All Chapters of 偽物クズ夫に別れを告げ、スパダリと政略結婚します: Chapter 561 - Chapter 570

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第561話

一花はそこまでお腹が減っていなかったし、午後はずっとワイナリーでたくさんのワインを試飲していたので、この時少し酔いが回っていた。幸雄の友人たちと少し座っておしゃべりしていてから、先に帰ることにした。ワイナリーは幸雄の家から少し距離がある。一花が車に乗ろうとしたところ、徹に呼びとめられた。「一花さん、今日僕もお酒を飲んだので、幸雄さんがここに一晩泊まっていいって言ってれたんです。一緒に乗って行ってもいいですか?」秘書など同行している人はおらず、徹は大きな歩幅で向かってきた。「二塚さん、同行していた方たちは?」一花は気になって尋ねた。徹は小声で答えた。「彼らは幸雄さんの手伝いで、お客さんを送りに行ってるんです。僕は家には帰らないから、それで一花さんと一緒に戻ろうと思って」亜由と一花は互いに目を合わせた。どのみち車にはまだ空いている席があるので、一花も多くの事は言わず、頷いて軽く返事をすると先に車に乗り込んだ。一花の同行者も一緒に乗っているので、車の人数は多く、一花は最後列の奥に座り、一番最後に乗り込んできた徹とは席が離れた。そして数分ほどで、彼らは幸雄の邸宅に戻ってきた。徹が泊まるゲストルームはちょうど一花と同じフロアだったので、二人は最後まで一緒にいた。一花の部屋は一番奥にあり、彼の部屋は手前側だったので、彼のほうが先に到着した。しかし、彼はすぐに自分の部屋に入ることはなく。一花と亜由について行き、一花を部屋の前まで送ろうとした。「二塚さんも今日はお疲れでしょう。わざわざ部屋まで送ってもらう必要はないですよ。早めに休まれてください」一花は彼がついて来ようとするのを見て、そう言った。一花からそう言われて、徹もただ笑って頷くしかなかった。「分かりました。一花さん、おやすみなさい。また明日」「おやすみなさい」一花はそう言うと、サッと背を向けて歩く速度を早めた。徹がここまで積極的になるので、彼女はどうも居心地が悪かったのだ。彼にはすでに自分に夫がいると伝えている。昼のパーティーでは、徹はそれを理解したように感じたが、どうして夜になってまたしつこく付きまとおうとするのだろうか。「一花お嬢様、今日は心地よくお過ごしいただけましたか?」亜由は一花を部屋の前まで送り、礼儀をもって一花がどう感じたか
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第562話

「今忙しいようでしたら……出てこなくて大丈夫です。ドアの前に置いておきますので」徹はそう言うと、また数秒ほど待った。一花からの返事がないので、彼はドアに背を向けて去っていった。一花は少し可笑しかった。ドアの前に気配がなくなってからドアを開けた。するとそこには綺麗に包まれたプレゼントが静かに柔らかな絨毯の上に置かれていた。一花は廊下に出て、徹がすでにいなくなっているのを確認してから、しゃがんでそれを取った。そのプレゼントはそこまで重たくなかった。彼女は部屋の真ん中まで戻ると、少しだけ開けるのをためらったが、やはりリボンを解いた。包装をはがし、箱を開けると、そこには手にすっぽりおさまるくらいの人物の彫刻があった。一花の彫刻だ。一花は眉間に皺を寄せてそれをまじまじと見つめて、ようやくそれがあのチャリティーパーティーでスピーチした時のものだと気づいた。ブルーのワンピースは、無数の細かな天然サファイアを嵌めてできたものだった。しかし、この彫刻の注目すべきポイントはその宝石でもなんでもなく、それが国際的に有名な芸術家、大沢雅臣(おおさわ まさおみ)の作品だということだ。彼はすでに六十歳を過ぎていて、すでに引退している。徹がそんな芸術家に頼んで作ってもらった彫刻なのだから、これをプレゼントにするのはとても心配りがあるし、その価値の高さに驚かされる。プレゼントボックスにはカードも添えられていて、そこには力強い達筆でこう書かれていた。【心をこめて用意したプレゼントです。一花さんに喜んでもらえれば幸いです。二塚徹】余計な言葉はなく、見た感じとても謙虚で自然な感じだった。しかし……このような貴重なものを贈るとは、彼の一花に対する気持ちはまったく自然なものではない。一花はそれをまた丁寧に包みなおし、再びドアの外に戻した。そしてすぐに徹に返事するメッセージを打った。【二塚さん、あなたの気持ちは受け取りました。でも、このプレゼントは受け取れません。ここまでしていただいて、申し訳ないのですが、私には心に決めた人がいるし、家庭も持っています。あなたから好意を寄せられたくないんです。夫から少しでも誤解をされるようなことはしたくありません。あなたからモラルに反するような幻想を抱かれたくもないです。もし、どうしてもこれを
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第563話

