Chapter: 8話 消毒液と、二度目の雨 消毒液が完成したのは、ダリウスが去ってから十日後のことだった。 材料は蒸留した酢と、特定の樹皮を煮出した液を合わせたものだ。酢の蒸留は最初の難関だった。この世界にも酢は存在するが、濃度が低く、薬として使えるレベルには程遠い。陶器の蒸留器を自作するのに三日かかり、蒸留の条件を探るのにさらに五日かかった。 完成品を小瓶に入れて光に透かした。無色に近い、わずかに黄みがかった液体。匂いは鋭い。 合格。 エリナは小瓶に木の栓をして、棚に並べた。傷口に直接使える消毒液、石鹸では届かない深い部分の洗浄に使えるもの。クラウスの時のような感染症例が、これで一段階早く対処できるようになる。 それから少し間を置いて、別のことを考えた。 レインに見せると言った。 でも場所がわからない。あの少年がいつまたルシェムに来るかも、来るかどうかも、わからない。 エリナは栓をもう一度確認して、棚から目を離した。 来たら見せる。それだけだ。 レインが来たのは、その翌日だった。 またしても、雨だった。 今度は朝から降っていた。霧のような細かい雨が、町全体を灰色に包んでいた。エリナは薬草の仕分け作業を台所でしていて、戸口を叩く音を聞いた。 マリオかナンシーだろうと思いながら開けた。 違った。 旅装束の少年が立っていた。前回より少し汚れている。靴底の麻紐は、新しいものに替わっていた。「……修理したんだ」 エリナが言った。自分でも、開口一番それを言うとは思っていなかった。 レインが一瞬だけ目を細めた。「した」「よかった。入って」 台所に通した。狭い部屋だ。棚に薬草が並び、壁に分類図が貼られ、隅に帳簿が積んである。貴族の屋敷の応接間とは正反対の空間だ。 レインは部屋を一度見回してから、何も言わずに椅子に座った。この人は余計なことを言わない、とエリナは再確認した。狭い部屋だとか、貧しいとか、そういうことを顔に出さない。ただ、目だけが部屋の中をきちんと観察していた。
Last Updated: 2026-08-03
Chapter: 7話 ダリウスの影 噂というのは、水のように低いところへ流れる。 そしてある程度溜まると、今度は高いところへ逆流する。 ルシェムで石鹸と薬草薬が広まり始めてから二ヶ月。エリナの名前は市場の主婦たちの口から隣町へ、隣町から街道沿いの宿場へ、宿場から行商人の荷馬車へと乗り移って、気づけば王都の商人ギルドの耳にまで届いていた。 エリナはそれを、グレンから聞いた。「王都から来た男が、お前のことを聞いてたぞ」 朝の市場で声をかけてきたグレンの表情が、いつもより硬かった。エリナは手を止めた。「どんな男?」「商人とは言ってたが、目つきが商人じゃなかった。聞き方が妙に細かくてな。お前が何を作ってるか、誰と一緒にやってるか、家族はいるか——そういうことを」 エリナの頭の中で、何かが静かに警戒音を鳴らした。「その男、今もいる?」「昨日の夕方に馬車で帰ったよ。でもな——」 グレンが声を落とした。 「馬車に紋章がついてた。見覚えのある紋章だ。クロヴェルの家紋だった」 エリナは表情を変えなかった。 意識して、変えなかった。 家に戻って、台所に座った。 母はまだ仕事に出ていた。部屋には誰もいない。 エリナは膝の上で手を組んで、静かに考えた。 クロヴェル家がこちらの動きを把握した。これは想定より早い。エリナはまだ七歳で、商売の規模もルシェム周辺に留まっている。脅威と判断するには小さすぎるはずだ。 では、なぜ今、動いた。 可能性は二つ。一つは、アッシュフォードという名前に反応した。もう一つは、魔法なしで衛生状態を改善しているという報告が何らかの形でクロヴェルの耳に入り、その背景を調べた。 どちらにせよ、結論は同じだ。 見られている。 前世のエンジニアとしての習性が、リスク評価を自動的に始めた。現状の脅威レベル、取れる対策、最悪のシナリオ。 最悪のシナリオ——クロヴェル家が母の存在を使って圧力をかけてくる
Last Updated: 2026-08-02
