LOGIN誕生日当日。 六年付き合った恋人、柏木恒一(かしわぎ こういち)は、私にプロポーズするはずだった。 だが現場に駆けつけた私が目にしたのは、本来なら私のために用意されていたはずの指輪を、別の女に差し出す彼の姿だった。 恒一は、悪びれる様子もなく淡々と言った。 「恩師の奥様が不治の病なんだ。最期を迎える前に、優月(ゆづき)の花嫁姿を見たいそうなんだ。いい子で待っていてくれ。長くても三か月だ」 ――その一か月後。 私は栄都市随一の富豪と盛大な結婚式を挙げた。 式場に駆け込んできた恒一は、息を切らして復縁を懇願した。私は薬指に輝く十カラットのダイヤをひらりと掲げ、微笑んだ。 「悪いけれど恒一。私、もうあなたに割く時間はないの。どうぞ大人しく列に並んでちょうだい。来世なら、まだチャンスがあるかもしれないわよ」
View More玲司に付き添って彼の実家へ挨拶に行くと、そこには私の家族も揃っていた。どうやら結婚式の打ち合わせの最中らしい。つまり――私たちが入籍したことは、もうみんな知っているというわけだ。「玲司君、君もなかなかやるじゃないか。たった半月で、うちの美咲を射止めるとはな」祖父が笑いながらからかう。すると兄が横から玲司の腕を軽く小突いた。「いやいや、そこは俺の手柄も大きいよ。だってあの日、美咲がラヴィーナ島でどうしてるか、俺がこいつに知らせてやらなかったら。二人がこんなに早く進展するわけなかったでしょう」――え?やっぱり。全部、最初からみんなが仕組んでいたことだったのだ。私と玲司は、あの場所で偶然出会ったわけじゃなかった。ということは、あの夜に私たちの間に何があったのかも、みんな知っているということ?だからあの夜、護衛たちは私に連絡してこなかったのだ。顔を熱くしながら玲司を見ると、彼は口元に笑みを浮かべてこちらを見ていた。――この人、ずっと私をはめていたのね。でも、どうして?私たちはそれまで面識なんてなかったはずなのに。そのとき、祖父がまた口を開いた。「五年前、美咲と玲司君に見合いをさせようとしたことがあっただろう。ところがこの子はどうしても首を縦に振らなくてね。柏木なんて男に夢中になってしまって。高梨家を出ることまで厭わなかった。それなのに玲司君は、海外へ行ってからも、ずっとこの子を待っていたんだ。遠回りはしたが、結局こうしてまた巡り合えた。やはり二人には縁があったんだろうな」――何ですって?五年前、祖父が決めていたお見合い相手って、玲司だったの?それなのに私は、ろくでもない男を選んでしまい、彼のことなど一目も見ようとしなかった。しかも彼は、その後の五年間、私を想い続けてくれていた。今になっても、何も責めず、こうして私を受け入れてくれている。そう思った瞬間、胸が詰まって、たまらなくなった。「……ごめんなさい」目を潤ませたまま、私は彼に謝った。「そんなこと言わなくていいですよ。恋に、正しいも間違っているもないですから。これから先の人生、僕たちはもう二度と離れません」玲司は私の顎をそっと持ち上げると、両家の家族が見ている前で、そのまま優しく唇を重ねてきた。私と玲司が、ウェディングドレスを試着したり、指輪を
高橋学長は、一年前に昇進したばかりで、この話を聞かされ、驚きを隠せない様子だった。浩介は当時、公務中の事故で亡くなったことになっており、大学はこれまでずっと、小林家の母娘に弔慰金を支給し続けていた。秘書がさらに言葉を継ぐ。「それだけではありません。小林教授は、学生たちの研究成果をたびたび自分のものとして発表していました。自身の名声を高めるために学生を取り込み、本来は他人の功績であるものまで、自分の手柄にしていたのです。それから、柏木恒一の海外留学の枠も、小林教授が取ったものではありません。用意したのは、うちの美咲様です。当時、高梨グループが海外の大学と共同で、その研究プロジェクトに出資していましたので」恒一は愕然とし、唇を震わせながら、足早に私のもとへ駆け寄ってきた。そして私の手をつかもうとする。「美咲……君は、どうして……どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ?」私は冷たくその手を振り払い、一歩後ろへ下がった。「私が欲しかったのは、あなたの感謝なんかじゃない。誠意だったの。でも、それをあなたは自分の手で葬ってしまったのよ」その場にいた全員が、一瞬にして悟った。