LOGIN母はよくこう口にしていた。「子供は若枝と同じ。ちゃんと剪定してやらないと、すぐに歪んで育ってしまう」と。 高橋雫(たかはし しずく)――つまり私は、その「剪定」の末に、幹だけを残してすべてを切り落とされた木だった。 5歳の頃から、嬉しい時に笑うことは許されなかった。「調子に乗るな」と叱られるからだ。 誰かにいじめられても、泣いてはいけない。「火のない所に煙は立たない。お前にも隙があったからだ」と責められるからだ。 テストで98点を出しても、両親が口にするのは決まって「あとの2点はどうして落としたの?また気が緩んでるんじゃない?」という詰問だけ。 親戚が私を「いい子ね」と褒めてくれても、両親は皆の前で平然とこう遮る。「外で猫を被ってるだけですよ。家じゃだらしなくてゴロゴロしてばかりなんだから、騙されないでくださいね」 いつしか私は、自分の感情をすべて心の底に押し殺し、両親が満足する「完璧な作品」として生きる術を身につけた。 19歳になった年の瀬。伯母の裕子(ゆうこ)が、こっそりと10万円が入ったお祝いの封筒を握らせてくれた。 「もう大人なんだから、自分でお金を管理するお勉強をしなさい」 私は人生で初めて、そのお金を両親に没収されず、自分の手元に隠し持った。 しかしその日の夜。父はマイナスドライバーを手に、私の目の前で机の引き出しの鍵をこじ開けたのだ。 父は中から封筒を引っ張り出すと、「やっぱりな」と勝ち誇ったような目を向けた。「どうも様子がおかしいと思ったんだよ。お前、すっかり性根が腐っちまったな」 母はその10万円を全額電子ギフトに換え、親族のグループLINEにばら撒いた。 【雫が恩知らずにも、目上の方からのお金を隠し持っていました。こんな汚いお金、我が家の家風にはそぐいません。雫の謝罪代わりに、皆様で分けてください】 画面を埋め尽くす「ありがとう」のスタンプと、「相変わらず教育熱心ね」という親戚たちからの称賛のメッセージ。 私はそのスマートフォンを見つめながら、ふっと笑い声を漏らした。 ――それが、私がこの家で見せた最後の笑顔になるとも知らずに。
View Moreあの大火事の後、二人は完全にすべてを失った。仕事をクビになり、家は焼け落ち、わずかな貯金も大家への損害賠償や延焼の慰謝料などで綺麗に底をついた。二人がようやく流れ着いたのは、日当たりも悪くカビ臭い、家賃3万円の四畳半のボロアパートだった。さらに恐ろしいことに、彼らの精神は完全に崩壊し始めていた。母はいつも何かに怯え、ブツブツと独り言を呟くようになった。常に私がそばにいると思い込んでいるのだ。道を歩いていて赤いパーカーを着た女の子を見かけると、いきなり駆け寄って「雫!」と抱きつく。そして不審者として突き飛ばされ、「気狂い」と罵られ、時には殴られることもあった。彼女は街中でゴミを漁るようになった。拾い集めた空き缶やダンボール箱を、狭いアパートの部屋にきっちりと整頓して並べていく。並べながら、うわ言のように繰り返すのだ。「これは雫の本。こっちは雫のおもちゃ。捨てちゃダメ、捨てたら雫が怒るから……」彼女は、かつて自分が心の底から見下し、馬鹿にしていた「底辺の人間」そのものに成り果てていた。一方の父は、重度のアルコール依存症になった。毎日浴びるように安い酒を飲み、路上で泥酔しては管を巻いている。すれ違う見知らぬ人の胸倉を掴んでは、「俺はあいつのためを思ってやったんだ! 俺が間違っていたとでも言うのか! 俺のどこが悪かったんだ!」と喚き散らした。誰も彼を相手にしない。誰もが疫病神でも見るように、彼を避けて通った。ある日、酔っ払った父が地元の中学校の近くを通りかかった。ちょうど下校の時間帯だった。