Chapter: 6話 薬草師と、知識の地図 レインが去ってから三日後、エリナは本格的に薬草の研究を始めた。 といっても、材料も道具も最低限しかない。市場で買える薬草の種類は限られているし、専門的な文献など存在しない。この世界の医療は、治癒魔法師と口伝の民間療法が二本柱で、体系化された知識はほぼ皆無だ。 だからこそ、やる価値がある。 エリナはまず、市場で手に入るすべての薬草を少量ずつ買い揃えた。一種類ずつ匂いを嗅いで、触って、舌先で少しだけ舐めて、前世の記憶と照合する。完全に一致するものばかりではない。この世界固有の植物も多い。でも形状や成分の傾向から、効能を推定できるものは多かった。 木の板に炭で書いた分類表が、台所の壁を少しずつ埋めていった。 問題は、知識を実証する相手がいないことだった。 実験するには、実際に怪我をしている人間が必要だ。でも「怪我人を探す」というのは、自分では動けない。 助けが来たのは、意外な方向からだった。 ある朝、長屋の大家——初老の女性でナンシーという——がエリナの部屋の前に立っていた。普段は家賃の話しかしない人だ。「エリナちゃん、ちょっといいかい」 声がいつもと違った。硬い。「隣の部屋のクラウスが、三日前から熱を出して寝込んでる。治癒魔法師は呼べないし、薬屋の薬を飲ませても下がらない。あなた、石鹸で病気を治したって話が出てるけど……何か知らないか?」 エリナは即座に立ち上がった。「見せてもらえますか」 クラウスは三十代の男で、荷運びの仕事をしている。隣の部屋に入った瞬間、エリナは状態を見た。 顔が赤い。汗をかいている。でも手足は冷えている。布団を顎まで引き上げていても、ときどき震える。 悪寒と発汗が交互に来ている。発熱のパターンは感染症。喉と鼻の症状がなければ、傷口からの感染が疑わしい。「足を見せてもらえますか」 クラウスが弱々しく布団をめくった。左足の甲に、包帯が巻かれている。「いつ怪我をしたの?」「四日前&h
Last Updated: 2026-08-01
Chapter: 5話 雨と天才と、噛み合わない会話 レインと初めて会った日、雨が降っていた。 春の終わり、夕暮れ前の雨だ。急に空が暗くなって、大粒の雨が石畳を叩き始めた。市場の商人たちが慌てて荷物を布で覆い、客たちが軒下に逃げ込む。エリナは豆のペーストの補充分を届けた帰り道で、雨に降られた。 傘はない。この世界に傘という概念はあるが、庶民が持つものではない。雨具といえば蠟を塗った麻布を頭から被る程度だ。 次は撥水加工の研究をすべきか。 頭が半分そっちへ飛びながら、エリナは近くの軒下へ走り込んだ。 先客がいた。 最初は、背中しか見えなかった。 柱に寄りかかって、雨を眺めている少年。年は自分と同じか、少し上くらいだろうか。薄汚れた旅装束に、使い込まれたブーツ。荷物は小さな革鞄一つ。 髪は濡れていた。雨宿りを始めてからまだ間もないらしい。 エリナは少年から適切な距離を取って、壁際に立った。雨が屋根を叩く音が続く。 しばらく沈黙があった。 先に口を開いたのは、エリナだった。別に話しかけたかったわけではない。ただ、気になることがあった。「右の靴底、剥がれかけてる」 少年が振り返った。 目が合った瞬間、エリナは少し面食らった。綺麗な顔をしている——そういう感想ではなく、目の鋭さが異常だと感じた。年齢に似合わない、すべてを計算するような眼差し。でもその奥に、何か燃えているものがある。「……気づいてた」 少年が短く答えた。声は低めで、感情の起伏が薄い。「直さないの?」「修理屋に出す金がない」「応急処置なら今できる。靴を貸して」 少年が眉をわずかに動かした。警戒ではなく、意外そうな顔だ。「なんで」「このまま放っておくと完全に剥がれる。雨の日に靴底がない状態で歩くのは効率が悪い」 エリナは籠から細い麻紐を取り出した。配達の荷物を固定するために常に持ち歩いているものだ。 少年は数秒エリナを見てから、無言で右足を差し出した。 エリナは剥がれかけ
Last Updated: 2026-07-31
