LOGIN「違うの。私はただ、蓮を友達だと思っていただけ。あのときは、彼に支えてくれる人が必要だったから」莉央は青ざめた顔でそう言いかけ、すぐに口をつぐんだ。そばにいる蓮こそが、何よりの証拠だった。彼女にはもう、言い返すことなどできなかった。俺は目を閉じ、そのまま外へ向かった。過去の記憶はあまりにも痛い。思い出さないことが、いちばんの救いだった。翌日、俺は朝一番の便でその街を離れた。莉央は俺に連絡を取ろうとしていたが、蓮が騒ぎを起こした。彼はこの件の経緯をネットに晒し、莉央には怒涛のような非難が向けられた。その中には、俺を責める声も少なくなかった。一部の人間にとって、彼らは幼なじみで、最初から結ばれるべき二人だった。俺こそが、ずっと二人の間に割り込んでいた邪魔者らしい。あの頃、俺こそが正真正銘の恋人だったことなど、誰も気にしなかった。ずっと傷つけられていたのが俺だったことも、誰一人気にしなかった。友人たちは腹を立て、いくつも釈明文を出してくれた。けれど、ほとんど反響はなかった。俺はあまり気にしなかった。必死に仕事をやり遂げてから、ようやく気持ちを整え、スマホのカメラを自分に向けた。「多くの方が、俺に説明を求めているようです。ですが、俺に何を説明しろというのでしょうか。俺が莉央と付き合い始めたのは、彼女と蓮が離れた後です。その後、蓮が戻ってきて彼女を捜し、二人はまた離れられなくなりました。俺は八年間、彼女を愛し、八年間、耐えました。十八回プロポーズして、そのすべてを断られました。俺にできることは、もう十分やったと思っています」言い終える頃には、全身から力が抜けていた。俺はソファに倒れ込み、そのまま眠りに落ちた。莉央は真っ先にその動画のコメント欄に現れた。彼女は、蓮とはただの友達だと言い張り、俺とやり直したいだけだと訴えていた。だが、親切なネットユーザーたちが蓮の投稿を掘り出した。そこには、二人が甘く抱き合う写真や、同じ部屋で過ごしている様子が残っていた。ただの友達が、そんなことをするはずがない。莉央は炎上した。それは、蓮の望んでいた展開とは違っていた。だから次に彼らの消息を知ったとき、蓮はビルの屋上に立ち、莉央に結婚を迫っていた。莉央が承諾しなければ、飛び
かつてはあれほど大切に扱われていた人間も、今となってはその程度の扱いだった。その声に反応して振り向くと、蓮は苦しげに目を閉じ、ポケットから小さなナイフを取り出して、まっすぐ自分の胸に突き立てようとしていた。それは誰も予想していなかった行動だった。俺は人生で一番と言っていい速さで駆け寄り、彼を止めに入った。こんなところで、彼に何かあっては困る。そんなことになれば、周囲の目もある。プロジェクトにも影響が出る。背後で、美雨が心配そうに叫んだ。「警備員さん!自殺しようとしてる人がいるの、見えてないんですか!早く止めてください!瀬尾さん、気をつけて!」その声は切羽詰まっていた。莉央もすぐに我に返り、俺が蓮の手をつかんだ瞬間、慌ててナイフを奪おうと手を伸ばした。小さな果物ナイフだ。殺傷力が高いものではない。けれど心臓を刺せば、本当に取り返しがつかなくなる。俺はずっと、蓮のうつ病には演技の部分があるとわかっていた。それは彼が莉央を引き止めるための口実だと思っていた。けれど、彼女が離れたくらいで、ここまでするとは思っていなかった。「蓮、あなた正気なの?そんなふうにしてまで私を追い詰めたいの?」莉央は泣きながら彼に問いかけた。涙が彼の手の甲に落ち、蓮の体がびくりと震える。蓮の精神状態は、どこかおかしかった。両手には血管が浮かんでいた。ナイフを手放そうとせず、奪い合いになったせいで、彼の手のひらは切れ、血が滲んでいた。「蓮、手に持っているものを下ろしなさい。聞こえないの?」蓮が自分の言うことだけは聞くと莉央はわかっているのか、その声には少し厳しさが混じっていた。「どうして?」蓮がそう呟いたのと、ナイフが床に落ちる音が同時に響いた。俺はようやく息をつき、そのまま力が抜けて床に倒れ込んだ。「どうして僕を捨てるの?どうしてあいつのところへ行くの?あいつはもう君なんていらないって言ってるじゃないか。最初から最後まで君を愛せるのは僕だけだって、まだわからないの?莉央。僕と帰ろう。昔みたいに、二人で暮らせばいい。僕が働いて、君を養う。だから、もう僕を置いていかないで」蓮が伸ばした手には、傷跡がいくつも残っていた。病的にやつれた顔と相まって、どこかぞっとするものがあった。この短い時
