LOGINごく普通の高校生、櫻井悠斗。ただ一つ、彼には「視える」という秘密があった。 平穏を望む彼だったが、幼馴染が悪名高い心霊スポット「桜織旧病院」で消息を絶ったことで日常は崩壊する。 恐怖を押し殺し、友を救うため一人で廃病院の闇へ足を踏み入れた悠斗。 そこで彼が遭遇したのは、この世ならざる者たち――そして、同じく霊が視える後輩・月瀬美琴。しかし彼女は、不思議な術を使う巫女だった。 二人はやがて、病院を彷徨う少年の霊が抱える、悲痛な過去と対峙することになる。 これは、傷を抱えた少年が謎多き巫女と出会い、恐怖を越えて失われた“縁”を結び直していく物語。二人が紡ぐ縁の先に、一体何が待っているのか――。
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『私は……何のために生まれてきたんだろう』 「……君にしか、成し得ないことがあったからだ」 『でも、そこに私の気持ちが入り込む隙間なんて、どこにもなかった』 「それでも君は、その命を燃やし続けた。鮮やかに――春になれば咲き、やがて散っていく桜のように」 「君が成し遂げたことは、決して無駄ではない。払った代償は、あまりにも大きかった。けれど、私は知っている」 わずかな沈黙のあと、声は静かに告げた。 「……私こそが、君がここにいた証だ」 ──────────────── 桜が、降っていた。 薄桃色の花びらが春の光を透かし、風に乗って古い町並みを流れていく。石畳に落ちるものもあれば、瓦屋根の上を滑っていくものもある。ひとひらが僕の肩に触れ、すぐにまた宙へさらわれていった。 僕は通学鞄の肩紐を持ち直しながら、その行方を目で追った。 僕の名前は、櫻井悠斗。 今日から高校二年生になる。 一見すれば、どこにでもいる地味な高校生だと思う。目立つような容姿でもなければ、人に自慢できる特技があるわけでもない。 ただ、ひとつだけ。 僕には、本来なら見えないはずのものが見える。 それさえ除けば、本当に何の変哲もない高校生だった。 ここは、風穂県桜織市。 格子戸の並ぶ町家や、白壁の蔵、細い水路に架けられた石橋が、今も古い時代の面影を残している。千年もの昔から桜とともに歴史を織り上げてきた――そんな言い伝えから、桜織の名がついたらしい。 その名に違わず、町の至るところに桜がある。 川沿いにも、駅のホームにも、寺社へ続く石段にも。バスの窓から外を眺めても、電車を待っていても、春の桜織で桜を目にしない日は一日たりともない。 今朝も街じゅうが淡い色に染まり、冷えた空気の中に、花のかすかな甘い匂いが混じっていた。 「あら、悠斗ちゃん!」 通りに面した煙草屋から、朗らかな声が飛んできた。 顔を向けると、店番のおばさんが軒先から身を乗り出し、こちらへ大きく手を振っている。赤い「たばこ」の看板の下で、いつもと変わらない元気そうな笑顔を浮かべていた。 「あ、どうも。おはようございます」 「今日から高校二年生だろう? 桜もこんなに見事に咲いて、縁起のいい門出になりそうだねえ」 おばさんの目尻に、柔らかな皺が寄る。 「悠斗ちゃんは昔からいい子だからね。今年もきっと、いい一年になるよ」 「あはは……ありがとうございます。そうなるといいんですけど」 正面からそんなことを言われると、どうにも気恥ずかしい。曖昧に笑いながら頭を下げると、おばさんは「いってらっしゃい」と、もう一度手を振ってくれた。 僕も軽く手を上げて応え、再び学校へ向かって歩き出す。 足元を、風に追われた花びらが転がっていった。 。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸 。❀ 𓂃𓈒𓏸 始業式を終えたばかりの教室は、新しいクラス特有の浮ついた熱気に満ちていた。 「おっ、今年はお前と一緒のクラスか!」 「またお前かよ。勘弁してくれって」 「ねえ、担任って誰だろ。まさか去年と同じじゃないよね?」 「部活どうする? 今年こそ大会に出るんだろ?」 あちこちから飛び交う声が重なり、教室の空気を騒がしく揺らしている。 机を寄せ合って笑う者。廊下へ顔を出し、別のクラスになった友人を探す者。黒板の前に集まり、張り出された名簿を覗き込む者。 誰もが、まだ何ひとつ始まっていない一年に、何かを期待しているように見えた。 …僕は、その輪の外側にいた。 別に、誰とも話せないわけではない。声をかけられれば返事をするし、挨拶だってする。 けれど、自分からあの輪の中へ踏み込もうとすると、足が一歩だけ重くなる。 それは、昔から変わらなかった。 みんなと同じ場所にいて、同じものを見ているはずなのに、自分だけが違う景色を見ているような感覚。 弾けるような笑い声の奥に、誰かの溜息が混じって聞こえる。 