Chapter: 4話 泡と噂と、変わる町 石鹸の第一ロットが完成したのは、豆のペーストを売り始めてから一ヶ月後のことだった。 作り方は単純だ。竈の灰を水に溶かして上澄みを取り、アルカリ液を作る。それを獣脂と合わせて煮詰め、型に流して固める。前世の知識でいえば、苛性ソーダの代わりに灰汁を使った昔ながらの製法——ただし、この世界では誰もその工程を体系化していなかった。 マリオが肉屋から分けてもらった獣脂は思ったより質が良かった。灰はハンスの作業場から毎日少しずつ集めた。型は木製で、マリオが端材を削って作った。縦に六つ並ぶ長方形の溝に液体を流し込み、二日待つ。 固まったものを取り出した時、エリナは光に透かして確認した。 均質で、表面に亀裂がない。匂いは獣脂の臭みが残っているが、許容範囲だ。次のロットでは香草を加えて改善する。 合格。量産フェーズへ移行。 問題は、どう売るかだ。 石鹸は豆のペーストより単価が高くなる。材料費と手間を考えれば、一個あたり八ルシェは取らなければ採算が合わない。この町の平民にとって、それは決して安い買い物ではない。 価格が高いものを売るには、価値を先に見せる必要がある。 エリナは三日かけて作戦を立てた。 まず、実演する場所が必要だった。市場の中心に、共同の井戸がある。毎朝、主婦たちが水を汲みに来る。人が集まる場所で、石鹸の効果を目で見せる——それが最短の経路だと判断した。「マリオ、明日の朝、井戸の近くに板を一枚持ってきて」「何するんだ」「実演販売」 マリオが首を傾げた。「じつえん、はんばい?」「見ていればわかる」 翌朝、夜明けと同時にエリナは井戸へ向かった。 マリオが約束通り、薄い板を一枚抱えて待っていた。眠そうな目をこすりながら、それでもちゃんと来ている。この男の律儀さは本物だとエリナは思った。 板を台代わりに置いて、その上に石鹸を三個並べた。隣に小さな布切れと水を入れた桶を置く。 準備が整った頃、最初の主婦が水を汲みに来た。エリナの見知った顔&mdas
Last Updated: 2026-07-30
Chapter: 3話 最初の一手 豆のペーストが、三日で売り切れた。 マルタから知らせが来たのは夕方のことだった。皺だらけの手に空の小瓶を三つ持って、長屋の前に立っていた。「全部出たよ。もっとないかい」 エリナは内心で静かに拳を握った。表情には出さない。驚いた顔をすると足元を見られる——これも前世で覚えた交渉の基本だ。「次は六瓶用意する。一週間待って」「六瓶じゃ足りないかもしれないよ。隣の区画の人も欲しがってた」「じゃあ十二瓶。でも値段は変えない」 マルタが値踏みするように目を細めた。「……あんた、本当に七つかい」「先週なった」 マルタはまた皺だらけの顔で笑って、帰っていった。 エリナは扉を閉めてから、初めて小さく息を吐いた。 第一フェーズ、通過。 問題は原材料の調達だった。 十二瓶分の豆のペーストを作るには、今の買い物代では足りない。母のセレーナが縫製で稼ぐ金は、家賃と食費でほぼ消える。手元にある貯えはわずかだ。 エリナは台所の隅に座って、頭の中で計算した。 豆一袋:二ルシェ。香草:市場で自分で摘めばゼロ。獣脂:三ルシェ。陶器の小瓶:一個二ルシェ、十二個で二十四ルシェ。 合計で約三十ルシェ必要になる。手元には十八ルシェしかない。 十二ルシェ足りない。 借りるか、減らすか、別の方法を考えるか。 三択を並べて、エリナはすぐに借りるを消した。この段階で借金を作るのはリスクが高い。信用も担保もない七歳の子どもに金を貸す物好きはいないし、いたとしても条件が悪すぎる。 減らすを考えた。瓶の数を十二から八に絞る。でもマルタへの約束を早々に破るのは信用の毀損になる。それも消した。 残るは別の方法。 エリナは少し考えて、立ち上がった。 翌朝、エリナはマリオを訪ねた。 大工の家は長屋から二区画離れた場所にある。父親のゴツい後ろ姿が作業場に見えた。マリオは外で木片を削っていた。「来た」と
Last Updated: 2026-07-29
Chapter: 実践訓練② 俺がやらかしてしまったと後悔して謝ろうかと考えていたら『取り乱してすみませんでした!?』 と、急に謝られてパニックになる。 謝るのは俺の方じゃないの? 何で染谷さんがあやまるの? 等考えていると、一つの答えにたどり着いた。 また柚希がフォローしてくれたんだと。 なんて兄思いな妹なんだ! 今度お礼をしなくちゃなと考えていると、柚希が俺の隣に座って耳打ちしてきた。「お兄ちゃんは悪くないから、さっきの調子で話して」 え? 俺は悪くないの? ってかさっきの調子で話せって……。 とりあえず柚希の指示に従ってれば問題ないのかな? そう思い、さっきの件で少し萎縮してしまってる染谷さんに話しかけた。「謝らなくてもいいよ。気にしてないから! 染谷さんもどうぞ座って」 という俺の言葉に一瞬驚いた様な顔をしたが直ぐに笑顔になり俺の向かいの席に座る。 それを見届けてから改めて自己紹介をすると「さっきはすみませんでした」「はは、それはもういいって。