All Chapters of アスイェ•Asyeh: Chapter 31 - Chapter 37

37 Chapters

第三十話:午後の光

午後の光は、薄い布のようにすべてを覆っていた。花の形すら、セラフィナの目にはうまく映らなかった。少女はゆっくりと歩いていた。彼女は、なぜ散歩しているのかもわからなかった。ただ、ゆっくりと歩いていた。夜の蟲にいくらか食われたにもかかわらず、アスイェの薔薇はまだ多く、最近までつぼみだった花も一気に咲いていた。その香りは強く、セラフィナはくらくらと眩暈を覚えた。彼女はいつのまにか庭の中で立ち止まり、耳のそばで風の音が鳴り続けていた。まるで水の下にいるように、視界もぼやけていた。セラフィナは頭を振り、足取りもふらふらとしていた。セラフィナはうつむき、自分のドレスが目に入った。――彼女は自分がいつのまにか座っていると気づいた。日の光が強くなった。少女の気分はどんどん悪くなっていった。目を開けるのが怖く、吐き気はあるのに、胃の中は空だった。やがて立っているすら難しくなった。誰かがセラフィナの背中を軽く支え、日の光を手で遮った。アスイェだ。セラフィナはかろうじて立ち、アスイェの声が後ろから聞こえた。彼女は不安で手を少し伸ばしたが、何も掴めなかった。「耳が鳴ったか?」セラフィナはもう目を開けられず、軽く頷いた。「熱中症か……」セラフィナは頭の中の何かを追い払いたいように混乱し、しばらくアスイェの呼びかけに答えなかった。アスイェはセラフィナを抱き上げ、部屋の中へ運んだ。「……セラは、散歩しているだけ……」セラフィナはアスイェの腕の中で、弱々しくそう言った。「知っている」アスイェの声は低く静かだったが、ぼやけた意識の中でも、その声だけははっきりと届いた。その声を聞くだけで、体が少し軽くなる気がした。「……セラは、ゆっくりと大きくなったらいいのに……」「これが、成長だ」このあと、セラフィナはしばらく眠りに落ちた。目を覚ましたとき、最初に見えたのは見慣れた天井だった。熱は下がったが、まだだるさが残っていた。アスイェはいつも、ちょうどいいタイミングで現
Read more

第三十一話:風が話している

風が止み、また吹き始めていた。 セラフィナは窓辺にずっと座っていた。 これは夢の中にいる感覚でもなければ、ただぼんやりしている感覚でもなかった。 それは――魂だけが体から抜け出し、ようやく戻ってきたような感覚だった。 彼女は自分の手を見た。指は冷たく、目の前の色も変わって見えた。 風の音がやっと止まり、そのあとに聞こえたのは――誰かの話し声だった。 少女が試しにしばらく息を止めると、すべてが静かになった。 しばらくして、セラフィナは立ち上がり、部屋へ戻ろうと一歩を踏み出した。 しかし、足元はふらつき、目の前が暗くなった。 もう一度目を開けた時にはセラフィナはアスイェの書斎にいた。 少女は書斎のカーペットの上に座っていた。 アスイェは片手でセラフィナの耳を塞ぎ、もう片方の手で彼女の目を軽く覆っていた。 彼の掌は冷たかったが、その手はセラフィナを暗闇から救い上げていた。 「セラ……セラフィナ……」 アスイェが彼女を呼ぶと、少女のぼんやりしていた意識は、ようやく戻ってきた。 「セラは……ずっとアスイェの机の前に立っていた?」 「うん。ゆっくり歩いて、入ってきた」 セラフィナは顔を下げ、自分の足を見た。 「アスイェの呼び声が聞こえなかった」 「……そうか」 「風の音がうるさくて……誰かの声が聞こえたの……」 「もしまた聞こえたら、目を閉じて、耳を塞いでいい。落ち着いたら帰ってこい」 「……セラ、自分で帰ってこられるかな……」 アスイェはすぐに答えていない。 「帰り道がわからなくなったら、こっちから探しに行く」 セラフィナが屋敷の中をぶらぶらするのは初めてではなかった。 彼女はよく、自分が何をしていたのか忘れてしまう。 例えば、水を流したまま―― 顔を洗うのを忘れたり、鳥の鳴き声を聞いているうちに、あっという間に時間が過ぎていた。 「言ったはずだ。これはお前の成長だ」 「いつ良くなるの?」 「そのうち治る」 セラフィナにはまた声が聞こえた―― でも、アスイェの声じゃない。 アスイェは近くにいるのに、声は遠くから聞こえるようだった。 セラフィナの意識はすぐに戻ってきた。 「セラには……まだ何か聞こえた……」 「そうか……気持ち悪いか
Read more

