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婚約者は憧れの人を優先して病院に連れて行き、私は失血で命を落とした

婚約者は憧れの人を優先して病院に連れて行き、私は失血で命を落とした

By:  木の子Completed
Language: Japanese
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Synopsis

切ない恋

高嶺の花

逆転

不倫

家族もの

冷酷

婚約者の森下慎也(もりした しんや)がずっと想い続けている初恋の相手、桜井玲奈(さくらい れいな)。彼女と私――松下千代子(まつした ちよこ)は、建物の二階にある吹き抜けの階段から一緒に転落した。 優秀な外科医でもある慎也は、真っ先に玲奈のもとへ駆け寄った。 大量に出血して動けない私には目もくれず、「お前は救急車でも待っていろ」と冷たく言い捨てて。 命の灯火が消えゆく中、私は必死に手を伸ばし、彼の服の裾を掴んだ。 だが、慎也はその手を汚いものでも見るかのように振り払った。 「千代子、お前は本当に血も涙もないのか!玲奈が意識を失っているのが見えないのか?お前が彼女を突き落としたんだろ。あとで必ず、その責任は取らせてやるからな!」 ――でも、彼が私を責め立てる機会は、もう永遠にやってこない。 意識のない玲奈を大切そうに抱きかかえ、慎也が背を向けて立ち去った後。 私は、お腹に宿した彼の子とともに、冷たいアスファルトの上で孤独に息を引き取ったのだから。

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Chapter 1

第1話

婚約者の森下慎也(もりした しんや)がずっと想い続けている初恋の相手、桜井玲奈(さくらい れいな)。彼女と私――松下千代子(まつした ちよこ)は、建物の二階にある吹き抜けの階段から一緒に転落した。