どれほど理想的な恋人だと言われたところで、同じことだ。恋をすると、人は結局みっともなくなる。飛行機を降りると、俺のスマホには着信が殺到していた。目に痛いほど並んだ赤い通知を見つめながら、俺は小さく首を振った。莉央は、もともと俺のことを気にかけるような人間ではない。これほど何度も電話をかけ、これほど多くのメッセージを送ってきたのは初めてだった。理由はただ一つ。俺を失うのが怖くなったからだ。けれど、遅すぎた愛ほど惨めなものはない。俺は彼女の連絡先をすべて削除し、ブロックした。そして全身全霊で仕事に打ち込んだ。忙しさは、あらゆる痛みを忘れさせてくれる。同時に、確かな成果ももたらしてくれる。けれど、いちばん意外だったのは、莉央がそれでもやって来たことだった。どうやってここを突き止めたのかはわからない。彼女が目の前に現れても、俺は見知らぬ人間を見るように視線をそらし、完全に無視した。「そこまでしなきゃだめなの?」三度目に無視したとき、莉央は涙を浮かべ、しゃくり上げながらそう尋ねてきた。彼女は俺の正面にまっすぐ立ちはだかった。まるで、俺が少しでも冷たい言葉を口にすれば、その場で泣き崩れてでも騒ぐつもりでいるかのようだった。ちょうど退勤時間で、周囲には同僚や取引先の人間が何人も行き交っていた。頭が割れそうだった。仕方なく、俺は莉央を近くのカフェへ連れていった。「俺たちはもう十分話したはずだ。莉央、俺たちは別れた。少しは大人らしくできないのか」彼女がわざわざ俺を追ってきて、何の意味があるのか、俺にはわからなかった。莉央は少し痩せていた。その顔には、疲れ切った色が浮かんでいる。「颯真、そんなふうにしないで。いろんな人に聞いて、やっとここを見つけたの。私、本当に自分が悪かったってわかってる。これからはずっとあなたのそばにいるし、あなたの世話もする。だから、お願い」俺はもう余計な言葉を費やしたくなかった。声は自然と冷たくなった。「莉央、もう俺に構うな。お前も大人だし、俺も大人だ。俺たちには、それぞれの人生がある。それだけだ」俺は彼女を残して立ち去り、また仕事に戻った。こちらでの進捗は順調だった。あと数日もすれば、別の街へ移り、引き続き仕事を進めることになる。上司
それは、かつての俺の夢だった。俺にとって、何より大きな誘惑でもあった。けれど人は、いつまでも同じ場所にはいられない。「莉央、飛行機の時間があるんだ。何かあるなら、また今度にしてくれ」俺は冷たく彼女を押しのけた。これまで何度も、彼女が俺を押しのけてきたように。忙しいから、また今度。うるさいから、また今度。それは八年間、俺を縛り続けてきた呪文だった。けれど今、自分の口から言ってみて初めてわかった。この言い訳は、本当に便利だ。口を開いて閉じるだけ。たったそれだけで済む。莉央は俺に突き放されるとは思っていなかったのか、壁に背中をぶつけ、小さく息を呑んだ。俺は彼女を見なかった。冷たくドアを開けて出ていこうとしたところで、慌てて駆け込んできた人影とぶつかった。蓮だった。少し太ったように見えた。頬にも肉がついている。そこに陰険な表情が加わると、うつ病というより、むしろ感情の歯止めが利かない危うい人間に見えた。莉央が腕を押さえながら飛び出してきた。俺は正面に立つ彼女を避けるように身をかわし、彼女がそのまま蓮の腕の中に飛び込むのを黙って見た。二人の体が、自然に触れ合う。「放して。颯真が行っちゃう。止めなきゃ」ぶつかったせいで、蓮の顔には明らかに苦痛が浮かんだ。けれどそれは莉央の同情を引くどころか、苛立ちを買っただけだった。「放してって言ってるの。どうしてそんなにしつこいの」彼女は彼を力いっぱい押しのけた。彼が床に倒れそうになっていることなど気にもせず、その目には俺しか映っていなかった。「颯真、見て。私はもう蓮とはっきり距離を置いたの。これから彼が何をしても、もう相手にしない。だから私も連れていって。お願い」その言葉を聞いた蓮は、痛みなど忘れたように、莉央に向かって弱々しく訴えた。「莉央、苦しいんだ。頭が痛い。体中が痺れてる。さっきぶつかったせいでどこか悪くしたのかもしれない。本当に苦しい。僕、死んじゃうかもしれない」かわいそうなふり。この手を、俺は八年間も見続けてきた。彼は飽きないのだろうか。けれど俺のほうは、もう見飽きていた。俺はスーツケースを引き、さらに足早に歩き出した。「颯真、待って!」「莉央、僕たちの約束をなかったことにするの?颯真さ
