LOGIN双子の世話をする代わりに伯爵家に居候をするローティシアは、侘しい日常の中で、騎士と姫や王子と姫のロマンスを妄想することを楽しみにしていた。それは、自分には縁遠い世界で、いずれは修道院へ入り、ずっとこの夢を胸に抱いたまま、ただ穏やかに生きていくのだ、とそう思っていた。 ところが、ひょんなことから嫁探しをしていた辺境侯爵に見初められてしまう。ローティシアは、これから始まるのは、愛のない結婚生活だとばかり思っていたが‥‥ 孤独で夢見がちな乙女と愛に懐疑的な侯爵が織りなす紆余曲折の夫婦譚
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その騎士は金の髪を風になびかせながら、手を差し出した。
「迎えに来たよ、ローティシア」
姫でありながらその出自を隠し、ローティシアは山間の村に逃げ延びていた。騎士はそう言ってローティシアを馬上に引き上げると、その胸に強く抱き寄せた。
「もう逃げることはないローティシア。私がお前を守ってやる」
男は、過去にローティシアを慕い、忠誠を誓った騎士だった。
「さぁ、ローティシア、手を取って‥‥」
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「――ローティシア‥‥ローティシア、ティッシュ!」
ローティシアは、目の前の眉を吊り上げた夫人のキンキンとした声ではっと我に返った。
「ティッシュ!何をぼんやりしていたの? さっきから何度も呼んでいるのに。まったく、あなたときたら」
目の前の女性は、そう言って不愉快そうに鼻を鳴らした。
「ブルックとブルーノに着替えをさせて頂戴。お客様が見えるの。着替えが終わったら、部屋で待たせておいて。くれぐれも部屋の外を、子どもたちに走り回らせないようにしてね。大事なお客さまだから!」
取り繕うような笑顔を浮かべて、ローティシアは夫人に微笑んで見せた。
「わかったわ、アビゲイル」
ローティシアの笑みに、まったく笑顔を返すことなく、夫人は子ども部屋を去って行った。目の前で兵士のおもちゃを並べて、戦争ごっこをしている双子の男の子に目を戻す。
「ブルック、ブルーノ、お母さまの言っていたことは聞こえたわね。お客さまがお見えになるそうよ。さぁ、お着替えをしましょうか」
「お客さまって誰かな。モーリーかな。また、リンゴ持って来てくれるかな」
ブルックが兵士の人形を手に掴んで、そう言う。モーリーはお屋敷の厩番だ。
「モーリーは屋敷に入れないだろう?この間お母さまが言ってた。外の使用人だからって」
同じ顔でブルーノが置いてある城の兵をツンと指で倒す。
「そうね、モーリーではないでしょうけれど、とても大切なお客さまとおっしゃっていたわ。あなたたちもご挨拶が必要な方だから、何かお土産があるのかもね」
そうほほ笑んで言うと、子どもたちは、お土産!と目を輝かせた。『さぁさぁ、お片付けをして素敵な格好をしましょうね』と殊更に浮かれた調子で声をかけ、その勢いでやんちゃな少年たちを支度に駆り立てた。
セオドアは、2か月ぶりにローティシアに会いに来て、その姿に目を奪われた。髪は以前と同じように隙なくまとめられているが、体に合った淡いラベンダーのドレスを纏った彼女は――実に可憐で美しかった。2か月前、ドラグナ側に怪しい動きがあり、一度辺境へ戻る必要があった。城へ帰ると家令のドーバンにつかまり、侯爵夫人を迎えるための準備についてしつこく相談された。帝都に戻れば、今度は辺境での対応について皇帝との話し合いに追われ、皇宮に缶詰めにされた。本当は、ギリギリまで皇帝には隠しておきたかったのだが、このままでは結婚式前日までローティシアに会うことが叶わなくなりそうだと感じ「婚約者の顔を見に行きたいのだ」と皇帝に打ち明けた。すると、「なんだ、仕事から逃げるためにそんなウソまでつくようになったのか」と最初は全く取り合ってもらえなかった。