LOGIN1940年2月
私の名前は瑞雲ユキ。天涯孤独の18歳の女性ね。まあ、身寄りがなく貧乏な女性が通る道なんて大体、どこぞの御大尽様のお妾になるか娼館で娼婦になるかカフェか女工になるかのどれかが一般的なんだけれど、
私はどうやら人並外れた体格と頭脳があった上に陸軍も海軍共に女子の兵隊志願を開始していたので、私はダメ元で陸軍の入隊事務所に行って入隊を志願したわ。そしたら採用試験の案内をもらったわね。
で、そのことを養父母に話すと二人とも厄介払いができるとばかりに喜んで同意書に署名と捺印をしてくれたわ。なんでも相当な器量よしだから適当に言って女衒に売り飛ばそうとしていたと言っていたのを聞いたわね。
まあ、それはともかく志願倍率400倍というとても狭き門だったけれど、私は学科をクリアして体格試験もクリアしたわね。なお、その時の身体測定で身長162cm、胸囲92腹回り58尻回り89という当時の日本人離れしたスタイルだったね。そして北海道だったので青森の訓練所で兵隊としての基礎訓練を3か月行ったわね。まあ、女子兵といっても貴重な子供を産むための人間ということで配属される場所は補給、整備、衛生、通信、需品、主計といった男子兵がやるのは惜しいような部署に女子を回そうという算段だったようね。
で、私は通信をきぼうしていたけれど、書類の手違いなのかどう間違えたかわからないけれど、私は航空科に配属されてそこで飛行機の基本構造から通信機の使い方や航法といった飛行に関する知識を学んだわね。そして訓練所であたしは戦闘機搭乗員の適正有と判断されて戦闘機の訓練をおこなうことになったわ。
基本的な飛行から始まり計器航法、射撃、爆撃、特殊飛行といった戦闘機乗りにとっての基本的な飛行訓練を行って飛行時間は300時間を超えたわね。
そして1943年に私は飛行訓練生を卒業し福生基地に配属が決まったわね。
そして福生基地のピストにて配属を申告したけれど、私が配属された部隊は遠征する部隊ということだったそうよ。
「瑞雲ユキ伍長。本日付けをもって福生基地に配属となります」
「ご苦労。私が水瀬暁子少佐である。休め。君は女子航空輸送中隊通称「天使隊」の配属となる。まあ、機材の空輸任務が主体となるが機材輸送も立派な任務である。ところで資料を見たが君は航空母艦への着艦技能をもっているそうだな」
「はい。練習空母である鳳翔で二枚ばねの練習機で着艦をしていますが、もしかすると海軍機の輸送もあるのでありますか」
「うむ。我々の機材は海軍、陸軍共通の機材なのでな。一か月後にイギリスへ出発する。それまでに我々は空母着艦を確実に習熟するために横須賀へ転戦する出発は明後日以上」
そんな感じであたしたちの部隊はイギリスへ行くことになったわね。まあ、陸軍航空隊といえども、戦闘機乗りは皆空母着艦技能を持ってるから大丈夫といえば大丈夫だけれどなんか少々先行きが不安なのも事実なのよね。
我々がノーフォーク軍港を強襲揚陸作戦がおこなわれ作戦は無事に成功し我々は北米大陸の東海岸サイドに橋頭堡を確保したわね。で、そこから電撃戦でワシントンDCを確保するべく進撃が行われることになった。私たち撫子隊はニューヨーク近郊の飛行場を拠点にエアカバーを行うべく連日の出撃と相成ったわけだけれど、敵さんもさすが首都だけあって防空体制は鉄壁に近い状態だったわね。しかしながら制海権を取った上にニューヨーク、ボルチモア、ボストンなどの港を確保しそれらの港から中東の油や欧州で加工されたゴム製品や戦車などが揚陸されアメリカ連合国の首都であるワシントンDCを目指して電撃戦が開始されたわ。~ニューヨーク近郊の飛行場~「戦はこれからどうなるのかしらね。早いところ終わって欲しいものね。噂じゃあ停戦交渉が始まったとかなんとかと聞くわね。ユキ」「そうなるわね。