でもなんであんなに驚いてたの?」 出来るだけ軽い感じで聞く。「えっと、失礼かもですけど、中学の時と大分雰囲気とか違ってたので、別人だとおもってました……」 おお! 第三者から変わったと言われた! これは柚希の特訓の成果なのだろう。 もう少し踏み込んでみるか。「今の俺はどう? 変じゃないかな?」「い、いえ! 全然!? っていうかむしろカッコイイと思います!」 俺がカッコイイ? まぁ自分でもそこそこイケてるんじゃないかと思っていたがやはり第三者、しかも女子から言われると現実味が増すなぁ。 ニヤけそうな顔を鍛えた表情筋で押さえつけて、なるべく軽いトーンで答える。「ありがとう。染谷さんにそう言って貰えてうれしいよ」「い、いえ! ホントの事ですから!」 なんだこの爽やか青年は! 本当に俺か? これも特訓の成果なのだろうか? などと考え
Last Updated: 2026-08-03
Chapter: 7話 実践訓練① 自宅に帰って来た俺は昨日柚希から教えて貰った友達の情報を反芻して暗記していた。 春休みに入ってから今日まで色々な特訓をしてきたが、果たして上手く出来るか不安もある。 俺に特訓をさせた本人である柚希は「ちゃんと情報を整理しといてね!」 と言い残し、友人を迎えるための準備をしている。 しばらくして柚希に呼ばれリビングに向かう。 「もうすぐ来ると思うからお兄ちゃんは其処に座ってて」「わかった」 指示に従いソファーに腰掛けながら昨日から気になっていた事を聞いてみる。「あのさ、友達は俺の事知ってるの?」 俺の事とはつまり、中学の時ヲタクでぼっちで学年どころか学校中から避けられていた事だ。 高校ではまだそこまでではなく、いつも一人で居る暗い奴という認識だろう。 この間まで同じ中学に通っていた妹の友達が俺の存在を知っている可能性はある。 今回俺に協力する事で終業式の時の妹の様に周りから虐められたりしないか心配なのだ。 そんな心配をしていると「知ってるよ。勿論私のお兄ちゃんって事も知ってるから!」「そうか。 大丈夫なのか?」 虐められたりしてないかという意味を込めて聞くと「大丈夫だよ! それどころかお兄ちゃんに対してそんなに嫌なイメージは持ってないと思う」「マジで?」「うん。私が色々補助してたからね」「そうか。 悪いな」 中学で俺に対して悪いイメージを持ってないなんて奇跡的だと思う。 人は誰でも空気という物を読む。 その空気を読んで行動する人が多数だろう。 そして俺が在学していた時の中学の空気は『佐藤友也=悪』という方程式が成り立っていた。 なので俺に味方したりすると『空気の読めない奴=悪』という方程式に組み込まれ、俺と同じように『悪』として扱われてしまうのだ。 だからこそ妹の友達が俺に悪いイメージを持っていないという事にビックリした。 しかしそれは、柚希が『佐藤友也=悪
Last Updated: 2026-08-02
Chapter: 6話 髪型と服装 翌朝、柚希に半ば強引に外に連れ出された。 何処へ行くのかと尋ねると「着いてからのお楽しみ」としか答えてくれず、柚希に引っ張られるような感じで歩く。 しばらく歩いて、駅前の繁華街までやってきた。 繁華街といっても大都市の物に比べると繁華街と言っていいものか困るが、一応俺の住む市では一番栄えてる場所なので気にしない。 結構人が居るのにスイスイと人を避けながらスムーズに歩いている柚希とは対照的に、俺は時たま肩がぶつかってしまい、思うように進めない。 柚希の姿を見失わない様に必死に後を追うと、柚希は目的地に着いたのかとある店の前で俺を待っている。 ようやく柚希に追いつくと「遅いよ~」 とお叱りを受ける。「それじゃあもうすぐ予約の時間だから受付に行って予約した佐藤です。って言ってきて」 と言い、柚希の後ろにある美容院を指差した。「え? 何で俺が?」「お兄ちゃんが髪を切って貰うからに決まってるじゃん!」 いやいや、俺が美容院? 無理無理無理無理! 美容院ってまさにリア充御用達感あるし、店員も凄い話しかけてくるしで、俺の苦手な物の一つだ。 「ま、まだそんなに伸びてないし切らなくてもいいんじゃないか?」 と、小さな抵抗をするが「ダメ! 身だしなみをキチンとするのもリア充には必須なの」「それはそうだけど……。店員に何て言って切って貰えばいいんだ? それに話しかけられたとき平常心でいられる自信ないぞ」 俺の言葉に柚希はニヤリと笑って「大丈夫! 今日カットしてくれる人はいつも私の担当の人だし、予約する時にある程度事情は話してあるから!」 なんて用意周到なんだ! と驚いていると「もう時間だから早く! 1センチ程カットして貰って、全体的に梳いてください。って言えば大丈夫だから!」 半ば強引に店に入らされた俺は、緊張と元からのコミュ力の無さで店員にどもりながら「あ、あの……。よ、よ、予