「それはこちらが聞きたいですよ。侑李様がこんなに早く、しかもスーツケースを持って行かれるなんて、出張なんですか?」家政婦はそう言い、執事と互いに目を合わせた。さっき執事がダイニングに侑李がいるのを見かけて、きっと早くに予定があり、使用人たちには伝えているのだと思っていた。昨夜、侑李は遅い時間に帰ってきて、執事は今日の朝着替えを準備しておくように指示されたのだ。この執事は勇一家の日常生活の管理を任されている。毎回勇が出張などで家を留守にする際には、執事が侑李の普段のスケジュールを勇に報告することにもなっている。そして今日、侑李がスーツケースを持って行ったので、彼は出張なのだろうと勝手に思っていた。侑李は思いやりのある人間だ。使用人たちの仕事がスムーズにいくように、いつも協力的だった。普段の生活の中で彼は自分のことは自分でやり、使用人たちに余計な仕事を増やすことはなかった。侑李がいくら忙しくても家を出る時には自分に説明してくれるだろうと執事は考えていた。しかし、今回侑李は何も言わずに去っていってしまった。そして時間が刻一刻と過ぎていき、すでに朝八時をまわっていた。雨の勢いはどんどん増すばかりで、全く小降りになる気配すらない。オフィスビルの全面ガラスの窓から外を見ると、灰色の重い雲が上から圧迫してくるようで、どうも息苦しく感じられる。この時、茉白は手に熱いお茶を持って廊下に立っていた。彼女はぼうっとガラスを打ち付ける雨の粒を見つめていた。それはまるで涙の粒のようだった。一粒、一粒が集まっていき、大量の涙となって悲しく落ちていくようだった。「二階堂さん、おはようございます」夏海がちょうど茉白の仕事フロアまで書類を持ってきていた。そして休憩室を通り過ぎる時に、茉白がそこで呆然としているのに気づき、近寄って挨拶をした。茉白は夏海のほうを向き、暗い瞳で暫くしてからようやく反応し、口角を上げて笑った。「おはよう」「確か、二階堂さんは十時くらいに出勤すればよかったんでしたよね。どうして今日はこんなに早いんですか?」夏海は茉白の気分がすぐれないことに気づき、探るように尋ねた。茉白は言った。「天気が悪くてあまりよく寝られなかったんです。だから早く起きて会社に来たんですよ」彼女は今会社の付近に住んでいるから、もちろ
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第564話

