LOGIN渡辺智美(わたなべ ともみ)は追い詰められた末、渡辺祐介(わたなべ ゆうすけ)の母親とある契約を交わし、祐介と結婚することになった。 結婚して三年。彼女は穏やかで従順、どんなに辛くても不満を言わずに祐介を支え続けた。 足が不自由で、怒りっぽく心を閉ざしていた彼を、再び自分の足で立てるようにした。 この先もふたりで歩んでいけると信じていた。 彼の初恋相手の佐藤千尋(さとう ちひろ)が戻ってくるまでは。 あの日、大雨の中。 智美がずぶ濡れで立ち尽くす目の前で、祐介は一瞬の迷いも見せず、彼女を置いて千尋を迎えに行った。 その後も、「出張だ」と嘘をつき、千尋を連れてコンサートへ。 挙句の果てには、彼女の目の前で千尋と家の中で親しげな様子を見せつけてきた。 何度も裏切られ、失望し、智美は静かに離婚を決意した。 ふたりが再会したのは、あるパーティーの会場だった。 芋くさくて冴えなかったあの頃の智美と違い、ハイブランドのオーダーメイドドレスに身を包み、洗練された雰囲気と圧倒的な存在感で周囲の視線を集めていた。 彼女の視線の先に自分の姿はなかった。ほかの男に微笑み甘えるその様子に、祐介は嫉妬に駆られた。 彼は思わず彼女を壁際に追い詰めると、低い声で言い放った。「智美、誰が許したんだ?他の男といちゃつくなんて」 しかし彼女は一切怯まず、無言で彼に平手打ちを食らわせた。「何してるの?触んないで。次やったら暴行罪で訴えるわよ」 その後、智美は新しい街へ引っ越した。そこで、穏やかで誠実な隣人岡田悠人(おかだ ゆうと)と出会った。 「頼っていいんだよ」というかのように、彼女を大切に扱い、まるで子どものように甘やかしてくれた。 どんなときも、彼は彼女の味方だった。 デート、告白、プロポーズ、結婚。そのすべてを、彼は彼女のために丁寧に準備した。智美が何も悩まずに済むように。 その優しさに包まれながら、彼女は初めて気づいた。誰かに心から大切にされるって、こんなにも安心して、あたたかくて、幸せなものなんだと。
View More会議室から他の人間が全員出ていくのを待ち、部屋に智美と心陽の二人だけが残ったとき、智美は静かに、しかしすべてを見透かすような微笑みを浮かべて口を開いた。「陽葵さんを裏で操っていたのは、心陽さんですよね?」心陽はハッと目を見開いた。「……全部、知ってたの?」「その程度の見え透いた手、誰にも通じないですよ」と、智美は事もなげに笑った。スマホのカレンダーを開き、画面を見つめたまま智美は続ける。「山本家の件、来週の金曜日にいよいよ審理が始まりますよね。お舅さんとご主人、それに山本颯――横領や詐欺の罪は重いわよ。あれだけの巨額の損失を今から埋め合わせるのも到底不可能だし、今のタイミングで沈みかけの山本家に手を貸すお人好しなんてどこにもいない。ねえ、このままお義母さんに振り回されて、自分の大切なお金をすべて使い果たすつもり?それとも、山本家とはきっぱり決別して、私と一緒に仕事をする?」智美は、最後にして最大の選択肢を提示した。ここまで言っても心陽が山本家と共倒れになる道を選ぶというなら、もうどうしようもない。心陽は長い間、ギリギリと唇を噛み締めて葛藤した。そして、ようやく絞り出すように口を開いた。「……離婚して、山本家を出るわ。もう、あそこには関わらない」最近になって、心陽は智美の底知れぬ力量をようやく認めるようになっていた。光瑞PRなどすぐに潰れると思っていたのに、智美の手にかかると、嘘のように業績が右肩上がりに伸びているのだ。いつまでも義母の都合のいい道具として搾取され続けるより、智美について仕事に生きるほうがよほど未来があると、心陽はようやく悟ったのだ。「なかなか頭が回るじゃない」と、智美は満足そうに笑った。心陽を引き入れたのは、他でもない彼女の人脈と確かな能力を買ってのことだ。これまでに多少の因縁はあったにせよ、ビジネスの世界に永遠の敵は存在しない。それくらいを呑み込む器は、智美には十分に備わっていた。……決断した心陽の行動は早かった。夫を相手取って即座に離婚を申し立て、実家の力もフルに借りて、あっさりと成立させた。美奈子は汚い言葉で罵倒しながら必死に引き留めようとしたが、まもなく彼女自身も夫と息子とともに警察へ連行されることになり、もはや心陽を構う余裕など完全になくなった。山本家の老当主清