Last Updated: 2026-08-01
Chapter: 5話 話題の選択 俺は自分のコミュ力の無さに打ちひがれていた。 家族相手にすらまともに話せないなんて……。「お兄ちゃんは会話には何が必要かわかる? って聞くまでも無いか」 再び言葉のナイフが俺を切り刻む。「何気ない会話にも相手や周りの事を考える必要があるの。相手が興味の無い話題を振っても相手は食いつかないし、その周りの人も同調出来ない。だから先ずは相手や流行りについて知る必要があるんだよ。流行りの話題だったらリア充なら当然把握してるしね」 という柚希からの有り難いお言葉を頂いた。「でもどうやって相手が興味が有るか無いか見分けるんだ?」 「ん~、お兄ちゃんの場合は観察から入った方がいいかな。クラス内を観察して誰と誰が仲がいいのか、クラスでどんな話題が流行ってるのかを観察するの」 観察なら得意だ。 伊達にいつも休み時間一人で過ごしてないからな。 あれ? なんだか悲しくなってきた。「あと、喋る時はキチンと自信を持って喋る事! 携帯ショップの店員の話ししたでしょ? 自信なさげに喋ってもスルーされるか笑いものになるだけだからね!」 「はい。肝に銘じます」 とは言っても喋り慣れてないから自信がもてないんだよなぁ。 自信持って喋った事がスベッたらどうしようとか考えてしまう。「その事を踏まえてもう一回やってみよう!」 それから何回も挑戦した。 柚希の学校の事や部活の事、友人や高校でやりたい事などを話題に出して、何度も繰り返し、何度もダメ出しを食らう。それを何度も何度も繰り返した。「う~ん、及第点ってところかな」 「やったー! ってか疲れた~」 やっと柚希からオッケーを貰えた。「お兄ちゃんにしては頑張ったね」 「まぁな。リア充になる為だしな」 俺がそう言うと、柚希は少し沈んだトーンで「私が虐められない為に……だよね?」 俺は一瞬言葉に詰まるが「まぁ、そうだな」 と返す。 すると
Last Updated: 2026-07-31
Chapter: 4話 言葉の抑揚 「はぁ、はぁ……」 直立したまま爆笑する事1時間、柚希の「もういいよ~」という言葉で俺は生き地獄から解放された。 慣れない姿勢で、しかも爆笑しながらの1時間は想像以上にキツかった。「お疲れさま~。大丈夫?」「いや、だいじょばない……」「ははは」 両手と両ひざを床に付いた状態で呼吸を整える。 しばらくして呼吸も落ち着いてきた時「じゃあ、この鏡の前に立って自分を見てみて」 柚希に促され何とか立ち上がり鏡の前に立つ。「これは……?」 鏡に映し出されたのは笑顔で姿勢よく立つなかなかのイケメンが居た。「柚希! こ、これって……!」 興奮しながら柚希に尋ねる。「それが本来のおにいちゃんだよ」 このイケメンが俺? 鏡に映った自分を見て驚愕していると「始めたばかりだからそんなだけど、これを続けて行けばもっと変わると思うよ?」「は? え? もっと変わるのか?」 今でも十分イケメンの部類に入るかもしれないのに、もっとイケメンになれるだと? 俺が半信半疑でいると柚希は自信ありげに言う。「兄妹なんだからもっといけるよ! それともお兄ちゃんには私がそこまで可愛く映ってないのかな?」「いやいや! 柚希は滅茶苦茶可愛いよ!」 俺が興奮気味に言うと「ふふ、ありがとう。 だからお兄ちゃんももっと上を目指そう?」 俺を諭す様に柔らかい口調で言ってくる。 ここは兄の意地を見せなければ!「ああ、柚希のお蔭で自信が沸いてきたよ!」 こうしてキツイ訓練が終わった。 と思っていたら「じゃあ、次の訓練に移りますか」 という天使の声色で悪魔の言葉がリビングに響いた。 「あー! あー! あ~。 あ
Last Updated: 2026-07-30
