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二度も浮気した夫に我が子を渡す気はない!

二度も浮気した夫に我が子を渡す気はない!

Par:  安田徹Complété
Langue: Japanese
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結城宗谷(ゆうき そうや)と再婚してから3年目、結城杏奈(ゆうき あんな)は妊娠した。 よき妻であるため、杏奈はできるだけ衝突は避けようと努めてきた。 だから、宗谷の帰りが遅くても、わざわざ迎えに行くことはしないし、彼が接待で泥酔して帰ってきた夜は、家政婦に酔い覚ましに効く飲み物を用意させるだけ。 いくら宗谷が忙しくて、滅多に帰ってこないとしても、杏奈は「帰ってきてほしい」と、電話をかけたことすらない。妊娠8カ月の頃、宗谷のコートから自分のではない保湿クリームが出てきても、黙って元に戻すだけだった。 そんなことが続いたある日、産婦人科へ検診に訪れた杏奈は、信じがたい光景を目にする。 看護師二人が病室から出てきて話し込んでいた。「結城さんって、すごく中村さんに尽くしてるよね。元気な男の子が生まれた途端、ここで一番の特別病室を貸し切っちゃったんだから!」 「聞いたところだと、あの中村さんって結城さんの殉職した部下の奥さんらしいよ。それにしても、一晩中中村さんに付き添って、官舎にも帰らないなんて、結城さんは本当に義理堅い人じゃない?」 「でも結城さんの奥さんも、もうすぐ出産でしょ?もし知ったらどうなっちゃうのかしらね」 看護師は小声で話しているつもりなのだろうが、杏奈の耳にははっきりと聞こえた。 病室の中で赤子を抱き、微笑む宗谷の姿を見てしまうと、杏奈の目には知らず知らずのうちに涙が溜まった。 もう、離婚しよう。二度と宗谷とは一緒にならない。

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Chapitre 1

第1話

結城宗谷(ゆうき そうや)と再婚してから3年目、結城杏奈(ゆうき あんな)は妊娠した。

よき妻であるため、杏奈はできるだけ衝突は避けようと努めてきた。

だから、宗谷の帰りが遅くても、わざわざ迎えに行くことはしないし、彼が接待で泥酔して帰ってきた夜は、家政婦に酔い覚ましに効く飲み物を用意させるだけ。

いくら宗谷が忙しくて、滅多に帰ってこないとしても、杏奈は「帰ってきてほしい」と、電話をかけたことすらない。妊娠8カ月の頃、宗谷のコートから自分のではない保湿クリームが出てきても、黙って元に戻すだけだった。

そんなことが続いたある日、産婦人科へ検診に訪れた杏奈は、信じがたい光景を目にする。

看護師二人が病室から出てきて話し込んでいた。「結城さんって、すごく中村さんに尽くしてるよね。元気な男の子が生まれた途端、ここで一番の特別病室を貸し切っちゃったんだから!」

「聞いたところだと、あの中村さんって結城さんの殉職した部下の奥さんらしいよ。それにしても、一晩中中村さんに付き添って、官舎にも帰らないなんて、結城さんは本当に義理堅い人じゃない?」

「でも結城さんの奥さんも、もうすぐ出産でしょ?もし知ったらどうなっちゃうのかしらね」

看護師は小声で話しているつもりなのだろうが、杏奈の耳にははっきりと聞こえた。

病室の中で赤子を抱き、微笑む宗谷の姿を見てしまうと、杏奈の目には知らず知らずのうちに涙が溜まった。

もう、離婚しよう。二度と宗谷とは一緒にならない。

……

「結城室長、おめでとうございます!元気な男の子が生まれたそうですね!」

「奥さんがもし女の子を産んだら、男の子と女の子で幸せですね!」

「この子のこと、奥さんはまだ知らないんですか?」

病室には、宗谷の親しい同僚たちが何人かいたのだ。

嬉しそうにしていた宗谷だったが、杏奈の名前が出た瞬間、彼の表情が厳しくなった。「ああ、知らない。あいつには絶対言うなよ。杏奈はもう妊娠後期だから、あまりストレスを与えたくないんだ」