彼女の顔には、はっきりと後悔が浮かんでいた。八年の間で、初めてのことだった。けれど俺には、もう必要のないものだった。「もう戻れないんだ、莉央」何度も拒まれ、何度も置き去りにされるうちに、俺たちの愛はとっくに形を失っていた。そこには深い亀裂が、いくつも刻まれていた。割れた鏡が元に戻らないように、感情だって同じだ。「莉央、お前は、手放せないものにいつまでもしがみつくような人間じゃないだろ。俺は明日出ていく。最後くらい、きれいに別れよう」行き先を告げるつもりはなかった。俺は強引に彼女の手を振りほどき、ゲストルームに入った。ドアの外から、押し殺した泣き声が聞こえてくる。彼女は小さな声で「もう一度だけ私を見てほしい」と懇願していた。俺はドアにもたれ、胸の奥にじわじわと苦い痛みが広がっていくのを感じていた。彼女がもっと早く後悔してくれていたら、俺たちはここまで来ずに済んだのかもしれない。けれど、この世に「もしも」なんてものは存在しない。たとえやり直せたとしても、人は置かれた状況が変われば、そのときどきで違う選択をするものだ。翌朝早く、ドアを開けると、エプロン姿の莉央が立っていた。俺が起きてきたのを見るなり、彼女は不安そうに手を拭き、テーブルの上を指さした。「私が作ったの。食べてみてくれない?」チャーハンだった。莉央が、唯一俺に作ってくれたことのある料理だ。あの頃、彼女は蓮と別れたばかりで、ひどく落ち込んでいた。外へ出ようともせず、誰とも話そうとしなかった。彼女が心を病んでしまうのではないかと怖くなって、俺はわざと馬鹿なことまでして、どうにか彼女を笑わせようとした。来る日も来る日もそうしているうちに、彼女は少しずつ元気を取り戻し、俺を受け入れてくれた。付き合い始めた日、永遠を誓う言葉も、花束もワインもなかった。莉央は不器用な手つきで俺にチャーハンを一皿作り、こう言った。「これから一生、あなたにご飯を作ってあげたい」それは、彼女なりの重い誓いだった。俺はその言葉を心から信じた。だからこそ、何度プロポーズを断られても、どうにか踏みとどまってこられたのだ。今、八年間俺を縛りつけてきたものを再び目にして、胸の奥が一瞬だけ揺らいだ。それでも俺は、すぐに出ていこうと足を踏み出し
祝福の言葉を口にした瞬間、胸の奥に重くのしかかっていたものが、跡形もなく消えていくのを感じた。けれど莉央は、すっかり怯えていた。信じられないと言わんばかりに目を見開き、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。「どういう意味?私は言ったでしょう。蓮とは何もないって。どうして別れなきゃいけないの?颯真、私が悪かったから。お願い、そんなこと言わないで。何だって話し合えるじゃない。蓮はただ病気なだけなの。よくなるわ。彼がよくなったら、私たち結婚しましょう」俺はスーツケースの取っ手を強く握りしめた。莉央は縋るような顔で、俺に手を伸ばしてくる。「何か言ってよ、颯真。どうしてそんなに簡単に、私を見捨てられるの?」見捨てたのは、いったいどちらだったのか。俺は莉央が伸ばしてきた手を冷たく避け、静かな声で言った。「莉央、俺たちは八年一緒にいた。俺はお前に十八回プロポーズした。そのたびに、お前は俺を置き去りにして、俺を責めた。まるで俺が、蓮の命なんてどうでもいいと思っているかのように。だからもう、諦めることにしたんだ。お前にとっても、そのほうが都合がいいだろう」喉が少し掠れているのが、自分でもわかった。声もどこか鼻にかかっていた。けれど莉央はまるで気づかず、意地でも離すまいとスーツケースの反対側をつかんだ。「蓮はうつ病なの。今は少し不安定で、私がそばにいないと駄目なだけ。どうしてわかってくれないの?颯真、あなたも言ってくれたでしょう。私たちには八年の時間があるって。それって、婚姻届を出すことよりずっと大事なものじゃないの?約束する。蓮の状態がもう少し落ち着いたら、ちゃんとあなたと結婚する。だから、別れるなんて言わないで。お願い」そう言いながら、きっと彼女自身も信じてはいないのだろう。蓮のあの気まぐれで不安定な性格では、永遠によくなるはずがない。あるいは、彼は最初からよくなる気などないのかもしれない。「莉央、もしあいつが一生よくならなかったら、俺は一生結婚できないのか。お前はあまりにも自分勝手だ」俺がきっぱり言い放つと、莉央は体を震わせ、今にも崩れ落ちそうになった。「そんなことにはならないわ。信じられないなら、先に婚約しましょう。ねえ、颯真、私はずっとあなたの花嫁になりたかったの。もう少しだけ時間をちょうだい。蓮との約束を