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第2話

Author: 莉里
千春の口調があまりにも冷たく、透真の胸は不意にざわついた。

「千春……ごめん。怒らないでくれ。これからはもっと早く帰る。約束するよ。君が許してくれるなら、俺は何だってする」

ただ帰りが遅くなっただけ――それだけのことなのに、透真は千春を抱き寄せ、必死に機嫌を取ろうとする。

まるで、この世でいちばん大切なのは彼女の気持ちだと言わんばかりに。

千春には、それが分からなかった。

そこまで自分を愛しているというのなら、どうして裏切ったのだろう。

その答えを知りたくても、あと15日間は何も知らないふりをして、この芝居を続けなければならない。

胸を締めつけるような痛みを必死に押し殺し、千春は静かに首を横へ振った。

「本当に怒ってないの。ただ……私のこと、そんなに気を遣わなくてもいいんじゃないかって思っただけ」

透真は困ったように笑う。

「そんなふうに言わないでくれ。俺は君を愛してるし、君のことは、何よりも大切だと思ってるよ」

そう囁きながら、甘い言葉を耳元へ落としていく。

千春は何も答えなかった。

そのとき透真の視線がふと彼女の首元へ向く。

「あれ……千春、ネックレスは?」

あのネックレスは、佳代子が姿を消す前に残してくれた唯一の形見だ。千春が何よりも大切にしていて、一日たりとも外したことがないことを、透真も知っている。

千春の肩がわずかに強張る。視線を伏せたまま、小さく答えた。

「壊れちゃって……修理に出してるの」

その表情を見た透真は、彼女の元気のなさは母親を思い出したせいだと勘違いしたらしく、優しく彼女を宥める。

「大丈夫、きっと直るよ。だからそんな顔しないで。それに、お義母さんだって、きっといつか君のそばに戻ってくる。

突然姿を消したとはいえ、俺は一度だって探すことを諦めなかった。人が何の理由もなく消えるなんてあり得ない。きっとどこかで生きているはずだ。

だから信じてくれ。必ずもう一度お義母さんに会わせてあげるから」

千春は苦々しく笑った。

――その通りだ。自分はもうすぐ母に会える。

「……お父さんは?最近、調子はどう?」

千春はそう聞くと、透真は少しだけ言葉を詰まらせ、小さく息を吐いた。「特に変わりはないよ。入院してから、意識ははっきりしないし、毎日、お義母さんの名前ばかり呼んでる」

「そう、自業自得ね」

千春は噛みしめるように言った。

そして、ゆっくりと顔を上げる。

その視線を受けて、透真の表情がわずかに強張る。

「透真。私はね、お母さんと同じタイプなの。結婚式の日に話したでしょう?もしあなたが私を裏切ったら、私も消えるって。あなたには、二度と見つけられない場所へ行くから」

