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《サトラレメイド》全部章節:第 1 章 - 第 10 章

20 章節

1章 サトラレメイドに恋をして 1

 いくたびも、雪の深さを、尋ねけり。   正岡子規が読んだ句の通り……と言うには雪などこれっぽっちも降っていないし、にこやかな晴天が空を覆い尽くす十二月上旬の東京市。   本郷区向ヶ丘に居を構える第一高等学校の廊下で、俺は先日のテスト結果が張り出された紙を眺めながら盛大に高笑いしていた。 「はーははっははっはは!」   市川誠二の名前が七番目に記されている。つまり七位だ。試験一週間前から睡眠五時間で勉強し続けた甲斐があったと言えよう。周囲の学生たちがぎょっとした目でこちらを見るが、俺は全く気にしない。 「んー、快調快調。よっしゃ、次は五位以内を目指そう! よし、この順位を祝してちょいと腕立て伏せしてみるか。文・武・両・道! 文・武・両・道!」   廊下だというのに、ついで言うならみんなが見ているのに構わず腕立て伏せをする俺。誰かが何か言ってるが、全く気にならん。 「おお、筋肉の調子もいい。うーん今日は射撃場にでも行こうか。おお、体が鍛えられる快感が、この俺の魂を揺さぶる!」   さて、二百回ほど腕立て伏せを終えた頃にはもう学生など誰もおらず、皆呆れて帰ってしまった模様。   俺は額にたまった汗をぐいっとぬぐうと教室に戻り、帰る準備を始める。マントを羽織り、鞄を持ち、本を片手に教室を出る。ちなみに本は美容について書かれた婦人雑誌だ。 「本によると垂れ下がるあごを緊縮せしむるには……ほう、包帯で顔をぐるぐる巻きにするといいのか! 俺は身だしなみにも全力投球だからな。女物の美容雑誌もしっかり読まねば!」   大正十年。原敬が暗殺され、シベリア出兵も三年目に突入。欧州大戦後の好景気も露と消え、圧倒的な不景気が世を覆い尽くす暗い世相。   俺はそんな時代を蹴散らすかのような明るさを全身に宿しながら、ずんずんとマントを翻し、廊下を闊歩していく。勿論本を読みながら。   男が婦人雑誌なんて……と昔なら言われただろうが、最近は婦人の権利も拡充してきたし、男が婦人雑誌を読んでも許されるだろう。   それにしても俺は凄い。凄すぎる。 「ああ、頑張るって素敵だなあ。一生懸命って麗しいなあ。日増しに向上する自分のスペックがたまらない!」
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1章 2

 師走特有の北風が夕方の空に吹きすさぶ。   学ランとマントをまとう俺の体に針のごとく突き刺さる圧倒的な寒さ。しかしそんなことを気にせず東京の街並みを全力で突き進んで行った。   家までは走って三十分。まさにギリギリだ。しかし諦めない。俺は人々の隙間を縫いながら疾駆する。   往来は夕飯時が迫っているということもあり、主婦や子供たちが談笑しながら買い物し、それに呼応するように様々な店の主人が大きな声を張り上げ、それが東京に活気をもたらしていた。   うん、つまり彼ら凄い邪魔なんですけどね。まあ仕方あるまい。この困難が俺をより一層燃えがらせるのだ。   と、その時。道ばたの一角で何やらトラブルが起きているのが見えた。 「む? 何事だ?」   足を止め、様子を窺うとどうやら軍人あがりと思われるくたびれた雰囲気の男二人が、矢絣模様の袴にブーツを履き、長髪を三つ編みに結った女学生風の女の子に絡んでいるようだった。 「おう姉ちゃん、今俺たちを指してバカにしやがったろ?」「女のくせに随分と生意気じゃねえか、あ?」 「何をおっしゃっているのかわかりません。その馬面とっとと回れ右してビールでも浴びていればいいんじゃないですか? あ、ビールは高くて買えませんか。失礼」 (わー! 早く謝らないと! 何言ってるの私!)   ん!? 今毒舌と謝罪を交互に言わなかったか、あの子。   軍人あがりは眉間にしわを寄せ、青筋をピクピクと浮かせながら女の子に詰め寄る。 「あああっ!? 殺すぞゴラア!」「最近フェミニズムとかいう言葉が流行ってると聞くが、てめえがそうか。おい横島、こいつやっちゃおうぜ」 「ふん、シベリアではまだ兵隊さんが戦っているというのに、随分ボケた顔をしていますね。北樺太あたりの漁港でカニでも獲ってきたらよろしいんじゃないですか?」 (キャー! どうしてこんなこと言っちゃうのよ! ああ、凄い睨まれてる。ごめんなさいごめんなさい!)   まただ。しかも後者の声は少しおかしい。前者は普通に女の子の口から発せられているのに、後者は口が動いていなかった。ちなみに体は完全に緊張で固まっているようで、
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1章 3