茉白が去ろうとすると、夏海は彼女の手を掴んだ。「あの、朝ごはんはもう食べました?」茉白は少し驚いて、無意識に顔を左右に振った。「じゃ、一緒に食べましょう。私も今日はちょっと早く来ちゃって、他の子たちもまだ来てないんです。一人で食べるのも、なんだか寂しいし」夏海はとても熱心な様子でそう言いながら茉白を引っ張っていった。茉白も拒否することはなかった。今、彼女は心に穴がポッカリ空いたような感じがして寂しかった。気分を紛らわせるだろうから、夏海に引っ張られるままついていった。オフィスキッチンに来ると、夏海は自分が持ってきたフルーツサンドを冷蔵庫から取り出して、それを茉白にあげようとした。それは夏海が昨日、昂輝のために並んでまで買って来た季節限定のフルーツサンドだった。買って来たものは全部昂輝に持たせようとしたが、弟は夏海にも分けるといってきかなかった。弟が残してくれたのがいくつかあるので、一つ茉白に分けてあげた。「甘いものを食べたら、気分が良くなるでしょう。元気が出ない時には、何か食べたほうがいいんですよ。一花さんが言ってたんです」夏海はにこにこしながら、茉白に渡した。茉白は珍しく素直に相手の言うとおりにそれを受け取った。そして一口大きくかぶりついた。「美味しい」濃厚な甘いクリームが口の中に広がり、確かに一瞬でさっきまであった虚しさが満たされるような気がした。しかし、このような幸せな気持ちは一瞬で過ぎてしまう。数口頬張ると消えてなくなってしまった。茉白が大きな口を開けて、豪快に食べる様子を見て、夏海は微笑んだ。「じゃ、もう一個食べます?」茉白は遠慮なく、たくさん食べた。すると夏海は思わず感嘆の声をもらした。「二階堂さんってスタイル抜群だし、美容のためにはしっかり自己管理している感じですけど、甘いものでも気にせずにパクパク食べちゃうんですね」「褒め上手ですね。だけど、私は全然そんなんじゃないですよ。スタイルだって、美味しいものを食べるお金がないからっていうだけです」茉白は淡々とした調子でそう言ったが、その言葉に夏海は笑ってしまった。夏海は、この時茉白がブラックジョークを言っているのかと思った。「二階堂さんって本当にユーモアですね」夏海が自分の家庭状況などあまり知らないことは茉白は分かっている。きっ
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第565話

茉白の声は暗くなった。夏海は彼女の気持ちを理解したようだった。「もし彼が初めから来ていなかったらって、それを知るのが怖いからですね」「……」本音を言い当てられて、茉白は下を向き、黙ってしまった。夏海は唇を噛みしめ、暫くしてからテーブルの上を綺麗に片付けた。「さあ、仕事に行きましょう」「え?」茉白は驚いて夏海を見つめた。彼女は夏海がまだ何か言ってくると思っていたのだ。例えば、人のことを考えず自分のことだけ考えている弱腰の人間に呆れたとかだ。それか、また彼女を説得するような言葉をかけてくるかと。夏海は茉白の瞳を見つめて、微笑んだ。「だって、二階堂さん自身のことなのに、誰かからどうこう言われる筋合いはないでしょう?あなたが抱いてる罪悪感を私が代わってあげることはできないし、そもそも自分で決めることなのに、行けだなんて言えませんし。もし、本当に彼が来ないだろうと思っているなら、そんなふうに迷ってるわけないです。それに、本気で行きたくないと思っているなら、それも同じく、ここまでいろいろ思い悩むわけないですよ」夏海はそう言い終わると、背を向けて先に出て行った。茉白は椅子から立ち上がり、思わず夏海を呼びとめた。「須藤さん、あなたも私が間違ってるって思いませんか?」「すべてのことに必ず正しいとか間違っているとか決める必要はないと思います。それに、本当に間違ったことをしているのなら、それから逃げるか向き合うかは、きっとあなたもどちらを選んだほうが自分が納得できるか分かっているはずです」夏海は笑い、言い終わると大きな歩幅で去っていった。茉白は再び窓の外を眺めた。雨はさらに激しさを増し、空の色もさっきよりも暗くなった気がする。……「侑李さん、二階堂さんはきっともういらっしゃらないですよ」時間が一分、一秒とどんどん過ぎていく。侑李の傍で傘を差している部下の森岡樹(もりおか いつき)が我慢できずに小声でそう言った。樹はすでに何度も侑李に遠回しな言い方で諭していた。しかし、侑李はそれでも市役所の前を動こうとせず、じいっと遠くの方まで見つめていた。地面には雨水が溜まり、ぴちゃぴちゃと水しぶきがあがっている。すでに二人ともズボンの裾が濡れてしまっていた。「じゃ……車の中で待ってみますか?」樹が尋
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第566話

