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彩珠那由正
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Novels by 彩珠那由正

プルチックの瞳

プルチックの瞳

神崎怜菜。 彼女の瞳は、美しかった。 ――だからこそ、目を逸らしたくなった。 高校入学後、神崎怜菜に誘われた岩倉優雨は『万物研究会』へ足を踏み入れる。 究極の問い。 幽体離脱。 共感覚。 観測と次元。 それぞれが興味を持つテーマを自由に研究する、少し変わった場所。 穏やかで楽しい日々を過ごしながらも、神崎怜菜という存在には説明のできない違和感があった。 やがて優雨は、彼女の研究を通して世界の境界へと触れていく。 これは世界の境界に触れてしまった少年少女たちの、少しだけ異常な青春の記録。 そして、一人の少女を巡る切ない物語。
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Chapter: プルチックの瞳②
 今日はバイトがあるから研究会には顔を出せない。小夜子のこと、よろしくね。 そんな言葉を最後に、朝山先輩とは別れた。 あそこまで言われてしまえば、流石に無視はできない。 放課後、俺はそのまま部室棟へ向かっていた。 途中、神崎からメッセージが届く。【今日は中間考査の勉強するから研究会へは行けない】 流石は優等生だ。俺なんて、勉強しないとなと思っているだけで一日が終わるタイプだというのに。 そんな現実逃避じみたことを考えているうちに、万物研究会の部室前へ辿り着く。 扉を開けると、室内には既に香月先輩の姿があった。 香月先輩は窓際に立ち、ぼんやり外を眺めていた。 夕暮れ前の曇り空。ガラスには室内が薄く反射している。 その姿が妙に静かで、一瞬声を掛けるのを躊躇った。 俺に気付いた香月先輩が振り返る。「やあ、岩倉君。お疲れ様」 笑っている。けれど、どこか無理に口角を上げているようにも見えた。「お疲れ様です」 香月先輩の瞳を見る。紺色。沈んだ色だった。 悲嘆。 疲労。 諦念。 そんな感情が薄く混ざっている。「珈琲を淹れよう」 そう言って立ち上がろうとした香月先輩を、俺は軽く手で制した。「今日は俺がやりますよ。先輩、座っててください」「おや、気を遣わせてしまったかな」「そういうわけじゃないです」「ふふ。では、お言葉に甘えよう」 香月先輩は再び椅子へ腰を下ろす。 俺は棚から器具を取り出し、珈琲を淹れ始めた。 豆を挽く音が、静かな部室へ広がる。その間も香月先輩は窓の外を見ていた。 いや、 正確には窓に映るこちら側を見ているようにも思えた。 朝山先輩の言っていた通りだ。どう見ても様子がおかしい。 二人分の珈琲を淹れ終え、紙コップを差し出す。 香月先輩は「ありがとう」と小さく呟いた。
Last Updated: 2026-07-03
Chapter: プルチックの瞳①
 全くもって非日常的な存在である観測者の存在に一歩近づけたとはいえ、日常に何かしら劇的な変化が起きるわけでもなく、日々は淡々と過ぎていった。 気がつけば、あっという間に四月も終わり、五月になっていた。 体力テストや開校記念日といった学校行事を終え、中間考査を翌週に控えた日の昼休み。 俺は購買でパンを買い、教室に戻って昼食を摂ろうと、校舎内を歩いていた。 一年の教室がある三階への階段を登ろうとしていた矢先、ばったりと朝山先輩と遭遇する。「あれー、岩倉君だー。やほー。これからお昼かな?」 声を掛けて来た朝山先輩の手には、同じ購買で買ったと思われるパン数個と飲み物があった。 俺は先輩に一度頭を下げた後、言葉を返す。「はい、これから教室に戻って、お昼にしようかと」「そっかそっかー。もし他に約束がなければ、一緒に食べない? ちょーっと、話したい事もあるし」 先輩の誘いを、無下に断ることもできない。 それに、朝山先輩が話したい事というのが何なのかも気になった。 俺は朝山先輩の誘いに頷いて答えると、その後に付いていく事にした。 辿り着いた先は、体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下、その横に位置する屋外ベンチだった。 