昔話の語り口には『いまは昔』と似たフレーズがいくつか存在する。『むかしむかし』は最もポピュラーで、グリム童話や日本の民話でも広く使われる定番の始まり方だ。この言葉には時間の流れをゆるやかに感じさせる効果があり、聞き手を非日常の世界へ誘う役割を果たしている。
地域によってバリエーションも豊富で、東北地方では『どーも昔』、沖縄では『ンカイビーラン』といった方言バージョンが見られる。海外に目を向けると、英語圏の『Once upon a time』やフランス語の『Il était une fois』も同じニュアンスを持ち、どれも現実と物語の境界線を曖昧にする魔法のような言葉だ。
興味深いのは、これらの表現が単なる形式ではなく、物語の信憑性を高める修辞技法として機能している点。『千夜一夜物語』の『これは古い昔の話ですが…』という前置きや、中国の古典『聊斎志異』の『昔、あるところに』といった表現は、現代のファンタジー作品のナレーションにも影響を与え続けている。語り部たちが何世紀もかけて磨き上げた、時空を超えるための知恵が詰まっているのだ。