「うん、そろそろ帰ろう」侑李は樹の話の途中で、沈んだ声を出した。もう待てるだけ待った。これ以上待っても、彼女はきっと来ない。侑李は下を向いていて、前に数歩進んだ瞬間、胸元に突然何かが当たった。彼が顔をあげると、そこにはずぶ濡れになった茉白が立っていて、手を軽く彼の胸元に当て、市役所のほうへ押し戻した。「侑李……」茉白は、はあはあと息切れしていた。彼女はタクシーで来ていたが、途中雨のせいか渋滞がひどく、結局途中で降りて、雨が降りしきる中を走ってきたのだ。そして、本当に侑李が市役所の前にいるのを見ると、彼女は全身の血が沸き立つかのように熱くなった。雨が降って気温が下がった寒い中を来るのも、そんなに悪くないと思った。「来たんだね」侑李は瞬間、瞳を輝かせて口角を上げたかと思えば、すぐに彼女の手を握って懐に引き寄せた。樹も急いで二人のところにやって来た。樹は大きめの傘を差していたが、三人だとやはり狭い。自分が譲るしかない。「ごめん、遅くなって。まだ間に合う?」茉白は侑李から責められると思い、彼の目を見られなかった。茉白の言葉が終わるまえに侑李は彼女の腕を引き、すぐに市役所の中へ連れて入った。「身分証明とか持ってきてる?」「うん……」「それならよかった」侑李も余計なことは言わず、茉白を連れて早速手続きに行った。職員は茉白の様子を見て言った。「ずぶ濡れじゃないですか?大丈夫ですか?」「大丈夫です」茉白はすぐにそう答えた。侑李と茉白は互いに目を合わせて、すぐに視線を外した。二人はこの時同じ考えだった。一分、一秒も余計に待っていられない。今すぐに手続きをしてしまいたい。職員は少し訝しそうにしたが、茉白の様子を見かねて、他の職員にドライヤーがないか聞いてくれた。侑李が婚姻届けに記入している間に、茉白はドライヤーを借りてトイレに行き、髪や服を乾かした。彼女は化粧をしていなかったが、肌の状態がよかった。透き通る白い肌に、頬はまるでチークをつけているかのようにほんのりと赤い。そして彼女が侑李のもとに帰ってくると、職員は思わず二人を見て、とてもお似合いだと思った。女性のほうはとても若々しくて美しく、男性のほうは落ち着いていて爽やかな青年だ。二人が揃って座っていると
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第567話

「また新しい家を探す必要なんてないわ。私のせいでかなりお金を使わせちゃってるんだから」茉白は小さな声で言った。侑李は一番立地の良い場所を選んでくれた。彼女は家の中に入った瞬間にそこが気に入った。風景もさることながら、庭と、それに彼女が大好きなバルコニーまである。二階堂家もとても豪華な家だが、茉白にとってはいつも環境が悪く小さな冷たい場所だった。それと違ってこの場所は、至るところに温かさや自由を感じられる。雨があがれば太陽の光がベランダに降り注ぐ。彼女はそこでたくさんの花を育ててもいいなと思った。しかしすぐに、茉白は現実に引き戻された。この時、侑李が樹からある契約書を持ってきてもらった。契約書は数十ページにも及び、樹が細かいところまで茉白に説明していった。侑李はここ数日会社の仕事は放り出し、この準備をしていた。契約書の中には茉白の権利が保障される内容が約束されていた。彼女と侑李が婚姻関係にある期間、彼女は妻として得られる権利を保障されているが、妻としての役割を果たす必要はなかった。侑李は彼女が必要とする経費を全て負担し、夫として必要な手助けをする。二人は本物の夫婦関係を築く必要はなく、お互いにプライベートな空間を保てるというものだ。婚姻関係をいつまで続けるか、それは茉白が決めていい。つまり、この契約書は茉白が安心していられるためのお守りのようなものだった。二人の婚姻関係が彼女にとって鎖にならないように、彼女を安心させる目的でそれを作成したのだ。侑李がそれらの権利全てを彼女に渡すことは、茉白にとっては一種の施しのように感じられた。彼自身は何も求めず、ただ彼女を助けるためのものだ。「この契約内容では不公平だわ。あなたにとって、何も得られるものなんてないじゃないの」茉白は腹立たしげにそう言った。侑李は彼女の横顔を見つめ、暫くの間黙っていてから、彼女に尋ねた。「じゃ、僕には何が得られると思う?」「あなた自身は何が欲しいの?」茉白は顔をあげて侑李を見つめた。その眼差しには微かな期待が込められていた。「子供かな」「……」その言葉に茉白は驚いた。侑李の口調は重々しくなく、ただ冗談を言っているだけのような軽さがあった。彼女は眉間に皺を寄せた。「侑李……」「もし、どうしても僕に何か恩
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第568話