結果を言うなら、俺の圧勝に終わった。 「ふん、他愛もない」 「馬鹿な……」「なんだ、こいつ……」   俺はマントをばさっと翻し、駆ける。こんな雑魚どもの相手などしてられないのだ。 「さて、これはいかん。大遅刻だ。急がねば!」   とはいえこれではどう考えても間に合わない。家につくとしたら四時十五分、いや、下手したら四時半くらいになる。   ちらりと、道の端に自働電話が見えた。自働電話とは道ばたに設置されている電話のことで、お金を入れることで通話が出来るという画期的なサーヴィスである。雨宿りも出来るよう小型のボックスに包まれていて、至れり尽くせりだ。 「く……遅れるって電話しておくか! あ……だ、ダメだ!」   なんと自働電話の前には長蛇の列が出来ているではないか。うねうねと長いやつ。一体何人待っているのか数えていられない程。   まったく日本人は電話好きすぎて困る!   やむなく俺は自働電話を通り過ぎ、ひたすらに走り続けることにした。   無論、間に合うわけもなく、屋敷についた時には三十分も遅れてしまっていた。 「はぁ……はぁ……しょ……初日だというのに、俺としたことが」   俺は深呼吸をして息を整え、きちんと学ランのシワを伸ばすと応接室へと向かう。   ドアを開けながら元気よく挨拶! 「お、お待たせしました! 父に代わってご挨拶します! 当家の嫡男、市川誠二と申します! これからどうぞよろしく……」   そこにいたのは矢絣模様の袴をまとった女の子。胸元まで届く長い三つ編みが印象的な、全体的に丸顔の子。 「おねが……い……」   歳は十五前後であろうか、美人というより可愛らしいと言った方がより適切で、背丈も推定百五十前後とあまり高くない。肌は白く、雪のように綺麗だった。   そんな彼女が薄桃色の唇をすっと開き―― 「あら? 誰かと思えば人前で歯をきらめかせてたド変人じゃないですか。ここのボンボンだったんですか。どうりで世間知らずなわけですね。まったく阿呆面です」 (ば、ばかーっ! 初日に何言ってんのよ私! クビになったらどうすんのよ! あー私のばかばかばかばか! 
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1章 4

 その後、部屋や制服への着替えは後回しにし、まずは他の使用人たちに紹介をすることにした。場所は同じ応接室。使用人たちを呼び寄せる形だ。 「えー、みんな、今日から奉公して貰うことになった七岸さん。さ、ご挨拶を」 「七岸さつきです。それにしても成金趣味丸出しのクソ屋敷ですね。相当甘やかされて育ってきたのでしょう。クソですね」 (キャー! どうしてこんなこと言っちゃうのよ! 若様に失礼でしょうが! ああもうこんなこと言ったら嫌われちゃうじゃない! 大事な初日なのに!)   顔を真っ赤にさせ、両手で頬を押さえながら泣き叫ぶ七岸さん。 「「「………………………………!?」」」   うちには使用人が三人おり、一人は執事の藤高。齢六十になる老人だ。もう二人は女中の田中さんと錦原さん。どちらも他県の農家から奉公に来てくれた年頃の女の子である。   そんな三人が揃って何事かと目を見開いた。 「え、えと……」 「「どっ!」」   途端、田中さんと錦原さんが笑い飛ばした。 「面白い、面白いじゃん七岸さん!」「いいねその話し方!」 「何を言っているんですかこの豚どもは。頭オカしいんじゃないですか? 罵られて喜ぶなんて、とてつもない変態どもですね。きっと前世は馬だったのでしょう」 (だから何言ってるのよー! 私ったらもう少しまともに返答できないの!? みんな期限悪くしないかなあ……。謝らないと) 「いいよいいよー七岸さん!」「大丈夫ーっ! あはははは!」   どうやら二人は芸だと思ったようで、気分よく受け入れてくれた。取り敢えず第一関門は突破と言えよう。   それにしても、一体なんだろうかこの子は。   俺が腕を組み、首をひねっていると、藤高が俺の元まで歩み寄り、声をかけてくる。 「誠二様」 「ああ、藤高。どう思う?」   俺はソファに腰掛けながら尋ねた。   藤高は眉を潜ませながら、淡々と答える。 「少々癖の強い娘であるように思われますな。彼女の身元は調べてあります」 「ほう? どこの子だ?」 「他県でミルクホールを営んでいた家
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1章 5

