LOGIN西門では、フジとヘリアンサスが巨大な魔物と激しく剣を交えていた。轟音が響くたび、大地が揺れる。王都を守る兵士たちは必死に応戦しているが、その表情には疲労の色が濃く浮かんでいた。一方、王城の最上階。世界樹へ続く祭壇の前で、ルピナスは立ち尽くしていた。「私……本当に、この世界を救えるのかな。」小さく漏れた本音。ここまで何度も前を向いてきた。それでも、大切な人たちが命を懸けて戦う姿を見るたび、不安は胸を締めつける。「もし私が失敗したら……。」「みんなの想いまで無駄になる。」肩が震えた。その時だった。コンコン。静かに扉が叩かれる。「入るわよ。」聞き慣れた声だった。振り返ると、ダリアが優しく微笑んでいた。「探したわ。」ルピナスは慌てて涙を拭う。「ダリア……。」「泣いてたでしょう?」「泣いてない。」「昔から嘘が下手なんだから。」ダリアはくすりと笑い、ルピナスの隣へ並んだ。しばらく二人は何も話さなかった。幼い頃から一緒だった。だからこそ、沈黙さえ心地よかった。やがてダリアが口を開く。「覚えてる?」「七歳の時、庭園の池に落ちたこと。」ルピナスは思わず吹き出した。「もう、やめてよ。」「あれは事故だったの。」「事故?」「あなた、自分で白鳥を追いかけて飛び込んだじゃない。」「そんなことしたっけ?」「したわよ。」二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。戦場のすぐ近くとは思えないほど、穏やかな時間だった。笑い終えると、ダリアは真剣な表情になる。「ルピナス。」「あなた、昔から何でも一人で抱え込む癖がある。」その言葉に、ルピナスは黙り込む。「前世でも、そうだったんでしょう?」図星だった。誰にも相談せず、一人で運命を変えようとしていた。その結果、多くの人を失った。「でも今回は違う。」ダリアはルピナスの両肩に手を置いた。「あなたの隣にはフジ様がいる。」「ローゼン様もいる。」「アスター様も。」「そして……私もいる。」ルピナスの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。「怖いの……。」「うん。」「みんなを失うのが怖い。」ダリアは優しくルピナスを抱きしめた。「私だって怖い。」「でもね。」「怖いからって、あなたを一人にはしない。」その温もりは、子どもの頃と変わらなかった。泣き虫だったルピナスを
西門を吹き抜ける風は、血と黒い霧の匂いを運んでいた。崩れかけた城壁の向こうから、絶望の化身が生み出した魔物たちが次々と押し寄せる。その数は数百。いや、すでに千を超えているのかもしれない。「来るぞ!」ヘリアンサスが剣を構え、兵士たちへ号令を飛ばす。「弓兵、第一列!」「魔導士は後方支援! 民の避難を最優先に!」兵士たちは震える手で武器を握り直した。恐怖は消えていない。それでも、一人として逃げる者はいなかった。ローゼンの演説が、彼らの心に火を灯したのだ。黒い魔物の群れが、一斉に城門へ襲いかかる。「撃て!」無数の矢が夜空を切り裂く。しかし、魔物たちは倒れても倒れても立ち上がる。「くそっ……!」兵士の一人が弾き飛ばされる。巨大な魔物が牙を剥き、その兵士へ飛びかかった。次の瞬間。ギィンッ!鋭い金属音が響く。黒い剣が魔物の牙を受け止めていた。「立て。」低く落ち着いた声。フジだった。「まだ終わってない。」一閃。黒い魔物は真っ二つに切り裂かれ、霧となって消えていく。兵士は呆然とフジを見つめた。「ありがとう……ございます。」「礼はいい。」フジは視線を前へ向けたまま答える。「守るべきものを守れ。」その一言だけ残し、再び戦場へ駆け出した。「すごい……。」若い兵士が思わず呟く。「あれが……黒狼騎士。」ヘリアンサスは小さく笑った。「見惚れるな。」「俺たちも負けていられん。」そう言うと、自らも魔物の群れへ飛び込む。剣と剣がぶつかり合う音。魔法が夜空を染める光。悲鳴。叫び。それでも二人の騎士は、一歩も退かなかった。その頃。王城の塔では、ルピナスたちが戦場を見下ろしていた。