三十二話:霧の心

セラフィナは最近、風の音が嫌いだった。風の音が一番はっきり聞こえたのはアスイェがいない午後だった。セラフィナはただ、庭の影に座っているだけだった。一枚の葉が彼女の前に落ち、まるで誰かが手を振っているように揺れた。彼女は無視しようとしたが、見えない手に胸を押さえつけられるような息苦しさを感じた。セラフィナの呼吸がどんどん浅くなった。耳が鳴った。目眩がした。セラフィナは耳を塞ごうとしたが、手が動かないことに気づいた。アスイェの名を呼ぼうとしたが、声が出なかった。耳鳴りの音はどんどん大きくなり、やがてはっきりと聞こえるようになった。ドン、ドン……セラフィナはその音を知っていた。それは心臓の音だった。少女は人の子だったが、その心臓はとっくに止まっていた。彼女の命はアスイェに救われた。セラフィナはあがこうとしたが、それすらできなかった。その瞬間だった。――彼女には人影が見えた。その人は顔が霧の中にあり、よく見えなかったが、それでも目だけは見えた。閉じていた目が開き、その目は赤く、まるで薔薇のようだった。セラフィナを見ていた。言葉はなかったが、その目は彼女を誘っていた。その目はアスイェのものではないと、セラフィナは知っていた。それでも、その目はあまりにも美しく、抗えず――そのまま堕ちる瞬間……彼女は抱きしめられた。「ア、アスイェ?」「うん」セラフィナの目から涙がこぼれた。アスイェの腕には人の温もりはなかったが、セラフィナにとっては悪夢から引き離してくれるものだった。涙が止まらなかった。セラフィナは泣きながら言った。「セラのところに来るって……アスイェは、言ったのに……」アスイェはただ、しっかりと少女を抱きしめ、背中を撫でた。「もうセラを見つけたから、しっかり寝るといい……」彼はセラフィナの泣き腫らした目を見つめ、涙を拭き取った。泣き疲れたセラフィナはそのままアスイェの腕の中に眠りに落ちた。
Read more

第三十三話:いつもの朝と特別な味

セラフィナはよく甘える。特にアスイェをハグするのが好きだった。それは二人の間にある儀式のようだった。一日のうち、いつも少女が近くにいる瞬間があって、アスイェの手がちょうどセラフィナの頭を撫でた時や、彼のそばに来た時に、セラフィナは必ずそこに座り、そっと彼に近づいて、抱きついた。以前は寝る前にそのままアスイェの首に抱きつき、自分の体をぶら下げていた。さらに前は、目を覚ますとすぐにアスイェに抱きついた。今日はその「さらに前」の時と同じだった。セラフィナはアスイェを見るなり、すぐに甘えた。アスイェはそのまま彼女の背に手を回し、抱き寄せた。「アスイェ、おはよう……」「うん」アスイェは彼女をうけとめ、寝起きの挨拶もせず、「もっと寝ればいい」と言った。「いいや、今日はアスイェ、お出かけするの?」「キッチンに行くだけだ」「キッチン?」「そろそろお前に人類の食べ物を与えるべきだ」「ほんと、やった!」セラフィナは、人間の食べ物が自分たちのものと違うと知っていて、ずっと試してみたかったが、今までアスイェは与えてくれなかった。「うん。寝たくないなら、ついてこい」屋敷は相変わらず静かだった。そして、セラフィナは初めて、アスイェではない他の男の姿を見た。その男は執事の姿をしていて、アスイェに深く頭を下げていた。「その人は……」「サーバントだ。気にしなくていい」***朝食は温かいものだった。温かい肉と、甘く味付けされた野菜。中身のわからないスープ。——アスイェの前にも、その「わからないスープ」が置かれていた。「見るだけじゃなく、食べていい」セラフィナはスープを一口飲んだ。甘い、ちょっとしょっぱい。食べたことがない不思議な食感だった。でも——「……美味しい」「そうか……」「味、わかるか?」「わかる、けど、味がかわる……」「味覚は錯乱している。そのうち治る」「アスイェは?食べるの、好き?」
Read more

第三十四話:触覚と心音

少女の体調はまだ優れなかった。 カーテンがしっかり閉じられていなかった。 セラフィナはそのわけを考えた。 なぜなら、アスイェはいつもカーテンをしっかり閉めていた。 セラフィナは日の光がわりと好きで、少なくとも怖くなかったが、今回は違った。 日の光がカーテンを通って、彼女の手の甲に当たり、焼けつくような感覚を残した。 最初,その感覚はそれほど強くなかった。 セラフィナは無視した。 少女はゆっくりと手を日の光から離し、自分の後ろに隠した。 これでその小さな痛みは少しだけ和らいだ。 セラフィナはいつものように庭へ散歩に出た。 何かに耐えるように唇を固く締め、足取りはいつもより少し早かった。 部屋の扉を開け、彼女はアスイェの姿を見てホッとした。 アスイェは本のページをめくった。少し間を置いて、セラフィナは聞いた。 「セラ、アスイェの隣に行っていい?」 本を読んでいたアスイェは少女を見て、「おいで」と言った。 セラフィナはアスイェの側へ行ったが、座るとき、手をしっかりと膝の上に置いた。 「どうした?」 「風がセラの顔をひっかくみたいだった……」 セラフィナの声は冷静だった。 「そうか……顔が痛いのか?」 アスイェはセラフィナを見て、顔にかかっていた髪を、そっと耳の後ろにかけた。 「うん、針に刺されたみたいだった……」 彼は少女をやさしくあやした。 「これが、覚醒?」 アスイェはセラフィ
Read more

