تسجيل الدخول「ごはんだよ」で起こされ 帰宅すると「ごはん出来てるよ」で迎えられる幸せ。 波瑠はある日、猫ときれいな男の子、千颯を拾った。 「ここに置いてください」と千颯に言われ、「ごはんを作ってくれるなら」と 波瑠は千颯を家に置いてあげることにした。 朝目が覚めたとき「ごはんですよ」と言われる幸せ。 帰宅したときに「ごはん出来ていますよ」と言われる喜び。 波瑠は毎日朝起きるのが嬉しく、また早く仕事から帰りたくなっていく。 これは、ごはんがおいしいお話です。 そして、年下の男の子にごはんを作ってもらうお話。
عرض المزيد「にゃー」
……猫? うちに猫なんていたっけ?
……昨日、こんなところで寝ちゃったんだ。ベッドにも行かず着替えもせず。暖房つけっぱなしで。……スーツ、しわくちゃ。雨戸を立てるのも忘れちゃった。
部屋は朝の光で満ちていた。明るい日差しが縁側から入り、カーテンのかかっていないガラス戸を通って、畳に幸福そうな陽だまりをつくっている。 「にゃー」 猫。……かわいい。 でも、私、猫は飼っていなかったはず。 どこで連れて来ちゃったんだろう? 拾ったのかな? ぼんやりした頭で波瑠は、昨夜のことを思い出そうと考えを巡らした。 ……駄目だ。寝起き、駄目。全然思い出せない。 とりあえず波瑠は身体を起こした。 やわらかな毛玉のような仔猫は、波瑠が身体を起こすと「にゃー」と鳴いて、波瑠にすり寄って来た。ふふ。かわいい。
「――え⁉」 猫を抱き上げようとして、波瑠はあるものが目に入り、思わず声を上げた。 あるもの―― ――誰か、いる。波瑠が寝ていた和室に、もう一人、見知らぬ人間が寝ていた。
波瑠は一人暮らしだ。 一人暮らしには広い、平屋の一軒家で静かに暮らしている。……誰?
眠っているその人を、波瑠はじっと見つめた。 短い黒髪……きれいな髪。さらさらしている。 波瑠は向こうを向いている顔を見るために移動し、顔を覗き込んだ。うわあ、きれいな寝顔! 白い肌に整った眉毛。毛穴なんて見当たらず、つるんとしている。睫毛長い! ――女の子? ううん、男の子? ――どっちだろう?
波瑠がじっと見つめていると、そのきれいな寝顔がぴくりと動き、ゆっくりと目を開けた。 すごい! 目を開けると、ますますきれい!「おはようございます。……昨日は泊めてくれてありがとうございます」
眠り姫は目覚めると、身体を起こし正座をしてからお辞儀をして、礼儀正しくそう言った。少々申し訳なさそうにしながら。 男の子だ! 繊細なつくりの顔から、紛れもなく男性の特徴を示す声が漏れた。低い、聞き心地の良い落ち着いた声。 十一月で、外は少し肌寒くもあるけれど、彼は薄手のウィンドブレーカー姿で軽装だった。……高校生?
彼はとても若く見えた。そして、困ったような顔をしていた。 えーっと。 私が彼を連れ込んじゃったの? こんな若い子を? 十歳以上も年下じゃない! ……してないよね? 犯罪になっちゃう! 波瑠は思わず、自分が服をきちんと着ているか、確認した。 ……大丈夫、かな? 下着も身につけている。よかった。「えーと、ごめんなさい。よく覚えていないのだけど、私があなたを連れて来ちゃったの?」
こめかみを抑えながら、お酒がまだ残る頭で波瑠は尋ねた。 すると「にゃーん」と猫が波瑠にすり寄り、それから猫は彼の方に行き、彼の膝にぴょんと飛び乗った。そして、彼の膝の上でごろごろと言いながら、気持ちよさそうに目を閉じた。「……ねえ。その猫は、あなたの猫?」
彼に懐いているように見えたので、そう訊く。 「僕の、というか、ここに来る前に拾ったんです。迷子になっているみたいで、放っておけなくて。すごく人懐こいから、たぶん飼い猫が間違えて家を出て、帰れなくなったんじゃないかと思うんです。十一月だから昼間はまだあたたかいけれど、夜は冷えるからかわいそうで」 彼はようやく少し笑いながら言った。笑うとますます素敵だった。 「そう」 確かに野良猫には見えなかった。 毛足が長い猫で、警戒心がまるでなく、今も彼の膝の上で気持ちよさそうに眠っている。……十一月で夜は冷える、と彼は言った。
その彼の服装もかなり薄手だった。 ふと、見ると、彼のそばには黒い大きなバッグがあった。 旅行客かな? 若いけど。波瑠が住んでいるところは歴史ある町で、多くの歴史的建造物があった。波瑠の住んでいる古い日本家屋は奥まったところにあるが、民家の中に寺社が点在していることから、有名な寺社を見ながら細い小路を散策し、ここまでやって来る旅行客が一定数いるのだった。