クロードの姪と婚約をして来月には結婚して辺境に戻る、その前に皇室の夜会には挨拶に連れて来る、と伝えると「今すぐに連れて来い! そうでなければ婚約者はお前の脳内にしか存在しないものとして結婚の許可は出さん! 」と無茶苦茶なこと言われた。こうなるから言いたくなかったのだ、とため息が出た。目の前に座り、うっすらと笑みをたたえている彼女は、儚く見えてまるでこの世にいないようだった。自分の問いかけに応える時は、すべての感情を隠したかのような表情で短く答える。時々、ふっと遥か遠い場所を眺めるような空気を纏い、すぐ近くにいるのに手の届かないところに行ってしまったようになる。つかみどころが無くて、どうして良いかわからなくて自分に苛立つ。従順でおとなしいことは、自分が望んだ条件だったはずなのに。2か月も会いに来なかった自分に、なぜこんなにほったらかしだったのか、と怒って問いつめてくれれば良いのにとさえ思ってしまう。彼女はそんなそぶりさえ見せない。「では、3日後の夕刻にこちらへ迎えに参ります」そう言って、彼女の手を取ってその甲に口づけを落とす。自分にとっては当たり前の
「ローティシアさんは、あの有名なフェアファックス将軍とご結婚なさるのですってね。アビゲイル様に聞きました。おめでとうございます」目の前でカテリーナが弾んだ声をあげる。ローティシアはずきずきと痛む頭で、小さく、ありがとうございます、と答えた。今朝は客間で目が覚めて、一瞬自分が死んで違う世界へ飛んで来れたのかとドキドキしてしまった。残念ながらそんな物語のようなことは、現実には起こらない。どうやらワインを飲んで倒れてしまったらしい。お水をもらいに食堂へ行った時に使用人のマギーが教えてくれた。応接室から近い客間へ閣下が運んでくれたそうだ。「ねぇ、ロッティ。ロッティは結婚してここを出て行っちゃうってお母さまが言ってたの。本当?」ブルーノが、カテリーナとの会話を聞いて兵士の人形を手に聞いてきた。「まだ、もう少し先のお話になるけれど‥‥そうなるみたい」微笑んでそう答えると、ブルーノの目に涙が溜まる。「いやだ!ロッティがいなくなったら絶対に嫌だよ!」涙をポロポロと流し始める。「仕方ないだろ。ロッティにもロッティの幸せがあるんだから!」ブルックが怒ったように、大人のような言葉を吐く。でも、その瞳もウルウルとしている。ローティシアもつられて泣きそうになったが、気づくと横でカテリーナが号泣し始めたので、その涙は引っ込んだ。「ぐぅぅぅ、なんていい子たちなんでしょうかぁぁ」子どもたちの泣く姿を見て、カテリーナは鼻水を垂らしながら嗚咽を漏らす。その姿にローティシアは、彼女が子どもたちを見てくれるのなら何の心配もいらない、と感じた。そして、泣き笑いしながら、3人をなぐさめた。◇◇◇結婚式は3か月先の社交シーズンの最終週に執り行うことになり、帝都の聖堂で近親者だけが参列することになった。結婚までにいくつかの夜会への出席と皇帝陛下への謁見は絶対にしなくてはならいということになり、急遽、家庭教師がついて毎日淑女教育にいそしんだ。マナーは、それなりに格好がつくようになりそうだが、ダンスには絶望しか湧いてこない。もともとそれほど活発に動くほうではないので筋力が無い上に、人と体を近づけてリズムに合わせて動くのは至難の技だ。これを難なくやれてしまう令嬢方は本当に凄いと感心してしまう。「レディ!顔は体の進む方向に向けるのです。下を向かないで!」ダンス講師のムッシュ
翌朝、クロードに執務室へと呼ばれた。家を出て行くように切り出される前に、必ず縋りついてでも紹介状の話を切り出さなくてはと身構えていたところへ、家令に伴われて閣下が部屋に入って来た。会うのは先日の庭園での散策以来だ。気まずさを感じたのはローティシアだけのようで、入って来た閣下は、ちらりとローティシアを見ると、クロードに向き直って話を始めた。「クロード、先に話をしてくれただろうか。あまり時間が無いので」「昨日の今日じゃないか。おまえが来るのが早すぎるんだよ」ブツブツと小言を言いながら、クロードは困ったような表情でローティシアの方を向いた。