本来、恒一と恋人同士だったのは私のほうであり、優月こそが、人の関係に割り込んだ女だったのだと。最後に私は高橋学長へ告げた。高梨グループが出資する研究プロジェクトは、品行方正な教授に任せるべきだと。さらに秘書に命じ、彼が調べ上げた内容と、小林家の母娘が偽の診断書で結婚を迫った一件を、すべてネット上へ公表させた。小林家がこれまでどれほど卑劣なことをしてきたのか、世間にもきちんと見てもらうために。それを聞いた母娘は、その場でへなへなと床に崩れ落ちた。私はそのまま校舎を出た。見上げた空は青く澄みきっていて、今日の空気はひどく心地よく感じられた。「美咲!俺が悪かった、本当に悪かった!どうか許してくれ!」恒一がよろめきながら追いかけてくる。だが途中で足をもつらせ、その場に倒れ込んだ。私は一度も振り返らず、前方に立つ背の高い男のもとへ、まっすぐ歩いていった。「どうしてここに?」「少し見物に来たんです。まさか、もう終わっているとは思わなかったですけど」玲司は、意味ありげな眼差しで私を見つめた。私はいたずらっぽく微笑む。「そんなに見物好きだって知
会社に着くころには、親友からさらに別の報告が入っていた。小林家の母娘が、恒一のことをネットで暴露し始めたというのだ。昔、自分たちがどれほど彼の面倒を見てきたか。それなのに彼は今や恩を仇で返す薄情者だ、と。その直後、一本の動画まで上がった。タイトルは――本市最年少教授のDV疑惑。義母が大学に直談判。私はそれをしばらく見つめ、それから秘書を呼んだ。「前に調べるよう頼んでおいた資料、全部持ってきて。せっかくだから、向こうの騒ぎに少し加勢してあげましょう」御影大学の廊下に足を踏み入れた瞬間、優月の母親・藤原絢香(ふじわら あやか)の声が耳に飛び込んできた。「学長、柏木恒一は恩知らずの薄情者です!亡くなった主人が、あの子のためにどれほど手を尽くしてきたか、あなたもご存じでしょう。留学の枠だって、あの人が必死に骨を折って取ってやったんです。それなのに、うちの娘と結婚してまだ半月しか経っていないのに別れると言い出したあげく、暴力まで振るったんですよ。こんな品性のない人間を、大学に置いておくわけにはいきません。必ず解雇すべきです!」恒一は言い返した。「違います。先に俺を騙したのはそっちだ。俺はただ、はずみで手が当たっただけです」学長が板挟みになっている、そのとき。私は扉を押して中へ入った。「藤原さん。恒一って、あなたが丹精込めて選んだ婿候補だったんじゃありませんでした?それなのに、学長に解雇まで求めるなんて、随分と思い切ったことをなさるのですね」私の姿を見た瞬間、恒一の目にぱっと光が差した。おそらく、私が助けに来たとでも思ったのだろう。けれど絢香は、悔しさをにじませながら私へ詰め寄ってきた。「あなた、何しに来たの?全部あなたのせいよ!あなたさえいなければ、優月と恒一君はとっくにうまくいっていたのに!」すぐに秘書と二人のボディガードが前へ出て、彼女の行く手を遮った。「何をするつもりですか」「こちらは高梨グループのお嬢様です」その場にいた全員の視線が、一斉に私へ向いた。とりわけ恒一の目には、隠しきれない驚愕が浮かんでいた。私は落ち着き払ったまま、小林家の母娘を見やった。「私が来たのはもちろん、あなたたちの化けの皮を剥がすためよ」そう言って秘書へ目配せする。秘書はすぐに手にしていた資料を学長へ差し出し
私は反射的に声を上げた。その瞬間、会場は水を打ったように静まり返る。玲司が足早に駆け寄ってきた。「どうしたんです?」すべての視線が自分に集まったのを見た優月は、あろうことか先に被害者ぶった。「この人が……この人が私の夫を誘惑したんです。そのうえ、ひどいことまで言ってきて。この人こそ浮気相手なんです。だから私、ワインをかけたんです」「夫って、誰のこと?」そんな声がどこからか上がる。「たぶん、あの留学から帰ってきたばかりの若い博士じゃない?さっき二人で一緒に入ってくるのを見たわ」そのとき、恒一も人混みをかき分けて入ってきた。「そんなでたらめを信じるな!誰か、この女を追い出してくれ!」玲司は上着を脱いで私の肩に掛けると、入口にいた警備員に向かって声を張った。ちょうどそのとき、親友から調査結果がスマホに届いた。今日こそ、白黒はっきりつけなければならない。でなければ、本当に私が浮気相手だと思われてしまう。