「フジ……。」思わず駆け出しそうになるルピナスを、ラベンダーが静かに止める。「今、あなたが行く場所ではありません。」「でも!」「彼はあなたを守るために戦っています。」ラベンダーの瞳は優しかった。「その覚悟を、無駄にしてはいけません。」ルピナスは拳を強く握る。悔しかった。大切な人たちが命を懸けているのに、自分は見ていることしかできない。その気持ちを察したように、アスターが口を開く。「焦るな。」「戦いには、それぞれの役目がある。」彼は西門を見つめながら続けた。「騎士は道を切り開く。」「王は民を導く。」「賢
夜空を覆っていた黒雲は、なおも王都へ絶望を降らせ続けていた。絶望の化身の胸には、ルピナスが放った光の剣による亀裂が刻まれている。だが、その傷はゆっくりと黒い霧に覆われ、再び塞がり始めていた。「傷が……治っている。」ダリアが息を呑む。ラベンダーは静かに目を閉じた。「世界中に絶望が残る限り、あの化身は何度でも再生する。」その一言が、その場の空気を凍らせる。「そんな……。」ルピナスは唇を噛み締めた。「倒せないの……?」「倒せる。」ラベンダーは迷いなく答えた。「だが、そのためには王都を守らねばならない。」「人々の希望が消えれば、絶望は再び力を取り戻す。」その時だった。王都の西門から爆発音が響いた。「魔物です!」「結界が破られました!」兵士の叫びが王城へ響く。絶望の化身から生まれた黒い魔物たちが、次々と街へなだれ込んできた。泣き叫ぶ子どもたち。避難する民。逃げ惑う人々。「まずい……!」ヘリアンサスが剣を抜いた。「このままでは市街地まで突破されます!」ローゼンは王都を見渡す。民が怯えている。兵たちも疲弊し、士気は下がっていた。それでも。彼はゆっくりと王冠へ手を添える。「父上。」サクラディウス国王を見る。「ここは私にお任せください。」国王は静かに息子を見つめた。そこには、幼い王子の姿はなかった。民を守ろうとする、一人の男が立っていた。「……行け。」ただ一言。その言葉に、ローゼンは深く頭を下げる。「必ず、この国を守ります。」彼は王城のバルコニーへ立った。避難する民へ向かって、大きく声を張る。「聞け! 我が国の民よ!」王都中へ、その声が響き渡る。「恐れるな!」「私は、ここにいる!」ざわついていた民が、一斉に顔を上げる。ローゼンは黄金の剣を高く掲げた。「私は最後まで、この国を離れない!」「最後の一人になるまで、民を守る!」その宣言は、王子としてではなかった。未来の王としての誓いだった。兵士たちが次々と剣を掲げる。「王子殿下と共に!」「王都を守れ!」失いかけていた士気が戻っていく。その姿を見ていたマーガレットは、小さく微笑んだ。「ようやく……あなたらしい顔になりましたね。」彼女は避難所へ駆け出す。「医療班は私について来てください!」「子どもたちを最優先に!」貴族
世界樹の光が王都を優しく照らしていた。その輝きは、人々の心に宿った希望そのものだった。絶望の化身は大きく後退し、胸元には紫色の亀裂が広がっている。『ナゼ……。』低く響く声に、先ほどまでの圧倒的な威圧感はない。代わりに滲んでいたのは、理解できないという戸惑いだった。『何度モ……世界ハ滅ンダ。』『何度モ……人ハ諦メタ。』『何故、今ダケ違ウ。』ルピナスは静かに前へ歩き出す。「違う。」その声は穏やかだった。「今だけじゃない。」「今までだって、みんな諦めたくなんてなかった。」絶望の化身は動きを止める。「あなたは、誰かが流した涙だけを集めた。」「苦しみだけを見てきた。」「でもね。」ルピナスは胸へ手を当てる。「涙の隣には、必ず笑顔もあったの。」「誰かを守りたい想いも。」「愛した記憶も。」「希望も。」その言葉に、絶望の化身の身体がわずかに揺らぐ。アスターが静かに呟いた。「そうか……。」「私は間違っていた。」フジとローゼンが振り返る。アスターは苦しそうに笑った。「私は世界を救おうとして、悲しみばかり見続けていた。」「だから、この怪物を育ててしまった。」何百年もの後悔。何百年ものやり直し。