その言葉を聞いていくうちに、透真の胸は理由のわからない不安で締めつけられていく。

――これ以上聞きたくない。

そう思ったのか、彼は慌てて千春を強く抱きしめ、迷いのない声で言う。

「俺は絶対に君を裏切らない。君がお義母さんみたいにいなくなるなんて、絶対に許さない」

もう一度そう誓う透真を見つめながら、千春は静かに問いかけた。「……もし、私がいなくなる日が、本当に来たら?」

「そんな日は来ない。もし本当に君がいなくなったとしても――世界の果てまで追いかける。命を懸けてでも、必ず見つけ出す」

その言葉はまるで、やがて訪れる未来を暗示しているかのようだった。

千春はそっと目を閉じる。

そして、誰にも届かないほど小さな声で呟いた。

「……その日が来るのを待ってるわ」

「え?」

聞き取れなかった透真が、不安げに聞き返す。

千春は静かに首を横へ振ると、彼の腕の中からそっと身を離した。

「何でもないわ」

そう言い残すと、そのまま寝室へ向かって歩き出した。

翌朝早く、玄関のチャイムが鳴り、千春と透真はその音で目を覚ました。

透真がドアを開けると、スーツケースを手にした七瀬美夏(ななせ みか)が立っていた。潤んだ瞳を向けるなり、甘えるような声で言った。

「おはよう、透真さん。実は昨日、家にゴキブリが出てて、怖くて眠れなかったの。だから、何日かここに泊めてもらえない?」

透真は即座に断った。「悪い、それはちょっと困る。千春は他の誰かと一緒に住むのが苦手なんだ。ホテルに泊まってくれないか?」

その一言で、美夏はあからさまに肩を落とし、今にも泣きそうな顔になる。

「そんなぁ……助けてくれないなら、お兄ちゃんに言いつけてやる!ちゃんと私の面倒を見るって約束したのに……女の子一人でホテルだなんて危ないでしょ?何かあったらどうするの?」

透真は眉間を押さえ、深くため息をついた。「そう言われてもなぁ……」

少し離れた場所で、千春はそのやり取りを静かに眺めていた。

昨夜まであれほど親密な時間を過ごしていた二人が、今は何もなかったふりをして芝居を続けている。その白々しさに呆れて、もう驚きもしなかった。

透真では埒が明かないと判断したのか、美夏はすぐに千春へ向き直り、今度は上目遣いで頼み込む。「千春さん、数日だけでいいから、泊めてくれない?絶対迷惑をかけないって約束するよ」

千春は彼女を一瞥して、淡々と言った。「構わないわ。どうぞ」

「やった!ありがとう、千春さん!」

美夏はぱっと笑顔になり、そのままスーツケースを引いて家の中へ入っていく。

遠慮する様子もなくダイニングテーブルへ向かうと、並べられたサンドイッチを見て目を輝かせた。

「もしかして、これ全部透真さんが作ったの?すごーい!」

手を伸ばしかけたその瞬間、透真は軽くその手を払い、皿を千春の前へと移動させる。

「食べたいなら使用人に新しいのを作ってもらう。これは千春の分だ」

美夏は唇を尖らせ、不満そうな顔のままキッチンへ入った。

けれど千春も、目の前の朝食には手をつけなかった。

それに気づいた透真が、すぐに声をかける。

「千春、どうした?朝食、口に合わなかった?」

千春は小さく首を振り、適当な理由をつけた。

「ううん。ただ……今日は東町にあるあのパン屋さんのクロワッサンが食べたくて」

「分かった。今買ってくるよ」

透真は迷うことなく車の鍵を手に取り、玄関で靴を履き替え始めた。

ちょうどキッチンから戻ってきた美夏も、その言葉を聞き逃さなかった。

「私も一緒に行く!今日はサンドイッチの気分じゃないの」

そう言うなり、楽しそうに透真の後を追って外へ出ていく。

二人が並んで去っていく後ろ姿を見送りながら、千春はかすかに苦笑した。

……

30分が経っても、透真はまだ戻ってこない。

胸の奥に嫌な予感が広がり、千春はスマホを取り出して、車内も映るドライブレコーダーの映像を確認した。

読み込みが終わるよりも早く、静まり返った部屋に甘く乱れた吐息が響いた。

「っ……透真さん、だめ……そんなに激しくしたら……」

狭い車内。

ついさっきまで言い争っていた二人は、今は何も身につけず、互いの身体を強く求め合っていた。

透真は荒々しく腰を打ちつけながら、美夏の細い腰を強く掴む。その目も赤く染まっていた。

「これくらいじゃなきゃ満足できないんだろ?まったく……俺はお前の兄貴の親友なんだぞ?なのに色目を使って、それでも飽き足らずに堂々とうちへ転がり込んできた。結局、お前は俺としたいだけなんだろ?」

吐き捨てるように言い放つと、透真はさらに低い声で続けた。

「よく聞け。俺はお前を愛してなんかいない。お前はただの遊び相手だ。

……千春だけは絶対に傷つけるな。俺たちのことを千春に知られるような真似をしたら――その時は容赦しない」

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