Chapter: 第9章 言の葉 吉川は柱から縛めをほどいた俊夫に肩を貸した。 俊夫はよろめきながらも、歩き出す。「せ、先生? なんで? 俺は……?」「安心してください。とりあえず皆で診療所まで戻りましょう」 朦朧としている俊夫に落ち着いた声をかけながら、吉川は歩き出す。「梓さんは、沙織さんたちを」「はい!」 梓は沙織の側に膝をつき、子どもの体温を確かめる。陽一はまだ震えており、小さな背中が母親の胸に寄り添う。「何があったのかは後で伺います。今は、ここを離れることが先です」 梓は囁くように言いながら、沙織に手を差し出した。 沙織は眉を寄せ、嗚咽を抑え込もうとして顔を上げる。恐怖と安堵が混ざった表情で、震える手を梓の指に絡める。「……どうして……どうしてこんなことを……」「今は、とにかく動きましょう。先生の指示に従ってください。私も、手伝います」 沙織を立たせ、梓は陽一を抱き上げた。陽一は身体を小さく丸め、母の胸から離れるのを嫌がった。「おかあさん……」 小さな声が震える。梓がそっと背を支えると、陽一はびくびくと小さな体を預けながら、縛られていた柱の方を見た。「……おとうさん、だいじょうぶ?」 その問いかけに、沙織の顔が歪む。答えを返せずに唇を噛み、震える手を梓の腕に短く触れた。そこに感謝と疲労、そして言葉にできない苦悩が混じった熱を残した。「大丈夫よ、陽一。先生が診てくださるから」 沙織は必死に声を絞り出し、息子の頭を撫でた。 その時――外から、砂利を踏む足音がかすかに聞こえた。風に乗って、松明の匂いが戸の隙間から流れ込む。梓は無意識に立ち止まり、耳を澄ませる。足音は間を置いて近づき、やがて止まる。 吉川の目が一瞬だけ険しくなる。治療の手を止め、梓に短く囁いた。「梓さん、外の様子を見てください。急ぎますが、慎重に」 梓は静かに頷き、障子の隙間に懐中電灯の光を差し出す。外は月光に照らされた小径が細く伸び、一人の男がこちらを覗き込むように近づいてきた。光が当たるその顔は、庄司――村の猟師だった。手には猟銃を抱えている。しわの刻まれた表情は冷たい眼差しを湛えながら、どこか歪んだ微笑を浮かべている。 庄司の声が夜に低く響いた。「ここに入ったのは誰じゃ? 村ん外ん者か?」 そのひとことで、室内の緊張が一段と高まった。男たちの影が戸口に寄り、火の光が差し込
Last Updated: 2026-07-03
Chapter: 第9章 廃屋へ 洞窟から戻る道の途中、雑草に紛れているが脇に分岐する小道が見えていた。その先には、古井戸の黒い輪郭がぽっかりと浮かんでいた。月明かりがその縁を銀で縁取るたび、梓は胸の奥を小さく締めつけられるような感覚を覚えた。「この先にある古井戸、少し気になりますね」「……はい、井戸の先にも何かあるみたいです」 清音に言われた言葉が、ふと蘇る。──古井戸には近づくな、と。何かを守るための境界線のように、彼女の中でその言葉が折り重なっていた。「調べてみたくもありますが……」 吉川の声を聞きながら、道の分かれ目を過ぎ、数歩進んだとき――夜の空気が一瞬、ざわついた。井戸の向こうから、切羽詰まった女性の声が鋭く響いた。「助けてっ!」 その叫びが夜気を震わせ、梓の胸が凍る。声は一度で終わらず、嗚咽と短い断末魔のように続いた。懐中電灯の光を握る手に力が入る。清音の言葉が、不意に耳の裏から囁かれた。──古井戸に近づくな、と。梓はその戒めを思い出しながらも、足を止めることはできなかった。 梓は古井戸の方向に目を向けた。吉川も同じく、暗闇の奥を見据えている。「先生、今のは!?」