黒き魔人のサルバシオン

黒き魔人のサルバシオン

last updateآخر تحديث : 2026-06-27
بواسطة:  鈴谷凌تم تحديثه الآن
لغة: Japanese
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 エルキュール・ラングレーは魔人でありながら人間の世界に混じって生きる青年だ。人間と魔人は相容れないというのが世界の常識とはいえ、エルキュールは物心ついた時からヒトの社会で暮らしていた。  自らを不純な存在だと捉えていた青年は、やがて一つの邂逅を遂げる。  彼と同じ種族である魔人であり、人の世界に反逆する集団・アマルティアと。 「エルキュールよ、貴様の在り方はそれで正しいといえるのか?」  青年は突きつけられる。自らの矛盾した存在を、そしてそれによって生み出される歪みを。  矛盾を抱えた魔人が紡ぐ、救済と救世のダーク・ファンタジー。

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الفصل الأول

プロローグ「萌芽」

 名もなき丘の上。

 平時なら静寂に包まれているはずの彼の地は、その夜、溢れかえるほどの人々で埋めつくされていた。

 たとえばそれは、泣き叫ぶ幼子。

 あるいは、子を宥める親。

 身を震わせ叫ぶ者たちもいた。

 反応はそれぞれ異なるが、確かなのは、誰も彼もが一様に悲嘆に明け暮れ、丘の麓で盛る劫火に、果てしのない喪失を重ねていたこと。

 この者どもが住んでいた村は、僅か一晩の内に救いようもなく決定的に破壊された。

 彼らにとっては最も忌み嫌うべき宿敵によって。

「――――」

 そんな凄惨たる状況の中で一人。

 人々から少し離れたところで佇む青年だけが悲哀と無縁であった。

 飾らない灰色の髪に、鈍い光沢を放つ琥珀色の瞳。

 青年はまるで感情が抜け落ちているかのような虚ろな表情で、周囲の者たちの止めどない慟哭を、彼方で激しく燃え上がる赤を、同じく虚ろな瞳で眺めていた。

 もちろんこの場にいる以上、彼もその人々と無関係ではない。

 彼は正しく、あの燃える炎の中にあった村に住んでいたし、それで尚こうして人形のように静かであった。

 青年が残忍であるからと聞かれればそれは否であるが、青年には血も涙もないと聞かれれば、それは是であった。

 矛盾していると思うだろうか。

 だが文字通り、青年には血も涙もなかった。

 本当に彼の肉体には血が通っておらず、未だ瞬き一つすらしないその瞳から涙が零れることはない。

 はっきり言って青年は人間ではなかった。比喩的ではなく、生物学的な意味でだ。

 だから、こんな時にどんな感情を拾って、どんな表情を貼り付けて、どのように振る舞えばよいのか、青年には何一つ分からなかった。

 悲嘆、憤慨、絶望。

 短いヒトとしての生活を経て、どれも言葉の上でだけは知っている感情であるが、青年はいまだかつて己の内にそれらを感じたことがなかった。

 圧倒的に経験に乏しく、感情を抱くまでに至っていない。

 ゆえに青年は、こうして立ち尽くすことしかできないでいたのだ。

 そんな青年の内情は、もちろん周りの人間に理解できる類の話ではなかった。

 無表情に立ち尽くす青年のその姿は、傍から見る人には薄情や冷血という言葉を想起させ、人によっては自分たち住んでいた村が滅んでしまったことを嘲っているようにも見えたかもしれない。