朝山先輩はベンチに腰かけ、その隣に腰かけるよう、ポンポンとベンチを叩いて俺に促してくる。 誘われるがまま、俺は朝山先輩の隣に腰かけた。「えっとね、実はお昼一緒に食べようって言うのは口実なんだ。私ね、ずっと前から岩倉君のこと……」「え?」「なーんて、冗談! ここを進んだ先の校舎裏ってねー、人が来ないからたまに告白する場所とかになってたりするんだよねー」 悪戯な笑みでニコニコしたまま、朝山先輩は手に持ったメロンパンの袋を開け始める。 最初こそかなりドギマギとさせられたが、朝山先輩とのこういったやり取りにも、少しずつ耐性がついてきたように思う。 俺は「そうなんですね」と返事をしながら、購入したコロッケパンの袋を開けて、それに噛り付い
Last Updated: 2026-07-02
Chapter: 観測者③
 観測者について話している内に、気付けば辺りは夕暮れに染まっていた。 研究会で過ごす時間は、妙に短く感じられてしまう。 香月先輩と朝山先輩は隣町から通学しているため、活動後はバス停方面へ向かう。  一方で、俺と神崎は徒歩圏内だ。 だから自然と、帰り道は二人になることが多かった。 校門を出ると、夕日が街全体を橙色へ染めていた。「皆には感謝してる。あの実験のおかげで、観測者の正体を解明するという私の目的に、かなり近づけたんじゃないかなって思うから」 確かに、観測者について判明した事実は多いだろう。 今回の実験結果は、その正体を解明するための足がかりとするには、及第点といった所ではないだろうか。 とりあえずは、一歩前進したと言える。 神崎もそう思っているから、満足そうにしているのだろう。 俺は今回の結果を受け研究会のメンバーで考察を重ねていけば、やがて観測者の正体を解明出来る日が本当にくるのではないかと、そんな気持ちにさえなっていた。  しかし、現時点においては、その存在の正体は未だ分からぬままだ。「考えれば考える程に、訳の分からない存在だよな。この観測者ってやつは」 隣を歩きながら、俺の言葉にコクリと頷く神崎。 俺の言葉には全くもって同意だと、その目が告げていた。「見ているのに、視覚から情報を得ていないっていうのが、一番意味が分からん。じゃあ、何で見ているんだよって話だろ」「岩倉君の顕在意識を読み取れるのであれば、そもそも見る必要はない。視覚から得た情報の処理については、岩倉君に任せれば良い。だというのに、観測者はこちらを見ている」「……観測者は、窓越しに香月先輩の姿を見たんだよな?」「うん。あの日は外が暗かったから、反射した姿は私達にもハッキリと視認できた」「うーん……そもそも、人間とは構造が違うって可能性はないか?」「というと?」「つまり、《《人間の目は窓に反射した姿を視認で
Last Updated: 2026-07-01
Chapter: 観測者②
 翌日の放課後、俺は早速、研究会の部室へと赴いた。 早く実験の結果を知りたいと気持ちが逸り、少し足早になったせいか、到着したのは俺が最初だった。 その後、香月先輩、神崎、朝山先輩の順番で研究会のメンバー全員が部室内に集まり、いつものように円卓を囲む形となる。 神崎からは、瞬きの合図を受け取った。 このタイミングで現れるという事は、お前も実験についての詳細を聞きたいという事なんだろうな。「さて、岩倉君も気になっている様子だからね。先ずは、実験の結果から話そう。君の提案のもと遂行した実験の結果は……成功だ」 正直な話、俺はこの実験から得られる成果はないだろうなと考えていた。 なので、成功という結果には内心かなり驚かされた。 俺が睡眠状態にある間、香月先輩が俺を演じた所で、観測者は現れないだろうと高を括っていた。 思い付きの実験が、成功するとは思っていなかったのだ。「観測者は、岩倉君を演じていた私の視点に移動した。そうだよね、怜菜」「はい。驚きましたが……確かにいつもは岩倉君から感じていた二重の視線を、あの時は小夜子先輩から感じました」 実験の成功。 つまり、それは新たに考えなければならない事が増えたという事だ。 その事実に俺は、つい考えこむ姿勢を見せてしまう。 そんな俺に一瞥をくれた後、香月先輩が話を続ける。「その結果を踏まえた上で、整理しつつ話を進めよう。まず発表の時に怜菜が言っていた視点の制約について、その制約は存在する前提で話を進めてしまっていいだろう。ただ、ここは正確な言葉で定義しておきたいのだが、その制約というのは観測者が岩倉優雨と認識した存在の視点でなければならないというものだ。つまり、その認識を狂わせてしまえば、岩倉君以外の人物に、その視点を動かすことも可能であるという事が実験によって証明された」 香月先輩の言う通りだ。 そして、そこから分かる事がある。 俺たちが思っているよりも、観測者が俺という人間