救えなかった命ばかりを数え続けた結果、絶望だけが膨れ上がってしまったのだ。「なら。」ローゼンが剣を構える。「終わらせよう。」フジも隣へ並ぶ。「今度こそ。」三人がルピナスの左右へ並ぶ。四人は互いに頷き合った。言葉はいらなかった。想いは一つだった。「行くよ!」ルピナスの声と同時に、四人は一斉に駆け出した。フジが先頭を走る。黒い霧を剣で切り裂き、道を開く。ローゼンが黄金の魔力で結界を破壊する。アスターは銀色の魔法陣を展開し、暴走する術式を封じ込めていく。そして、その中央をルピナスが駆け抜けた。世界樹の光が彼女を包む。絶望の化身は最後の抵抗を見せる。『消エロ!』無数の黒い槍が空を覆う。しかし。フジが剣で弾き返す。ローゼンが黄金の盾で受け止める。アスターが魔法で軌道を逸らす。三人が守った一本道を、ルピナスは止まらず走った。「ありがとう。」その小さな呟きとともに、ルピナスは胸の前で両手を重ねる。世界樹の紋章が眩く輝いた。「希望は――」紫色の光が一本の剣となる。「誰にも奪えない!」光の
『希望ハ……無意味ダ。』絶望の化身が放った声は、大地だけではなく、人々の心までも震わせた。王都中から剣が落ちる。魔法の光が消える。誰もが顔を伏せ、立ち上がる力さえ失っていく。「終わりだ……。」「もう戦えない。」「どうせ何も変わらない。」絶望は伝染する。まるで病のように、人から人へ広がっていった。ルピナスも膝をつく。胸が苦しい。息ができない。頭の中では、前世の記憶が何度も繰り返される。処刑台。燃え上がる炎。誰にも信じてもらえなかった孤独。「あの時に……死んでいれば。」思わずそんな言葉が浮かぶ。その瞬間。温かい手が、ルピナスの肩へ触れた。「ルピナス。」フジだった。彼も苦しそうに息をしている。それでも、真っ直ぐルピナスを見ていた。「前を見ろ。」短い一言。けれど、その声だけは震えていなかった。ルピナスはゆっくり顔を上げる。「でも……。」「怖い。」素直な言葉だった。フジは静かに頷く。「ああ。」「俺も怖い。」その返事にルピナスは目を見開く。フジが弱音を吐く姿など、一度も見たことがなかった。「怖くない人間なんていない。」「それでも前へ進む。」「それが勇気だ。」その言葉が胸へ染み込んでいく。ローゼンも立ち上がった。「俺は王子だ。」「民が諦めても、俺だけは諦めない。」剣を握る手は震えていた。それでも離さない。「王とは、一番最後まで立っている者だ。」アスターも苦しそうに笑う。「私も……何百年も諦め続けてきた。」「だから最後くらいは。」「未来を信じてみたい。」三人が立っている。傷だらけでも。恐怖に震えていても。誰一人、逃げてはいなかった。ルピナスの胸に、小さな灯がともる。希望だった。最初は本当に小さな光。けれど。その光は三人の想いに触れ、少しずつ大きくなっていく。世界樹の紋章が紫色に輝いた。王都中へ、その光が降り注ぐ。倒れていた少女が顔を上げる。泣いていた母親が子どもの手を握り返す。剣を落とした兵士が、もう一度立ち上がる。「……そうだ。」「まだ終わってない。」「家族が待ってる。」「守らなきゃ。」希望は、少しずつ人から人へ伝わっていく。絶望とは逆に。黒い巨人が初めて揺らいだ。『ナゼダ……。』低い声が響く。『ナゼ、立チ上ガル。』ルピナスは一歩
四人の手が重なったまま、王都を包む光はさらに強さを増していく。世界樹の紋章が夜空いっぱいに広がり、黒い魔法陣をゆっくりと押し返し始めた。「成功したの……?」ルピナスが小さく呟く。その瞬間だった。パリン――。ガラスが砕けるような音が世界中へ響いた。魔法陣の中心に生まれた黒い亀裂が、一気に大きく裂ける。「離れろ!」アスターが叫ぶ。四人はとっさに距離を取る。裂け目の奥から吹き出したのは魔力ではなかった。黒い霧。冷たく、重く、見る者の心を締めつけるような禍々しい気配だった。その霧は空へ集まり、ゆっくりと人の形を作り始める。腕。肩。頭。そして、顔のない巨大な人影が王都の上空へ姿を現した。マーガレットの顔から血の気が引く。「そんな……。」