「あのう、あなた、旅行客?」 波瑠がそう言うと、彼は首を横に振った。そしてそれから、しばらく考えるようなそぶりを見せたあと、居住まいを正して、真面目な顔をした。
「お願いがあります」 彼は背筋を伸ばして、波瑠を真正面から見た。それから、意を決したように言った。 「僕を、ここに置いてください……!」そんなあるとき、一つの転機が訪れた。「お母さんね、赤ちゃんが出来たのよ」 「赤ちゃん!」 そのとき波瑠はもう小学三年生になっていた。 「お母さん、ほんとうはずっと、下の子が欲しくて……でも、なかなか出来なくて。ようやく授かることが出来たの」 母はいつになく幸福そうで、波瑠はとても嬉しくなった。 母のお腹の中の赤ちゃんは、女の子だと、分かった。波瑠は妹が出来るのだ、と興奮し、妹が生まれたらたくさんお世話しようと心に決めていた。「ねえ、波瑠。塾に行かない?」 「塾?」 「そう、勉強の。波瑠には私立受験して欲しくて。私立の中高一貫校に行けば、高校受験をしなくてもいいから。波瑠もお姉ちゃんになるし、頑張って欲しいの」 「うん! 私、頑張るよ!」 波瑠はそうして塾に通うことになった。 塾に通い出すと、祖母の家になかなか行けなくなったことが、波瑠にはさみしいことだった。塾の勉強はとても難しく、塾がない日も塾の宿題をしなくてはいけなかったのだ。 波瑠の塾通いが始まって少ししたとき、母が仕事を辞めた。 それは波瑠には青天の霹靂のように感じる出来事だった。 いつも忙しく働き時間に追われていた母が仕事を辞めて家にいると言うのだ。父も「俺の給料も上がって安定したし、しばらくは子育てに専念してもいいんじゃないか?」と賛成したのだ。 波瑠は嬉しかった。 今まで仕事で忙しく、家事をやり慣れない母を手伝って、また妊娠で悪阻のある母に代わって、波瑠はよく家のことをした。勉強をして塾に行って家事をして。 とても大変だったけれど、母が波瑠に優しいのが何より嬉しかった。「波瑠、いつもありがとう。お母さん、たすかるわ」 「お母さん、お腹に赤ちゃんがいるんだもの。私、簡単なごはんなら作れるよ。片付けも出来るから」 「波瑠、いい子に育ったわね」 妹が生まれるまでのその時期、波瑠はもしかして一番幸福な時間を過ごしたのかもしれない。 「お母さん、私、オムライス作ってみたの。……お母さん、悪阻、大丈夫? もし食べられるなら、食
思えば、波瑠は物心ついたころから母親に嫌われていた。 理由は分からない。 或いは理由なんてないのかもしれない。 もしかして、「嫌われている」というのは気のせいかもしれない。 だけど、波瑠が幼いころ、共働きの両親に代わって面倒をみてくれたのは祖母だったし、波瑠が私立中学への進学が決まったとき、祖母の家からの方が学校に近いからと、家を出されたのも事実だった。 波瑠にとって不思議だったのは、母親は実の母親である点だった。 幼いころ、母親は自分のお母さんではないから、いつか本当の優しいお母さんが迎えに来てくれると夢想していたこともあった。でも、事実はシンプルかつ残酷で、波瑠のことを嫌っている女が波瑠の本当の母親で間違いがなかった。 働いている多くの母親は子どもを保育園に入れる。 でも、波瑠が通ったのは幼稚園だった。幼稚園に行く前は、祖母の家に預けられていた。幼稚園には祖母が送り迎えをしてくれた。 だから、まだ大人と手をつないで歩く年齢であるころ、手をつないでくれていたのは祖母だった。 家に迎えに来た祖母と手をつないで祖母の家に行く。或いは公園に。幼稚園に行くようになってからは幼稚園に。祖母の手は優しく、つないでいるといつも安心した。 家よりも、祖母の家で過ごした時間の方が多い幼年時代だった。 何しろ、両親は共働きで忙しく働いており、ほとんど波瑠と過ごす時間などなかったのだ。祖母の家で晩ごはんを食べ、家に戻る。しかし、だいたい家は暗く静まり返っていて、両親はまだ帰っていなかった。 「お父さんもお母さんもお仕事頑張っているからね」 祖母は優しくそう言い、波瑠の頭を撫でた。 あの祖母の手があったから、波瑠は真っ直ぐ生きてこられたのだと思っている。 「おばあちゃんはね、波瑠がいると元気になれるんだよ」 いつも、そう言ってくれていた。 波瑠の父親である自分の息子が大学を卒業するというときに、事故で急に夫を亡くした祖母。息子が就職して家を出て――その後ずっと一人で暮らしていた祖母。 波瑠がいるから生活に張り合いが出たのは事実だろう。 だけど、波瑠の面倒を見るのは大変だったはずだ。波瑠が生まれたときまだ五十代になったばかりだったとはいえ、小さい波瑠を一生懸命に育ててくれた。「波瑠っていう名前はね、おばあち
