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もう少し待って、その言葉に殺された
もう少し待って、その言葉に殺された
Author: ラクラク

第1話

Author: ラクラク
夏山家の家訓には、貧しい家の娘を跡継ぎの妻に迎えてはならないという掟があった。

だが、社交界で名を馳せる夏山家の御曹司、夏山清輔(なつやま せいすけ)は、あろうことか魚屋の娘である伏見絵麻(ふしみ えま)と恋に落ちてしまう。

彼女と一緒になるため、清輔は跡継ぎの座も家も捨てた。勘当を言い渡され、父に何度殴られても決意を曲げず、本家の仏間で3日3晩、正座を続けた。白いシャツを血で染めながらも、彼は笑ってこう言った。

「絵麻、怖がるな。俺には君だけがいればいい」

やがて夏山家もついに折れ、ふたりが家を離れて暮らすことを許した。ただし、家のために跡継ぎをひとりだけ残すという条件付きだった。

それから、清輔が絵麻に最も多く口にした言葉は……

「もう少し待ってくれ」

彼は彼女を待たせた。自分が別の女を孕ませる、その日まで。

……

1度目、彼は絵麻に「待ってくれ」と言った。自分が別の女を孕ませるまで、と。

そうして彼は草間知夏(くさま ちなつ)と何度も肌を重ね、彼女が子を宿すまで待ち続けた。

2度目、彼はまた絵麻に待てと言った。生まれたのが娘であり、夏山家には男の跡継ぎが必要だから、と。

そうして彼は再び知夏と数えきれないほど肌を重ね、彼女がまた身ごもるまで待ち続けた。

ようやく報われる。絵麻がそう思い始めた矢先のことだった。清輔と知夏の娘が百日祝いを終えた直後、突然高熱を出して血を吐いたのだ。誰もが、それを絵麻の仕業だと決めつけた。

知夏は狂乱して飛びかかり、爪で絵麻の顔を引っ掻きながら、身も世もなく泣き叫んだ。「恨むなら私を恨めばいいじゃない!どうしてあの子にまで手をかけるのよ!?」

清輔の両親は激怒した。

「これがうちの初孫だぞ、よくもそんな真似ができたな!」

絵麻が服を剥ぎ取られ、マイナス20度の冷凍倉庫へ放り込まれたとき、清輔は扉の外に立っていた。

霜の降りたガラス越しに、彼女はタバコに火を点ける彼の手が震えているのを見た。だが、かつて愛情に満ちていたはずのその瞳には、今はもう、骨まで凍らせるような冷たさしか残っていなかった。