「伝承は本当だったの……。」ダリアが息を呑む。「知っていますの?」マーガレットは震える声で答えた。「世界樹には、古い言い伝えがあります。」「人々の悲しみや後悔が限界を超えた時、それらは一つの存在となって世界を飲み込む、と。」アスターは静かに目を閉じる。「……絶望の化身。」その名が告げられた瞬間、黒い巨人がゆっくりと目を開いた。真っ赤な光だった。感情など存在しない。ただ、終わりだけを告げる瞳。王都中の人々が、その視線を浴びた瞬間だった。「ああ……。」一人の兵士が剣を落とす。「もう戦えない……。」母親が子どもを抱きしめながら、その場へ座り込む。「どうせ未来なんて変わらない。」広場にいた人々から、次々と希望が失われていく。フジは歯を食いしばった。身体が重い。剣を握る腕に力が入らない。「こいつは……心を折ってくる。」ローゼンも膝をついた。「攻撃じゃない。」「希望そのものを奪っている。」ルピナスも胸を押さえる。頭の中へ、嫌な記憶が流れ込んできた。処刑台。炎。裏切られた絶望。「違う……。」耳を塞ぐ。「もう終わりにしたい。」「何度やり直しても意味がない。」誰かが囁く。その声は、自分自身の声だった。アスターが苦しそうに叫ぶ。「聞くな!」「それは、お前たち自身の絶望だ!」黒い巨人はゆっくりと腕を広げる。世界中から黒い霧が集まってくる。何百年もの悲しみ。何百年もの後悔。何百年もの涙。そのすべてが、この怪物を育ててきた。「これが……
帰りの馬車の中。ルピナスは向かい側に座るフジを見つめていた。フジは窓の外を見ている。無言。ひたすら無言。静かだった。あまりにも静かだった。ルピナスは耐えられなくなった。「フジ」「なんだ」返事は早い。「趣味は?」「剣術」「それ仕事では?」「そうだな」会話終了。ルピナスは困った。ダリアがいたら笑っていただろう。「好きな食べ物は?」「米」「子供?」「違う」会話終了。ルピナスは天井を見上げた。何この人。難しい。しばらくして。フジが口を開いた。「お前」「なに?」「なぜ王子を振った」ルピナスは固まった。核心だった。聞かれると思っていた。
ダリアは頭を抱えていた。目の前には満面の笑みを浮かべたルピナス。意味が分からない。本当に意味が分からない。「友達になりましょう」「断りますわ!」即答だった。教室中が頷いた。当然である。普通ならここで終わる。だが。ルピナスは普通ではなかった。「そう」「そうですわ」「じゃあ明日また聞くわ」「聞かなくて結構です!!」ダリアは思わず叫んだ。ルピナスは感心したように頷く。「良い声ね」「何を言ってますの!?」「将来有望だわ」「何がですの!?」ダリアは混乱していた。授業終了後。ルピナスは帰宅準備をしていた。そこへ。ローゼンが現れる。「ルピナス」「結構
翌朝。第一王子ローゼンは寝不足だった。目の下にはうっすらと隈。朝食のパンを見つめながら呟く。「なぜだ……」隣にいた国王が顔を上げた。「何がだ?」「なぜ振られた」国王はパンを落とした。「は?」「ルピナスに振られた」「誰が?」「俺が」「ルピナスに?」「そうだ」国王は頭を抱えた。朝から重い話だった。「何かしたのか?」「していない」「本当に?」「していない」国王は疑わしい目を向けた。ローゼンは真剣だった。本気で分からないのだ。「ルピナスは昔からお前を好いていただろう」「そうだ」「ではなぜだ」「それが分からない」親子揃って分からなかった。その頃
その夜。王宮の第一王子の寝室では異変が起きていた。ローゼン王子が眠れないのである。ベッドに横になる。目を閉じる。開く。閉じる。開く。そして天井を見つめる。「なぜだ……」誰もいない部屋で呟いた。なぜ振られたのか。それが分からない。二十七年生きてきたが、女性に断られたことなど一度もなかった。むしろ逆だ。幼い頃から令嬢達が寄ってきた。微笑めば頬を染める。手を差し出せば喜ぶ。それが当たり前だった。なのに。「結構です!!」ローゼンは飛び起きた。耳に残っている。あの声が。あの勢いが。「結構です!!」「……うるさい」思わず自分で言った。だが脳内ルピナ