「ええ、聞こえました。あの声には聞き覚えがあります」 二人は迷うことなく、分かれ道に向かって駆け出した。 古井戸を横目に過ぎると、その先の暗い森の中に小さな建物の影が浮かび上がる。黒ずんだ屋根が月光に浮き、社務所の跡を残す廃屋だった。障子の一隙間から、暗がりのなかで揺れる小さな影が見え、かすかな音が漏れている。短く、途切れる嗚咽。子どもの泣き声だった。 梓の足が無意識に速まる。胸の中で、祠の板に刻まれた文字列がまた揺れた。〈この子は、普通に生きて〉――その殴り書きが、眼前の泣き声と重なる。 障子越しに揺れる影がもう一度見え、梓は無意識に駆け寄ろうとする。吉川が静かに後を追い、彼女の肩に軽く触れて速度を抑えた。彼の目は夜の光に冷たく光り、しかし表情には確かな理性があった。「落ち着いてください。様子を伺います」 吉川は低く言い、障子の隙間に懐中電灯を差し入れて中を覗き込む。光が畳に落ちた瞬間、そこに縛り付けられた人体の輪郭が浮かび上がった。男の体は柱に固定され、縄が何重にも巻かれている。筋が浮いた腕が痙攣し、唸り声が口から漏れていた。 吉川が低く囁いた。「梓さん、静かに。まずは状況を確かめな
Last Updated: 2026-07-03
Chapter: 第9章 にくゑ 板を写し終えたときだった。 洞窟の奥から、かすかな息づかいのような音が響いた。湿った闇そのものが呼吸しているようで、二人は同時に顔を上げた。 ――ふう、ふう……。 低く重なる音が、岩壁に反響して胸の奥を震わせる。「……聞こえますか」「はい」 吉川の声は押し殺されていた。 梓は灯りを固く握りしめ、首を縦に振る。甘ったるい匂いが急に濃くなり、喉の奥に粘りつく。 耳を澄ませると、息づかいの合間に囁きが混じっている。 意味を結ばない声が重なり合い、まるで複数の人間が同時に呟いているようだった。 梓は母の日記の最後の一文を思い出した。 ――「もう二度と戻らない」 背筋に冷たいものが走り、視界が滲む。「先生……ここから先は……」 吉川は懐中電灯を奥に向けたが、光は闇に呑まれて何も映さない。彼の理性は告げていた。ここは禁域だ、立ち入ってはならない。だが同時に、医師としての衝動が彼を迷わせた。「確かに……ここは危険な雰囲気があります。しかし、真実はこの先にある」 梓は頭を振った。「だめです……誰かが、見ている……」 その瞬間、背後から空気が揺れた。 暗闇の奥に、確かに何かの視線を感じる。 ――覗かれている。 囁き声が幾重にも重なり、洞窟の空気そのものがざわめいた。 二人は息を呑み、互いの存在を確かめるように目を合わせた。 囁きが途切れた刹那、岩壁のあちらこちらがじわりと濡れ、黒い液がにじみ出した。それは洞窟の奥全てを覆い尽くし、祠を中心に岩肌全てを覆い尽くす。 滴かと思ったそれは膨らみ、肉のように脈動し始める。 いや、肉のように、ではない。 それは肉だった。黒い液体は見る見るうちに赤黒く色を変え、それははっきりと肉塊に姿を変える。 ――ぐじゅ、ぐじゅ……。 甘ったるい匂いが一層強くなり、吐き気を誘う。 梓は思わず後ずさり、吉川が腕を引いて支えた。「下がってください!」 声を上げた瞬間、にじんだ塊から眼のようなものが開いた。 白濁した膜に包まれた無数の瞳。次々と瞬きを繰り返しながら、二人を見据える。 同時に裂け目が生まれ、口腔のような穴が開いた。 ぬめる舌を思わせる触手が這い出し、闇の中で蠢く。「……これが……にくゑ……」 吉川は震える声で言い、一歩後ずさる。 だが触手の一本が閃くように伸び、梓の腕を掴んだ
