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04-2

last update publish date: 2025-10-14 08:14:25

「自分のいる物語を選べない人間にとっては、それは救いになるんだろうな」

「選べない……ですか?」

「ああ。与えられた役を、ただ演じ続けるだけの人生もある」

自嘲するような、それでいてどこか諦めたような響きが、彼の声にはあった。

「背負い込んだ責任と役割は、投げ出せるものではない。だがそうしていると時々、分からなくなるんだ。何が本当に大切で、何を守りたいのか。俺は何をするべきなのか」

彼の横顔に浮かぶ寂しさと苦悩に、結菜は胸が締め付けられるような感覚を覚える。智輝が背負うものの大きさは分からない。けれど、その痛みの一端に触れられた気がした。

彼の眼差しに促されるように、結菜も普段は誰にも話さない、亡き父との思い出や、本に囲まれて働くことへの憧れを語っていた。

「父が教えてくれたんです。『一冊の本が、人の心を救うことがあるんだ』と」

結菜は自分に言い聞かせるように、続けた。

母を亡くして泣いてばかりだった幼い結菜に、父はたくさんの絵本や本を与えてくれた。

本の世界に夢中になっている時、結菜は寂しさを忘れられた。自分の人生を飛び出して、色々な世界を旅して行けたのだ。

「だから司書になりたくて、資格を取ったんです。ただ、司書の就職口は限られていますから。今は派遣で生活しながら、司書として働ける場所を探しています。

今の仕事は数字を追うだけの毎日で、自慢できるようなものではないですけど。いつか、迷っている人のために本を探して、その一冊が誰かの心を照らす手伝いができたらと。それが父が教えてくれた魔法を、私が誰かに手渡すことだって……そう、信じているんです」

そこには彼女が未来に抱く夢と、譲れない誇りがあった。

智輝は、彼女の話を決して遮らなかった。ただ優しい眼差しで頷いて、彼女の言葉一つひとつを大切に受け止めてくれる。

(この人は、私のことを見てくれる。派遣社員とか、天涯孤独とか、そういう肩書きじゃなくて、『私』という一人の人間として……)

ワイングラスを取ろうとした指先が、テーブルの上で偶然、彼の指と触れ合った。

びくりと結菜の肩が小さく跳ねる。触れた場所から熱が伝わって、心臓が大きく鳴った。

智輝もわずかに目を見開いて、動きを止めた。先にどちらともなく手を引いたが、触れ合った指先の熱だけが、まだそこに残っているようだった。

食事を終えて、智輝は「少し歩かないか」と結菜を誘った。

ホテルの近くにある静かな公園のベンチに座ると、都会の騒がしさが嘘のように遠のいていく。

夢のような時間が、もうすぐ終わってしまう。その予感が結菜の胸を締め付けた。別れの言葉をどちらからも切り出せないまま、沈黙が落ちる。

その沈黙を破ったのは、智輝だった。

「今夜は、終わりにしたくない」

ほとんど吐息のような、切実な響きを帯びた声だった。普段の彼からは想像もできないほどの無防備な響き。結菜は言葉を失って、彼を見つめた。

智輝が少し動いて、2人の間のわずかな隙間を埋める。彼の体温が、秋の夜気の中でじんわりと伝わってくるようだった。

ゆっくりと持ち上げられた彼の手が、結菜の頬にそっと触れる。思いがけないその接触に、結菜の肩が小さく震えた。彼の指先は少し冷えているのに、触れた場所から心臓に向かって、どうしようもないほどの熱が広がっていく。

見上げると、すぐ間近に彼の銀灰色の瞳があった。街の灯りを映して、切なそうに揺れている。その瞳に吸い込まれそうになりながら、結菜は動けずにいた。

「結菜……」

初めて呼ばれた自分の名前。その優しい響きに、結菜の思考は甘く溶ける。

智輝の顔が、ゆっくりと近づいてくる。結菜はこれから起きる全てを受け入れるため、そっと目を閉じた。

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