「もう少し待てと言ったはずだ」彼はタバコをもみ消し、失望の色を隠さずに言った。「なんで俺の子供に手を出した」

――なるほど。「俺の」子供、か。

絵麻は痛みに体を折った。心臓を生きたまま抉り取られるような痛みだった。

ふと、脳裏によみがえる記憶があった。

雨の中で跪き、彼はこう誓った。「絵麻、この先の人生、俺には君だけでいい」

彼女の額に己の額を重ね、彼はこう言った。「絵麻、俺が我が子と呼べるのは、君の腹から生まれた子だけだ」

情事の余韻の中、彼女の指先に口づけながら、彼はこう約束した。「絵麻、もう少し待ってくれ。もうすぐ、俺たちふたりだけになれるから」

それなのに今、彼は知夏の傍らに立ち、腕にはふたりの子を抱き、彼女に向ける眼差しはまるで悪意ある赤の他人を見るようだった。

冷凍倉庫の扉が再び開いたとき、絵麻の凍りついた指は、なおも固く掌に爪を食い込ませていた。

今度はもう、待たない。

絵麻は夏山家の本邸へと電話をかけた。

「清輔とは別れます」その声は、恐ろしいほど平静だった。「ただし、ひとつだけ条件があります。彼が絶対に見つけられない場所へ、私を送ってください」

電話の向こうから、夏山也哉子(なつやま ややこ)の満足げな笑い声が漏れた。

「ふふふ。最初からそう素直だったらよかったのよ。冷凍倉庫に一度入れられただけで、ずいぶん賢くなったこと。魚屋の娘風情が、うちの敷居をまたごうなんて」

「半月後には、こちらですべて手配しておく」夏山繁晴(なつやま しげはる)の声には、隠しきれない侮蔑が滲んでいた。「その後は、二度と清輔の前に姿を見せるな」

通話が切れた後も、絵麻は屋敷の玄関先に立ち尽くしたまま、指先を震わせていた。

リビングでは清輔が娘をあやし、知夏がその肩にもたれて優しく微笑んでいる。それは、どこから見ても仲睦まじい親子3人の光景だった。

絵麻はその場に立ち尽くしたまま、胸の奥を鋭い刃で抉られるような痛みを覚えた。

「あっ、絵麻さん、お帰りなさい」先に気づいた知夏が、慌てて背筋を伸ばした。

清輔は反射的に娘を家政婦へ預け、「二階へ連れていってくれ」と命じた。

その警戒するような眼差しが、刃物のように絵麻の胸へ突き刺さる。

彼は、彼女が我が子を傷つけると恐れているのだ。

かつて「我が子と呼べるのは君の腹から生まれた子だけだ」と言った男が、今は彼女を殺人犯でも見るように警戒していた。

娘が2階へ連れて行かれるのを見届けてから、清輔はようやく絵麻に歩み寄り、彼女の無事を確かめようと手を伸ばした。「戻ったか。倉庫で……怪我はなかったか?」

絵麻は、かつて自分をかばい、父に何度殴られても耐え抜いた男を見つめた。胸の奥が激しく痛み、思わず顔を背けて、差し伸べられた手を避けた。

彼は眉をひそめ、弁解するように口を開いた。

「絵麻、昨夜のあの状況では、俺が君をかばえばかばうほど、罰が重くなるだけだったんだ。

もうすぐふたりでここを出るだろ?今、余計な波風は立てたくない。それに、あの子に罪はないだろう。何もそこまで……」

「私じゃないって言ってるでしょう!」絵麻は突然、目を真っ赤にした。

清輔は彼女の激しい反応に驚いたように一瞬固まり、それから語調を和らげた。「わかった、わかったから。もういいだろう」

もういい。

その一言が、氷の錐となって胸を貫いた。

彼はまだ、自分を信じていない。

張り詰めた空気の中、知夏がふくらみかけた腹を撫でながら歩み寄り、殊勝な顔つきで言った。「絵麻さん、私からも謝らせて。あのときは、私も気が動転していたの。子供を産んだことのない絵麻さんには、母親の気持ちなんて分からないでしょうけれど……」

そう言って、彼女は髪をかき上げるように手を上げた。その手首にはめられたブレスレットが、照明の下で光を放った。

絵麻は瞳を震わせ、思わずその手首を掴んだ。「そのブレスレット、どこで手に入れたの」

「知夏が気に入ったようだったから、俺が譲ったんだ」清輔が彼女の手を振り払った。「君からの詫びの品だと思えばいい」

「これは母の形見よ!」絵麻の声が震えた。「なんで勝手に人にあげたりできるの?私にとってどれだけ大切なものか、知らないわけじゃないでしょう!」

彼女がそれを取り返そうと手を伸ばした瞬間、知夏がよろめきながら後ろに倒れ、腹を押さえて悲鳴を上げた。

「あっ……お腹が……」

「絵麻!」清輔は真っ先に彼女を突き飛ばし、ぞっとするほど冷たい目で言い放った。「彼女のお腹には俺の子供がいるんだぞ、いい加減にしろ!」

その力があまりに強く、絵麻はテーブルの角に叩きつけられ、後頭部を激しく打った。みるみるうちに鮮血が溢れ出した。

だが清輔は振り返りもせず、知夏を抱き上げて外へと駆け出していった。

「清輔さん……」知夏は彼の腕の中で、弱々しく泣いた。「子供、大丈夫かな……」

「大丈夫だ、俺がついてる」その声は、耳を疑うほど優しかった。「君も、子供も、何も心配いらない」

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