「じゃあ、いつ打ち明けるんですか?ずっと黙っているわけにはいかないでしょう?」

宗谷は少し黙り込んだあと、断言した。「産まれてから考えるよ。子供ができれば、杏奈も俺から離れていかないはずだから」

「もしかして私迷惑かけちゃってる?」ベッドに横たわっていた女性が、そっと目を開いた。「宗谷さん、私は多くを望んでいないから。啓太が亡くなってしまったけど、あなたの子を産めただけで十分幸せ。もう他には何もいらないの」

宗谷は手を伸ばし、中村琴音(なかむら ことね)を抱き寄せる。「琴音、俺はお前を支えるって言っただろ。約束は必ず守るから。でも、3年間ずっとお前のことを公にしてやれなくて、本当にごめんな」

ドアの隙間から、杏奈はその様子を、冷めた表情で見つめていた。普段は厳しく冷たい空気を纏っている宗谷が、今は杏奈でもみたことがない優しい笑みを浮かべている……

3年前、宗谷と殉職した彼の部下・中村啓太(なかむら けいた)の妻である琴音が、関係を持っていることを知ってしまったため、杏奈は離婚を切り出した。

杏奈は、もし宗谷が琴音との関係を続けるのであれば、離婚すると言い、琴音は関係を切るのなら自殺すると騒ぎ立てた。

二人の板挟みになった宗谷は、結局琴音を選んだ。

杏奈が離婚を申し出てからの3年、宗谷はすべてを投げ打ってまで、遠く離れた土地にある杏奈の実家まで彼女を探しに行った。

杏奈を見つけた時、宗谷は杏奈の目の前で膝をつきながら言った。愛しているのは杏奈だけだ、と。

そして、琴音が死んでしまったら、亡き戦友に顔向けができないから、離婚は仕方がなかったとも言った。

その後、杏奈を安心させるために、宗谷は琴音を遠く離れた街へ引っ越させた。

出会って10年、愛し合って5年。

だから杏奈もこの関係を終わらせることができず、復縁を許してしまったのだ。

復縁後、宗谷は埋め合わせをするかのように杏奈へ尽くした。

杏奈の好きなお菓子がなかなか手に入らなければ、海外から取り寄せたし、杏奈が風邪をひいてはいけないと、防寒着を自作してまで持たせた。

出張中も必ず杏奈に電話をかけ、杏奈を安心させてくれた。

だが、この3年間、宗谷は琴音を遠ざけてなどいなかったらしい。

ずっと琴音を近くに匿い、関係を続けていた。それも、子供ができるほどに……

この瞬間、杏奈はようやく自分の愚かさを思い知った。

どれだけ信じて、どれだけ愛されていると思っても、一度壊れた心は二度と元には戻らないようだ。

数日前、宗谷は「山間部の機密施設で、特殊訓練を指揮するから1か月帰れない」と言っていた。

自分は愚かにもその言葉を信じた。

だからもし、今日産婦人科の健診に来ていなかったら、一生気づかずに騙され続けていたはずなのだ!