Last Updated: 2026-07-03
Chapter: 第9章 聖域 懐中電灯の光が闇を裂き、狭い山道を細く照らしていた。夜気は重く、虫の声すら遠い。 梓は隣を歩く吉川の様子に目をやった。 吉川は時折歩みを緩め、火傷を負った腕を押さえている。包帯の隙間から滲んだ布が汗に濡れ、光を受けて暗く沈んで見えた。「先生……痛むんですか?」「大丈夫です。大したことはありません」 吉川はそう言っているが、分厚く巻かれた包帯がいかにも痛々しい。梓が立ち止まり、光を彼の腕に向ける。吉川は小さく首を振った。「でも――巻き直した方が」「いえ、湿潤療法なので、このままで大丈夫です」 梓は布を取り出そうとしたが、吉川がやんわりと制した。「無理をするのは君の方でしょう。顔色が優れません」 梓は言葉を詰まらせた。 脳裏に浮かぶのは、母の日記の最後の一文。 ――『二度と戻らない』。「……母は、どうしてあんなことを書いたんでしょう」「強い言葉ですね。固い決意を感じます。きっと本当にこの村には戻らない、戻ることが出来ない理由があったんでしょう」 静かな声に、梓はかすかに肩を落とした。 彼の言葉は慰めではない。けれど確かに、支えになる理屈だった。「先生は……怖くないんですか」「怖いですよ。ですが、恐怖を記録に残せば、それは無意味なものではなくなります。――君も忘れなければいい」 梓は小さく頷き、懐中電灯を持ち直した。 その時、道が二つに分かれた。 左は岩肌の裂け目へ続き、低い水音が響いている。洞窟だ。 右は藪を抜けた先に、ぽっかりと広がる窪地。そこに石組みの井戸が見えた。木の蓋は錆びた鎖で留められ、隙間からは冷気とともに鉄臭い匂いが漂ってくる。「……井戸?」 吉川は灯りを向け、眉を寄せた。「古い造りですね。記録に残しておきたいが――」 梓は思わず首を振った。背筋をなぞる冷気に、ここではないと直感する。「先生……あっちは、だめです。清音に案内してもらった祠は洞窟の中にありました」 言い切る声は震えていたが、必死だった。 吉川は短く考え、やがて頷いた。「分かりました。なら、まずは祠を確かめましょう」 二人は井戸から視線を外し、岩肌の裂け目へと歩みを進める。 背後で、井戸の鎖が風に揺れて鳴った。低い水音が重なり、闇はさらに深まっていく。◆ 洞窟の奥は湿り気が濃く、足音に重なるように水滴の音が響いていた。灯り
Last Updated: 2026-07-03
Chapter: 第9章 合流 川沿いの小道に差しかかったときだった。 闇の向こうに、小さな灯りが揺れている。 懐中電灯の光が、こちらに向かってくる。 反射的に息を潜める。 村人か? それとも――。「……吉川先生?」 呼びかける声。 振り向いた光の中に浮かび上がったのは、少女の影だった。「矢野さん……?」 灯りに照らされたのは梓だった。 肩に鞄を下げ、真剣な眼差しでこちらを見つめている。 その手には古びた文庫本と、手帳らしきものを握りしめていた。 驚きが胸を突く。 こんな時間に、なぜ。「どうして、こんなところに?」 「先生こそ?」 梓が不審げな目で吉川を見つめた。 夜の川風が、二人の間をすり抜けていった。 吉川は光を少し下げ、警戒を隠さず口を開いた。「矢野さん……どうしてこんな時間に外へ? 夜道は危ない、それにこの先には……」 「先生こそ! こんな時間に……」 梓の声には疑念が混じっていた。互いに探り合うように視線を交わす。沈黙が流れる。疑念と不安が、灯りの狭い円の中で交錯する。「……先生は何かを探してるんですか?」 「君は一体何を――」 同時に問い返し、気まずい沈黙が重なった。 