優秀な外科医でもある慎也は、真っ先に玲奈のもとへ駆け寄った。

大量に出血して動けない私には目もくれず、「お前は救急車でも待っていろ」と冷たく言い捨てて。

命の灯火が消えゆく中、私は必死に手を伸ばし、彼の服の裾を掴んだ。

だが、慎也はその手を汚いものでも見るかのように振り払った。

「千代子、お前は本当に血も涙もないのか!玲奈が意識を失っているのが見えないのか?お前が彼女を突き落としたんだろ。あとで必ず、その責任は取らせてやるからな!」

――でも、彼が私を責め立てる機会は、もう永遠にやってこない。

意識のない玲奈を大切そうに抱きかかえ、慎也が背を向けて立ち去った後。

私は、お腹に宿した彼の子とともに、冷たいアスファルトの上で孤独に息を引き取ったのだから。

……

息絶えた私の亡骸は、自分でも目を背けたくなるほど凄惨な状態だった。

全身の骨が砕け、折れた肋骨がお腹の子宮を深く突き破っている。

処置台のシーツは絶え間なく溢れ出す血で真っ赤に染まり、ベテランの医師や看護師たちでさえ、あまりの惨状に口元を覆って吐き気をこらえるほどだった。

あまりにも理不尽な死だったからだろうか。

魂だけになった私は、成仏することもできず、宙に浮いたまま変わり果てた自分の身体を呆然と見下ろしていた。

その時、ふいに壁の向こうから聞き慣れた声が響いてきた。

引き寄せられるようにすり抜けた先は、隣の緊急手術室。

「玲奈、しっかりしろ!俺がついている、すぐに助けるからな!」

大急ぎで手術着に袖を通しながら、慎也が愛しい人を必死に励ましている。

執刀に向かう彼の横顔は、私と一緒にいた時には一度も見せたことのないような、張り詰めた緊張と焦燥感に満ちていた。

やがて手術は無事に終わり、玲奈のバイタルが安定したのを確認して、慎也は深く安堵の息を吐き出した。

「彼女を一般病棟へ」

そう助手の医師に指示を出す。しかし、助手は何か言いたげな様子で、ひどく言葉を濁していた。

「どうした?」

怪訝そうに眉をひそめる慎也に、助手はおずおずと口を開く。

「先ほど、こちらの患者と一緒に搬送されてきたもうひとりの女性のことですが……先生は、あの方をご存知ですか?実は――」

助手が、私がすでに息を引き取ったことを伝えようとした、その瞬間だった。

慎也は苛立たしげに言葉を遮り、冷たく吐き捨てた。

「あんな女、知らん。どうなろうと興味もない」

その鋭い拒絶に、助手は息を呑み、「……そうですか」と静かに引き下がった。

魂だけの存在になったはずなのに、私の心はまるで氷水を浴びせられたように冷え切っていく。

そうだ。慎也は私のことを心の底から嫌悪しているのだ。他の同僚たちの前で、私のような女を『婚約者』だと認めるはずなどなかった。

彼は、まだ知らない。

壁を一枚隔てたすぐ隣の部屋で、私がすでにこの世を去っていることなど。

思い出すのは、転落した直後のこと。

私は最後の力を振り絞り、慎也のズボンの裾にすがりついた。

「お願い、助けて……もう、死んじゃう……

私を置いていかないで……お願いだから……」

私の足元に広がるおびただしい血だまりを見れば、誰だってただ事ではないと気づくはずだった。

しかし、私が心の底から愛した婚約者は、ただ憎悪に満ちた冷たい目を向けてくるだけだった。

「千代子、いい加減にしろ!玲奈が気を失っているのがわからないのか!

玲奈を突き落としただけじゃ飽き足らず、俺が助けるのまで邪魔する気か!?そこまでして彼女を殺したいのか!

お前がここまで冷酷な女だったとはな!」

激しい怒りの言葉を浴びせられ、私はすがりついていた手を力なく離した。

震える血まみれの指で、自分のポケットを探る。病院でもらったばかりのエコー写真を取り出して、せめてお腹にいる彼の子どものためだけでもいいから助けてほしいと懇願するために。