杏奈の感情の変化を感じ取ったのか、お腹の中の子がポコポコと2回彼女のお腹を蹴った。

「痛いっ……」苦しげにお腹を押さえ、腰を曲げる杏奈。

お腹だけではなく、心も同じように痛い。

通りがかった人が杏奈の異変に気づき、慌てて支える。「大丈夫ですか?どうしました?」

「誰だ?」

室内の全員が病室のドアの方を振り返った。

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第1話
結城宗谷(ゆうき そうや)と再婚してから3年目、結城杏奈(ゆうき あんな)は妊娠した。よき妻であるため、杏奈はできるだけ衝突は避けようと努めてきた。だから、宗谷の帰りが遅くても、わざわざ迎えに行くことはしないし、彼が接待で泥酔して帰ってきた夜は、家政婦に酔い覚ましに効く飲み物を用意させるだけ。いくら宗谷が忙しくて、滅多に帰ってこないとしても、杏奈は「帰ってきてほしい」と、電話をかけたことすらない。妊娠8カ月の頃、宗谷のコートから自分のではない保湿クリームが出てきても、黙って元に戻すだけだった。そんなことが続いたある日、産婦人科へ検診に訪れた杏奈は、信じがたい光景を目にする。看護師二人が病室から出てきて話し込んでいた。「結城さんって、すごく中村さんに尽くしてるよね。元気な男の子が生まれた途端、ここで一番の特別病室を貸し切っちゃったんだから!」「聞いたところだと、あの中村さんって結城さんの殉職した部下の奥さんらしいよ。それにしても、一晩中中村さんに付き添って、官舎にも帰らないなんて、結城さんは本当に義理堅い人じゃない?」「でも結城さんの奥さんも、もうすぐ出産でしょ?もし知ったらどうなっちゃうのかしらね」看護師は小声で話しているつもりなのだろうが、杏奈の耳にははっきりと聞こえた。病室の中で赤子を抱き、微笑む宗谷の姿を見てしまうと、杏奈の目には知らず知らずのうちに涙が溜まった。もう、離婚しよう。二度と宗谷とは一緒にならない。……「結城室長、おめでとうございます!元気な男の子が生まれたそうですね!」「奥さんがもし女の子を産んだら、男の子と女の子で幸せですね!」「この子のこと、奥さんはまだ知らないんですか?」病室には、宗谷の親しい同僚たちが何人かいたのだ。嬉しそうにしていた宗谷だったが、杏奈の名前が出た瞬間、彼の表情が厳しくなった。「ああ、知らない。あいつには絶対言うなよ。杏奈はもう妊娠後期だから、あまりストレスを与えたくないんだ」「じゃあ、いつ打ち明けるんですか?ずっと黙っているわけにはいかないでしょう?」宗谷は少し黙り込んだあと、断言した。「産まれてから考えるよ。子供ができれば、杏奈も俺から離れていかないはずだから」「もしかして私迷惑かけちゃってる?」ベッドに横たわっていた女性が、そっと目を開いた。
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第2話
杏奈を見た宗谷の顔から、一瞬にして血の気がなくなる。宗谷は急いで赤子をベビーベッドに戻し、ドアのほうへと急ぎ足で向かった。「杏奈、どうしてここにいるんだ?」ほかの者たちも杏奈を見て、表情を一変させる。「お……奥さん?」「奥さん、勘違いしないでくださいね!俺たちは琴音さんに子供が生まれたと聞いて、お見舞いに来ただけですから。それに、結城室長とは、偶然道で会ったから一緒に来ただけなんです」「そうなんです、奥さん。誤解しないであげてください」こんな状況になっても、宗谷の同僚たちは彼をかばうために、嘘をつき続けている。だが、彼らが自分を「奥さん」と呼ぶたびに、杏奈には吐き気を覚えるほどの嫌悪感がこみ上げた。ゆっくりと顔を上げ、宗谷を見据えて静かに口を開く。「宗谷。あなたから説明してくれる?」「杏奈、落ち着いてくれ……みんなの言う通りで、俺はたまたま来ただけなんだよ」「こんな状況になってまで、まだそんな嘘をつくの?!」心が凍ってしまったかのように冷たく、もう感覚は無かった。しかし、自分の目の前で嘘をつく宗谷に打ちのめされた杏奈は、思わず平手打ちを食らわせた。