 ともあれ、青年の振る舞いは周囲の反感を大いに買い、注目を浴び、やがて怒りの捌け口へとなってしまった。

 呆然とする青年に対し、住人の一人であった男の拳が振るわれる。

「っ、お前の……お前のせいだ!! 村が焼かれることになったのも! あいつらがみんな死んじまったのも! お前が、魔獣どもを呼び寄せたからなんだろ!?」

 単なる怒りの捌け口としてではなかったようだ。

 青年を口悪く謗るこの男は、この幻のように儚い青年こそが、眼下に広がる災厄を招いたものだと見做したようだ。

 確かに青年はヒトではないが、傍から見るとヒトとしての形を保っている。

 魔獣のように醜く、卑しい本能に塗れた怪物とは程遠い外見。

 男の主張は、冷静さを欠いたことによる八つ当たりにしか思えないが、彼の暴行を目撃していた周囲の者も、青年自身も、男が指摘したことに異を唱えることはしなかった。

 然したる防御もせず、真っ向から振るわれる拳を受けた青年は、空中に弧を描いて吹き飛び、その身体がやがて背中から地面へと叩きつけられる。

 大の男の渾身の打撃を喰らっても青年は痛みを感じないのか、やはり無表情に夜空を見上げるばかりだった。

 その様子に男はいっそう怒りを滾らせ、男と大差ないほどの恰幅の身体を胸倉を掴んで立ち上がらせると、もう片方の腕を振り上げた。

「もうやめて……! やめてください……!」

 そして同じように拳が下ろされるだろう、そう誰もが思った刹那のこと、高く上げられたその腕を横から飛び出てきた女性が遮る。

 紫紺の髪を靡かせる、妙齢の婦人であった。

「誤解です、きっと誤解なんです! この子がそのように酷い事をするはずがありません!」

「ぐっ、リ、リゼットさん……放してくれよ! 誤解だって言われてもなあ、俺は見たんだよ! 村が襲われる直前、こいつが魔人の姿をしていたところをなあ! それから魔獣どもが一斉に現れやがったのは、こいつの魔素に惹かれたか……もしくはグルだったからに違いねえだろ!?」

 躊躇ったのは一瞬で、男は女性の華奢の手を乱暴に振り払う。

 勢いのままにその場にへたり込む女性に、男は鋭く告げる。

「それに、あんたはこいつの正体を知っていながら俺たちに教えなかった。そればかりかこいつを匿い、人間だと見なして家族ごっこに興じていたんだ! そのあんたに俺を止める権利なんてねえ!!」

 吐き捨てるような叫びと共に、男は青年が来ていた服を胸元の部分から強引に裂いた。

 より露わになる喉、首筋、そして――。

「あ……」

「ははっ! あんたがこいつをやけに隠したがっていたからおかしいと思っちゃいたが……まさか本当に魔人だったとはなあ!! おい、皆見てみろよ! こいつの胸のあたりにあるモノ、魔獣に付いてるモンとそっくりだぜ!」

 露わになった青年の胸元は、部分的には人間の肌と大差ないが、所々に漆黒に光る痣のようなものが見られ、まるで継ぎ接ぎのぬいぐるみのような奇怪な印象があった。

 それだけなら、まだ火傷か何かだと言い逃れることもできようが、問題はそこに止まらない。

 胸元の中心部、一際強い光を放つそこには、透き通るような黒で形成された塊が鎮座していた。

 胸に石が埋め込まれているかのようなそれは、もちろんヒトの身体には存在しない器官。

 黒い半透明の塊は、人間で言うところの心臓のような動きで明滅を繰り返しており、青年の非人間性をこの上なく残酷な形で周囲の者へと曝した。

 そしてその決定的な露出により、それまで虚ろだった青年の顔に初めて変化が生じた。

 誰にも見せてはいけないといわれていたモノ。この世界の敵であるという証。

 それが明るみに出てしまった事実は、劫火に耐える青年の心すらも揺るがしたようだった。

「ひっ……やっぱり本物の魔人……!?」

「なんという邪悪な光じゃ……!」

「彼の言葉は本当だったのか……気味が悪い……」

 周りにいた元住民たちは青年の露出した胸元を見ると、忌々しく眉を歪めて各々が強い不快感を示した。

 その声を耳にした青年の顔に、微かに悲しみのような表情が宿る。

 周りからの共感と、青年の鉄の面に傷をつけたことに満足した男は、青年の方を見て冷笑を浮かべた。

「見ろよ、この反応! お前はたまたま運が良かっただけだが、所詮は魔獣どもと同じで俺らの敵なんだよ! おら、同類なんだろ? 俺たちの村を焼いた責任をとってもらおうか? いいよな? お前らバケモノが最初に奪ったんだ、なにも間違っちゃねえよなあ!?」

 男は青年を殴り飛ばし、刃物を懐から取り出す。

 たとえ無抵抗であっても、刃物で魔物を殺すことは難しい。

 しかし何百何千と傷を付ければ、それも決して不可能ではないことで。

 憤怒と狂気に塗れた瞳の彼にとって、それはきっと容易く行えることで。

 周りの者たちも男を止める素振りを見せなかった。

 恨みの籠った目で地に伏した青年を睨みつける者もいれば、あまつさえその行為を煽る者もいた。

「魔人風情が人間の皮をかぶっていた上、俺たちの近くでのうのうと暮らしていたとはなあ……ああ、虫唾が走るぜ。まったく、存在が許されないゴミは駆除しないとなぁ……!?」