誰もいない廊下を、足音だけが通り過ぎていく。 窓ガラスの端に、そこにいるはずのない影が映る。 桜の木の下に、もうこの世にはいない誰かの気配が立っている。 そんなことを口にしたところで、相手を困らせるだけだということを、僕はとっくに知っていた。 だから、何も言わない。 見えないふりをして、聞こえないふりをして、窓の外へ視線を逃がす。 春の風が吹き抜け、校庭の桜が一斉に花びらを放った。 桜は今日も、何も知らない顔で舞っていた。院長室の扉を押し開けると、蝶番が小さく軋んだ。 室内は暗かった。 けれど、割れた窓から差し込む月明かりが、朽ちかけた家具の輪郭を淡く浮かび上がらせている。 その奥に置かれた、黒い革張りのソファ。 ひび割れ、ところどころ中綿の飛び出したそのソファに、月瀬さんが腰掛けていた。 そして、その膝の上には――。 「誠也くん……」 木彫りの犬を胸に抱いた誠也くんが、月瀬さんへ甘えるように身体を丸め、静かな寝息を立てていた。 「先輩」 こちらに気づいた月瀬さんが、唇を柔らかく綻ばせる。 「誠也くん、見つけましたよ」 月明かりが、彼女の頬を白く照らしていた。 微笑む口元も、伏せられた睫毛も、すべてが淡い銀色に縁取られている。 荒れ果てた院長室の中で、彼女だけがこの世から切り離された存在のように見えた。 あまりにも現実離れした美しさに、僕は思わず息を呑む。 「……先輩?」 何も言わない僕を不思議に思ったのか、月瀬さんが僅かに首を傾げた。 「どうかしましたか?」 「えっ? あ、いや……」 我に返り、慌てて視線を逸らす。 「ご、ごめん。誠也くん、見つかったんだね」 「はい。私が見つけたら、よほど嬉しかったのでしょうね」 月瀬さんは膝の上へ視線を戻し、誠也くんの髪を優しく撫でた。 「しばらくはしゃいでいたのですが、安心した途端、こうして眠ってしまいました」 誠也くんの寝顔は、どこか満足そうだった。 ……あ。 よく見ると、その口元から涎が垂れている。 淡く光る雫が月瀬さんの制服へ落ち、膝の辺りに薄い染みを作っていた。 もっとも、霊の涎に実体なんてほとんどないのだろう。染みは生まれたそばから、霧のように薄れていく。 「ふふっ。可愛いですよね」 月瀬さんは涎など少しも気にしていない様子で、変わらず誠也くんの頭を撫でていた。 その表情は慈しみに満ちていて、本当の姉が弟を見守っているようにも見える。 「……そうだね」 僕が答えると、月瀬さんは空いている隣の席を、ぽんぽんと軽く叩いた。 「先輩も、ずっと歩き回ってお疲れでしょう? よろしければ座ってください」 「ありがとう。それじゃあ、少しだけ」 彼女の隣へ腰を下ろす。 古びたソファが、ぎしりと低い音を立てて沈み込んだ。 『お兄
その後、僕たちは誠也くんを見つけるため、二手に分かれて病院内を捜すことになった。 月瀬さんは一階から、僕は上の階から。「何かあったら、すぐに私を呼んでくださいね」 別れる直前、月瀬さんにはそう念を押された。 そして僕は今、二階のナースステーションを捜している。「誠也くーん。どこにいるのかなぁ……?」 わざとらしく声を響かせながら、机と机の間を歩いていく。 隠れている誠也くんへ、僕が近くまで来ていることを知らせるためだ。 ……まさか、こんなふうに霊と遊ぶ日が来るなんて思いもしなかった。 僕にとって、霊とは危険な存在だった。 いや――今でも、その考えが完全に変わったわけではない。 強い恨みや悪意を持った霊は、人を簡単に傷つける。つい先ほどだって、僕は誠也くんに吹き飛ばされ、扉へ叩きつけられたばかりだ。 ただ、それだけが霊のすべてではないことも、今日初めて知った。 あれほど恐ろしく見えた誠也くんも、本当は家族を待ち続けていた、寂しがり屋の七歳の男の子だったのだから。 それでも僕は、母さんのように霊へ手を差し伸べることができない。 僕が、霊を恐れない母さんとは正反対の考えを持つようになった理由。 それは、十年前にまで遡る。 ――僕と母さんは、何かに襲われた。 あの日の記憶は、今も途切れ途切れにしか残っていない。 僕へ迫ってきた、得体の知れない何か。 咄嗟に僕を抱き寄せた母さんの腕。 そして、僕を庇うように立ちはだかった背中。 次に覚えているのは、白い病室の天井だった。 母さんは僕を守った代わりに、その日から一度も目を覚ましていない。 十年間、ずっと。 鼻に残る消毒液の匂い。 冷たく、どこまでも続くように思えた病院の廊下。 そして枕元から聞こえてくる、 ピッ、ピッ、という無機質な機械音。 何度呼びかけても、母さんの瞼が開くことはなかった。 手を握っても、握り返してくれない。 あの日以来、病院も霊も、僕にとっては母さんを奪った記憶と切り離せないものになった。 だから僕は、今でも霊が怖い。 誠也くんのような子もいると分かっていても、その恐怖だけは簡単に消えてくれそうになかった。「……って、今は捜すことに集中しないと」 僕は小さく頭を振り、過去の記憶を追い払った。 * 机の下。 倒れた棚の隙間。