Chapter: 3話 姿勢と表情 俺は今、リビングの壁に『踵』『お尻』『背中』『後頭部』をくっつけて直立し、お笑い動画を観てわざとらしく爆笑している。 うん。客観的に見るとキモイな。頭がおかしくなったのかと思われても仕方ない。 だが、これが柚希曰くリア充に成る為の第一歩らしい。 1時間程前に遡る――――――――「まずお兄ちゃんはコミュ力の前に色々足りてないの」 俺は真剣に柚希の言葉に耳を傾ける。「まず、その猫背! リア充で猫背の人見た事ある?」 そう言われハッとする。「居ない……な」「でしょ?」 そうか、俺はいつも派手な言動にばかり目が行っていたが、よーく思い出してみればみんな背筋がピンと伸びていた気がする。「猫背だけで自分に自信が無い、なんか暗そうって思われちゃうの!」 なるほど。「例えば、携帯ショップの店員さんいるじゃん? 色々なプランとか説明される時に自信なさげに猫背で説明されるのと、自信たっぷりに背筋をピンッと伸ばして説明されるのとどっちが納得しやすい?」「それは、自信たっぷりに姿勢よく説明された方が安心しやすいかな」「でしょ? それは学校という場所でも同じ事なの」 なるほど確かに。 そう考えると姿勢って大事だな。「あと、表情も大事!」「表情?」 柚希は軽く頷いて「そう!」と言い、顔の横に人差し指を立てて「お兄ちゃんが私に抱いてるイメージをもう一回言ってみて」「それは、いつも笑顔で明るくて、人懐っこくて男子からも女子からも好かれてるイメージだな」 さっきと同じ回答をする。 すると柚希は「そう! それ!」と言って俺の顔を指さす。「いつも笑顔でって言ったでしょ? お兄ちゃんは表情が硬いし、いつも口角が下がってるの。これって不機嫌とか暗いとかのマイナスイメージしかないんだよ!」 確かに俺はあまり表情豊かではないな。 でも口角が下がってるっていうのはどういう事なんだろう。「表情が硬いのは分かったけど、口角ってどういう意味なんだ?」 素直に疑問をぶつけてみる。「口で言っても分かりずらいと思うから見せてあげる」 そういって「よく見ててね」といい、両手で顔を隠した。 そして「どう?」と言いながら両手をどける。「え? あれ?」 そこには見慣れた柚希の笑顔は無く、少し暗い感じの顔をした柚希の顔があった。「じゃあ元に戻すね。今度は手で隠さ
Last Updated: 2026-07-29
Chapter: 第七話 触れてはいけない傷「じっとしていてください」 夕暮れの中庭。 リリアは半ば強引にレオンをベンチへ座らせると、すぐ近くのテーブルへ薬草を広げた。 レオンは不服そうだった。「……本当に大丈夫だ」 「患者の“大丈夫”は信用しない主義です」 「患者扱いか」 「病人を病人扱いして何が悪いんですか」 即答すると、レオンは口を閉ざした。 反論できないらしい。 リリアは小さくため息を吐きながら薬草を選別する。 熱を抑える青葉草。 痛みを和らげる薄雪花。 炎症を鎮める白銀樹皮。 幸い、公爵家の薬庫には質の良いものが揃っていた。「飲めるものを作ります」 「必要ない」 「必要です」 「……」 「拒否権はありません」 昨日、自分が言われた台詞をそのまま返す。 レオンが僅かに眉を寄せた。「根に持つな」 「持ちます」 「そうか」 「そうです」 妙に素直だ。 調子が狂う。 リリアは薬鉢で薬草を潰しながら、ちらりとレオンを見た。 夕陽が銀髪に落ちている。 綺麗だ……悔しいけれど。 その横顔は、物語に出てくる英雄そのものだった。 ――黙っていれば。「……何を見ている」 視線に気づいたらしい。「別に」 「何か言いかけただろう」 「言ってません」 「顔に書いてある」 「レオン様こそ、顔に出るようになりましたね」 そう言った瞬間、レオンが少しだけ動きを止めた。「あ……」 失言だったかもしれない。 昨日までの彼は、本当に感情が薄かった。 でも今は違う。 少し目を逸らす。そういう小さな変化がある。 レオンは静かに視線を落とした。「……お前のせいだ」 「え?」 「昨日から妙に調子が狂う」 低い声。
Last Updated: 2026-08-03