 その声をよりいっそう冷たいものに変え、男はじりじりと青年との距離を詰めるが――。

「お、お兄ちゃんはバケモノでもゴミでもない!!」

 またしても、青年を庇うように小さな影が割って入った。

 先ほどの婦人によく似た容貌の少女である。

 あどけなさが残るその顔は涙でくしゃくしゃになり、堰を切ったようにでたその声は怒りと恐怖に震えていた。

 脚に宿るは今にも折れそうなほどに脆く、今まで何一つ声を上げなかったのも頷けるほどに怯えている。

「き、君はリゼットさんの――」

 しかし、たとえ吹けば飛ぶようなその身体でも。

 幼き少女のなけなし勇気は、一瞬ではあるが男の歩を止め、青年の命が潰えるのを僅かに遅らせたのだった。

「アヤ、いけない! くっ……もう、こうなったら……!」

 その一瞬だけ生まれた空白を、少女の母は見逃さなかった。

 地につくばる身体を起こして立ち上がると、狼狽えて動きを止めている男を全力で後ろから突き飛ばす。

「な……クソっ!」

 幸い、傍観していた人々と青年たちとの距離は幾らか空いていた。

 女性は泣き喚く少女と呆然とする青年の手を急いで取り、その場からから逃れるように丘の上の方へと走り出した。

 突然の出来事に、倒れた男も他の者もすぐには反応できない。

 気付けば三者の背中は遠くなり、男は逃げていく彼らを苦虫を噛み潰したような表情で見据えた。

「ちっ、クソったれ! バケモノを庇うなんて……あんたらもどうかしちまったんじゃないか!? 逃げるってのなら勝手にしろ、どうせ野垂れ死ぬだろうがな!」

 逃げる青年たちの背に男の負け惜しみにも似た声が刺さる。

 彼は追ってまで青年を殺すつもりはないようで、青年を恐れていた者たちも、その脱出を見て安堵の表情を浮かべた。

 男たちは青年に対する並々ならぬ敵意こそあったが、やはり逃げる彼らを追うものは一人としていなかった。

 ここに至るまでに憔悴していたのもあるだろうし、恐ろしい魔人と関わり合いになりたくないと考えたのかもしれない。

 もしくはこの夜分に丘を上って逃げても、決して無事には生きられないだろうという侮蔑だろうか。

 いずれにしても、今の青年達には僥倖なことであった。

 丘を登り、下り、そしてまた上り。

 そうして男たちの姿が見えなくなったころで、それまで全速力だった青年たちは足を止めた。

 意図した動きというよりも、力が無意識に抜けてしまったといったほうがいい。

 住処を失い、同じ住民で会った者たちに詰られ、ここまで駆けて。

 精神的に疲弊していた彼らは、とにかく休息を渇望していたのだ。

「ここまで来れば、ひとまず大丈夫、かしらね……」

 追っ手が来ていないことを確認すると、呼吸を整えつつ母親が笑みを浮かべる。

「お母さん……ぐすっ、わたし……」

 それまで堪えていた不安が弾けた少女は母親に思いっきりしがみつく。その目には大粒の涙が溢れ、声もしゃがれている。

「……もう大丈夫よ、アヤ。怖かったわよね……よしよし……」

 青年をかばうため、勇気を奮い立たせ男の前に立ちはだかっていたが、その実恐ろしくてたまらなかったのだろう。

 再び泣き出してしまった少女の背を、母親の手が優しく慰める。

「――――」

 そんな親子の絆を少し離れたところから眺めていた青年の目線が、ふと先ほど衣服を破られた自身の胸元に向けられた。

 継ぎ接ぎの肌の色と黒く明滅する塊。この状況を招いた元凶。

 果たして本当に自分のこれが、魔獣たちを呼び寄せてしまったのか、今の青年には理解できなかった。

 しかしこれがなければ、青年があの場にいなければ、あの親子と共にいなければ。

 彼女たちがあんなにも傷つき、村を追われることはなかったはずであるのも確かだった。

 青年の意識に先ほどの男の言葉が蘇る。

「……世界の、敵……生きる場所が、ない……?」

 青年の口からたどたどしく声が漏れる。それまで曖昧だった感情が、明確に彼の心に湧き上がる。

「バケモノ、魔人……存在が許されないゴミ……」

「……お兄ちゃん?」

 ぶつぶつと呟かれる声に、平静をいくらか取り戻した少女が気づき青年に声をかける。

 しかし、その声に反応する余裕が青年にはなかった。

 その内にはかつてないほどの負の感情が渦巻いていた。

 絶望、罪悪感、諦念、疎外感、未知の感情に青年の心は嬲られてゆく。

 自分の中の何かが決定的にしまったのを朧気に感じながら、青年はやがてある予感へと至った。

 この出来事は自身にとって特別な意味を持つようになるだろうと。