時間――そう、もし時間が関係しているのならば、彼女はこの村に来たという意味では佐藤家の人々に次いで短い時間だ。 もしかしたら、彼女なら。 吉川は探るように梓に問いかけた。「……林田美穂さん、森川健太くん」 「――ッ!」 梓の反応は劇的だった。 両手を胸の前で組み、震えながら大きく頷く。「矢野さんはクラスメイトでしたね。一緒に森川君の検査に付き合ったこともありましたよね?」 「はいっ! 先生っ! はい、クラスメイトです。良くしてくれたんですっ! でも、でも皆……誰も……」 梓の全身を鎧っていた緊張が溶けてゆく。 大きく息を吐いた梓は、言葉を続けた。「それじゃ、先生も――二人のことを?」 「ええ、覚えています。思い出せたのは、多分偶然ですが」 彼は腕に巻いた包帯を握りしめ、低く答える。「忘れていました。しかしカルテに名が残っていた。確かに、昨日まで診ていた子供たち」 梓の目が潤む。「……やっぱりっ! みんな最初からいなかったって言うのに……」 吉川は深く頷いた。「記憶は奪
Last Updated: 2026-07-03
Chapter: 第9章 夜の探索 生ぬるい夏の夜風が、吉川の頬をなでる。 ――ああ、あの時もこんな風が吹いていた、と高校時代の夏を思い出しながら道を進んでゆく。 あの時は罪のない冒険だった。 しかし、今は違う。人の命が既に失われている。この村に秘密があるというなら、私はそれを解き明かし、これ以上の惨劇を防がなくてはならない。 静まりかえった夜の道を歩く。 村の夜は早く、既にあたりを歩いている人間は誰も居ない。 だが、念には念をいれ、更に夜が深くなる時間を吉川は待った。 静まりかえった夜には、ただ夏虫の鳴き声が響くばかり。 欠けた月に照らされた、未舗装の道を吉川は黙って進んでいった。 村役場は診療所からしばらく歩いた先にある、石造りの二階建てだった。 昼間は村人たちの出入りで賑わう場所も、夜は不気味なほどに静まり返っている。 広場に面した正面玄関は影に沈み、窓からの灯りは一つもない。 ただ風見鶏だけが月明かりを受け、無言のまま夜空に爪を立てていた。 吉川は懐中電灯を点け、深く息を吐いた。 ここから先は、罪だ。 だが――真実を掴まなければ、すべてはまた“なかったこと”にされる。 冷たい金属音が夜に溶けた。 意外なことに鍵はかかっていない。この村では盗人など気にすることはないということか。 確かに、村人全てが顔見知りのこの村だ。役人もまた村の出身者で、よそ者はいない。そういう意味ではここは都会の何倍も治安はいい。 かくいう自分も診療所には鍵などかけていなかったことを思い出し、吉川は苦笑する。 ノブを回し、扉を押し開けると、湿った空気が胸を打った。 中は真っ暗で、長年の埃と紙の匂いが充満している。 懐中電灯の細い光が、帳簿棚の列をひとつずつ照らし出す。 吉川は呼吸を整え、棚に指を滑らせた。 古びた戸籍簿、診療台帳、村の収支記録。 いずれも厚い和紙に墨で記され、端は茶色く脆くなっている。 ページをめくるごとに、そこには不自然な空白があった。 削られた名前。何行にもわたって墨で塗り潰された部分。 その跡はあまりに生々しく、「消された誰か」の存在を雄弁に物語っていた。「……やはり、ここでも……」 思わず囁きが漏れた。 公文書ですら書き換えられている。記憶が書き換えられても記録は残る、とは言い切れないということか。 だが、これでは理由がわからない。
Last Updated: 2026-07-03