「山間部の機密施設で、特殊訓練を指揮するって言ったよね?あ、もしかして産婦人科での訓練もあったの?どこの山で訓練してたか知らないけど、産婦人科って偶然通りかかるもんなんだね!」宗谷の顔からは血の気が失われている。「きゅ……急に予定が変わって。すまない。杏奈、とりあえず落ち着いてくれ。お腹の子にも――」「私が悪いんです!杏奈さん、お願いします!もう宗谷さんを叩かないであげてください!」琴音は子供を抱えたまま、杏奈の前に膝をついた。「宗谷さんは、私に同情して付き添ってくれていただけなんです。でも、私のように夫を早く亡くした女は、子供のために、男に縋って生きていかなければならないんです。あなたから、旦那さんを奪うつもりなんて、一切ありませんから!」「黙って!宗谷と子供まで作っておいて、奪うつもりなんてないって?」杏奈が手を上げると、宗谷が強く彼女の手首を掴んだ。「杏奈、俺のことは叩いたっていい。でも琴音を傷つけるな。出産したばかりでまだ体が弱っているんだから」宗谷が自分ではなく別の女を庇ったことで、杏奈は急に馬鹿馬鹿しく思えた。「出張で1ヶ月帰れ
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第3話
宗谷は眉をひそめ、困り果てた表情を浮かべる。「杏奈……」「宗谷さん、私は子どもを連れて消えるから!もう二度とあなたのお世話にはならないよ。私たちが死ねば、あなたには何にも関係なくなるから!どうせ私たちは結婚していないんだし、生まれてきた子だって父親のいない子だって後ろ指を指されるだけ。だったら、いっそこの子と一緒に死んだほうがましなの!」子供を抱えて窓から飛び降りようとする琴音に、宗谷が必死にしがみついた。「琴音、そんなの駄目だ!俺はお前を守るって、中村と約束したんだから!」宗谷は顔を上げ、杏奈を睨んだ。「杏奈、よくもこんな状況でそんなことが言えるな?お前、正気か?琴音の子供は俺の息子だ!万が一のことがあったら許さないからな。離婚届が欲しいなら勝手にしろ。この3年、俺だって嫌気がさしてたんだよ!」宗谷はそう言い残し、琴音を抱えて駆け足で去っていった。だから、杏奈に肩がぶつかったことにすら、気づいていない。お腹の大きい杏奈は、ぶつかられた衝撃でよろめき、後ろへ大きく倒れ込んでしまった。激しい痛みに視界が一瞬暗くなる。立ち上がろうとしたが、全身に力がまったく入らない。嫌気がさしてた?それはこっちのセリフだ!病室の人々は杏奈が倒れたのを見ても、助けるどころか冷ややかに責め立てるばかりだった。「女の嫉妬心ってやばいな」「こんなやつだって分かっていれば、3年前、結城室長は彼女を連れ戻すなんてことしなかったのに」「ああ。でも、今さら後悔したって遅いよな。もう妊娠8ヶ月だから、今さら降ろせなんて言えないだろ?」……そう言いながら、彼らは琴音たちのあとを追って診察室へと向かった。さっきまで騒がしかった部屋には、杏奈一人だけになった。下腹部に鈍い痛みが走る。通りがかりの人に医師を呼んでもらうよう、頼むしかなかった。診察室。杏奈を診察し終えた医師は、眉をひそめて溜息をつく。「もう妊娠8ヶ月でしょう?注意してください。どうして倒れるようなことがあったんですか?」杏奈は静かに天井を見つめ、黙り込んだ。注意していなかったわけではない。宗谷に突き飛ばされたのだ。「旦那さんは?いつも検診のときは必ず付き添ってくれていたのに」医師は声を潜めて言った。「電話をかけておきましょうか?」杏奈が拒まなかったため、医
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第4話