 逃れ難い罪として、それを背負ってこれから生きていかなければならないという罰として。

 己の自由を奪い、魔人としての立場に縛り付ける軛として。

 そうして、この件に端を発する彼らの放浪の旅は、人目を避ける生活は、約五年ものあいだ続くことになった。

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プロローグ「萌芽」
 名もなき丘の上。 平時なら静寂に包まれているはずの彼の地は、その夜、溢れかえるほどの人々で埋めつくされていた。 たとえばそれは、泣き叫ぶ幼子。 あるいは、子を宥める親。 身を震わせ叫ぶ者たちもいた。 反応はそれぞれ異なるが、確かなのは、誰も彼もが一様に悲嘆に明け暮れ、丘の麓で盛る劫火に、果てしのない喪失を重ねていたこと。 この者どもが住んでいた村は、僅か一晩の内に救いようもなく決定的に破壊された。 彼らにとっては最も忌み嫌うべき宿敵によって。「――――」 そんな凄惨たる状況の中で一人。 人々から少し離れたところで佇む青年だけが悲哀と無縁であった。 飾らない灰色の髪に、鈍い光沢を放つ琥珀色の瞳。 青年はまるで感情が抜け落ちているかのような虚ろな表情で、周囲の者たちの止めどない慟哭を、彼方で激しく燃え上がる赤を、同じく虚ろな瞳で眺めていた。 もちろんこの場にいる以上、彼もその人々と無関係ではない。 彼は正しく、あの燃える炎の中にあった村に住んでいたし、それで尚こうして人形のように静かであった。 青年が残忍であるからと聞かれればそれは否であるが、青年には血も涙もないと聞かれれば、それは是であった。 矛盾していると思うだろうか。 だが文字通り、青年には血も涙もなかった。 本当に彼の肉体には血が通っておらず、未だ瞬き一つすらしないその瞳から涙が零れることはない。 はっきり言って青年は人間ではなかった。比喩的ではなく、生物学的な意味でだ。 だから、こんな時にどんな感情を拾って、どんな表情を貼り付けて、どのように振る舞えばよいのか、青年には何一つ分からなかった。 悲嘆、憤慨、絶望。 短いヒトとしての生活を経て、どれも言葉の上でだけは知っている感情であるが、青年はいまだかつて己の内にそれらを感じたことがなかった。 圧倒的に経験に乏しく、感情を抱くまでに至っていない。 ゆえに青年は、こうして立ち尽くすことしかできないでいたのだ。 そんな青年の内情は、もちろん周りの人間に理解できる類の話ではなかった。 無表情に立ち尽くす青年のその姿は、傍から見る人には薄情や冷血という言葉を想起させ、人によっては自分たち住んでいた村が滅んでしまったことを嘲っているようにも見えたかもしれない。 ともあれ、青年の振る舞いは周囲の反感を大いに買い、注目
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序章 第一話「何ものにも代えがたい日常」
「……あれから八年か……」 幾度となく繰り返し読んだ単行本を両手に持つエルキュールの眼が滑る。 なにも質素な自室の窓から朝の到来を告げる、小鳥のさえずりのせいだけではないだろう。 それは追憶だった。 エルキュールにとっての原初の記憶、忌み嫌うべき記憶のせいだった。 本を両手でぱたりと閉じると、エルキュールはやや上を見上げてゆっくりと目を閉じた。 中断させられた読書を再開する気もなく、ただそうして、エルキュールはいつものように心を落ち着けた。「――というか、そろそろ出る時間だったな」 ゆっくりと目を開けて思い出す。 窓から見上げれば小鳥の便りにするこもなく、遠くの空が白んでいるのが分かる。 さらに外から入り込むほのかに吹く風が、春の陽気を微かに感じさせる。「アザレアの花も、今朝は良く咲いているようだ」 窓辺に飾った黒い花弁、かつてエルキュールの故郷に多く生息していたそれは、今日に限っては彼の心を妙に撫でる。 エルキュールはそれを指でちょんと突っつき軽く水をやると、身支度を整えようと部屋の奥にある姿見の前に立った。 エルキュールにとってはもはや見慣れた自分の姿が鏡面に映しだされる。 作り物と見紛うほどの端正な顔立ち。窓からの光に照らされた明るいアッシュグレーの髪。吸い込まれそうなほどの美麗な輝きを備えた琥珀色の瞳。 そのすべてから、どことなく人間離れした雰囲気を醸し出していた。 だが、そこから下に目線を移動させれば、先の人間離れした雰囲気云々という言葉は、単なる比喩表現にとどまらないものへと変わる。 