Chapter: 「森のキャンプ地と小さな試練」Ⅰ 夏の朝は、何かが始まる気配に満ちてた。 学園の中庭には、班ごとに集合した生徒たちが、大きなリュックサックを背負って整列してる。 澄んだ空に白い雲、花壇のラベンダーとローズマリーが香りを立てて、朝露の湿った土の匂いと混じり合う。(きた……完全にサバイバル実習イベントじゃん!) 私――白石香澄としての理性は、心の中で思わずガッツポーズを決める。 乙女ゲームの野外実習ルートといえば、ここから数々のスチルとイベントが開放されるはずなんだ。「お姉様、わくわくしますね!」 隣で、黒髪セミロングのミリアが両手を胸の前でぎゅっと握りしめてる。 スミレ色の瞳が、朝陽を受けてきらきらと輝いてた。「ええ、とても楽しみですわ」 にこりと笑って返すと、彼女はぱっと花が咲いたように微笑んだ。 その様子だけで、胸の奥がじんわり温かくなる。 でも、ふとミリアの笑顔の端に、また微かな陰りが見えた気がした。 班ごとの点呼の後、私たちは輪になって最初の話し合いを始めた。「それじゃあ、まずリーダーを決めましょう」 テオくんの提案に、みんなが顔を見合わせる。「リュシアで異議なし」 ガイルくんが即答して、ユリウスくんとノアくんも頷く。「わたくしも、リュシアさんにお任せしたいですわ」 ミリアも「はい!」と元気よく手を上げた。 満場一致でリーダーが決まると、リュシアちゃんは小さく頷いた。「分かった。それじゃあ、森に向かいましょう」 班ごとの点呼を終えて、私たちは森を歩き始めた。 リュシアちゃんは銀青色のボブカットを風に揺らして、黙々と前を見てる。 表情は相変わらず淡々としてるけど、ほんの少しだけ、口元が緩んでるのを見逃さなかった。(あ……可愛い。完全にスチル映えしてる) リュックから漂うハーブサシェの香りが、歩くたびにふわりと香った。 甘くて涼やかな香りが、森の気配を先取りするように漂う。 男子たちはというと―― ガイルくん(攻略対象A)は率先して重い荷物を背負って、頼もしさ全開だ。さすがは将来の騎士候補って感じ。 ユリウスくん(攻略対象B)は歩きながら道端の植物を観察してる。 テオくん(攻略対象C)は地図を確認しながら、効率的なルートを提案してる。 ノアくん(攻略対象D)は小さなメモ帳に何かを記録中。 私は内心でふふっと笑う。 これぞまさに
Last Updated: 2026-01-10
Chapter: 「野外実習の告知と出発前夜」 夏の空気は、どこか浮き立つような熱を帯びてる。 寮の窓から見える中庭の木々も、昨日より少しだけ青さを増してる気がする。今日の朝礼は、学園全体がざわざわしてて、生徒たちの足音や囁き声がいつもより弾んでた。 教室に漂うのは、緊張と期待が混じった独特の空気。 生徒たちが整列する中、教師が壇上に立って、厳かに告げる。「――本日より一週間後、フレグラントール学園恒例の"野外実習"を実施します」 教室の空気が一瞬でざわめきに包まれる。 私――いえ、白石香澄としての理性は、胸の奥で小さくガッツポーズを決めてた。(きた……! ついに野外実習イベント!) 教師は続ける。「実習は王都近郊の森にて行います。チームごとに行動し、自然観察、野外炊事、そして――協力して課題を達成することが求められます」 完璧だ。ゲームの第2章とまったく同じ設定じゃん。 しかも私、エレナとして図書館で過去の実習記録まで調べてた。森での共同生活、星空の下での語らい、そして学校に戻ってからの打ち上げパーティー――攻略対象たちとの距離が一気に縮まる黄金イベント。 脳裏に浮かぶのは、次々に解放されるイベントCGの数々。