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第8話

Author: 莉里
千春がこの世界からいなくなるまで、残り2日。

透真は、今日も帰ってこなかった。

けれど千春は知っていた。今日は美夏の恋人役として、ダンスパーティーに出席しているのだと。

彼の行き先を尋ねることはしなかった。代わりに家事代行のスタッフを何人か呼び、家の片づけを始めた。

正確には――自分の痕跡を、綺麗に消してもらった。

タオルや歯ブラシ、マグカップのような小物から、服や化粧品、アクセサリーまで。値打ちのないものは処分し、まだ使えるものはすべて慈善団体へ寄付した。

少しずつ空になっていく家を見つめながら、千春の心も落ち着いていく。

もう二度と、自分を裏切った人間のために悲しんだりはしない。

未練も、何一つない。

……

その夜も、雪が降った。

千春は暖炉の前に座り、2本の動画を作った。

1本目は、透真と過ごしたこれまでの日々。恋人だった頃から結婚後まで、二人の幸せが詰まった映像。

そして2本目は――美夏がこの数日送りつけてきた、透真との情事の動画だった。

編集を終える頃には、空は白み始めていた。

千春はその二本の動画をセンタースクエアの大型ビジョンを管理する担当者へ送り、送金とともにメッセージを添える。

【明日、私が指定する時間帯で、この二本の動画を市内すべての大型ビジョンで流してください】

……

最後の一日――

朝、目を開けると、目の前には透真がいた。

頬へ優しく口づけを落とし、満面の笑みで囁く。「千春、お誕生日おめでとう!」

その言葉で、千春はようやく思い出した。

今日は自分の26歳の誕生日。

そして同時に――この世界から、自分が消える日でもある。

飾り付けられたリビング。大きなバースデーケーキ。

その光景を見て、千春は苦笑する。

こんな芝居を続けるのは、疲れないのだろうかと問いかけたい。

ついさっきまで美夏と抱き合っていたのに、家へ戻れば何事もなかったように自分にキスした。

そんなことが、どうしてできるのだろうか。

ベッドから起き上がると、千春は静かに尋ねた。「最近は忙しいんでしょう?本当に今日は一緒にいてくれるの?」

透真は優しく彼女の髪をなで、目を細めて笑う。「何言ってるんだよ。俺にとって、千春は一番大事だし、今日は君の誕生日なんだから、たとえ世界が滅んでも君と過ごすよ」

千春は微笑んだだけで、何も言わなかった。

その日一日、透真はずっとキッチンに立っていた。

前菜からデザートまで、フルーツや飲み物まで、すべて彼が一人で用意した。

不意に、テーブルの上に置かれた透真のスマホが鳴る。

画面には、美夏からのメッセージ。

千春はこっそりロックを解除し、内容を確認した。

トーク画面には、メイド服姿で鏡越しに撮った自撮り写真と、短い一文があった。

【今日は安全日だから、つけなくても大丈夫だよ】

千春は一目だけ見て、静かにスマホを元の場所へ戻した。

午後6時半。20品もの料理が食卓いっぱいに並ぶ。

透真は嬉しそうに手招きした。「おいで、千春。俺の手料理を味見してみて」

千春は席につき、そのまま彼へスマホを差し出した。

「さっきから、ずっと鳴ってたよ」

「放っておけば――」そう笑いながら言った透真だが、スマホ画面に表示された内容を見た瞬間、表情が固まる。

瞳が揺れ、呼吸もわずかに乱れた。

千春は黙って彼を見つめる。

数秒の沈黙のあと、透真はスマホを伏せ、申し訳なさそうに笑った。

「千春、ごめん。会社でちょっとトラブルがあったみたい。様子だけ見てくる。先に食べていてくれる?2時間で戻るから」

千春は静かに問い返す。「……2時間で、満足できるの?」

「え?」

聞き返す透真に、千春は首を振った。

「ううん、何でもない。行ってきて」

――透真、美夏のところへ行けばいい。

今日が、あなたと私が一緒に過ごす最後の日だなんて、知らなくていい。

15歳の透真は、千春の心を攫った。

けれど26歳の透真は、永遠に千春を失う。

車が走っていくのを見届けると、千春もゆっくり家を出た。

降り積もった雪は深く、一歩進むたび足を取られる。

それでも彼女は歩き続ける。

センタースクエアにある巨大な街頭ビジョンの前までたどり着くと、腕時計に目を落とし、担当者へ最後のメッセージを送った。

【時間です。流してください】

午後7時。巨大スクリーンが静かに点灯する。

最初の映像が映し出された瞬間、辺りを歩いていた人々が次々と足を止めた。

千春は少し離れた場所からその光景を眺め、そっと手を差し伸べる。

舞い落ちた雪が、白く透き通る花びらのように掌へ降り積もった。

その瞬間――人気のない街角に、あの無機質な声が響く。

「時空転送ゲートを起動します。カウントダウン開始――5、4、3、2、1」

カウントが終わると同時に、突風が吹き荒れた。巻き上げられた雪が街全体を白く飲み込み、視界は完全に閉ざされる。

3分後。

風は止み、吹雪も静まった。

そして――ほんの数分前まで千春が立っていたその場所には、もう誰の姿も残っていなかった。

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