診察室を出て、杏奈は雪の上をゆっくりと歩きながら官舎へ戻った。家の前まで来ると、そこには眉をひそめた宗谷が立っていた。「どこへ行ってたんだ?」少しだけ宗谷の口調が和らぐ。「本当に具合が悪いのか?」本当は怒鳴り散らすつもりの宗谷だったが、杏奈の顔が真っ白だったため、急に心配になったのだ。杏奈は落ち着いた様子で答えた。「うん。さっき、あなたが私を突き飛ばして、床に倒れてしまったから。もしかして、忘れたの?」宗谷はそこでようやく、自分がさっきぶつかったことを思い出す。「ごめん、焦ってて。どこか怪我していないか?」その問いには答えず、杏奈は聞き返した。「琴音さんの子どもは、どうなった?」「無事だったよ。取り返しのつかないことにならなくて、本当に良かった」宗谷は深く息を吐き出すと、杏奈に一歩歩み寄り、声を潜めて言った。「これからはもう少し感情をコントロールしてくれないか?生まれたばかりの小さな命に、あんなことをするなんてさ」杏奈は顔を上げ、目の前にいる夫を見つめる。なんだか、突然他人のように感じた。「私のこと、そんな人間だって思ってたの?じゃあ、もし琴音さんがわざと子どもを盾にしたんだよって私が言ったら、あなたは信じる?」「杏奈!」宗谷の表情が一瞬で曇る。「いい加減にしろ、これ以上琴音のことを悪く言うなよ。3年も経つのに、なぜお前はこうも変わらないんだ?」思った通り、宗谷は信じてくれなかった。杏奈は3年前、初めて琴音が自分たちの家を訪れた日のことを思い出す。琴音はわざと熱いお茶を彼女自身にかけて、杏奈がやったと言い放った。その後も、デパートへ行けば琴音は自ら階段から転げ落ち、杏奈が足をかけたと言った。ある時は、自らハサミで手を切り、杏奈に襲われたと泣き叫んだのだ。繰り返し着せられる汚名。自分を信じてくれない夫。再婚すれば変わるはずだと期待した。でも、そんな夢を見た自分が馬鹿だった。もう本当に疲れた。「宗谷、さっき離婚してくれるって言ってたけど、それまだ有効?」離婚という言葉を聞いた宗谷は、焦り始める。「杏奈、妊娠8ヶ月なんだぞ?なのに離婚なんて言うなよ。さっきのは売り言葉に買い言葉ってやつだろ?本気じゃないから。俺はお前と絶対に離婚なんてしない」杏奈は冷たく返した。「自分の息子が、父親のいない
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第5話
杏奈は一人で家に帰ると、荷物の整理をあらかた終えてから、官舎の近くに住む顧問弁護士のもとを訪ねた。「結城室長なら、とっくに離婚の書類を持っていかれましたよ?」杏奈は呆気に取られ、弁護士が何を言っているのかすぐには理解できなかった。「何とおっしゃいましたか?」「今朝、結城室長が来られて、離婚するから急ぎで離婚の書類を作成してほしいって言われたんです。そして先ほど、それを持っていかれましたよ。結城室長は3年前、二度と奥さんとは離婚しないと仰っていたはずなのに……」弁護士の言葉を聞き、杏奈は思わず笑ってしまった。昼間、あれほど絶対に離婚しないなどと言っていたのに。まさか、自分よりも先に離婚の書類を弁護士に作らせていたなんて!なんと皮肉なものだろう。長い沈黙の後、杏奈は静かに口を開いた。「分かりました」家に帰り着いた途端、心が限界を迎えた。ふと顔を上げると、視線の先にベッドサイドに置いてある写真立てが目に入った。写真の中の宗谷は、自信に満ちた姿で制服を着こなしており、隣の杏奈は花柄のシャツを着て、幸せいっぱいに微笑んでいる。しかし、そのかつての幸せは、今の彼女には酷く虚しく、胸を締め付けた。杏奈はハサミを手に取ると、二人のウェディング写真を切り刻んだ。そして、細かく破り裂いた後、部屋のドアに向かって激しく投げつける。まさにその瞬間、ドアが開き、宗谷が姿を現した。投げつけた写真が、彼の身体へ降り注ぐ。粉々になった写真が床に落ちた。宗谷はうつむいて、その切り裂かれた写真を見つめながら、無言で腰をかがめ、それらを拾い上げ始めた。「杏奈」宗谷が身を少しずらした時、杏奈は初めて、その背後にいる女の姿を目にした。3年前と全く同じように、宗谷はまたしても、琴音をこの家へと連れ帰ってきたらしい。子供を抱き抱えた琴音は、申し訳なさそうな声を出す。「宗谷さん、杏奈さんとちゃんと話し合って。私のせいで喧嘩なんてしないでね」そう言い終えると、彼女は使用人に促されるようにして、かつて住んでいた部屋へと戻っていった。「本当は、琴音をそのまま産婦人科に入院させておくつもりだったんだけど、もうお前にも知られたことだし、琴音を一人であそこに残しておきたくなかったんだ」宗谷は拾った写真を元の場所に置くと、杏奈のそばへと歩み寄り