マリア。しかしお互いコードなしで呼び合うというのもいささか不思議な感じだよね」「停戦交渉があるというけれど奴らの最後の悪あがきがあるかもね。っと。どうやら予感は当たったようね」サイレンがけたたましく鳴り響きスクランブルが発令されたわね。私たちは大急ぎで耐Gスーツを装備し酸素マスクのチェックを行ってヘルメット被って格納庫に向かった。そして整備兵はエンジン始動させその間に私は機体備え付けてある梯子を使って機体に乗り込み座席バンドを締め対Gスーツと酸素マスクのコネクターを接続しそれぞれ動作を確認し緊急発進をおこなったわね。管制から走行離陸を行えという指令をうけ私たち4機は緊急出撃したわね。管制からのデータを聞いて絶望的になったわね。数は戦爆連合で800機高射砲連隊から地対空誘導弾や高射砲による迎撃がおこなわれるも敵もレーダー攪乱剤などを巻かれて効果が薄いという状況だったわね。その結果は迎撃に上がった連中の3割が被撃墜で、空中避難が間に合わなかった機体の大半が全損残ったのも大破状態で実質の戦力の6割以上を喪失したわね。まあ、壊滅的な被害ともいえるかしら。私たちの戦いはこの時点で終わったともいえるかしらね。この後の戦いはというと。その空襲から翌日にカナダから飛び立ったジェット重爆撃機嵐山400機を主体としイギリス、ドイツ連合国の重爆撃機、戦闘機連合がワシントンDCを空襲したわね。私たちはその作戦には参加できなかった
私達なでしこ隊は無事にパナマへと進出しカリブ海沖に待機していた第一艦隊と合流しニューヨーク攻略作戦に従事することが決定した。既に南部諸州のテキサス、アラバマ、ルイジアナ、ミシシッピ、フロリダ、カロライナ南北は西サイドへの合流を決め連合軍の補給所として活躍するという確約ができたそうだ。まあ、政治の話はそれくらいにして既に英軍を主体とした欧州連合軍は散々旧アメリカ合衆国に苦渋を舐めさせられた恨みを晴らすべく意気込んでいるようね。そしてデトロイトなどの五大湖工業地帯を占領しその施設をほぼ無傷で入手し、接収した施設を転用しトラックなどを生産しているようね。まあ、ワシントンDCに拠点を置くアメリカ合衆国国の方は五大湖を襲われた上に大西洋の港の大半を喪失と聞いてだからなぁ。で、私たちは大西洋艦隊の拠点であるノーフォーク軍港とその周りにあるニューポート造船所群を攻撃しその後空挺による強襲上陸作戦という無茶な作戦が建てられたわね。そして新設された帝国海兵隊の最初の作戦がこの作戦だそうよ。あ、帝国海兵隊とは海軍陸戦隊と陸軍船舶工兵隊が統合されて緊急展開作戦専用の部隊として運用されることになったわね。まあ、以前の戦いで島嶼戦での米海兵隊を参考としているそうだけどね。で、私達なでしこ隊はその上空支援攻撃となるわね。まあ、どこぞの馬鹿が立てた作戦なんでしょうがまさか夜間発艦し夜明け前にレーダーサイトや各種飛行場を叩くための攻撃隊の護衛任務になるとはね。まあ、血みどろの戦いになるでしょうね。ジェット同士の空戦というのは未知数だけどね。そして機材の点検をしていると大山という技師とばったりあったわね。「あんたが瑞雲ユキはんかね」「そうよ。たしか大山敏朗だったわね。技師さんが格納庫になにか御用かしら」「そうやな。あんたに惚れてしまったんよ」「私に。こんな年増の大女にね。まあ、チビでガニ股のあんたに惚れられるなんていやはや」「なんね。嫌なのかね」「違う違う。あたしもあんたのことが少し気にしていたのよ。で、明日は出撃になるわけだけど、私があんたのものになると言ったらどうする」「そりゃあ。据え膳なら戴くまでさ。めいっぱい交合して孕ませてやるばい」「素敵ね」とまあ、そんな感じでチューしてその後わたしもめでたく男の味を知りましたよ。まさかあんなチビでガニ股の男だったあい