茉白は小声で言った。「おじ様があなたがこんなことをしたって知ったら、きっと私のことをすっごく恨むわよ」「今そんな心配をしたところで、もう遅いだろう?」侑李は軽く笑って、茉白が話している時にすでに彼女の荷物を開け始めていた。しかし、茉白には特に荷物などなかった。彼女が二階堂家から出てきた時には何も持っていなかったので、ホテルにいた数日に適当に何枚か服を買ったくらいだ。ショッピングバッグにもいっぱいにならないくらいの少ない量だった。侑李は眉をひそめて、茉白の服をクローゼットの中にかけてあげた。そしてポケットからカードを取り出して、ベッドの上に置いた。「今は、これからの新しい生活だけ考えていればいいよ」侑李は茉白に、高級ブランドばかりが集まったモールで、上限金額なしで使えるカードを彼女にあげた。直接お金を渡すのは彼女のプライドが許さないと彼はよく分かっていた。契約書でも取り決めたし、二人は今一応夫婦関係で一緒に生活を始めるのだから、茉白に惨めな思いなどさせられるはずがない。侑李は何をするのにもこだわりを持つ人間だ。茉白にも彼のそのやり方に合わせてもらう。茉白はそれを断わることはなかった。「使ったら返すから」侑李はすぐに頷いた。「うん、使ったら返して。だけど、それは無制限のカードだから、きっと使いきれないと思うけど」「……」茉白はその瞬間言葉を詰まらせた。二人の言う「使ったら」の意味は全く違う意味だ。侑李はそのカードを渡すと、また少しの間その場にいて、ポケットの中から黒いベルベット素材の小さな箱を取り出した。彼はそれをそのまま茉白に差し出した。それは開けるまでもなく、何なのか彼女は分かり、瞳を揺らした。「それは……必要ないんじゃない?」「やるなら徹底的にやらないと」すると彼はまたリングケースを取り出した。二つの箱を開けると、ペアのエンゲージリングが現れた。茉白の指輪には10カラットの大きなダイヤがついていて、デザインもかなり華やかだった。「これ、あなたが選んだの?」茉白がそう尋ねた瞬間、手を掴まれて侑李に指輪をはめられた。彼は彼女の細い指をした手を見つめた。「似合ってる」彼女はすごく綺麗な手をしているから、このダイヤの指輪がよく似合っていた。茉白は顔がどんどん熱くなってい
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第569話