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第6話
その夜、宗谷は杏奈との寝室には戻ってこなかった。深夜、杏奈は急に足がつって目が覚めた。痛みを我慢して立ち上がり、宗谷を探しに行こうとする。やっとの思いで部屋を出て、琴音の部屋の前までたどり着いた。ドア越しに宗谷へと声をかける。「宗谷、足がつっちゃったの。助け……」杏奈が言葉を言い終わる前に、中から女のあえぎ声が聞こえてきた。「宗谷さ……」「静かに。琴音、声が大きすぎるよ。子供が起きたら困るだろ?」杏奈はその場に凍りつく。足の激しい痛みはまだ続いていたが、心の痛みの方が辛かった。ドア越しにも関わらず、はっきりと聞こえる。耳に入る全ての声が、まるでハンマーのように、杏奈の胸を容赦なく打ちのめした。杏奈は天井を見つめながら、妊娠初期のことをふと思い出した。その頃は、毎日のようにつわりがひどくて夜も眠れず、外へ駆け出しては吐いていた。杏奈が吐くたびに、宗谷はすぐ起き上がり、背中をさすってこう言った。「杏奈。お前がこんなに苦しむって知ってたら、一生子供なんていらなかったよ……」妊娠後期になり、足がよくつっていた時も、動けない杏奈のために辛抱強くマッサージをしてくれた。8ヶ月間、朝も夜も、それはとても献身的だった。それなのに今、自分の隣に宗谷はいなく、あろうことか別の女と体を重ねている。「宗谷さん、あなたと結婚できるなんて、本当に幸せ!たとえ1ヶ月だけでも、あなたの妻でいられるなんて!」「お前には、ずっとつらい思いをさせたな。でも、もう心配しなくたっていい。これからは、お前と子供を大切にするから」「宗谷さん、大好き!愛してるわ!」そんなやり取りを聞いていると、杏奈の足の痛みも少しずつ治まってきた。もう立っている気力もなくなり、杏奈はその場に力なくへたり込む。自分の負けだ。完敗だ。そう認めざるを得ない……だが、今すぐここから離れられることは、不幸中の幸いと言ってもいいかもしれない。その日以降、宗谷と琴音は遠慮することがなくなった。食事中、宗谷は琴音の皿に料理を取り分け、昼時には庭で日光浴をし、楽しそうに笑い合っている。そして夜になれば、琴音の部屋からはあの甘い声が聞こえてきた。それでも杏奈は気づかぬふりをして、黙々と荷物をまとめ、遠く離れた実家に連絡を取り、チケットを買った
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第7話
琴音がいかに挑発してきても、杏奈はずっと無視していた。ただうつむいて、編み物を続ける。無視された琴音は腹を立て、杏奈の手から編み物を取り上げると、そのままそばの池に投げ捨てた。「耳が聞こえないんですか?私を無視しないでくださいよ!」杏奈もついに我慢の限界だった。池に浮かぶ毛糸を見つめ、低い声で言う。「拾ってきて」「嫌です。あなたに何ができるっていうんですか?」「拾わないのね?後悔しても知らないから」杏奈は一歩ずつ、琴音を池の縁へと追い詰めていく。反撃して、逆に杏奈を突き落とそうかと考えた琴音だったが、遠くからこちらへ歩いてくる宗谷の姿が視界に入った。琴音は口角をにやりと吊り上げ、あるものを池の中へと放り込んだ。「杏奈さん!やめてください!」琴音が突然叫ぶ。「あれは子供のためのお守りだったんですよ!宗谷さんが買ってくれた大切な物なのに。あなたも、この子の体が弱いことを知っているのに、なんでそんな酷いことをするんですか!」「何を言っているの?いま自分で……」杏奈は眉をひそめる。琴音と関わるとろくなことがない、と思っていたが、まさかここまでだとは。「杏奈!」弁解する暇もなく、怒った顔で駆け寄ってきた宗谷に手首を強く掴まれた。「お前、一体何をした?」「宗谷さん、私、もうこの家にはいられない!杏奈さんは、うちの息子に死んでほしいとしか思っていないんだから!