「ローティシア、君が我が家の子どもたちを気にかけてくれているのはとても嬉しいよ。アビゲイルがそれを気にして、とても良い子守を見つけて来てくれた。子どもたちのことは抜きにして、テオとのことを考えてくれ。この結婚の申し出を受けたいと思っているかい?」一瞬、言葉が横滑りして入って来なかった。どうやらまだ、閣下との結婚の話は繋がっていたようだ。断る理由は、ひとかけらも無くなった。この状況で断って、その後クロードに教会への紹介状のお願いなどできるはずもない。そもそも自分には選ぶ自由は無かった。ならば、少なくとも望まれる方へ行く方がいいのではないだろうか。たとえ、その先が寂しく悲しい毎日だったとしても。いや、きっと子どもがいればそうはなるまい。「‥‥閣下が‥‥私を望んでくださるならば、そのように」顔を上げることができず、小さい声で答えた。「そうか、ローティシアがそう言ってくれるならば私もその準備をしよう」クロードの声が聞こえた。俯いたままじっとしていると、目の前の絨毯に影がおちた。「レディ・ローティシア。私の申し出を受けてくださって感謝する。どうかあなたが不自由のないように、できる限りのことをしよう。どうか、私と一緒に辺境へ来てください」そう言って跪くと、ローティシアの手を取ってその薬指に大きな青い石のついた指輪をはめた。ローティシアは返事をするために口を開くと涙を落としてしまいそうだったので、ぐっとこらえて頷くだけにした。この涙はなんの涙だろうか。この数日であまりにいろいろなことがありすぎて、困惑した胸の中では自分の気持ちさえよくわからなくなっていた。促されてソファに座り、クロードと閣下のする結婚に関す
セオドアは、帝都の別邸の自室で、今日の会話を思い返していた。やはり、若い女性に辺境へ嫁に来いというのは厳しい話なのだろう。3年待って欲しい、というのは、この話は無かったことにして欲しい、ということだ。自分を見上げていた青とも灰とも言えない薄い空のような透き通った瞳を思い出していた。噴水のところで濡れた彼女の体を抱き上げた時、時代遅れの灰色のドレスの下の隠れた体のラインに気づき妙に胸がざわついた。化粧っけのない顔は、まるで厳粛な修道女のようではあったが、よく見れば薄桃色の瑞々しい唇は煽情的ですらあった。無理のある話だとはわかっていた。何も知らぬ娘が侯爵家に嫁ぐなど腰も引けるだろう。だが、セオドア自身も、少しずるく考えていたのだ。彼女が伯爵家で肩身の狭い思いをしているのならば、もしかしたら、そこを出たいと思っているかもしれない、と。だとしたら、この申し出を喜んで受けるのではとそう考えたのだ。3年待って欲しい、と告げたその目は思っていたより意思の強いものだった。しかし、3年も待つことはできない。辺境の緊迫はまだ少しも緩まず、気を許せばいつまた戦場になるかわからない。そうなれば、次にいつ侯爵家の跡取りについて考えることができるようになるかもわからないのだ。もし戦場で自分が命を落とすことになれば、辺境領の後をだれが継ぐかで国内が騒然とするだろう。そうなればますます外に対しての隙を作ってしまう。どうしてもこの社交シーズン中に花嫁を決め、冬になる前に辺境へ伴わないといけない。ローティシアの見上げた瞳と、その不安げな声を思い出した。なぜこんなにも彼女が気にかかるのだろう。冷静に考えれば他にも条件に合う女性はいるのだ。淑女教育を受け、侯爵夫人として領を切り盛りすることのできる女性はいくらでもいる。しかし、セオドアは、子どものために自分が噴水に落ちるのも気にかけない、彼女のその姿が心に残って仕方がなかった。◇◇◇翌日、グーテローワン家に新しい子守の女性がやってきた。年齢はローティシアの2つ上の22歳で子爵令嬢だという。「我が家は兄弟が多くて、子どもの世話は慣れているんです。子どもが好きですし、子爵と言っても貧乏貴族ですから。将来は、教師になりたいと思っていて」明るく笑顔でそういうカテリーナを、ローティシアは笑顔の裏で悲しい気持ちを抱えて見つめてい