特に最終日の告白シーンは神がかってた。(やったぁ……これ絶対に、好感度爆上がりチャンスじゃん! フラグ管理、頑張らなきゃ!) ざわめく生徒たちの間で、私は誰にも見えない心のガッツポーズを決めた。 最前列のリュシアちゃんは無表情で話を聞いてたけど、隣でひそひそと囁くミリアが、私の腕をちょこんとつついた。「お姉様、楽しみですわね……!」「ええ、もちろんですわ」 でもミリアの表情に、一瞬だけ何か複雑なものが見えた気がする。 ……思えば、このときにはもう始まっていたのだ。 いや、もっと前から。◆ 午後の講堂は、高い天井に全学年の声が響いてざわざわしてた。 ステンドグラスから差し込む光の中、生徒たちは学年ごとに整列して立っている。私たちは2年生のエリアで、リュシアちゃんと並んで立ってた。少し離れた1年生のエリアでは、ミリアが私たちの方を見て小さく手を振ってる。 全学年の生徒が集まって、天井の高い空間に声が響く。壇上では上級生が教師に何かを耳打ちしてから下がって、教師が発表台に立った。 手にした紙を見下ろす教師の指先が、微かに震えてる気がする。 でも、きっと気の
Last Updated: 2025-12-29
Chapter: 令嬢と、観察眼と、内緒の秘密Ⅱ 領主館での三度目の訪問は、これまでよりも穏やかな空気に包まれていた。 応接間に入ったとき、ミラベルはすでに席についていた。 椅子の背もたれに小さく体を預け、ちょこんと座るその姿は、まるで大きな家具に埋もれているようだった。「こ、こんにちは……きょうも、ありがとう……ございます……」 小さく手を膝に揃え、控えめに頭を下げる。 声はか細く、けれど前よりもほんの少しだけ張りがあった。 俺は軽く会釈し、今日の課題──招待状の文面添削──に取りかかる。 所作も発声も、変わらず整っている。 けれどその眼差しには、前回までにはなかった余白があった。 言葉の端に、間の取り方に、少しだけ自然な揺れが混じるようになった。「この一文、ご尊家の皆様にもよろしくお伝えくださいという表現ですが……」 俺がそう言うと、ミラベルは袖口をきゅっと指先でつまみ、少し考えるようにして小さく笑った。「……やっぱり、少しかしこまりすぎてしまいます……よね」 その笑みは、初めて言われたから笑うものではなかった。 彼女の中で何かが確かに変わりはじめている。 添削の合間、ふとした沈黙が訪れる。 窓の外、庭の百合が風に揺れているのが見えた。 そのとき──ミラベルが、ぽつりと呟くように言った。「……王都って、どんなところなんですか?」 突然の問いだった。 だが、そこには軽い興味というよりも、ずっと昔から温めていた問いのような響きがあった。 俺は少し考えながら答えた。「ノクスレイン王国は香りの王国と呼ばれているのはご存じですよね? その王都たるペルファリアには様々な香りが流れています」 俺は既に懐かしくなっている王都を脳裏に思い浮かべ、その光景を語る。「通りには香水店が並んでいて、花や果実、木の樹脂にスパイス……流行の香りは季節ごとに変わるんですよ。春は柑橘、夏はハーブ、秋には温かい煙のような香りも流行ります」 ミラベルは目を伏せ、胸元のリボンをそっと撫でながら、くすりと微笑んだ。「……お母さまが、よくそんな話をしていました」 その声は、どこか遠くを見ているようだった。「王都の香りは、季節の舞踏会みたいに入れ替わるのよって……楽しそうに、何度も」 彼女は手元に置かれた白いハンカチを、ちいさな手でぎゅっと握った。「お母さまは、王都に住んでいたことがあるんです
Last Updated: 2025-12-26