だが、慎也は足元の私を一瞥すらせず、氷のように冷たく言い放った。

「この落とし前は、後で必ずつけさせてやるからな!」

そう吐き捨てると、彼は血だまりの中で息も絶え絶えになっている私には見向きもせず、玲奈を大切そうに抱えて立ち去ってしまった。

薄れゆく意識の中で、ようやくポケットからエコー写真を取り出した時――すでに二人の姿はどこにもなかった。

ぽつり。

とめどなく溢れる涙が、写真の上に落ちる。

涙で滲む視界の中、黒い印画紙に浮かび上がる小さな命の影が、かすかに揺れて見えた。

「ごめんね、赤ちゃん……パパはね、ママのことが嫌いみたい。だから……ママのことも、あなたのことも、助けてくれないの……」
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両親は非常に常識的で善良な、マトモな人達なのに、クズはなぜこんなゴミカスに育ったんだろうか。 行動の全てが自分勝手すぎて、最後まで救いようがなかった。ヒロインやその父、クズの両親は来世で望んだ通りの幸せが訪れるといいね。
2026-07-31 23:40:35
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第1話
婚約者の森下慎也(もりした しんや)がずっと想い続けている初恋の相手、桜井玲奈(さくらい れいな)。彼女と私――松下千代子(まつした ちよこ)は、建物の二階にある吹き抜けの階段から一緒に転落した。優秀な外科医でもある慎也は、真っ先に玲奈のもとへ駆け寄った。大量に出血して動けない私には目もくれず、「お前は救急車でも待っていろ」と冷たく言い捨てて。命の灯火が消えゆく中、私は必死に手を伸ばし、彼の服の裾を掴んだ。だが、慎也はその手を汚いものでも見るかのように振り払った。「千代子、お前は本当に血も涙もないのか!玲奈が意識を失っているのが見えないのか?お前が彼女を突き落としたんだろ。あとで必ず、その責任は取らせてやるからな!」――でも、彼が私を責め立てる機会は、もう永遠にやってこない。意識のない玲奈を大切そうに抱きかかえ、慎也が背を向けて立ち去った後。私は、お腹に宿した彼の子とともに、冷たいアスファルトの上で孤独に息を引き取ったのだから。……息絶えた私の亡骸は、自分でも目を背けたくなるほど凄惨な状態だった。全身の骨が砕け、折れた肋骨がお腹の子宮を深く突き破っている。処置台のシーツは絶え間なく溢れ出す血で真っ赤に染まり、ベテランの医師や看護師たちでさえ、あまりの惨状に口元を覆って吐き気をこらえるほどだった。あまりにも理不尽な死だったからだろうか。魂だけになった私は、成仏することもできず、宙に浮いたまま変わり果てた自分の身体を呆然と見下ろしていた。その時、ふいに壁の向こうから聞き慣れた声が響いてきた。引き寄せられるようにすり抜けた先は、隣の緊急手術室。「玲奈、しっかりしろ!俺がついている、すぐに助けるからな!」大急ぎで手術着に袖を通しながら、慎也が愛しい人を必死に励ましている。執刀に向かう彼の横顔は、私と一緒にいた時には一度も見せたことのないような、張り詰めた緊張と焦燥感に満ちていた。やがて手術は無事に終わり、玲奈のバイタルが安定したのを確認して、慎也は深く安堵の息を吐き出した。「彼女を一般病棟へ」そう助手の医師に指示を出す。しかし、助手は何か言いたげな様子で、ひどく言葉を濁していた。「どうした?」怪訝そうに眉をひそめる慎也に、助手はおずおずと口を開く。「先ほど、こちらの患者と一緒に搬送されてきたもうひとりの女性のことですが……先
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第2話