「待って」私はスマホを掲げ、その場で親友の録音を再生した。「美咲、見つけたわよ。優月のお母さんの診断書、偽造だった。優月がお金を払って医者を買収したの。この件はもう院長にも通報した。その医者も、さっき解雇されたって」みんなにきちんと伝わるよう、私は事の経緯を最初から説明し直した。「これで、誰が本当の浮気相手か、もうわかったでしょう?」その言葉に、周囲の人々は一斉に優月へ冷たい視線を向けた。指を差してひそひそと囁く声まで聞こえてくる。中には、つかつかと歩み寄り、そのまま優月の頬をひっぱたく女までいた。優月は床に倒れ込む。「最低な女ね。こういう腹黒い女がいちばん嫌い。よくもまあ、被害者面なんてできたものだわ」恒一は首を振りながら優月を見つめ、そのまま何歩も後ずさった。「違う……恒一さん、信じて。全部、美咲さんの仕組んだことよ。人を買収して、私を陥れようとしてるの。私がお母さんまで巻き込んで、あなたを騙すはずないじゃない……」優月は涙をこぼしながら、恒一の足元へ這い寄っていく。だが玲司は再び人を呼び、優月をそのまま会場の外へ放り出させた。そして次の瞬間、彼は私を抱き上げた。周囲の視線も構わず、そのままエレベーターで最上階のスイートルームへ向かう。「榊原さん、下ろして。お願い、下ろしてって
「まさか、このままで終わらせるわけないでしょう?今の私は、もう恒一の知っている高梨美咲じゃない。御影(みかげ)市の名家、高梨家の令嬢なのよ」「わかった。何か手伝えることがあれば、ひと言ちょうだい」彼女は病院で働いている。私は優月の母親の病状が本当なのか、調べてほしいと頼んだ。それからどれくらい時間が経ったのだろう。私はふらつく頭のまま立ち上がり、外へ向かった。だが、廊下で足元がもつれ、よろけた拍子にひとりの男の胸へぶつかってしまう。「ごめんなさい……あつ」慌てて顔を上げると、整った目鼻立ちの男が目に入った。――うそ。今どきのホストって、こんなに格好いいの?顔
優月は私に言い返され、たちまち顔を真っ赤にした。「美咲さん、そんな言い方、あんまりです。私だって、こうするしかなかったのは……お母さんのためで……」「どうした?」そこへ恒一が駆け寄ってきた。目を潤ませた優月が、大げさに言いつのるように自分へ訴えるのを見るなり、恒一は冷たい目を私へ向けた。「美咲、どうして優月を責めるんだ?彼女こそ、本当の被害者じゃないか」私に何があったのか、一言も確かめようともしないまま、彼は優月をかばった。――これが、私が六年も愛してきた男なの?あれほど私を信じてくれていた彼は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。もう、彼の心は私にはない。優月が
私はタクシーで、恒一と暮らすはずだった新居へ戻った。道中ずっとこらえていた涙は、玄関の扉を開けた瞬間、堰を切ったようにあふれ出した。耳の奥によみがえったのは、恒一が初めて私をここへ連れてきた日の言葉だった。「美咲、鍵も通帳も、これからは全部君に預ける。この家のことは、これから先ずっと君が決めていい。どんな雰囲気にするかも、どんな家具を置くかも、全部好きにしていい。君が喜んでくれるなら、それでいいんだ」けれど今、私が心を尽くして整えたこの部屋を見渡すと、何もかもが滑稽に思えた。私は結局、誰かのために嫁入り支度をしていたようなものだ。六年のあいだ注いできた想いも、待ち続けた時間も、
今日は二十八歳の誕生日。私・高梨美咲(たかなし みさき)と柏木恒一(かしわぎ こういち)は、付き合って六年になる。そして彼は、ようやくこの特別な日に、私へプロポーズしてくれるはずだった。「キスして、キスして!」華やかで上品なイブニングドレスに身を包み、会場の扉の前まで来た私は、中から響いてくる囃し立てる声に足を止めた。主役の私がまだ来ていないのに、いったい誰と誰がキスをするというの?そう思いながら扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、恒一が小林優月(こばやし ゆづき)を抱き寄せ、深く唇を重ねている姿だった。優月の指にはめられたダイヤの指輪が、灯りを受けて目に痛いほどの
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