Chapter: 令嬢と、観察眼と、内緒の秘密Ⅰ 領主館は町の南、段丘の上にあった。 高台に築かれたその屋敷は、外から見れば石造りの地味な建物だが、門を抜けた瞬間に空気が変わる。 芝は短く刈られ、敷石には靴跡ひとつなく、花壇には季節外れの百合が咲いていた。 整いすぎている。どこか、誰かが無理をしてまで整えているような気配。 門を通ったところで年配の家令が現れ、俺を迎えた。 痩身で無表情だが、所作はまさに貴族の屋敷にふさわしい品格を感じさせる。「冒険者ギルドから参りました、フィンと申します。本日のお約束の件で」 俺は軽く頭を下げながら、用意していた依頼状を差し出す。 家令は一礼のままそれを受け取り、目を通すでもなく懐にしまい込んだ。 彼は無言で一礼すると、静かに先導を始めた。 歩き出してすぐ、低い声でぽつりと呟くように言った。「……お嬢様は、少々変わったお方でして」 一拍の間を置いてから続けた。「……それゆえに、どうか、ご無礼があっても……」 それだけ言うと、家令はそれ以上何も語らなかった。 けれど、その一言に、屋敷の人間が彼女をどう見ているかが滲んでいた。 敬意と距離。その両方があるような声音だった。 俺はその背を追う。 途中、廊下の掃除をしていたらしい中年の女性が、視線を上げぬまま深く礼をした。 屋敷に仕える者の動きまで、徹底されている。 案内された応接間もまた、完璧だった。 机の脚に至るまで磨き込まれ、絵画は傾きなく額装されている。 座っていいのか不安になるほど整然とした空間。着席を促してから、一礼をして家令は下がってゆく。 入れ替わるようにメイドがお茶を運んできた。 しばしの時間がすぎる。 ──そして、扉が開いた。 現れたのは、まるでおそるおそる舞台に出てきた子猫のような気配をまとった人物だった。 淡い色合いのドレスに身を包み、細い首元には控えめなリボンの飾り。 肩より少し長く伸ばしたふわりとした亜麻色の髪。 歩みは慎重で、スカートの裾を踏まないよう気をつけている様子が微笑ましい。 顔立ちは愛らしく、どこかあどけなさが残る。 年齢は十五歳だったっけ。 その存在は、まるで守ってあげたくなるような、小動物めいた可憐さがあった。「は、初めまして……ミラベル・オルシエールと申します……」 声は震えるようにかすかで、喉の奥から押し出すような高音。
Last Updated: 2025-12-23
Chapter: 辺境の街と観察眼Ⅱ 副支部長のヴァルターに連れられ、受付にたどり着く。 そこには茶髪の受付嬢とは別に、中年の女性事務員が書類整理をしていた。 ヴァルターが軽く顎を引くと、女性事務員が小さく頷いた。 ──あ、なるほど。この二人、阿吽の呼吸だ。 単純な上下関係じゃない。どちらかというと、共犯者みたいな。「では、よろしくお願いしますね、フィンさん」 「はい、頑張ってみます」 軽く俺の肩を叩いて、ヴァルターは奥に消えていく。 その背中を見送りながら、俺は思った。(まずは、この支部の空気に慣れることから始めよう。急いでも、ボロは出してくれなさそうだ)「レミィです、よろしくお願いいたします!」 「フィンです。色々教えてくださいね」 受付嬢のレミィさんに改めて挨拶されて、俺は大きく頷いた。レミィさんは、さっそく手元の書類を一つ俺の元によこす。「じゃあ、まずは軽い依頼からですね。今日の午後に一件、町の配達をお願いしてます」 ……流れるように仕事が振られた。うん、わかってたけどね。 初日は配達。 二日目は行商人の護衛任務の手配。 