私の死が確認された後、病院は唯一の身内である父に連絡を入れた。急いで駆けつけた父は、霊安室で冷たくなった私の遺体と対面するなり、床に膝をついて泣き崩れた。娘を失った深い絶望に打ちひしがれ、声を上げてむせび泣く父。その姿を、魂となった私はただ無力に見下ろすことしかできなかった。やがて看護師に支えられて立ち上がった父は、震える手でスマホを取り出し、慎也に電話をかけ始めた。しかし――何度かけても、コール音はすぐに切断されてしまう。十数回立て続けにかけても無情に切られ、最後にはとうとう機械的なアナウンスに切り替わった。慎也が、父の番号を着信拒否したのだ。父の悲痛な着信を煩わしそうにブロックしたその頃、慎也は玲奈の病室にいた。彼は意識を取り戻したばかりの玲奈のベッドサイドに腰掛け、その手を両手で大切そうに包み込んでいた。「目が覚めて本当によかった……ずっと心配していたんだよ、玲奈」玲奈は顔面蒼白で、いかにも弱り切った様子でベッドに横たわっている。――あの時、私を突き落とした後、彼女自身もわざと階段から身を投げたのだという自作自演の真実を、知っているのはもうこの世で私だけだ。「慎也くん……」大粒の涙を瞳に浮かべ、玲奈はか弱く震える声ですがりついた。「私、落ちた瞬間、本当に死んじゃうかと思った……慎也くんがすぐに運んで、手術してくれなかったらどうなってたか……ありがとう。今日から私の命は、慎也くんのものだよ」そのいじらしい言葉に、慎也はふっと口角を上げ、とろけるように甘く微笑んだ。そして白衣のポケットから小さな箱を取り出すと、中に入っていた華奢なゴールドのブレスレットを、玲奈の細い手首にそっとつけてやる。「これ、玲奈へのプレゼント。少しでも気が晴れたら嬉しいなと思って。まずは心安らかにしていることが、元気を取り戻す一番の薬だからね」そのゴールドのブレスレットには、繊細で美しい細工が施されていた。それはかつて、私がどうしても欲しくてたまらなかったものだ。自分の誕生日に思い切って彼におねだりしてみたけれど、すげなく冷たい言葉で断られた因縁の品だった。それが今、他でもない玲奈の手首で誇らしげに輝いているなんて。玲奈は手首のブレスレットを指先でそっと撫でながら、満足そうな笑みを浮かべた。「慎也くんって、本当に私に優しいのね」しかし、彼
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第3話
慎也は、私が玲奈と同じ救急車でこの病院に運び込まれていたことを覚えていた。彼は玲奈の病室を出て、私を探しに向かおうとしていた。愛する玲奈に痛い思いをさせた「落とし前」を、私にきっちりつけさせるために。彼が廊下に出たちょうどその時、遺体を乗せたストレッチャーが彼の目の前を通りかかった。白いシーツで頭まで覆われているけれど、私には分かっている。そのストレッチャーに乗せられているのは、変わり果てた私自身の遺体だ。シーツの端からは左手がだらりと垂れ下がり、薬指には指輪が光っていた。それは八年前、慎也が私にプロポーズしてくれた時に贈ってくれた大切な指輪だ。あの日から今日まで、私は片時もそれを外したことはなかった。だから、彼なら絶対にこの指輪に気づいてくれると信じていた。魂となった私は彼に寄り添うように漂いながら、必死に語りかけた。――慎也、このストレッチャーに乗っているのは私だよ、と。自分の無情な振る舞いが、私とお腹の子供を死に追いやったのだと知ったら。彼は後悔で泣き崩れるのだろうか、それとも何も感じないのだろうか。私はそれが知りたかった。「すみません、通ります」ストレッチャーを押すスタッフが声をかけると、慎也は煩わしそうに眉をひそめ、シーツからこぼれ落ちた私の手をちらりと一瞥した。しかし、彼はただ苛立たしげに舌打ちをして一歩後退し、道を譲っただけだった。そのままストレッチャーは通り過ぎていく。彼は、最後まで私だと気づかなかったのだ。八年という長い年月を共に過ごしてきたのに、今の私はまるで滑稽なピエロのようだった。私の亡骸が静かに霊安室へと運ばれていった後、慎也は私が最後に息をしていた処置室へと足を踏み入れた。「ここに運ばれてきた松下千代子はどこだ」部屋に入るなり、後片付けをしていた看護師に無造作に尋ねる。看護師は驚いたように顔を上げ、戸惑いながら答えた。「森川先生……松下さんのこと、ご存知だったんですか?実は、松下さんは重傷を負っており、残念ながら先ほどお亡くなりになりました。駆けつけたお父様も、あまりの悲しみで倒れられてしまって……もし先生がご友人でしたら、他のご家族の連絡先などをご存知ないでしょうか?」しかし、慎也は看護師の言葉を鼻で笑い飛ばし、怒りを露わにした。「あいつはまた、自分のくだらない芝居に周りを巻き込んでいるのか!
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第4話