Last Updated: 2026-06-30
Chapter: 観測者①
 誰かに見られている気がする。 自分たちの知らない場所から、何者かがこちらを覗いているような感覚。 そんな曖昧な不安に、ただ名前を与えただけ。 それだけのはずだった。 けれど、人は名前を与えたものを認識してしまう。 輪郭のないものに境界が生まれる。 境界を得たものは、少しずつ存在感を増していく。 そうして、いつの間にか誰もが口にするようになった。 観測者。 まるで最初からそこにいたかのように。 ◇   ◇   ◇「岩倉君、やほー」 部室の扉が開き、朝山先輩がいつもの調子で顔を覗かせる。 その明るい声を聞くだけで、部室の空気が少し柔らかくなるから不思議だった。 俺は軽く会釈を返す。 今日は俺が一番乗りだった。 部室には、まだ香月先輩も神崎も来ていない。 朝山先輩は学生鞄を椅子の横へ置くと、そのまま俺の正面へ腰を下ろした。 なぜか、じっとこちらを見てくる。「……なんですか」「二人きりだねーって」 ニコニコしている。 嫌な予感しかしない。 何度か話して分かったが、この人は人の反応を見て楽しむタイプだ。 しかも、かなり無自覚に。「ねえねえ、岩倉君って好きな人いる?」 やっぱり来た。 なんでこの人はこう、会話の初手から距離が近いんだろう。 俺は少し考えてから口を開く。「……定義次第じゃないですか」「え?」「恋愛感情と執着心って、案外区別つかないと思うので」 数秒、沈黙が下りた。 朝山先輩は目を丸くしている。「え、なにそれ」「聞いてきたの、先輩ですよね」 朝山先輩は吹き出すみたいに笑った。「ほんと、高校生っぽくないよね」 高校生っぽくない。
Last Updated: 2026-06-29
Chapter: 神崎怜菜の研究④
「……来た」「ああ、そうか」 研究会の部室を後にした俺と神崎は、肩を並べて帰宅の徒についていた。 いま神崎は来たと言ったので、どうやら観測者という存在が、また俺の視点を借りに来たらしい。 ついさっきいなくなったと思ったら、数時間の内にまた現れる。 神出鬼没な奴だ。 結局、観測者についての話し合いを進めても、その正体について答えは出ないだろう。 俺たちにとって、観測者はその存在が異質過ぎる。 神崎はその正体を解明する事を目的としているが、それは容易ではないだろう。 そんな事を考えながら、夕日に染まる住宅街の道を神崎と歩き続ける。 このまま進み続ければ駅前へと到着し、そこで神崎とはお別れだ。「なんで神崎は、観測者の視線を感じ取れるんだろうな?」「それに関しては、思い当たる事はある」「へえ、思い当たる事ってなんだ?」「私は幼少期の頃から、人の視線というものに凄く敏感だったから。他者視線恐怖症って呼ばれている病気で、酷い時期には外出も出来ないほどだった」 それは、とても意外だと感じる告白だった。 俺の知っている神崎怜菜という人物に、そういう素振りはまるで見られなかったからだ。 中学生の頃は視線恐怖症とは思えないほどに、俺の事をジロジロと見たりしていたし、新入生代表挨拶や先ほどの発表も難なくこなすほど、寧ろ人の視線に恐れなど抱いていないという印象の方が強い。「心理療法で少しずつ改善して、今ではもう完治しているけれど。多分、そういった経験からじゃないかなっていう推測。ちなみに完全に完治したのは、中学生の時に貴方……観測者の視線を感じた事が、キッカケになってる」 なぜ観測者の視線を感じた事が、完治のキッカケになるのだろうか。 その理由を、神崎は話してくれた。「観測者の視線を感じたあの瞬間から、私は人に見られるという行為そのものに、恐怖心を抱かなくなった。異質な存在である観測者の視線に比べれば、普通の人間である
Last Updated: 2026-06-28
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