夜になると、雨はやんだ。空気は冷たく、木の葉が風に吹かれて低い泣き声のような音を立てている。そんな中いると、孤独感がさらに増してしまう。柊馬はオフィスにある小さなベランダに立っていて、微かに明りが灯っている向かい側のビルを眺めていた。湊が静かに隣にやってきて、彼に注意するように言った。「社長、もうこんな時間です。送って行きましょう」一花は家にいない。目の前の部屋は真っ暗だった。帰っても、さらに寂しさが増すだけだろう。ここ二日、柊馬は朝病院へ行き、治療を受け、午後は会社で仕事をこなしていた。医者からはあまり疲れてはいけないと言われていた。しっかりと治療を受けて、気持ちも明るく保つようにとのことだった。それを湊も覚えていて、彼には常に注意していた。しかし、一花が不在だと、柊馬はまるで魂を失ってしまったかのようだった。食事も思うように喉を通らず、時間通りに休んでも、顔色は良くなかった。この時の柊馬がどれほど苦しんでいるのか、湊には到底想像することすらできなかった。直接命が失われるよりも、じわじわと体を蝕んでいくその感覚の方がずっと辛い。柊馬はいつ爆発するのか分からない爆弾でも抱えているかのようだった。もし湊がそのような状況になったら、すでに精神的にまいってしまうだろう。しかし、柊馬はどうしてこのように落ち着いた様子で仕事をこなし、電話で一花と話す時も今まで通り笑って話せるのだろうか。「ああ」柊馬は頷き、視線を向かいの建物から離した。夜風が冷たかったからだろうか、彼は軽く咳をしていた。湊はすぐに手に持っていたコートを渡した。家に帰る途中、柊馬は一花にメッセージを送った。彼は二人には今十二時間の時差があることを計算した。この時間なら、ちょうど一花のほうは朝の八時だ。普段の彼女ならこの時間にはもう起きているはずだ。思った通り、一花はすぐに返信してきた。湊はバックミラー越しに、柊馬が携帯で熱心に文字を打っている姿を見ると、鼻の奥がツンとしてきた。湊は長年柊馬のもとで働いているが、柊馬はメッセージを返すのが一番嫌いだった。それだけでなく、電話に出ることも、もっと嫌いだった。電話をかけた時も、相手に余計に説明したりするのも億劫に感じていた。もし自分のその目で見ていなければ、湊は柊馬のような男が
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第570話

「もしかして何かあった?おじいさんが君を困らせるようなことでもしてきたか?」さっき一花が自分に恋しいと言ったのは、ただ甘える言葉を言っただけのようだったが、柊馬は鋭く反応した。普段、一花は心の中で彼にそう思っていても、実際に口に出すことは少なかった。二人っきりで、甘い時を過ごす時を除いて。「ううん……」実際、一花はM国に滞在し、いつも不安を感じていた。和香と幸雄が自分に一体何を隠しているのか分からないし、それにあの二塚徹だ……彼の存在も彼女を困らせるものだった。だからこそ、余計に彼女は柊馬が恋しくてたまらなかった。柊馬の存在は彼女の力になっている。彼女は本当に今すぐにでも彼のもとに戻りたくてしかたがないのだ。彼に抱きついてぐっすり寝たい。柊馬は何でも深く考えてしまうタイプだから、この話をしたら、彼女にまだ何も起きていなくても、彼の方が先に焦ってびくびくし始めるはずだ。それに、彼女は今日帰国することに決めている。柊馬が朝目覚めた時には、彼女はもう家にいるだろう。柊馬にちょっとしたサプライズができる。それを考えると、一花の気分も良くなってきた。「ただ、本当にあなたに会いたくなっただけ」「俺もだ、俺も一花にとても会いたいよ」柊馬の声はどんどん低くかすれていった。携帯から飛び出してすぐにでも彼女の頬に口づけしたくてたまらない。一花のほうに誰か来たのか、彼女は柊馬との電話をそこまでで切ってしまった。柊馬は真っ暗になった携帯を見つめ、急に湊に指示を出した。「空港へ向かってくれ、M国に行く」「社長、一体何を……今すぐにですか?」湊はハンドルをぎゅっと強く握りしめ、眉間に皺を寄せた。「明日にしましょうよ……」「無駄口をたたくな」柊馬は淡々としていたが、有無を言わさぬ姿勢だった。柊馬が一度決めたら絶対に自分を曲げない人間であることは湊も理解している。それに一花が絡む事だとなおさらだ。しかし、湊はやはり心配だった。柊馬は決めたら迅速に行動に移す。しかし、湊はどうしても同行チームを作ってからではないと行けないと譲らず、翌日の朝早くに出発することに引き延ばした。同行チームの中には、昔から長年柊馬の主治医を勤めている医師の岩崎と、彼が新しく招いた女性医師の松本杏(まつもと あん)も一人含まれて
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