 挨拶を終えた後、俺は七岸さんを地下にある使用人部屋へと案内した。   市川家には大小十五の部屋があるが、そのうち三つが地下にある。三帖一間の小さな和室で、ここを藤高以外の使用人が使っている。 「取り敢えず七岸さんはこの部屋を使ってくれ」  俺はドアを開け、七岸さんを中へと招いた。   七岸さんはトランクを置くと、驚いたようにキョロキョロと見回す。 「個室なんですね」 「ああ、うちの使用人には一応全員個室を与えている。まあ三帖しかないけど、そこは我慢して欲しい。君、学校とかは……」 「女学校は辞めました。言わなくてもわかるでしょう? それでも一高生ですか?」 (だからなんでトゲのある言い方しか出来ないのよ、私……)   そうか、そうだよな。奉公しながら学校なんて出来るわけがない。   俺はなんてデリカシーのない質問をしてしまったのか! 後で血が出るまで壁に頭突きして反省しようと誓った。   だけど今するわけにもいかないから、俺は苦笑しながら説明を再開する。 「仕事については朝五時から開始だ。掃除、ゴミ出し、それと朝食の準備。その後使用人の食事。それが終わって一息ついたら屋敷の掃除をして貰う。食事は三回ちゃんと出すから安心して欲しい」   七岸さんは胸に手を当てながらほっと息をつく。 「当たり前じゃないですか。江戸時代じゃないんだから一日二食とか奴隷ですよ奴隷」 (ご飯は食べられるのね、よかった) 世の中飯をろくに与えないクソな家があると聞くからな。当家はそんなことしない。   それにしてもこの子、心の声に準拠して行動するのか。やっぱりいい子なんだな。   俺はぽりぽりと頬を掻きながら続ける。 「食費、薪炭燈火費を削って、賃金は一日三十三銭支払います。つまり月給十円です」 「たったそれだけですか? こんなデカイ屋敷に住んでるのに」   七岸さんは露骨に不満そうな顔をした。   まあ確かに三十三銭というとビール一瓶買ってコーヒー一杯飲んたら終わりだからな。高くはない。しかも使用人というのは藪入り……つまり盆と正月以外休みがないので不満が出るのはわかる。休みのある電話交
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1章 6

 その後、俺は自室に戻ると私服に着替えて勉強を行う。壁にかけられた時計を見ると六時。そろそろ夕飯の時間だ。   七岸さんの様子が気になる。俺は鉛筆を机の上に置くと、ちょっと覗くことにした。   すると廊下でばったりと藤高に出会ったので、これ幸いと訪ねてみる。 「藤高、彼女の仕事ぶりはどうだ?」   藤高はきちんと気をつけの姿勢を取り、ハキハキと答えてくれる。 「はい、誠二様。真面目に丁寧によくやってくれています。いい仕事ぶりですな。女給経験があるのですぐに覚えました」 「それはよかった」 「ただ……やはり」   何故か口澱む。どういうことだろうか。俺は彼と共に土間へと向かった。   そこでは使用人三人で夕飯の支度をしている最中。女性ということもあってペチャクチャおしゃべりしながらの作業であった。 「ねえ七岸さん、その芸なに?」「女給してたって聞いたけど、店でもやってたの?」 「私を聖徳太子か何かと勘違いしているようですね。私の耳は二つ、脳は一つしかないんですよ? そんなこともわからないんですか? おつむが貧相なんですね」 (だ、か、ら! どうして言っちゃうかなあそんなこと! でもどうしてみんな怒らないんだろ? 寛大だなあ。みんなに嫌われないようにお仕事は一生懸命やらないと) 「あの態度?」   俺は七岸さんを指さしながら首を傾げた。 「はっ。あの独特の言い回しはどうにかならんものでしょうか?」 「無理だろあれは。どうも俺が思うに、心の声が出てるんだと思う」 「そんなことあるわけないと思いますが……」   俺はぼりぼりと頭を?く。 「俺だってそう思う。でも口が動いてないんだよ。声として聞こえるというより、脳に直接聞こえる感じだ」 「妖術の類でございますかね?」   江戸時代じゃあるまいし、そんな馬鹿な。今は科学技術全盛の時代ですよ。そんな非科学的なことを口にするなんて、日本人失格だ。   と、それはいいとして、俺はズボンのポケットに手を突っ込みながら、ぼんやりと七岸さんを見つめる。七岸さんは口こそあれだが体は一生懸命働いていた。
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1章 7