私は二人が熱っぽい視線を絡ませ、優しく抱きしめ合う姿を、ただ見つめていることしかできなかった。慎也の献身的な看病のもと、玲奈は数日間の入院生活を終えた。退院の日、慎也は退院手続きから荷物の整理まで甲斐甲斐しくこなし、玲奈を彼女の自宅まで送り届けた。部屋に着くと、玲奈は名残惜しそうに彼の腕にすがりついた。「慎也くん……私、怪我のこと、両親には心配をかけたくないの。でも、私一人じゃ何もできなくて……だから、もう少しだけ一緒にいてくれない?」そのか弱い甘えに、慎也の保護欲は完全に満たされたようだった。彼は彼女の肩をそっと抱き寄せ、耳元で甘く囁いた。「もちろんだよ。もう少し病院の休みをとって、俺が玲奈の世話をしっかりするから」魂となった私の心に、どうしようもない苦さがじわじわと広がっていく。私はかつて、彼に迷惑をかけまいとあんなに必死で一人で耐えていたのに。彼は別の女性になら、何のためらいもなくこれほどまでに優しく尽くすのだ。二人が甘い空気に包まれて抱き合っていると、不意に鳴り響いたスマホの着信音が静寂を切り裂いた。慎也は画面に表示された見慣れない番号に怪訝そうに眉をひそめつつ、通話ボタンを押した。「この人でなしめ!よくも私の娘にこんな仕打ちをしてくれたな!」電話の向こうから響いてきたのは、私の父の悲痛な怒鳴り声だった。「千代子が無念のまま死ななければならなかったのは、全部お前のせいだ!」それを聞いた途端、慎也の顔から先ほどの甘い色がすっと消え去った。「……また千代子とグルになって俺を騙す気ですか?そんな手はもう通用しませんよ。仮病だけじゃ飽き足らず、今度は死んだふりまでして気を引こうっていうのか。千代子に伝えてください。俺はあいつの言うことなんか一切信じない!仮に本当に何かあったとしても、それは全部あいつの自業自得だ!」電話越しに、父の激しい怒りと絶望が爆発した。「千代子を殺したのはお前だ!死ぬべきなのは、お前とあの女の方だろうが!」愛娘を失った怒りで理性を失っているのか、父の言葉はひどく混乱し、泣き叫ぶようだった。だが、慎也は微塵も揺らぐことなく、鼻で笑ってあっさりと通話を切った。「誰からだったの?」不思議そうに見上げる玲奈に、慎也は無表情のまま肩をすくめてみせた。「千代子の父親だよ。またあいつと結託して、俺の気を引こ
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第5話
スマホから漏れ聞こえるほどの凄まじい鉄平の怒号に、隣にいた玲奈もただごとではないと察したようだ。慎也の顔色が一瞬にして強張る。「父さん、冗談だろ……?千代子が死ぬなんて、そんなわけ……」慎也は喉の奥をひきつらせ、何とか平静を装いながら口を開いた。しかし鉄平は、「いいから、今すぐ病院に来い!!」と容赦なく怒鳴りつけ、一方的に電話を切ってしまった。ツーツーという無機質な電子音が響く中、慎也はスマホを耳に当てたまま呆然と立ち尽くした。そんな彼を気遣うように、玲奈がそっと声をかける。「慎也くん……もしかして千代子さんに何かあったんじゃ……とにかく、一度病院に行ってみよう?きっとただのお怪我よ。ご両親も千代子さんのことが大好きだから、心配して少し大げさに言っちゃっただけよ、きっと」その玲奈の言葉に、慎也の表情がわずかに安堵に緩んだ。「……そうだな。千代子のやつ、両親に何を吹き込んだんだか。親まで巻き込んでこんな悪趣味な嘘をつくなんて。たかが階段から落ちた程度だ。せいぜい骨折か脳震盪くらいだろう」彼の言葉に、魂となった私は思わず自嘲の笑みを浮かべて首を振った。――玲奈は下から三段目の低い位置から転がったふりをしただけだから、当然死ぬはずなんてない。けれど、二階の高さから不意に突き落とされた私は、十数段の階段を一番下まで一気に転がり落ち、頭から床に激突したのだ。玲奈は絶妙なタイミングを見計らって、私と一緒に落ちたふりをした。騒ぎを聞きつけて慎也が駆けつけた時、彼の目に入ったのは、私と玲奈が同時に床に倒れ込む場面だけ。だから彼は一瞬の迷いもなく、真っ先に玲奈のもとへ駆け寄ったのだ。私の身体が不自然に折れ曲がり、足元におびただしい血だまりが広がっていることなど、彼の目には入っていなかった。あの時、私はまだ助かるかもしれないというわずかな希望にしがみついていた。しかし、彼に冷たく見捨てられ、冷たい床で救急車を待つ間に、その希望は体から流れ出る血とともに少しずつ、確実に失われていった。こんなにも苦しみ抜いて、絶望の中で孤独に死んでいったというのに。慎也は今でも、私がまだ生きていて、自分の気を引くためにくだらない芝居をしていると本気で信じているのだ。私は魂のまま、彼ら二人と一緒に再び病院へと戻った。病院のエントランスに足を踏み入れた瞬間、待ち