Chapter: 第六話 不器用な公爵と公爵邸の日常 翌朝。 リリア・エヴァレットは見知らぬ天井を見上げながら、しばらく無言だった。「……ここどこ」 ぼんやり呟く。 数秒後、思い出した。 ヴァルハルト公爵邸。 銀狼公爵。 契約結婚。 呪い。 昨夜の会話。 そして『……死にたくない』 あの言葉。 思い出した瞬間、胸の奥が妙にざわついた。「……重症ね」 自分で言って、自分で顔を覆う。 昨日会ったばかりの相手だ。しかも第一印象は最悪。 なのに、あんな顔を見せられたら、放っておけるほど冷たくはなれない。「はぁ……」 ベッドから起き上がる。 広い部屋だった。 淡い生成り色のカーテンに柔らかな絨毯、磨かれた家具。 どう見ても客室ではない。 下手な貴族令嬢の自室より豪華だ。 その時、控えめなノック音が響く。「リリア様、失礼いたします」 入ってきたのは若い侍女だった。 栗色の髪。 緊張した顔。「朝食のご用意が整っております」「……朝食」 そういえば昨日、ほとんど何も食べていない。 空腹を思い出した。「ありがとうございます」 ベッドを降りる。 すると侍女が、どこかほっとした顔をした。「……?」「あ、申し訳ありません」侍女は慌てて頭を下げた。「お怒りになって、今朝には帰られているかと……」「帰りたい気持ちはあります」 本音だった。 侍女が困った顔になる。 リリアは慌てて続けた。「でも、あなたたちに怒っているわけじゃないから」「&h
Last Updated: 2026-08-02
Chapter: 第五話 私はあなたを許していません 扉の向こう。 静かな足音が近づく。 一歩、また一歩。 リリアは無意識に息を止めていた。 ――来る。 理由なんてない。けれど分かった。 扉が叩かれる。 控えめに二回。「どうぞ」 グレイが答える。 扉が開いた。 銀色の髪に黒い軍服。 そして、静かな眼差し。 レオン・ヴァルハルト。 つい先ほどまで意識を失っていたとは思えない。 いつも通り。 何事もなかったみたいな顔。 けれど、違う。 少しだけ、ほんの少しだけ顔色が悪かった。「閣下」 グレイが頭を下げる。 レオンは軽く頷いた。 そして、銀色の瞳がこちらを見る。 静かに、真っ直ぐ。「……悪かった」 第一声がそれだった。 予想していなかった。 もっと、こう……『余計なことをした』とか。『忘れろ』とか。 そんな言葉が来ると思っていた。「……何がですか」 思ったより声が硬くなった。 レオンは少しだけ沈黙した。「巻き込んだ」 短い。それだけ。 でも、胸の奥、何かが少しざわつく。「説明を受けた」 リリアは言う。「そうか」「それだけですか」「……何がだ」「何が、じゃありません」 静かに、けれど確実に。 怒りが戻る。「最初から知っていたんですよね」「……ああ」「私が必要だから結婚するって」「そうだ」「否定しないんですか」「事実だからな」 ものすごく腹が立つ。「だったら!」 思わず声が大きくなった。
Last Updated: 2026-07-30
Chapter: 第四話 契約結婚の真実 「……レオン様」 返事はない。 銀狼公爵レオン・ヴァルハルトは静かに意識を失っていた。 信じられなかった。ほんの少し前まで氷みたいに冷たい顔で、人を寄せつけない空気を纏っていた男。 それが今は驚くほど無防備だった。「……重い……」 思わず漏れる。 身長差がある。当然だ。 鍛えられた体、支えるだけでも精一杯。「誰か!」 声を上げる。 すぐに扉が勢いよく開いた。 執事長グレイと医師、使用人たちが入ってきた。 そして、銀狼侯爵の様子を見ると全員の顔が強張る。「閣下!」「運びます!」 医師たちが駆け寄る。 ベッドへ移されるレオン。 乱れた銀髪。 閉じられた瞳。 苦しそうな呼吸。 さっきまで見えていた黒い侵食は、ほんの少しだけ薄くなっていた。 それを見た瞬間、医師の一人が息を呑んだ。「……まさか」 グレイも気づいた。 明らかに空気が変わる。 全員何かを知っている。 自分だけが知らない。 その状況が無性に腹立たしかった。「説明してください」 静かな声だった。 けれど、自分でも分かる。怒っている。「……リリア様」「説明を」 グレイが沈黙する。 迷っている。隠すか、話すか。 数秒、重い時間。 やがて、彼は静かに頭を下げた。「……こちらへ」 ◇ 案内されたのは小さな応接室だった。 温かい茶が用意される。 けれど、飲む気にはなれない。「話してください」 正面には執事長グレイ。 白髪混じりの髪に整った礼服。
Last Updated: 2026-07-29