リュックを背負って歩く生徒たちを見ていた父は、突然一人の女子生徒に駆け寄り、そのリュックの肩紐を乱暴に掴んだ。「胸を張れ! 前を向いて歩け! 猫背にするんじゃない、みっともない!」父は怒鳴り上げ、手を振り上げてその生徒を殴ろうとした。しかし次の瞬間、駆けつけてきた見回りの男性教員と警備員に取り押さえられ、地面にねじ伏せられた。「このイカレ野郎! 生徒に何をする気だ!」激しく抵抗したせいで、父は大人たちから容赦なく殴りつけられ、制裁を受けた。泥まみれの地面に組み敷かれ、口の端から血を流しながらもがいていた父は、ふと視線を上げた。怯えて泣きじゃくる女子生徒が、自分を見下ろしている。その瞳に
彼らは郊外の古い一軒家に戻った。長年誰も住んでいなかったため、家の中は埃とカビの臭いが充満していた。電気もガスも止められたままで、氷室のように底冷えがする。「全部……全部あのクソガキのせいよ……!」母は埃まみれのソファに腰を下ろし、ついに感情を爆発させた。「あの子は私たちの人生をぶち壊すために生まれてきた疫病神よ! 死んでまで私たちを苦しめて! 私たちをこんな目に遭わせて、あの子は地獄で満足してるって言うの!?」母はテーブルの上にあった湯呑みを手に取り、床に力任せに叩き割った。「私が苦労して19年も育ててやったのに! ご飯を食べさせて、服を着せてやったのに! その恩返しがこれなの!?」今に至るまで、母はまだ私を恨んでいた。彼女の心には、一片の後悔もなかった。ただ、自分の平穏な生活を、立派な名声や世間体を台無しにされたことだけを恨んでいた。父は傍らに座り、煙草を根元まで吸い込んでは、次から次へと新しい火を点けていた。紫煙の中で、その表情は陰鬱に沈んでいる。「……なぁ、小百合」不意に、父がしゃがれた声で口を開いた。「もしあの日……あの10万円を取り上げなかったら……あいつは死なずに済んだのか?」母はハッと息を呑んだ。事件以来、彼らが初めて「問題の核心」に触れた瞬間だった。だが次の瞬間、母はそれを激しく否定した。「あり得ないわ! お金なんか関係ない! あの子は根っから腐ってたのよ! 自分勝手で、精神が弱くて、少しの試練にも耐えられなかっただけよ!」母は金切り声を上げた。まるで大声で怒鳴ることで、自分の心の奥底から湧き上がる疑念と罪悪感を掻き消そうとするかのように。私は部屋の隅から、その滑稽な姿を見下ろしていた。本当に哀れな人たち。自分が間違っていたと認めることは、死ぬよりも苦しいことなの?いいよ。それなら私が、あなたたちに認めさせてあげる。今夜は初七日。死者の魂が、現世の家に戻ってくると言われる夜だ。郊外の古い家は配線が傷んでいるのか、裸電球の光がチカチカと不気味に明滅していた。隙間風がガタガタと窓ガラスを揺らし、人の泣き声のような気味の悪い音を立てている。両親はソファに縮こまり、二枚の毛布を被ってもまだ寒さにガタガタと震えていた。「ねえ、あなた……
両親の顔写真、勤務先、果ては個人の携帯番号までもが晒し上げられた。母は地元の中学校の教頭で、日頃からSNSで「正しい子育て論」を偉そうに語るのが趣味だった。今、彼女のコメント欄は大炎上していた。「人殺し! お前が教師を名乗るな!」「顔からして性格の悪さが滲み出てるわ。娘さんが可哀想」「子供を盆栽みたいに剪定した結果がこれ? 木が枯れて満足か?」「こんな奴が教育者とか世も末。即刻クビにしろ!」父は市役所の課長職で、日頃から権力を笠に着て威張り散らすのが大好きだった。今、彼の職場の入り口には「人殺し」と書かれた不気味な怪文書が何枚も貼り付けられ、抗議の電話が一日中鳴り響いていた。数日後、両親は一旦釈放され、自宅へ戻ってきた。虐待罪の立件にはさらなる裏付け捜査が必要で、勾留期限が切れたためだ。