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第6話
数秒間の不気味な沈黙の後、慎也は突然、狂ったように怒りを爆発させた。「千代子のやつ、一体いくら払ってこんな大掛かりなセットを用意したんだ!」今度は死んだふりをして、俺に罪悪感でも植え付けようって魂胆か?本当に悪趣味で反吐が出る!」パァンッ!乾いた破裂音が響き、鉄平は再び息子の頬を力任せに張り飛ばした。「いいから中に入れ!自分の目で、あそこに誰が寝かされているのか、とくと見てこい!」慎也は必死に抵抗したが、鉄平に半ば引きずられるようにして霊安室の中へと押し込まれた。底冷えするような陰鬱な空気に、慎也は思わず身震いする。彼は重い足取りで、ぎこちなく安置台の前まで歩み寄った。台のそばには、私の父が抜け殻のように力なく佇んでいた。慎也はわずかに躊躇うように手を伸ばし、遺体を覆う白いシーツを勢いよくめくり上げた。そこに現れたのは、血の気が完全に失せ、蝋人形のように真っ白で無機質になった私の顔だった。何の覚悟もできていなかった慎也は、その無残な姿を見た瞬間、雷に打たれたように全身を硬直させた。瞬き一つせず、私の顔を凝視することおよそ二分。不意に、慎也は引きつった顔で笑い出し、大声を上げた。「おい千代子!すごい特殊メイクだな、本当に驚いたよ!もういい、起きろ!お前のくだらない悪ふざけはここまでだ。今回だけは許してやるから、さっさと目を覚ませ!」そう叫びながら、私の遺体を乱暴に揺さぶろうと手を伸ばす。最愛の娘を失い、深い悲しみの底で感情を失ったように立ち尽くしていた父。だが、慎也のあまりにも常軌を逸した身勝手な態度を目の当たりにし、ついに父の中で何かが弾けた。父は抑えきれない怒りとともに、慎也を思い切り突き飛ばした。「私の娘に、お前みたいな人殺しが気安く触るな!この畜生め!」床に尻餅をついた慎也は、狂乱したようにすぐさま立ち上がり、再び私の遺体にすがりついた。「違う、こんなの千代子じゃない!絶対にあり得ない!千代子の腕には、消えない傷跡があるはずだ!あいつなら絶対に……!」叫びながら、彼は私の冷たい左腕を乱暴に掴み上げた。そして、その手首を見た瞬間――慎也の言葉はピタリと止まり、息を呑んだ。かつて、彼が研修医としてこの病院に入ったばかりの頃、逆上した患者の家族が刃物を持って暴れる事件があった。その時、私はとっさに彼を庇って前に飛
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第7話
私は、底知れぬ絶望の中で呆れ果てていた。私の無残な遺体を目の前にしてさえ、慎也はなお玲奈をかばおうというのか。それは慎也の父である鉄平も同じ思いだったに違いない。鉄平は怒りで顔を真っ赤にし、再び息子を張り飛ばそうと拳を振り上げた。しかし、その前に玲奈がすかさず飛び出し、盾になるように立ちはだかった。「おじ様、やめて!私が悪いんです、どうか慎也くんを責めないでください!私が千代子さんを怒らせてしまったから……私たちが言い争いになったせいで、こんなことになってしまったんです……!」涙ながらに健気な被害者を演じる玲奈の姿は、慎也の心をさらなる庇護欲で深く揺さぶった。彼はたまらず玲奈の華奢な体を強く抱き寄せ、痛切な声で父親に食ってかかった。「父さんと母さんがあの時、俺たちの交際を無理やり引き裂きさえしなければ、俺はとっくに玲奈と結婚していたんだ!今はただ、兄代わりとして玲奈のことを見守っているだけなのに! 千代子のやつはいつだって嫉妬に狂って、玲奈をいじめてばかりいたんだぞ!」ついに堪忍袋の緒が切れた鉄平は、血を吐くような声で怒鳴りつけた。「お前なんてもう俺の息子ではない!人間の心を持たない、ただの獣だ!!」