三日目には、魔物避けの結界符を届ける手伝いで、郊外の農場まで歩いた。 やってくる冒険者は目白押し。 冒険者ギルドの仕事というのは、つまるところ雇われの口利きだ。 魔物退治に薬草集め、護衛に猫探しまで──依頼の中身は多種多様。 だが根っこはどれも同じ。 困ってる誰かに代わって、それを片づけてほしいって話だ。 だからギルドは、冒険者の溜まり場でもあり、腕の貸し借りを仲立ちする場所でもある。 剣の腕があっても、求められてるのが薪割りなら話にならない。 必要なのは、適材適所。そして、それを見極める目。 それが俺の、表向きの役目ってわけだ。 仕事を進めるうち、何人もの冒険者と顔を合わせた。 怒鳴ってばかりの男。剣を磨くことしか考えてない女。ギルドの帳簿を盗み見ようとする若造。 善人も悪人も、平等に火薬のような空気をまとっていた。 町も、店も、通りも──どれも熱を持ちすぎている。 だからこそ、少しずつ見えてくるものがある。 俺は密かに調査を進めていた。 物資の搬入リスト、冒険者への支払い記録、業者との取引履歴──数字の裏に隠された痕跡を探す。 ヴァルターと商人たちの会話にも耳
Last Updated: 2025-12-21
Chapter: 辺境の街と観察眼Ⅰ 王都ペルファリアから馬車でおよそ一ヶ月。 峠を越えた瞬間、乾いた風と一緒に、喧騒と土埃と──欲望のにおいが押し寄せてきた。 帝国との境界近く、王国の西端にある町、グランヘルデ。 もともとは砦の跡地にできた、寂れた辺境の村だったらしい。 けれど今は、町全体が膨れあがっていた。 地中から遺構らしきものが見つかった──それが全ての始まりだ。 未踏破、構造不明、魔物出没。 だが同時に、古代の魔導具、未知の鉱石、魔物素材── 資源と価値の塊が地中に眠っているとなれば、当然、欲に駆られた連中が集まる。 それは、王国史に幾度も刻まれてきた、ダンジョン・フロンティアの始まりだった。 通りには、肩をぶつけ合って歩く冒険者たち。 武具屋の前には魔物の素材が雑に吊るされ、簡易宿の玄関には今日潜る者の名簿が晒されている。 昼から賭けに興じる者、情報屋の小声に耳を傾ける者、買い込んだポーションを胸元に詰めていく者。 市場も、酒場も、裏通りの娼館も、どこも満員だ。 熱気はある。だが、それは生命力ではなく、何かもっと乾いた、切羽詰まった熱だ。 町の空気は、重く、鋭く、荒れている。 ここには、金と命と魔力を賭ける者しかいない。 ────さて、ここからは少しだけ本気を出していこう。 王都のようにのんびりした雰囲気でやっていては、トラブルを招くばかりだとも思うしね。 いつもは半分閉じている瞼をしっかりあけ、瞳を凝らす。 辺境にいる間は、これで行くかな。 ……疲れるけど。 ギルド支部は、町の北端、段丘の上に建っていた。 白い壁と青い屋根の仮設庁舎。王国式の意匠を模してはいるが、どこか無理がある。 建物の前には、王国の旗と、ギルドの青い紋章旗が並んで掲げられていた。 風に翻るそれらを見上げながら、俺は小さく息をついた。(さて……一ヶ月ぶりの仕事か。今度は、ちょっと違うけど) ハルデンから聞いた話は単純だった。 副支部長ヴァルター・グレインの不正疑惑。物資の横流し、予算の私物化、報告書の改竄。 ただし相手は元商人で、証拠隠滅は巧妙。正面から追及しても尻尾を掴ませない。 だから俺が来た。表向きは「人手不足解消のための応援職員」として。 実際は、地味に、静かに、観察して回る係として。 支部の中は、外の喧騒が嘘みたいに静かだった。 この時間なら
Last Updated: 2025-12-17