しかし、彼らが戻った家は、すでに「家」ではなかった。玄関のドアには赤いペンキで『人殺し』『死んで詫びろ』と書き殴られ、鍵穴には接着剤が詰められていた。彼らはドブネズミのように、家の中に隠れて一歩も外に出られなくなった。昼間からカーテンを分厚く閉め切り、電気をつけることすら怯えている。スマホは絶え間なく鳴り続け、見知らぬ番号からの無言電話や、罵詈雑言のメッセージが殺到していた。「狂ってる! ネットの連中もマスコミも、どいつもこいつも異常だ!」父はスマホを床に叩きつけ、血走った目でリビングをウロウロと歩き回った。「俺はあいつの親だぞ! 親が子供をしつけて何が悪い! なのに赤の他人がしゃしゃり出てきやがって! 今の世の中はどうなってるんだ、法律ってもんがないのか!」父はまだ、そんな虚勢を張っていた。怒りを撒き散らすことで、心の奥底にある巨大な恐怖から目を背けようとしているのだ。母はソファの隅で膝を抱えて丸くなり、ボサボサに乱れた髪の隙間から怯えた目を覗かせていた。「あなた……教育委員会から電話があったわ……無期限の停職処分にするから、自宅謹慎しろって……」「俺のところもだ……役所から、当面出勤するなと言われた……」父はドサッとソファに崩れ落ち、両手で頭を抱え込んだ。「終わりだ……俺たちの人生、全部終わりだ……」私は天井から、その無様な姿を見下ろしていた。終わり?いいえ、まだ終わっ
取調室の照明は、青白く無機質だった。それは生前、私がこの家で無数に受けてきた「家族会議」という名の尋問とひどく似ていた。ただ一つ違うのは、今回パイプ椅子に座らされているのは、彼らの方だということだ。「虐待なんてとんでもない! 俺はあいつのためを思ってやったんだ!」父は机をバンバンと叩き、刑事の追及を大声でねじ伏せようとしていた。「厳しくしつけるのは親の務めだろうが! 愛の鞭だ! 俺が叩いてやらなかったら、あいつがまともな大学に行けたとでも思うのか!」刑事は黙って、束になった写真を父の目の前に叩きつけた。それは、私の遺体を撮影した検視報告書の写真だった。背中、脚、腕。全身を隙間なく埋め尽くすような内出血の青アザ、煙草の火を押し付けられた火傷の痕、ベルトのバックルでえぐられた傷跡。目を背けたくなるような惨状だった。「これが、娘さんのためを思ってやった結果ですか」刑事の声には、隠しきれない怒りが滲んでいた。「検視の結果、ご遺体の左肩には粉砕骨折が見られました。死の数時間前に加えられたものです。これも、娘さんのためですか?」父はその写真を見て、唇を微かに震わせたまま、ついに押し黙った。隣の取調室では、母が泣いていた。だがそれは後悔の涙ではなく、自分が被害者だと言わんばかりの同情を引くための涙だった。「刑事さん、あなたたちには分からないんです。あの子は本当に腹黒くて、これは私たちへの復讐なんですよ! わざと元日に死んで、親の顔に泥を塗ろうとしたんです! 本当に性根の腐った子なんですよ!」母はハンカチで涙を拭うふりをしながら、まだ私の罪状を数え上げていた。「目上の人からお金を隠して、嘘をついて、挙句の果てには家出しようとしたんですから……私は親として、責任を果たしただけなんです!」その時、取調室のドアがバンッと激しく開け放たれた。一人の女性が飛び込んできた。裕子伯母さんだ。髪は乱れ、目は泣き腫らして真っ赤になっていた。その手には、私に渡すはずだったお土産の紙袋が握られていた。裕子伯母さんは母の顔を見るなり、狂ったように飛びかかった。パァンッ!耳を打つような甲高い音が響き、母の頬に渾身の平手が炸裂した。その一撃には、裕子伯母さんが何十年も溜め込んできた怒りと恨みが込められていた