦いは、いよいよ――法の場へと踏み出そうとしていた。1 レイラのマンション・朝白い床の中央。彩は裸足で立っている。足は肩幅より、わずかに狭く。つま先は、ほんの数度だけ外側。レイラ「まず、立ち方」彩は息を整え、背筋を伸ばす。レイラ「踵に体重を置かない。 足の裏、三点。 親指の付け根、小指の付け根、踵」レイラ「そこに“均等に”乗せ
──守るべきものと、切り捨てるもの──歌原レイラ(24歳)――死まで、あと四年。その夜、彼女は初めて「家族」という言葉を、判断の外に置いた。1 歌原家・居間(夜)古びた照明が、テーブルの天板だけを白く照らしている。壁には色あせた家族写真。新聞、空き瓶、使われなくなった家電の箱。片づけられないままの生活の痕跡が、居間を占拠していた。テーブルを挟んで、父・和人と母・陽子。向かいに、歌原レイラ。彩は、廊下の影に身を寄せ、息を潜めて様子をうかがっている。壁掛けテレビには、消音のままランウェイを歩くレイラの姿。世界に向けて流れる映像と、この家の空気は、噛み合っていなかった。
歌原レイラ(24歳)―― 死まで、あと四年。 その春、日本を揺るがした会見の余波は、 妹・彩の未来にも、確かに刻まれていった。 1. レイラのマンション ――アレッサンドロ・ノルディ(49歳)。 イタリアの至宝。 ファッション界の帝王にして、 沈黙そのものが声明と同義の存在。 私は、策を巡らせていた。 二年連続で、 ノルディ・コレクションのクロージングを務めた私が、 その舞台を辞退すれば―― 彼は、きっと何かしらの反応を示す。 たとえ沈黙であっても、 それは私を肯定する証になるはずだった。 しかし――。 まさか、来日し、 首相の隣に立って、 私について語る