その首元には、人間にはまずあり得ない、黒く発光する痣が服の外へ顔を覗かせており、見る者に気味の悪い印象を与える。 さらに、目線をより下に向けた先にある胸元においては、薄手の服の生地の上からでも分かるくらいに、怪しげな黒色の光が明滅していた。 首元の痣も胸の明滅もイブリス――人類が魔物と忌み嫌う生命に特有のもの。 人の世界で、人の街で、人の社会で、人としての生を演じるエルキュールは、その実人間ではなかった。 人間や動物などの有機生命体・リーベとかけ離れた痣やコアは、完全な物質化に至っていない魔素――魔素質で形成されている。 そしてその存在は、エルキュールの非人間性を証明すると同時に、両者を決定的に異にするものでもあった。 エル
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序章 第二話「世界に仇なす者たち」
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序章 第三話「炎との出会い」
 振り返ったところに、人影。 驚愕を仕舞いこんで、落ち着いて観察する。 背はエルキュールよりもやや高いほど。こげ茶の軽装の上からもはっきりと分かる筋肉は、鍛え抜かれた逞しさを遺憾なく主張している。 視線を上へ。燃えるような赤髪は無造作な伸びていて、火花が散っているかのように見えた。 日に焼けた肌も、彫りの深い顔も、オルレーヌでは珍しい。親しみやすさを感じる笑みを顔に貼り付けてはいるが、総合的に判断すると、途轍もなく怪しいものだった。 なおも注意深く視線を向けるエルキュールに、青年は肩をすくめた。「そんなに見つめるなよ。……もしかして惚れたか?」「失礼。そういった趣味は持っていない」 軽薄そうな、ではなく。正しく軽薄な青年だった。突拍子もないことを平気で口にしてしまうのだから。 ともかく、この青年は厄介な人物だ。不意を衝かれたこともあり、エルキュールは警戒を強めた。「それで、俺に用があるのか?」「ん、何のことだ? オレはただ『呑気な連中だな』と盛大に独り言を言っただけだぜ。用があるのはお前の方じゃあないのか?」 軽薄だけでなく、不誠実でもあるらしい。遠回しな物言いは眉を寄せる。 だが、確かによく考えてみれば一理あることかもしれない。 青年が心を読んで話しかけてきたなど、発想が飛躍しているのは否めない。エルキュールがたまたま同じような感想を抱いていただけと思った方が自然である。 ここは青年の失礼な態度には目を瞑ろう。そしてこの会話もなかったことに。 そう思い直したエルキュールは彼の切れ長の目を真っ直ぐに見据えた。「いや、そうではないんだ。ただ自分も似たようなことを考えていたから、つい勘違いしてしまった。すまなかったな」 これでいい。そろそろ家族との予定の時間も近づいていることだ。エルキュールは当初の目的通りに家に帰ろうとしたが。「……おーい」 会話打ち切って歩き始めるエルキュールに、今度は明確に、それもこれまでの態度とは打って変わった落ち込んだ声色で、青年が話しかけてきた。「……? 今度はどうしたんだ」「……おいおい、嘘だろ? まさか、オレが本当にお前に聞こえるくらいの声量で独り言を言ったと思っているのか? 明らかにお前の思考を読んだ、オレの洞察力が為せる粋な会話方法だっただろ!?」 自分で粋だというのも可笑しな話だが。や
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序章 第四話「ささやかなお礼」
 朝食を終えたラングレー家では、久々にゆったりとした空気が流れていた。 エルキュールにとって食事というのはほとんど必要のないものであったが、こうやって家族と過ごすことは貴重なことである。 同じものを共有するのは悪い気はしない。これからは変に家族を避けることはやめようと、エルキュールは改めて決心し――「そうだ、買い物には一緒にいけないが、ヌールを出るまでは送っていこうか?」 一つ提案を投げかけた。せっかく誘ってくれたのを断ってしまうのはやはり申し訳なかった。「あら、いいの? お友達を待たせてるんでしょう?」「……別に、友達ではないが。彼との待ち合わせの時間にはまだ少し間があるから、それを無駄にはしたくない」「じゃあ、途中まで一緒に行こう、兄さん! ふふ、三人で外出なんて何年振りかな……そうだ、このことは日記に書いておかなくちゃ」 声を弾ませ喜ぶアヤに、リゼットもつられて笑う。 確かに、こんな風に外出するのは何年ぶりだろうか。なんとかこの地に定住してからは、もう二度と二人にあんな思いをさせまいとして、彼女たちに頑なに接してしまっていた。