Chapter: 第三話 英雄の傷痕「……閣下!」 執事の声が廊下へ響いた。 空気が変わり張り詰める。 さっきまで静かだった屋敷の空気が、一瞬で何かに飲み込まれたみたいだった。 レオン・ヴァルハルトは何も言わない。けれど、その銀色の瞳だけが僅かに鋭くなる。「失礼する」 短く告げる。 すぐに部屋を出ていこうとした。「あ、待っ――」 呼び止めようとして、やめた。 今の空気は明らかに何かがおかしい。 扉が閉まり、広い執務室に静寂が取り残された。「……何なの……」 嫌な感じがした。 胸の奥が落ち着かない。 さっきの執事の声。 あれはただ事じゃなかった。 数秒考える。 迷う。 そして――「……帰る空気じゃないわよね」 誰もいない部屋へ呟く。 しかし気になる。 ものすごく。 良くないことだとは分かっている。 でも、薬師として。いや、人として。 あの空気を無視することはできなかった。 扉を開けると静かな廊下の少し先で人の気配がする。 使用人たちだ。何人か集まっている。 みんな顔色が悪い。「……何かあったんですか?」 問いかける。 若い侍女がびくりと肩を震わせた。「あ……」「閣下に何か?」 使用人たちが皆沈黙してしまう。 どうやら迷っているようだ。 言うべきか。 言わないべきか。 そんな顔。「大丈夫です」 少し声を柔らかくする。「無理にとは言いません」 年配の使用人が小さく息を吐いた。「……いつものことです」「いつもの?」「閣下は、お疲れが重なると……時々、お身体を悪くなさるのです」 身体を悪くする。 曖昧な言い方。 隠している。 そう思った。「医師は?」「診ていただいております」「なら」「……治らないのです」 空気が重くなる。 誰も目を合わせない。 まるで触れてはいけない話。 そんな雰囲気だった。「どちらですか」「え?」「レオン様」 気づけば聞いていた。 侍女たちが驚いた顔をする。 当然かもしれない。 婚約者とはいえ今日初めて会ったばかり。 それなのに。「……案内してください」 ◇ 屋敷の奥のさらに奥。 静かな廊下。 使用人が立ち止まる。「こちらです」 重厚な木製の扉。 その前に執事長グレイが立っていた。 こちらを見ると少し驚いた顔をした。「リリア様」「中にいま
Last Updated: 2026-07-28
Chapter: 第二話 銀狼公爵との最悪の初対面 翌朝。 リリア・エヴァレットは人生で最悪の目覚めを迎えた。「……夢じゃなかった……」 天井を見上げながら呟く。 期待していた。 目覚めたら全部なくなっているかもしれないと。 王命も、婚約も、銀狼公爵も。 だが現実は残酷だった。 机の上には昨日届いた王家の文書。 見れば見るほど胃が痛くなる。「行きたくない……」 正直な本音だった。 誰だって嫌だろう、いきなり結婚しろと言われれば。 相手は顔も知らない英雄。 しかも噂では氷の化け物みたいな男。「……逃げる?」 呟いた。 三秒考え、無理だと悟る。 王命である。 逃げた先まで追ってくる。 たぶん、絶対、確実に。「……はぁ」 重い足取りで着替える。 一番ましなワンピース。 何年も前に母が仕立ててくれた薄青の服。 貴族としては質素すぎる。 でも今の自分にはこれしかない。 髪を結び鏡を見る。 顔色が悪い。「……大丈夫」 誰に言うでもなく呟いた。 すると、屋敷の前から馬の足音。 迎えが来た。 人生が終わったと絶望する。 ◇ 王家の馬車は想像以上だった。 広い、柔らかい、揺れない。 だが怖い。「……帰りたい」 御者には聞こえない程度の声で呟く。 窓の外では王都が流れていく。 賑やかな商業区。 貴族街。 そして北区。 王都でも最も格式ある土地。 巨大な門が見えた。 銀狼の紋章、ヴァルハルト公爵邸。「……大きすぎる……」 屋敷じゃない、城だった。 三階建て 白い石造り 広大な庭園 噴水 薔薇園 どう考えても没落伯爵家の人間が来る場所ではない。 馬車が止まると扉が開く。 降りた瞬間、緊張で胃が縮んだ。 使用人たちが並んでいる。 十人……いや二十人。 全員綺麗に頭を下げた。「ようこそお越しくださいました、リリア様」 年配の執事が前へ出る。 完璧な礼、隙がない。「私は執事長のグレイと申します」「……リリアです」 緊張する、ものすごく。「閣下がお待ちです」「……今すぐですか」「はい」 逃げる時間もない。 最悪だ。 長い廊下を案内される。長いだけでなく広くて静か。 足音だけが響く。 途中、飾られた肖像画が目に入った。 軍服姿の青年 銀色の髪 鋭い瞳 整った顔立ち そして―― 圧倒的
Last Updated: 2026-07-28