さっきだって、あなたがわざわざお寺まで行って、息子の無事を願って健康のお守りを買ってきてくれたって話しただけなのに、私の目の前でそのお守りを池に投げたの。『あなたの息子なんか、こんなの身につける資格がない』、『どうせ生まれるべきじゃなかった子なんだから』って。それだけじゃないの。『たとえ私が宗谷と離婚したとしても、私の子供が生まれたら、あなたの息子は所詮、父親のいない子でしかない』って言ったのよ!」「杏奈、それは本当か?お前は本気で琴音のことを思って、身を引こうとしてくれたんだと……俺はそう信じていた。だからこそ、離婚にも応じたのに。全部、嘘だったのか?」「そんなこと言っていない!」手首を締め上げられたまま、杏奈は首を振る。「彼女は自分で投げ捨てたの!私は何もしていない!」「お守りは絶対に濡らすなとお坊さんに言われていたんだぞ!琴音が子供の命に関わる
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第8話
「妊娠中は泳いじゃ駄目だなんて決まりはないだろ?」宗谷が冷ややかに笑った。「こいつは、自分が妊娠してるのを盾にしてるんだ。それに、俺が愛して甘やかしてきたから、俺の言うことなんて少しも聞かなくなった。琴音、中に入ろう。こいつなんか放っておけ!たとえ本当に子どもに何かあったとしても、それは全部、自業自得だ!」杏奈は池の中で、宗谷が琴音をかばいながら去っていく後ろ姿を見つめていると、突然なんだか笑えてきた。しかし、目からは涙がこぼれ落ちる。妊娠がわかった日、宗谷は目を真っ赤にして泣いていたのに。彼は自分を抱きしめて、何度も言った。「杏奈、やっと赤ちゃんが来てくれたな!もう絶対にお前を離さない!この先、お前と子供を守りぬくって誓うよ」それなのに、宗谷は今何をしているの?嘘ばかりの女のために、妊娠中の自分を池に突き飛ばすなんて。あまつさえ、他の女が生んだ子供のお守りを探せと言う。杏奈の様子を見て、ボディガードは忍びなく思いつつも言った。「奥様、早く見つけないと……もう妊娠9ヶ月でしょう?いつ生まれてもおかしくないです。それに、万が一のことがあったら大変ですから」こんな見ず知らずの人でさえ自分を心配してくれるのに、宗谷はなんと残酷なのだろう。杏奈は何も言わず唇をかみしめると、下を向いて水の中に潜り、お守りを探し始めた。日が暮れて、池の水は冷たくなるばかり。震えが止まらないのに、お守りは一向に見つからない。妊娠9ヶ月の体は鉛のように重い。水に潜るたび、内臓を引き裂かれるような痛みがあった。岸に立つボディガードたちも、見ていられなくなったようだ。「もう夜の10時だぞ。このままじゃ奥様が……」「でも結城室長の指示だろ?逆らえないよ!」4時間も池に浸かっていた杏奈の手足は、もうふやけて真っ白になっていた。体力の限界が迫る中、お腹の中の子が何度も何度も杏奈を蹴り始める。蹴る力はどんどん増していき、最後には下腹部に陣痛のような激痛が走り、冷や汗が吹き出した。下腹部から、何かが流れ出ている感覚がある。すぐにボディガードが叫び声を上げた。「やばい!血が出てる!早く奥様を引き上げろ!結城室長に電話しなくちゃ!」宗谷への電話はすぐにつながったが、聞こえてきたのは琴音の声だった。「宗谷さんは今、私の息子の面倒を見て
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第9話
「っ、痛い!」杏奈は叫び声を上げた。そして医師の手を強く掴み、必死に訴える。「お願いします、子供を助けてください。もう9ヶ月なんです。なんとしてでも産みたいんです!電話なんてしなくていいので、早く手術室へ。何があっても、全部私の責任で大丈夫ですから!」杏奈は、そう言い残して気を失った。意識が遠のく中、頭を宗谷の言葉がよぎる。「そんなことして、バチが当たるのが怖くないのか?たとえ子供を失ったとしても、自業自得だ!」こんな言葉を吐くような男に、この子の父親になる資格なんてない。意識を失ってどのくらい経ったのだろうか。気がつくと、周囲の人々の話し声が耳に入ってきた。「急げ!もう破水しているんだ。胎児の心音も弱い、すぐ手術だ!」