9月下旬に我々の艦隊はパナマへ進出したが、艦隊だけで航空隊は対潜哨戒と一部の直掩隊を搭載し残りの航空隊はハワイからロス~サンディエゴ経由でパナマのコロンへと迎えとのことだそうだ。まあ、信濃たちの船の幅が広すぎてパナマ運河を通過できないのでホーン岬回りでカリブ海へと向かうそうだ。それまで1月前後かかるので私たちはハワイで最後の仕上げを行っていたわね。その頃例のアメリカ空軍の連中が訓練飛行中に散々ちょっかいかけてきたので奴らの機体に大量の二〇ミリをプレゼントしてあげたわね。訓練なので実弾ではなく二〇ミリ弾頭にクレヨンを仕込んだ訓練弾だけどね。その後アメリカ空軍のパイロット連中はみな再訓練を申し出る連中が続出したとかなんとか・・・。ほかにもアメリカ海軍航空隊とも共同訓練を行ったり模擬空戦を行ったりしたわね。なんというか時代は亜音速から遷音速、超音速の領域での空戦となると銃でのやりとりは兵士のナイフのような物になったわね。ほとんど使われないけれど無いと困るという代物かしらね。で、アメリカ空軍は高性能の空対空誘導弾さえあれば機銃は無用と思ったのか機銃の装備がおざなりになったようだな。まあ、その肝心の誘導弾が確実に敵機を撃ち落とすならそれでもいいだろうけれどその前に当たらなかった場合のことをかんがえているのだろうかねぇそんな感じで訓練を終えた私たちはオワフ島からサンフランシスコ、サンディエゴを経由してパナマの飛行場へと移動することになったわね。太平洋上で空飛ぶタンカーと会合してそこで給油を受けてシスコへ向かったわね。そしていよいよアメリカ連合国空軍との戦いになるわね。
9月になり私たちの部隊はハワイのホイラー飛行場で錬成訓練を行っていた。その頃には空軍や増援のパイロットたちがやってきていたわね。なんでも西海岸から上陸するはずであったが、軍上層部はとんでもない博打に打って出ようとしているフシがみえるわね。ところが臨時ニュースでとんでもないことになったわね。なんでも西側の首都だったサンフランシスコが攻撃を受けたという情報がながれたわね。まあ、サンディエゴなどは無事だとはいえ、報復としてワシントンDCやニューヨークを攻撃したというニュースが流れたわね。アメリカ連合国いや、今はアメリカ共産国と改名したようね。なんでもソビエトの亡霊たちがアメリカ合衆国つまりワシントンに食い込んでいて本国が吹っ飛んだのでアメリカの方で芽をだしたようね。その状況に日本政府などもてんてこ舞いのようね。それで西海岸から上陸する手はずを変更となったみたいね。そんな感じで錬成を毎日行っていたけれどどうやら私たちはパナマに転戦となりそうね。10月末に向かうそうよ。まあ、信濃などはでかすぎてパナマを渡れないので私たち航空隊はサンディエゴ経由でパナマに移動になりそうね。それを部下たちに伝えると複雑な表情をしていたわね。まあ、無理もないわね~。それでも来る戦にそなえて猛訓練がおこなわれていたわね。私たちジェット戦闘機隊や攻撃機隊の連中が新たな戦術である空中給油という技術の習得を行っていたわね。まあ、空軍では大型ジェット機のお尻に大型のブームを操作してジェット機の背面や頭上の給油口からジェット燃料を補給を行っているというのは知っていたけれど、海軍でも同じく空中給油の重要性と必要性に駆られて訓練することになったわね。ただ、その方式が給油する飛行機から何本か漏斗のついたホースがたなびいており、その漏斗に被給油サイドの機体の給油管を繋ぐというやり方だそうだ。まあ、この方式では複数同時に給油できるけれど構造上一度に大量の燃料を送ることができないのが難点かな。あとは天候が悪化している時に給油が難しいというのもあるね。そんな感じで私たちは空中給油訓練も並行しておこなっていたわね。で、そんなある日。米海軍航空隊の連中に絡まれてとんでもないことに巻き込まれた。9月のある日だったわね。私たちの部隊が定例の空中給油訓練を終えて居候しているホイラー飛行場に降