怒りと悲しみで血圧が跳ね上がったのか、鉄平は胸を押さえてその場に倒れ込みそうになった。ちょうどそこへ駆けつけてきた慎也の母・恵子(けいこ)と周りにいた医師たちが、慌てて彼を支える。親の悲痛な姿を見てもなお玲奈を抱きしめ続ける息子を見て、恵子はボロボロと涙をこぼし、声を震わせた。「慎也……あなたはどうして、あんな女の本性がわからないの?あなたがあの人と付き合っていると知った時、私たちは心配で、探偵を雇ってこっそり素行調査をしたのよ。私たちがあれほど交際に反対したのには、ちゃんとした理由があったの。あの女は夜な夜な不良たちとバーに入り浸って……」恵子は泣き崩れそうになりながら、息子のためにずっと隠してきた残酷な真実を語り始めた。「あの女はね、あなたと付き合いながら、同時に三人の男と関係を持っていたのよ!それなのに私たちの前では清楚なふりをして……あなたが汗水流して稼いで渡したお金も、全部他の男と遊ぶために使われていたの!あなたが事実を知って傷つくのが可哀想で……私たちは仕方なくあの女に手切れ金を渡し、自ら身を引くように仕向けたのよ
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第8話
以前、玲奈の巧妙な嘘によって悪者に仕立て上げられた経験から、私はあの日の再会に備え、腕時計に小型の隠しカメラを仕込んでいた。そのおかげで、あの日二階の吹き抜けで交わされた会話から転落に至るまでのすべてが、映像として克明に記録されていたのだ。私が死んだ後、生前の足取りを調べていた父は、私が小型カメラを購入していた履歴に気づき、遺品の中からその腕時計を見つけ出した。そして専門業者に頼んでデータを復元し、あの日の隠された真実のすべてを知ったのだ。父は私の無念を晴らすため、復元した映像をスマホに転送して持ち歩いていた。足元に放り投げられたスマホを拾い上げ、慎也は震える指で再生ボタンを押した。腕時計のカメラという特殊なアングルのため、画面は少し揺れていたが、目の前に立っているのが玲奈であることは一目瞭然だった。映像の中の玲奈は、私がまだ何も口を開いていないうちから、突然悲劇のヒロインのように泣き出した。『千代子さん、私と慎也くんは本当に何もないんです!私から彼に連絡したことなんて一度もないわ。いつも、彼の方から私を呼び出すだけで……!あなたと慎也くんの揉め事は、お二人で解決してください。私を巻き込まないで……!』一方的にまくしたてる玲奈のあまりの白々しさに、映像の中の私は呆れて思わず失笑を漏らした。すると次の瞬間、彼女が唐突に悲鳴を上げたのだ。『きゃあっ!千代子さん、どうして私をぶつの!?』――映像には、玲奈が「自らの手で」自分の頬を思い切り平手打ちする瞬間が、バッチリと映り込んでいた。その後、彼女はさらに泣き声を大きくした。『痛いっ……!千代子さん、どうして私を蹴るの!?』過去の経験から、彼女がまた自作自演を始めるだろうと予測していた私は、冷ややかな声でこう言い放った。『玲奈さん、その苦肉の策が毎回通用すると思わないことね』私が慌てふためくと思っていたのだろう。予想外に冷静な私の態度に、玲奈は一瞬戸惑い、やがて明らかな苛立ちを見せた。『……そう?じゃあ、こういう苦肉の策ならどうかしら?』彼女はそう言い終えると、壁に掛かった時計をちらりと確認した。慎也がやってくる時間を計算したのだろう。そして、彼女は口角を吊り上げて不気味な笑みを浮かべると、突然私の腕を力任せに掴み、階段の方へと私を引きずり込んだ。彼女が揉み合いの末に「私に突き落
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第9話
