【2019年10月】東京都・世田谷区 キヨミは自宅のアパートの風呂に浸かっていた。ほんの数時間前までテラダに抱かれていたことが、もう遠い昔の出来事のように思えた。湯船の中で膝を抱え、ぼんやりと白いタイルの壁を見つめる。体はまだ熱を持っていたが、心は妙に冷えていた。 “ご、ごめん……考えさせてくれないかな……?” テラダはホテルでそう言った。 “決して、子供ができない女性とは結婚できないって言ってるんじゃないんだ……ただ混乱してしまって” 必死に否定しようとする彼の言葉は、かえって本音を浮き彫りにしていた。彼のたどたどしい微笑みや視線の泳ぎ方からも、それが痛いほど伝わってきた。 つくづく嘘の下手な男だ。 キヨミは湯船の中で小さく息を吐く。テラダの言葉の後に、自分が紡いだ言葉を思い出した。 “ずっと黙っててごめんなさい。マコトに中出しを許したのも、自分がこういう体だってわかってたから。でも、誰でも受け入れてたわけではないことは信じて。マコトだけだから” テラダは、“アカリ……アカリさん”と掠れた声で彼女を抱きしめたが、それ以上の行為はなかった。シャワーを浴び、服を着て、互いにホテルを出た。 “また、会ってくれる?” そう訊ねたキヨミに、彼は、 “も、もちろんだよ……” と答えたものの、声は明らかにぎこちなかった。 子供が成せないという事実は、それほどまでに重いのだろうか。 無月経の体。これが風俗嬢としての最大の武器だった。生理の心配がなく、いつでも働ける。けれど普通の恋愛にとっては、やはり決定的な欠点でしかない。勘違いしていたのは自分だった。求婚されて、何を舞い上がっていたのだろう。 キヨミは湯船から上がって体を拭き、風呂場から出てバスタオルを体に巻くと、冷蔵庫を開けた。キンキンに冷えたデカビタCのペットボトルを取り出し、一気飲みする。強めの炭酸が喉をチクチクと刺激するが、鬱々とした気持ちは少しだけ浄化されるような気がした。 バスタオル姿のまま、気分転換に図書館から借りてきたタカナシカツヤの小説を読み始めた。 決してアズサのことを書いたという確証があるわけでもないが、少なくともそれがアズサとカツヤの関係性を知る上でのヒントになるのではと感じていた。 ※ 【2011年8月~2
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