1949年 8月7日 太平洋上 晴れ なでしこ隊として空母信濃に配属されてはや数日。私たちの任務は基本艦隊防空と哨戒チームの護衛が主任務となる。本当に軍艦は”働かざる者食うべからず”とはよく言うね。まあ、大体この船の行動パターンがきまってきたのかな。8月8日 太平洋上 雨 この日は一日中雨であったが哨戒機の護衛として一部の飛行隊は飛んでいたが、大部分は飛ぶことはなかった。そのため格納庫内では機材の整備でてんやわんやである。私らも機材の点検と言われて私たちもツナギを着て整備作業をおこなったわね。まあ、空母故に少し見落とされている部分があったりしていたわね。8月9日 大嵐 昨日から降り続いた雨であったが天候が急変し今日はどの部隊も飛ぶことはなかった。どうやらかなりどでかい低気圧に突っ込んだようで空母が縦に横にとかなり揺れる状況になっていたわね。この船でこれなんだから小型の駆逐艦やら海防艦の連中はまさに濁流に飲まれる笹舟のような状況になっているんでしょうね。8月10日 大嵐 昨日と同じく大揺れに揺れている。8月14日 晴れ 低気圧を抜けるとミッドウェー近海まで船は進んでいたようだ。この辺になるとすでに合衆国の制空権内である。ミッドウェー近海に先行していたタンカーと補給艦との合流し物資と燃料の補給が行われるとのことだ。私たちも作業に駆り出されそうだね。8月15日 曇り この日私は回転翼機《ヘリコプター》の操縦資格を持っているということだったのでヘリを使った物資輸送任務に駆り出させられた。前大戦にドイツとアメリカで実用化された垂直離陸可能な航空機という触れ込みで場所を選ばない機動性からすぐに実用化された。まあ、この手の機体の弱点はエンジン出力全てで機体を浮き上がらせているから大型の機体の割に積載重量が少ないのが難点かな。 でも、ジェットやターボブロップエンジンが実用化されているからこのヘリにもその技術を応用すれば大化けする分野の機体と私は見るわね。今は物資輸送や救急搬送などにつかわれるだけだけどね。8月16日 晴れ 補給艦との会合に成功し補給を済ませた私たちの艦隊は一路ハワイオワフ島真珠湾にある軍港に向かうことになった。そこで上陸部隊との待ち合わせだそうだ。ハワイまであと3日という話だそうね。ここはすでに友軍の制空権下なので私たちは日常
1949年 7月31日 厚木市飛行場明日いよいよ北米への出撃がきまったわね。総司令から翌朝0900に横須賀沖にいる空母信濃に向けて移動せよという通知がきたわ。私たちなでしこ隊は戦闘機部隊になるけれど、攻撃隊の隊長があの日高だったとはね。予科練卒というのは伊達じゃあなかったということかしらね。あの人たちが乗る輝星という攻撃機は複座仕様の音速雷撃機というキャッチフレーズだけどね。まあ、もっともマッハ1,2まで出せるけれど、その速度で雷撃実験した時に着水の衝撃で魚雷のジャイロなどがお釈迦になって使い物にならないという実験結果が出た上に敵のレーダー管制による対空射撃によって雷撃はもはや過去の産物になった。で、急降下爆撃での爆弾搭載量では火力不足ということで雷撃と急降下爆撃機が統合されて攻撃機となったわね。その輝星なんだけど石川島播磨重工業製推力4500キロのジェットエンジン1基搭載し兵装搭載量4トンの怪物だったりするわね。護衛空母に搭載されている流星艦攻はロールスロイス社製ターボブロップエンジン6500馬力のエンジンに置き換わって爆弾2トン搭載し30ミリ機銃搭載の攻撃機に生まれ変わったわね。次世代の対艦攻撃手段として雷撃の代わりに対艦誘導ロケット弾に置き換わったわね。対潜水艦の戦術もイギリスのヘッジホッグから派生した対潜弾や対潜水艦用短魚雷という兵器も出てきた。