玲奈が私を殺すために仕組んだ恐ろしい自作自演の全貌は、ついに白日の下に晒された。父が起こした裁判の末、法廷に立った玲奈には懲役二十年という重い実刑判決が言い渡された。傍聴席には、慎也の姿もあった。裁判が終わり、すべてが取り返しのつかない形で結末を迎えた後。慎也はまるで魂を抜かれた抜け殻のように、かつて私と一緒に暮らしていたマンションへと帰ってきた。二ヶ月前、彼と激しい口論になって以来、彼はずっとこの家に帰ってきていなかったのだ。ひどく虚ろな目で室内を見渡す彼を、魂となった私はただ複雑な思いで見つめていた。やがて彼は、発作でも起きたかのように狂ったように部屋中をひっくり返し始めた。クローゼットを開け放ち、私の服や持ち物を次々と床に引っ張り出していく。足の踏み場もないほど散らかった部屋の真ん中で、慎也は私の服を強く抱きしめ、崩れ落ちるように膝をついた。「千代子……お願いだ。お前はいつも、俺のわがままを許してくれたじゃないか……頼む……もう一度だけ俺を許して、戻ってきてくれよ……俺に、償わせてくれ……」彼は私の服に顔を埋め、子どものように泣きじゃくりながら、虚空に向かって叶わぬ許しを乞い続けていた。ふと、彼の視線が床に落ちたある物に引き寄せられた。本棚から転げ落ちていた、一冊の古い手帳だった。それは、私と彼が付き合い始めた頃から書き綴っていた、二人の交際日記だった。最初の頃のページには、一緒に見に行った映画の半券が綺麗に貼られ、彼と過ごした幸せな思い出がぎっしりと書き込まれていた。しかし、ページをめくるごとに、二人の記録は目に見えて減っていく。それは彼が徐々に冷たくなり、私と会う時間を削るようになっていったからだ。後半のページに残されていたのは、私ひとりの孤独な独白だけだった。慎也は震える手で、そのページをめくった。【今日も一人で病院に行って、点滴を四本も打ってきた。手の甲が真っ青に腫れて、すごく痛い。】【でも、こんなことで慎也に心配をかけたくない。彼が昇進したら、奮発してブランドの時計をプレゼントしよう。もっと彼を喜ばせたいな。】【今日は慎也のお母さんが胆嚢炎で入院した。痛がる姿を見るのは辛いけれど、明日の手術が無事に成功するようにずっと祈っていよう。】【夜、病室で泊まり込みの看病をしていたら、慎也のお母さんが私の頭を優しく撫でて
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第10話
慎也は私を失ったあの日から、まるで魂を抜かれた抜け殻のように生きていた。朝目が覚めると、彼が唯一することといえば、このマンションの部屋を整えることだけだ。私の服を一枚一枚丁寧に畳んでクローゼットにしまい、その後は何時間もその前に立ち尽くして、ぼんやりと中を見つめている。そして一日の大半の時間は、寝室のベッドに座り、私が残したあの手帳を擦り切れるほど何度も繰り返しめくることに費やされていた。ページを見つめながら、ふいに愛おしそうに笑い出したかと思えば、次の瞬間には顔を覆って泣き崩れる。夜になれば、その手帳と私のパジャマをきつく抱きしめ、着の身着のままベッドに丸まって眠りについた。そうして私の残り香に包まれていなければ、一時も心安らかに眠ることができないかのように。以前の彼は、家事などほとんどしたことがなかった。外科医としての激務を理由に、家のことはすべて私に任せきりだったからだ。それなのに今の彼は、取り憑かれたように雑巾を手に取り、家中を隅々まで磨き上げている。フローリングの床は、埃一つないほどピカピカに拭きあげられていた。ベランダにある私の鉢植えにも、毎日欠かさず水と肥料を与え、枯らさないように必死で世話をしている。私の日用品の数々を磨き終わると、彼はいつも虚空に向かって、一人でブツブツと呟くのだ。「千代子、見てくれ。ほら、ちゃんと綺麗に拭いたぞ。俺だって、やればこんなに家事ができるんだ。結婚したら、絶対に俺が千代子を幸せにするからな……」鏡に映る慎也の顔は、まともに寝食をとっていないせいで見る影もなくやつれ果てている。それなのに、口元だけはひどく幸せそうに微笑んでいて、あまりにも異様だった。今の私には、もはや彼を恨んで復讐したいという執着は微塵も残っていない。かといって、こんな姿になった彼に同情する気も湧かなかった。ただすっかり冷め切った心で、彼のことを『哀れな人だ』と見下ろしているだけだ。彼は狂気じみた妄想の世界に浸りきり、まともな食事すらとらなくなった。空腹を感じれば、戸棚の奥に残っていたカップ麺やスナック菓子を適当に胃に詰め込むだけ。やがてそれすらも尽きると、水道水だけで飢えを凌ぐようになった。自分自身は何も口にしないくせに、ある日彼はスーパーで大量の食材を買い込み、キッチンに立ち始めた。「そうだ、千代子の好きな豚の角煮
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