「あれ、この人って……旦那さんはどうしたの?」「旦那さん?さっき聞いたんだけど、今日は息子さんのお披露目をするために、食事会を開いてるとか……」「食事会?奥さんはここにいて、子供はまだお腹の中なんだぞ!」「愛人との子だろうな。あっちの子もここで産まれたから」「なんて人なの!今までの健診はいつも一緒に来てたから、仲の良い夫婦だと思ってたのに!」「奥さん、頑張ってください!あともう少しですよ!」「……」再び意識を取り戻すと、傍に赤ちゃんを抱いた助産師が立っていた。「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」それと同時に、離婚を担当してくれている弁護士が駆け込んできて、離婚届受理証明書を杏奈に差し出す。「離婚届は無事受理されましたよ」杏奈はそれを受け取り、じっと見つめた。ようやく、胸のつかえが下りた。杏奈は助産師を見上げ、静かに言った。「すぐにここを離れたいんです」……お宮参り後のお披露目を兼ねた食事会にて。宗谷は、朝からずっと琴音と一緒だった。同僚たちが次々と駆けつけ、二人を祝福する。「おめでとうございます!元気な男の子ですね!」「結城室長、せっかくおめでたい日なのに、なんで奥さんが来ていないんですか?まだ納得してくれていないんですか?」「奥さんも、そんなに意地を張らなくてもいいのに」宗谷は何も言わなかったが、ただ、妙に落ち着かない気持ちでいた。食事会が始まる時間になっても、杏奈の姿はどこにもない。まだ怒っているのか?昨日はつい頭に来てひど
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第10話
全身を強張らせた宗谷の頭の中が、真っ白になった。声が掠れてほとんど言葉にならない。「な、なんて言った?もう一度言え」「医者によれば、奥様は長時間水に浸かっていたため、子宮の収縮が起こってしまったようです……羊水が破れた後も子供はずっと中にいたため、酸欠で亡くなってしまったと……」報告を聞いた宗谷は、突然取り乱した。「嘘だ!嘘に決まっている!あいつがお前たちと組んで俺を騙そうとしているんだろ?怒ってるからこんな悪戯をして、俺を心配させたいだけで!すぐあいつに電話を代われ!」「どうしたんですか宗谷さん?まさか奥さんのことで何かあったんですか?」「そんな真っ青な顔をして、また奥さんから何か言われたんですか?」取り乱している宗谷を見て、周囲の友人たちは困惑した。だが、琴音の心は期待と緊張で満ちていた。宗谷の反応を見る限り、自分の予想は当たったらしい。杏奈はもともと体が弱いうえに、妊娠9ヶ月だった。だから、あれほど池に長時間浸かっていたのであれば、子供が助からないのは当然だろう。もし杏奈がこのことで命を落としてくれれば、自分は晴れて宗谷の妻となり、自分の息子が結城家唯一の跡取りとなる。ボディガードは言葉に詰まりながらも続けた。「結城室長、本当のことなんです。手術が終わると、奥様はすぐにいなくなってしまったので、誰もどこへ行ったのか分からなくて……あ、でも、結城室長。奥様から渡してくれって頼まれたものがあるんです。私ももうすぐそちらに着くので、少し待っててくださいね」電話が切れてからすぐに、ボディーガードの一人が小さな壺を抱えて歩いてきた。その姿を見た宗谷は、狂ったように駆け寄る。「杏奈はどこだ!どこにいるんだ!病院か?あいつから渡されたものって、一体……」ボディーガードは持っていた壺を差し出した。「結城室長、奥様が室長に、と」「これはなんだ?」「わかりません。でも、どことなく縁起が悪そうですね……だって、この形、どこかで見たことがあるような気がしませんか?「あ!分かりました。これ骨壺ですよ!祖母の葬式の時に見たのと全く同じです!」同僚の一人が恐る恐る口にする。「一体誰の骨なんですか?もしかして、奥さんの……」「骨壺……」宗谷は震える手でそれを受け取ったが、恐ろしくて開ける勇
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