「そうだわ、エル。今日は魔獣が発生しているっていう話だったわね?」「ん? ああ……今朝の報道ではそう言っていたな」 隣町に行くという話だが、街の外に出る場合、常に魔獣との接触のリスクが少なからず存在する。 エルキュールが今朝に魔獣を討伐したとはいえ、その脅威は健在だろう。「魔獣の心配なら大丈夫よ、母さん。今日は馬車を使って行けば。それに、私だって魔法学校に通う生徒なんだから、大事にはさせないよ」 そう言ってアヤは、ヌールの魔法学校の記章を自慢げに見せる。魔法学校の生徒であることの証明だ。 街と街の間を移動する馬車には、魔獣が不快に感じる魔除けの道具が備わっているため、徒歩に比べて安全に移動することができる。 加えて、アヤは魔法学校に通う生徒である。多少の戦闘の心得は知っているだろう。 なるほど、それほど心配する必要はなさそうだった。「私だって兄さんに負けないように頑張ってるんだよ。兄さんも心配しなくていいから、ね?」「もちろん。全く心配していないわけじゃないが、アヤのことも信頼している。母さんのことは頼んだ」 エルキュールはアヤの美しい紫の髪を優しく撫で、彼女に念押しした。「うん……ふふ、こう
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序章 第五話「鑑定屋にて」
 ただ素材の換金に来ただけのはずだったが、妙なことになってしまった。 当初の目的といえば、ただ魔獣の素材を換金しリゼットたちの買い物に役立ててもらうことだったが――「そうだな……マクダウェル家のメイドとして雇ってやってもいいな」「ルイス様、いきなり何をおっしゃっているのですか!?」「フン、別に構わんだろう? ……ああ、能力の事なら心配ないさ。教育を施せばな」「いえ、そういうわけでは……」 どういうことかエルキュールの目の前では、アヤが先客の貴族の青年ルイスにおかしな勧誘をされている。 ルイスに会うのはこれが初めてだったが、彼が口にしたマクダウェルの家名には兼ねてから聞き覚えがあった。「……はあ、マクダウェルというと、あの王国議会の……?」 あまりに横暴な発言を前に、顔に戸惑いを浮かべながら、アヤはルイスに確認する。 とりあえず、当たり障りない会話から始めて平静を取り戻すのが狙いか。「もちろん、そのマクダウェル家だ。ミクシリアの王国議会の一員であるマクダウェル家の長子、それがこのボクだ。――そのボクが誘っているのだ。どうだ、光栄だろう!」 自信たっぷりにルイスは胸を張った。 オルレーヌは王が君臨する国ではあるが、政治には貴族を中心とした議会も参加する。マクダウェル家も王国議会に召集される名家の一つである。 相当な名家であることには違いない。高らかに自慢するルイスの表情は、先ほどもまで店主に怒鳴り散らしていたとは思えないほど、清々しいものである。 しかし、対するアヤの表情は曇っていく。仕方ないことかもしれないが、彼女のルイスへの心証は悪いようだ。「考えてもみたまえ、この街の呑気な連中のことを。日に日に魔獣の脅威が増しているのにも関わらず、相も変わらず危機感がない。ボクたちマクダウェル家を始めとするミクシリア議会が、貴重な騎士たちを防衛のために配属してやってるからこそ、平和に過ごせていることにまるで気が付いていない」 ヌール住人への侮蔑を込めて雄弁に語りだすルイスと対照的に、アヤの顔はどんどん暗くなる。 この街が危機感がないという指摘は分からなくもない。今朝の広場での件のように、首脳が危機感を覚えているのに反し、ここの人々は魔獣についての興味が日に日に薄れているように感じる。 ただ、わざわざそんなことを口にしてもアヤのルイスに対する
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序章 第六話「それぞれの理由」 
「よう相棒、二時間ぶりくらいか?」 隣町のニースまで買い物に行くという家族と別れた後、待ち合わせ場所のヌール広場に到着したエルキュールに、声がかけられた。 広場の長椅子の背もたれに寄りかかっていた身体を起こし、グレンはエルキュールに歩み寄る。「相棒……? 俺と君はそこまで親密な仲だったか?」 出会って間もないはずだが過剰に親しげに声をかけたグレンに、エルキュールは余所行きの固い態度で返す。「とはいってもなあ……こっちはまだお前の名前を知らねえんだ。オレがせっかく名乗ってやったのに……つれない奴だ」「……エルキュールだ。確かに名乗らなかったのはこちらが悪かった、謝ろう。