それから、しばらくのあいだ。 胸に溜め込んでいた想いを抑えきれないように、誠也くんは泣き続けた。 小さなすすり泣きが、夜空へ昇っていく。 月瀬さんは何も急かさず、誠也くんのそばに寄り添っていた。僕も少し離れたところに腰を下ろし、その声が静まるのを待った。 やがて激しかった泣き声は、途切れ途切れの嗚咽へ変わっていく。『ぐすっ……』「誠也くん」 月瀬さんが、濡れた瞳を覗き込むように顔を寄せた。「もしかして、最後に何か心残りがあるんじゃないかな?」 誠也くんは木彫りの犬を胸に抱いたまま、俯いてしまう。『……たい』「なぁに?」 月瀬さんが優しく聞き返す。 誠也くんは躊躇うように唇を震わせ、消え入りそうな声で答えた。『最後に、もう一度だけ……遊びたい』 ――遊びたい。 それが、何十年ものあいだ孤独に耐えてきた、小さな男の子の最後の願いだった。 幸い、この病院は広い。 ボール遊びでも追いかけっこでも、それなりに遊べる場所はあるだろう。 もっとも、これほど古い廃病院に、都合よく使えるボールが転がっているとは思えない。追いかけっこなら何もなくてもできるけれど――僕には、それよりも一つ、試してみたい遊びが浮かんでいた。 誠也くんは、ずっと寂しかった。 どれだけ声を上げても誰にも気づいてもらえず、誰かが来ても、その人たちに誠也くんの姿は見えない。 そうして、長い年月をたった一人で過ごしてきた。 それなら――。「かくれんぼなんて、どうかな?」 僕の言葉に、誠也くんが顔を上げた。『かくれんぼ……?』「うん。この病院なら隠れる場所もたくさんあるだろうし」 それだけが理由ではなかった。 誰にも見つけてもらえなかった寂しさが、誠也くんをこの世へ縛りつけているのなら。 最後に僕たちが必ず彼を見つけ出すことで、その孤独を少しでも和らげられるのではないか。 そう思ったのだ。 ……もっとも、この広い病院から小さな男の子を捜し出すのは、相当大変そうだけれど。 そこは、根性でどうにかするしかない。 僕の意図を察したのか、月瀬さんの表情がぱっと明るくなった。「とても素敵な提案ですね」 それから、誠也くんへ笑顔を向ける。「どうかな、誠也くん。かくれんぼ、してみる?」『うん……』 誠也くんの顔にも、少しずつ笑みが戻っていく。『やり
『お兄ちゃんの……?』 誠也くんの瞳が、大きく見開かれた。「うん。ほら、よく見てごらん?」 月瀬さんは安心させるように微笑み、手のひらに載せた木彫りの犬を差し出した。 誠也くんは迷うように何度も指を動かしてから、恐る恐る人形へ手を伸ばす。 透き通った小さな指先が、古びた木肌へ触れた。 その瞬間だった。『あ……』 ぽろり、と。 誠也くんの大きな瞳から、涙が一粒こぼれ落ちた。 それをきっかけに、次から次へと大粒の涙が頬を伝っていく。誠也くんは慌てて目元を拭ったけれど、いくら拭っても止まらない。『ぐすっ……。お兄ちゃんの……』 木彫りの犬を胸元へ抱き締め、その形を確かめるように何度も撫でる。『お兄ちゃんを、感じる……!』「これはね、竜也くんが、病院で一生懸命に病気と闘っている誠也くんのために、自分の手で彫ったものなの」 月瀬さんは、子どもへ絵本を読み聞かせるような優しい声で語りかけた。「竜也くんが君へ届けたかった、愛のかたちなんだよ」 ――愛のかたち。 その言葉を聞いて、僕はもう一度、誠也くんの腕に抱かれた木彫りの犬へ目を向けた。 犬の身体はところどころいびつで、片脚も失われている。売り物として店に並んでいるような、綺麗に整った人形ではない。 それでも、なぜか温かい。 拙いながらも、彫った人の想いがそのまま形になったように見えた。 愛のかたちと呼ばれると、妙に納得できた。 けれど、同時に疑問も湧いてくる。 月瀬さんは、いったいどこでこの人形を手に入れたのだろう。 誠也くんが亡くなったのは、あのカルテによれば五十年以上も前だ。 それなのに、月瀬さんは誠也くんだけでなく、家族のことまで詳しく知っている。 誰かから聞いたのか。 けれど、その事情を知る人物が今も生きているとは考えにくい。 だとすれば――。『お兄ちゃんが……僕のために?』 誠也くんの震える声に、思考を遮られた。 月瀬さんが、ゆっくり頷く。「うん、そうだよ。だからね、誠也くん。君は決して、家族に見捨てられたわけじゃないの」 誠也くんの頬を、また一筋の涙が伝った。「お父さんも、お母さんも、竜也くんも……どうしようもないくらい、君のことを愛していたんだよ」『で、でも……!』 誠也くんは木彫りの犬を強く抱き締めた。『それなら、どうして迎えに来てく