夫・藤沢直哉(ふじさわ なおや)の誕生日。私、藤沢夏帆(ふじさわ かほ)はバラの花束を抱え、彼を驚かせるつもりで、足音を立てないように郊外の家へ入った。すると、私たちの寝室から、男女がじゃれ合う声が聞こえてきた。西園綾香(にしぞの あやか)が、甘えた声で言った。「夏帆さん、今日はこっちには来ないって聞いてますけど……大丈夫ですよね?」直哉は、私には聞かせたことのない優しい声で答えた。「心配しなくていい。あいつは俺に逆らえない。今日はこっちに来るなって言ってある。だから来ないよ」床には、脱ぎ散らかされた服と、崩れたケーキがあった。私は二人に声をかけることも、問い詰めることもせず、そっとドアを閉めて家を出た。……さっき聞いた二人の笑い声が、耳から離れない。思い出すだけで吐き気がした。あの家には、もう戻りたくない。私は自分で束ねた花束を、門を出た先のゴミ置き場に捨て、秘書の小野寺遥(おのでら はるか)に電話をかけた。「小野寺さん、郊外のあの家を売却する手続きを進めてください。それから、来週までに湊崎市で抱えている仕事をすべて片づけられるよう、調整してください」窓の外に浮かぶ月をぼんやり眺めていると、直哉から電話がかかってきた。「夏帆、今日が何の日か分かってるよな?少しは俺のことも考えろよ。稼げって言ったからって、本当に仕事しかしてないのか?俺へのプレゼントは?」誕生日のことで直哉からこんなふうに責められたのは、これが初めてだった。私はこの5年、毎年欠かさず直哉の誕生日を祝ってきた。彼に喜んでもらえるよう、毎年、時間をかけてプレゼントを選んだ。そしていつも、その贈り物に彼専用の家族カードも添えていた。直哉はそのたびに私を抱き寄せ、愛おしそうに私を見つめた。「夏帆、ずっと大事にするから」私はコートの襟元をぎゅっと掴み、こみ上げる感情を必死に抑えた。「仕事で立て込んでて忘れてた。あとでちゃんと渡す」私がそう答えると、直哉の声はすぐに柔らかくなった。「夏帆、愛してる。明日、迎えに行く」私は答えず、車で会社近くのマンションへ戻った。エレベーターに乗ったところで、SNSの通知が一件表示された。知らないアカウントから、私宛てのメンションが届いていた。投稿文は、こうだった。
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