 俺は一端土間を出て、外の空気を吸う。もう空は真っ暗で満天の星々がきらきらと輝いている。月は少し欠けているな。   肌をえぐるような凍てつく寒さが俺の全身にまとわりつくが、不思議と不快ではなかった。冬の透徹した空気が俺の肺に入り込む度に心が洗われるよう。   夕飯まで外で体操でもしようか。そう思って屈伸を始めた時、がちゃりと音を立て、七岸さんが出てきた。もう出来たのか? いや、手に何か持っている。円筒状の物体だ。 「あ、七岸さん。それは?」 「見てわかりませんか? 目が腐ってるんですか? クズ野菜などのゴミ出しです。これは裏に置いておけばいいのですか?」   あ、それゴミ箱だったのか。俺は頷き、蔵の脇にあるゴミ置き場へと案内する。 「ああ、明日の朝捨ててきて貰うから、今日は裏にまとめておいてよ」 「わかりました……意外と量が多いですね」   うんしょうんしょと声を出しながら一生懸命ゴミ箱を運ぶ七岸さん。なんかかわいい。 「使用人多いからね。食べ物はいいものを与えたいから割と金かかるんだ。だから賃金が安いのは勘弁して欲しい」   出来ればもう少し賃金を上げてやりたいが、これでも精一杯なのだ。最近米が非常に高い。シベリア出兵から一気に高騰して全国各地で一揆が起こったのは記憶に新しいが、問題は一揆が沈静化しても結局米価は下がらなかったのだ。   特にうちは亀ノ尾の一級品を使っていて、しかもおかわり自由にさせているのでここにかなり金がかかっている。藤高が安い愛国にしたらどうかと提案してきたこともあるが、それはダメだ。愛国なんて安い米を一生懸命働いてくれる彼女たちに食わせたくはない。 「仕方ありませんね。……あら?」   七岸さんがゴミ箱をゴミ置き場に置きながら、家の外へと視線を移した。   なんだろうと思って俺も外を覗き込む。するとそこには大通りのど真ん中を我が物で走る――牛車があった。 「げ、あ、あの牛車は……」   牛車。言うまでもなく平安時代の乗り物である。鈍足な牛に籠を引かせる乗り物だ。大正明治はおろか江戸時代ですらそんなもの走っていない。言うまでもないことだ。   でも走っている。
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1章 8

 入地さんが消え、七岸さんも土間へと戻り、夜の庭に佇むのは俺一人。   何故か、妙な寂しさが北風と共に肌を刺す。 「しかし何なんだ彼女は……あの心の声……」   俺は七岸さんについて考える。   サトリというのは聞いたことがある。相手の心の声を読める人間のことだ。 「しかしあれは逆だよな。じゃあなんて言うんだ? サトラレ?」   安直ではあるが、どうしたことか口に出して見ると思いの外しっくりときた。   サトラレ。なるほど彼女はそういう体質か。しかしそんな非科学的な。   俺は頭をかく。 「謎だ……。自覚はあると思うんだが、隠してるっぽいし。うーん。聞けないよなあ。気にはなるけど」   取り敢えず外にいても寒いだけだし、様子見を兼ねて土間に戻ることにした。   中では使用人全員が大忙しに働いている。執事の藤高とて例外ではない。 「あ、二人とも、七岸さん、どお?」   俺が下ごしらえをしている田中さんと錦原さんに声をかけると、二人は作業の手を止めハキハキと答える。 「あ、誠二様。いい子だと思いますよ。初日なのにすぐ覚えましたし」「それと、変わってますね。なんか、いい子なんだけど、変わってますね」 「あー……そうねえ」  サトラレだもんな。  と、七岸さんが鍋の前に立ち、おたまをぐりぐり動かしているのが見えた。 「あれ? 七岸さんに料理させるの? 初日なのに?」   俺の質問に、田中さんがにこやかに答える。 「さつきちゃんは他の仕事も完璧でしたから、ここは思い切ってやらせてみました。藤高さんの許可もいただいています」 「本当か藤高?」   大根をかつらむきしている藤高がこちらを見て、 「はい。女給経験があるのなら出来ると思いまして。差し出がましかったでしょうか?」   と訊ねてきた。 俺は即座に首を振る。 「いいんじゃないかな。当家の方針としてはチャンスはどんどん与えないとね。実績を上げれば賃金も上がるし、七岸さんにとってもいいことだよ。で、これは……何?」   そう言って七岸さんがいじっている鍋を見て……俺
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1章 9