第三十五話:炎の子

夜の風が吹き、アスイェの薔薇が揺れていた。今夜の月は明るく、セラフィナは自分のマントをしっかり着ていた。顔を上げると、アスイェは廊下の奥に立っていた。彼はセラフィナを促すことなく、ゆっくりと彼女に近づき、見つめた。「靴紐はしっかり結んだか?」「うん!」「武器は?」「はーい」アスイェは頷き、 セラフィナを連れて階段を降りた。通りは少し濡れていて、灯りも暗く、セラフィナはアスイェを見た。彼女はいつも、この長い階段を降りていくアスイェの背中を見つめていた。自分の足でこの階段を降りるのは、これが初めてだった。アスイェに連れられて、アスイェの書斎を通り、庭を抜け、屋敷の扉に辿り着いた。「いつも、夜は外に出してくれないのに」「お前は怖がっていたからな……今夜は散歩だけだ」「散歩?セラを連れて?」「お前は成長したからだ」セラフィナは小さく「うん」と答えた。二人は森に入った。森は静かで、虫の鳴き声すらなかった。ただ、二人の足音が響いた。何回か蟲の殻を踏んだと思ったが、その違和感も小さく、すぐに忘れてしまった。二人は足を止めた。セラフィナはなんとなく、ここが彼のよく立ち止まる場所だと感じた。「……お前もここに来たことがある」「セラ、覚えてないよ」「あの夜は、お前が外に逃げ出して、風に当たって、そのまま熱を出した。俺が見つけた時、お前はよく泣いていた」「セラはなんで外に逃げ出したの?」「お前は外の色を見たいと言った」「そうなの?」「今見ただろう?あまり面白いものではない」森で微かな音がした。風の音だった。木の影が揺れているだけのはずだったが、セラフィナは焦げた匂いを感じた。風が森の奥から運んできた焦げた匂いには、薔薇の香りも混じっていた。アスイェは足を止めた。少女はそのそばで、息を殺した。「匂いが……」「わかるのか」「蟲がいる?」「そうだ。匂いでわかるなら、お前が炙り出せるはずだ」
Read more

第三十六話:少女と炎

朝の庭は静かで、平和だった。露《つゆ》はまた花びらの上に残っていた。日の光はまたやさしく、芝生《しばふ》を照らしていた。いつもなら、セラフィナは芝生の上に寝転んでいるのだが、まるで何かの儀式の前の準備のようだった。アスイェは手に本を持っていた。「準備はいいか?目標は一直線だ」「でも、ここはアスイェの庭でしょう?」「お前の庭でもある」「燃やしちゃだめだよ!」「昨日の夜、一度燃えただろう。気にしていない」「あ、あれは!」「燃やしたくないなら、石だけに火をつければいい」アスイェは石を一直線に並べていて、それが今回のセラフィナの目標だった。セラフィナは手を挙げて、しばらくそのままだった。「……今回こそ一直線に燃やしてみせる」そう言って、彼女の指先から小さな炎が灯った。「できた!」興奮した瞬間、その炎はセラフィナの指先から逃げ出すように広がり、芝生の上に焼け跡の線を残した。それは「直線」と言いがたいものだった。――それは蛇のように、セラフィナの側からアスイェの前まで燃え広がった。その「蛇」はもちろん、アスイェの靴に触れる前に消えた。アスイェはその痕を見て、しばらく何も言えなかったが、セラフィナは彼に聞いた。「風が吹かなかった?」「お前の頭の中では吹いていたんだろう」「どういう意味?」「かわいいバカって意味だ」「セラ、真剣にやった!」「なら、自分のドレスまで燃やさないはずだ」「燃やしてないもん!」アスイェはゆっくりと少女の側にしゃがみ、彼女の肩を軽く叩いた。「よく見ろ」アスイェが手を軽く上げると、炎は本当に、金色の直線を描いた。その炎は静かで、柔らかそうに見えるが、熱さも、危うさも纏っていた。――アスイェが望めば、すべてを美しく燃やせるのだろう。「アスイェ、火を安定させる魔法も使ったでしょう?」「……使っていない。お前もやってみろ」「こう?」「肩の力を抜け。手を震わせるな。火を灯すんだ。爆発させるんじゃない」
Read more
PREV
1234
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status