「ただいま!」 がらがらと古い戸を開けると、「おかえりなさい、波瑠さん」と千颯が出迎えてくれた。 ああ、いつ見てもきれいな顔! それにうちに来てから、肌艶がよくなったみたい、と波瑠は思いながら「今日の晩ごはんは何?」と訊いた。 キャンディが波瑠の足元にすり寄ってきていて、それもかわいかった。「キャンディ、ただいま!」 千颯はキャンディを抱き上げると、にこりとして言う。 「今日は生姜焼きにしました。すぐに食べられますよ」 「きゃーん、生姜焼き! すぐ食べる!」 波瑠は自室に行き、スーツを部屋着に着替えると台所に行った。 すると食卓にあたたかそうなごはんが並んでいた。 「ああ、家に帰ってすぐごはん! 幸せ! しかも作りたて! ……よね?」 「波瑠さんが帰宅予定時間を教えてくれるので、それに合わせて作っているんです」 千颯は少し照れながらそう言った。 「嬉しい! いつもありがとう、千颯くん!」 「冷めないうちにどうぞ」 「いただきます!」 波瑠はまず、お味噌汁を飲んだ。 にぼしとかつおぶしの出汁の味がする、白味噌のお味噌汁だった。具は豆腐とわかめ。味噌の濃さもちょうどいい。出汁の味がおいしい。 次に、生姜焼きに箸を伸ばす。 豚の肩ロース肉と玉ねぎ。 生姜の味がよく効いていて、疲れた身体に豚肉のおいしさが染み渡るようだった。「どうですか?」 千颯はいつも、遠慮がちに心配そうに訊く。 「おいしいわ! 千颯くん、お料理上手ね。嬉しい!」 「レシピ見ながら作っているものもあります」 千颯は感情があまり現れないタイプだが、料理を褒めると嬉しそうにする。少しはにかんだようなその顔もいいな、と波瑠は思った。 波瑠はキャベツのサラダを食べた。しゃきしゃきした触感がいい。キャベツそのものの甘さが噛むたびに口の中に広がった。 「おいしいものって、幸せ。キャベツもおいしい」 「それは、ただのキャベツの千切りですよ。少し、味付けしていますけど」 「千颯く
波瑠は高速で仕事をしていた。 いつもならもう少し休憩を入れながら仕事をするのだけど、とにかく早く家に帰りたかった。 ああ、今日の晩ごはんは何だろう? ふと、ごはんのことを考える。 じわりと甘いものが胸いっぱいに広がる。 メニューは訊いていない。「ただいま!」と帰ったとき、「おかえり、波瑠さん。ごはん、出来ているよ」と言われ、そのにおいでメニューを想像するのが楽しみだからだ。キャンディと一緒に出迎えてくれる千颯の顔を想像すると、なんとも言えず幸福な気持ちになった。 ああ、幸せ! 早く家に帰りたい。 波瑠がそう思ってパソコンの画面に向かったとき、肩を叩かれた。 振り返ると、黒岩が立っていた。「黒岩課長。何かご用ですか?」 波瑠は仕事モードで答えると、黒岩は「ちょっと話があるんだけど」と言った。「今ですか?」 波瑠は仕事を早く片付けてしまいたかったので、そう言うと、「今すぐだ」と黒岩は言い、「ちょっとミーティングルームに来て欲しい」と言った。 波瑠は仕方なく、黒岩の後に続いてミーティングルームに行った。「何でしょうか?」 早く仕事に戻りたかったので、波瑠はそわそわしながらそう言った。「……何でしょうか、じゃないだろう? 連絡出来ないんだけど?」「……ああ」 波瑠の中ではすっかり終わったことになっていたが、そう言えば黒岩とはつきあっていて、そして別れたのである。――一方的に。「ブロックしているのか? なぜ?」「なぜって、課長とはもう終わりましたから」「そんな話は聞いてない」「今、お話しました。もう、終わりにしましょう。別れます」「なぜ?」「……なぜって」 波瑠は眉間に皺を寄せて怖い顔をしている黒岩を見ながら、笑いそうになってしまった。なぜ、とあなたが言うの? 三人目が生まれて、幸せそうな家族を見せつけた、あなたが。「&helli