 その後、水を死ぬほど飲んで便所でひとしきり吐いた後、七岸さんのお見舞いに向かうことにした。彼女は俺と違って重傷だったのだ。一命は取り留めたが。   ちなみにあの緑の液体は即捨てさせた。あんなの食ったら死体の山が出来る。   さて、お見舞いだが、部屋に入るや否や、布団に篭もっていた七岸さんが顔を茹でたタコみたいに真っ赤に染め、泣きながら叫び出す。 「な! 何しに来たんですか? 私を笑いに来たんですか? このクソ豚野郎」 「笑わないよ。大丈夫? 七岸さん」   俺は構わず笑顔で彼女の脇に座り、ねぎらった。 「見ての通りですよ。ぺっ」 (せっかく心配してお見舞いしにきてくれたのに、その態度はないでしょ!)   心の声については何も言わない。それよりも絶対聞くべきことがあるのだ。 「え、えーと。七岸さん。料理って、普段やってるの?」 「……味わっての通りですよ」 (ごめんなさい、料理、出来ないんです……)   やはりそうか。しかしそれにしてもあれは異常だった。一体何をどうすればあんな鍋が出来るのか。   さて、質問ついでにこっちも聞こうか。 「ねえ、七岸さん。二つ聞きたい。一つはその心の声が聞こえること。君、流石に自覚あるよね? もう一つは、どうして奉公に?」 「……だ、旦那様には……お伝えしてますので、お聞きになれば、よろしい、かと」    そうか、お父様は知っているのか。でも、と俺は前置きして。 「できれば、七岸さんの口から聞きたいな」 「なんでですか?」 「なんていうのかな、七岸さんって凄い一生懸命でさ、なんかその」   言うべきか、言わないべきか。   いや、ここは正直に自分の気持ちを伝えよう。 「惹かれた」   まあ恋心ではなく、興味を引いたというべきなのだが、ちょっと言葉が強すぎたな。   実際、ぼんっと脳から湯気が出る七岸さん。 「はあ!? いきなり何言ってるんですか? 脳にウジ湧いてるんじゃないですか!」 (この人……やっぱり、バレてる……。でも、惹かれたって、私なんかを、なんで……うう……言う
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1章 10

 七岸さんの激昂が、部屋にビリビリと響き渡った。 「……………………え」   一瞬、何を言われたのかわからなかった。ただ一つ言えることは、七岸さんは今、猛烈に怒っていると言うことだ。 「お金持ちだからって調子に乗らないでください。人には尊厳というものがあります。貧しい人にも、苦しんでいる人にも、どんな人にだって尊厳はあって、それを買うことは出来るけれど、買ってはいけないものなんです」 「七岸さん……」   心の声も聞こえていない。それはつまり、本音ということだ。 「お金持ちは人の人生を自由にいじる権利があるかというなら、そんなものありませんし少なくとも私は認めません。人にはそれぞれの人生があって、自分の意志でそれをくみ上げる権利があるんです。それはとても尊いもので、よそ者が勝手に触らないでください」   七岸さんはそう言って布団に潜り込み、顔すら見せてくれなくなった。   ただ心の声だけが、ちくちくと俺の心臓を突き刺してくる。 (誠二様が私のために言ってくれたのはわかる。でも、これは譲れない。これを譲ったら私は人間として大切なものを、失っちゃう……)   そうだ、俺はなんて傲慢だったんだ。幸不幸で人間の価値を判断してしまっていた。   俺はきちんと姿勢を正すと、畳に額をこすりつけながら誠心誠意謝罪する。 「あ、ああ。ご、ごめんなさい。君の誇りを傷つけて、本当に悪かった」 「反省してるなら、今すぐ出て行ってください」 (くすんくすん……ごめんなさい、誠二様……)   全くその通りだ。一言一句反論の余地もない。 「……わかった、本当にすみませんでした。二度とこんなことは言いません」   俺は土下座した姿勢のままそう言うと、そっと音を立てずに起き上がり、黙って部屋を出るのだった。  廊下に出たところで俺は壁に寄りかかり、窓の外に浮かぶ欠けた月を見つめながら、ふう、と息をついた。 「怒られちゃったか。いや、そりゃ当然だな。俺はなんて傲慢なことを……っ!」  俺は我慢できず、償いを兼ねて体をひねり、頭を壁に打ち付けた。しかしそれはただの自己満足に過ぎない。   た
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