ところで魔獣を狩るという話だが、具体的にどこに行くんだ?」 自分だけ名乗っていなかったのは礼節に欠けていた。自身の非礼を詫びつつエルキュールは話を進める。「ああ、そうだな。そんなに遠出するつもりはないぞ。んー、あっちのほうに少し行った原っぱなんかどうだ?」 グレンが指さした方向は、エルキュールが朝の日課として魔獣を狩っている北ヌール平原の方角だった。「わかった。それなら早速行こう」 我先に歩き出したエルキュールを見て、グレンも彼に並ぶように歩いた。「そう言えば、少し聞きたいことがあるんだが……どうして俺に声をかけたんだ?」 道すがら、エルキュールを隣を歩くグレンに尋ねる。いつもなら人に自分から会話を振ることなどないのだが、今日のこれまでの出来事を経て、もう少し人と関わってみようとエルキュールは考えていた。「ハハハ……知りたいか? そりゃ、気になるよなあ? どうして自分が選ばれたのか……何か隠された意図、壮大な陰謀があるんじゃないかってな」 エルキュールにとっては当たり障りのない会話のはずだったが、グレンは回りくどい言い回しで話を大きくする。いちいち狂言を挟まないと会話ができないのか。「別にそこまでは言ってないが」「お前の気持ちは分かってる、みなまで言うな。教えてやろう、お前に声をかけた理由はな――」 エルキュールの言葉を無視して、一瞬間を置いてグレンはにやりと笑う。勿体ぶった彼の態度に、そこまで壮大な理由があるのか、エルキュールは彼の続きの言葉に耳を傾ける。「初めて見たときに感じたんだ、お前こそがオレの相棒にふさわしいってな……これが一目惚れってことか……」 ど
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序章 第七話「初めての共闘」
 グレンの宿代を賄うため、二人は平原を歩き魔獣を探していた。ヌールの門付近から移動して少し経った頃だが、辺りを見回しても魔獣の影すら見えない。 魔獣がいなくては換金用の素材も手に入らない。思うようにいかない状況に、グレンは苛立ちを隠せなかった。「この辺にはいねえみたいだな……ったく、普段は魔獣なんてそこら中に湧いてやがるってのに」「ここ一帯の魔獣は、既に俺が討伐してしまったからな……」 エルキュールは毎日の日課として魔獣を狩っているが、今回はそのことが仇になってしまったようだ。「クソ……この調子じゃ結構時間がかかりそうだな……ん? お、そうだ――」 怠そうに愚痴を吐いていたグレンだったが、何かを思いついたように表情を綻ばせるとエルキュールの方を見た。「なあエルキュール、金は無理でもお前が狩った魔獣の素材があれば、少しばかり譲ってくれねえか? 」「……結局物乞いじゃないか。それに、もう今日の分はもうすべて換金してしまったんだ」 妙案を思い付いたかのような顔に、エルキュールは一瞬期待を寄せたが大した案ではなかった。金も素材も無償で他人にくれてやるほど、エルキュールは優しくはない。「あー……じゃあ、アレだ、魔法はどうだ。ほら、あの……遠くの様子をみたりするヤツだ……何だっけなあ……」「ビジョンのことか? 悪いが、光の上級魔法なんて俺には扱えない。闇魔法なら多少の心得があるが、他の属性は少ししか使えないんだ」 簡単にグレンは言うが、上級魔法やその上の特級魔法のような難解な魔法は魔術師などの限られたものにしか扱えない。 ヌール広場にあるビジョンを発動する魔動鏡はもちろん、その他の魔動機械も優秀な魔法技師の存在があって初めて成立するのだ。 特にエルキュールは光属性の魔法はあまり得意ではなかった。あまり専門的には知らないが、個人によって魔法の適性はまちまちで、エルキュールの場合は闇と対極の光属性の適性が欠けていた。「心配しなくても、もう少し先に行った平原になら嫌というほど魔獣と出会えるだろう」「ホントかぁ?」 信用しきれていない様子であるが、エルキュールにひとまず納得したグレンは彼の後を歩き続ける。 その言葉はすぐに現実のものとなった。「おっ、いたいた……なあ、あの兎型魔獣なんかどうだ?」  エルキュールが狩りを行っている場所から、より先
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序章 第八話「導」