まあ、私たちが乗る戦闘機の空戦にしてもジェットでの戦闘は機体速度が早すぎるため従来の機関銃の発射速度では撃墜困難という結果となり。その対策として電気モータを使った回転銃身式機関銃が正式採用されて海軍、空軍のジェット戦闘機、攻撃機に搭載してる。そのほかにも熱線誘導型空対空誘導弾やレーダー誘導式空対空誘導弾、ほかにも空対空ロケット弾という武器もそろうことになったね。まあ、鳥を撃ち落とすのにライフルではむりだけど散弾銃なら落とせるの同じ理論になるわね。それからパイロットの装備では戦略偵察機景雲などに使われている与圧服や攻撃機、戦闘機に使われている耐Gスーツといった以前の戦いではなかった装備が標準的になったわね。景雲は高度22000米を約半日飛ぶという神の鳥というキャッチフレーズの機体である。私も試作機のテストで飛ばしたことがあったけれどそのときは高度16000止まりだったけれどね。それでも与圧服を
1944年 5月イギリス ロンドン近郊の飛行場5月30日この日の夕刻我々ケルビム隊第一小隊は機材損傷で飛べない状況となっていたが夕刻に司令部より私と小隊長のふたりが呼び出された。「瑞雲ユキ少尉入ります」「神谷晴子大尉入るで。ところで司令ウチラふたりを呼んだ理由というのを聞かせてもらおうかね」「うむ。君たちは夜間飛行は可能だったな」「一応、迎撃もしたことはあるけれどでも、単発機の川崎 三式戦闘機「飛燕」で夜間迎撃はちと困難だけどなぁ」「それはいいが。実はな。今夜フランスからドイツ空軍の技術将校と科学者が亡命を希望しているのだ。で、その手土産として新型ジェット機の設計図1式とジェット
1944年 4月大日本帝国陸軍航空隊に所属していた我々天使隊であったが先日の空輸任務中の襲撃により部隊は事実上の壊滅状態となり作戦続行不可能という状況に陥った。そこで、欧州派遣司令部は天使隊以下空輸部隊をRAFの指揮下に編入させるという決定を下し、我々天使隊はRAFに編入されケルビム隊と名を改められ補充のパイロットもやってきた。私はそれに伴って少尉に昇進となったわね。まあ、イギリス空軍というのは下士官の飛行機乗りはいるがそれは重爆の搭乗員だったりしてパイロットは事実上士官のみという状況であったので下士官だった私たちは自動的に戦時昇進ということでイギリス空軍少尉という階級を与えられたわけ
1944年 3月20日 イギリス本土上空3000M今日この日は我々天使隊にとって最悪の日となってしまった。いつものようにグラスゴーの工場から出来上がった機材をロンドン近郊のタングミア飛行場への機材空輸任務中に断雲に隠れていた敵戦闘機部隊の奇襲を受けたのである。その様子をここに伝える。「あかん。全員増槽を落として散開。敵機襲来や」隊長からの無線を聞いた私たちはとっさに増槽を落としてそれぞれに回避行動に移るも敵の方が上手だったよ。敵機の銃撃をどうにか回避したと思ったけれど、遅かったみたいでコックピット周辺の被弾は避けたけれど、エンジン回りや燃料タンクに相当被弾したようでエンジンから出
1944年イギリス私の名前は瑞雲ユキ。1944年の一月をもって私は曹長に出世した。まあ、イギリス空軍では特務少尉扱いだったのが本国での問題もあり下士官だった私は相当早いスピード出世となったわね。天使隊の活動も順調だけど最近輸送中に偵察任務に来る米軍のP51となる戦闘機と交戦することが多くなってきた。どうやらグリフォンエンジン搭載のスピットファイア16型で互角。私たちの3式もほぼ互角というとんでもない飛行機をアメリカはドイツに貸与したようだ。まあ、私たちも空輸中に襲われたりして交戦することもあったけれどなんとか戦力の拡充を図っているところだ。で、イギリス空軍で改修された川崎 三式戦闘