 魔獣が落とした石片を手掛かりに、二人は北に位置する遺跡を目指す。周りはもはや開けた平原ではなく、木々が茂る林である。 鬱蒼とした木々で空が覆われ、視界が悪い。閉鎖的なその環境は人間の手が介入していないため、魔獣が住みついているようだ。 途中、何回か魔獣に襲われることもあったが、その度に二人は連携しこれを撃退していった。 ところが、その回数が十に差し迫った頃――「だーーっ!! 流石に数が多すぎねえか!? どうなってんだ、さっきからよ!」 立て続けに魔獣に襲われ、ついに我慢できなくなったグレンが叫んだ。その赤い髪は彼の苛立ちを表すかのように見える。「なあ、エルキュール。この辺はいつもこんな感じなのか?」「さあ、普段は遺跡の方には行かないから分からないが……確かにこの数は異常だ。それに――」 エルキュールはつい先ほど撃退した魔獣らを見下ろした。「遺跡に向かうにつれて、術式の刻まれた魔獣の数が増えている……これが偶然とは思えない」「……つまりアタリってことか」 落ち着きを取り戻したグレンは倒した魔獣の素材を採取した。先ほどまで怒っていた人間とは思えないくらい抜け目がない。 平原を出発してからかなり時間がたっており、直に陽も落ち始めるだろう。「ああ、時間はかかったがもう少しだ」 前に目を向けると木々の隙間から遺跡の石壁が見える。目的地はすぐそこだった。 エルキュールは先を行こうとしたが――「おい、ちょっと待て。これを見ろ」 それを手で制し、グレンは足元を示した。彼に倣って足元を見ると、何か足跡のようなものが見えた。「足跡だ、それも魔獣のものじゃない……人の足跡だぜ、これは」 こんなところに人間の足跡が残っている事実。それはエルキュールにある想像をもたらした。「術式の魔獣が大量にいるだけでなく人型の足跡まで……いよいよ怪しくなってきたな……慎重に進もう」 この先にアマルティアに繋がる手掛かりがあるかもしれない。二人を気を引き締めて遺跡への道を目指した。 木々に囲まれた林を抜けると開けた空間に出た。それまでは木の間に隠れ一部しか見えていなかった遺跡の全貌も露わになっている。 その石の外壁は、ところどころ崩落したり損傷していたりする箇所があり、苔も生えている。そして――「……おい、あれを見てみろよ」 グレンが小声で示した先には遺
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序章 第九話「予定外の逢着」
 遺跡の祭壇部屋の前にて、グレンの提案に同意しようとしたエルキュールの言葉を奥から発せられた声が遮った。 奥にいるのはあの人影のみ。つまり、あの人物がエルキュールらに向けて言葉を発したことは明白だった。 動きを悟られないよう十分な距離をとっていたつもりだったが、こちらの動きが知られていたらしい。 突然声をかけられたことで声を発しそうになるが、二人は何とか息を殺し相手への警戒を強めた。「ふむ、静観……か。――悪くない選択だ。尾行の腕前はもう少し磨いた方がいいと思うがね」 ローブを纏っているので外見を知ることはできないが、声質は男性のもののようだ。低く力強い声に硬い口調、そのいずれもが聞く者に威圧感を与える。 その男は祭壇の方を見ながらもエルキュールらを冷静に分析していた。背中に目がついているのだろうか、この男は。 いずれにせよ、その様子からは男が只者ではないことが窺い知れる。迂闊に近づけばどうなるか分かったものではない。二人は消極的な対応をせざるを得なかった。「おや、尚も続けるとは……随分と私のことを高く評価してくれているようだな。……まあ、ここで相対するのは予定にはなかったことだ、向かって来ないのならそれで構わない。その調子で、これからヌールの街に起こる災厄も静観していてくれたまえ」「……どういう意味だ?」 男の発した言葉の内容に、エルキュールは聞き返さずにはいられなかった。 『ヌールの街に起こる災厄』、なぜそれが起こるとこの男に分かるのか。その問いの答えに至る前に、エルキュールは部屋の奥の方で闇の魔素が集約していくのを感じた。 男が魔法を放出しようとしているのだ。この魔素の流れ、エルキュールにも馴染み深い――その魔法の名はゲート。二つの空間を繋ぐ闇魔法だ。「……! そうはさせない!」 男はこの場から離脱しようとしている、そのことにいち早く気付いたエルキュールは意を決して部屋の中に飛び出し――「ダークレイピア!」 ゲートで移動しようとしていた男に目がけて攻撃した。 しかし、その攻撃は彼に届く寸前、不思議なことに何かに弾かれるが如く軌道を変え壁に突き刺さった。「な……」 闇魔法の衝撃により壁の一部が崩れ、周りに掛けられていた燭台も砕け散り破片が吹き飛ぶ。「……甘いな。魔法はこう放つのだ――ダークレイピア」「これは……!?」
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