それまで悠人は毎日欠かさず智美を迎えに来ていたのに、ここ数日、ぱったりと姿を見せなくなった。それに気づいた心陽は、内心で小躍りした。陽葵の存在が確実に効いているようだ。あとは智美と悠人が喧嘩をして離婚話に発展し、会社どころではなくなった隙を突いて、颯と契約書を交わせばすべて思い通りになる。ところが陽葵のほうは、心陽からその状況を聞かされてすっかり図に乗っていた。心陽に頼まれていたのは、写真をいくつかSNSに投稿して智美を刺激する程度の、ほんの軽い仕事だった。しかし、陽葵はそれでは物足りなくなっていたのだ。業界でふんぞり返っている御曹司連中と比べても、悠人は格が違う。あの極上の男を自分のものにできれば、もう芸能界の誰かに頭を下げる必要など一生なくなる。ちょうど都合のいいことに、岡田家傘下のスポーツブランドが新商品発表会を開催し、悠人も登壇することになっていた。陽葵は、その絶好の機会を利用することにした。当日の発表会にはメディアや記者、そして多くのファンが詰めかけていた。悠人がステージに登壇しようとしたその瞬間を見計らい、陽葵はわざとらしくよろめきながら近づき、そのまま彼の胸元へ倒れ込もうとした。記者のカメラに収められれば、立派なスキャンダルの出来上がりだ。しかし、悠人はわずかな隙すら与えなかった。陽葵が倒れかかる寸前、彼はすでに横へ二、三歩下がって身をかわしていた。場数を踏んでいる秘書も素早く前に立ち塞がり、見事な壁を作った。完全に行き場を失った陽葵は、無様に床へ手をついた。悠人は冷たく眉をひそめただけで、彼女に見向きもせずステージへ登っていった。発表会が終わると、悠人はブランドの責任者を呼びつけて冷徹に言い放った。「スポーツブランドのアンバサダーが、あんなに貧弱では何の説得力もない。すぐに契約打ち切りを勧める」責任者の耳には、先ほどの騒動がすでに入っていた。陽葵が所属するグループが上昇気流に乗っており、明るく健全なイメージがブランドの方針と合致すると判断して起用したのだが、彼女がこれほど愚かな真似をしでかすとは夢にも思っていなかった。その後、責任者は陽葵の所属事務所に強い圧力をかけ、一方的に契約を解除した。事務所としても、岡田家という最大手のクライアントを怒らせるわけにはいかず、
明日香は二人の男の子の顔を静かに眺めてから、曖昧に微笑んで話題を変えた。その大奥様が立ち去ると、明日香はお茶を一口飲んで気持ちを落ち着け、再び智美の耳元でそっとささやいた。「さっきのお孫さんたち、ご主人にそっくりで……詩乃と『幼馴染からの旦那様育成計画』なんて、お門違いもいいところよ」姑が「育成系」なんて今時の言葉を知っているとは思わず、智美は今度こそ吹き出さないよう、笑いをこらえるのに必死だった。明日香はすぐに他の方々に呼ばれて席を立った。一人になった智美が静かにお茶をすすっていると、そこへ見知らぬ若い女性が近づいてきた。「光瑞PRの社長さんですか?」振り返ると、愛らしい顔立ちの女の子が立っていた。智美は小さく頷く。「ええ、そうです」「はじめまして、椎名陽葵といいます。芸能活動をしています」陽葵は愛想の良い笑顔で続けた。「実は最近ちょっと困ったことがあって、PR会社さんにお力添えいただけないかと思って……こんな細々とした依頼で恐縮なのですが」「いえ、そんなことないですよ」陽葵はほっとしたような顔つきになり、抱えている悩みを打ち明けはじめた。そして、顔色をうかがうように恐る恐る尋ねた。「それって、簡単なこと……なんですよね?」話を聞いてみると、競合相手に根も葉もない噂を流されているというだけで、対処は決して難しくなかった。ステマ用のアカウントをいくつか動かせば、簡単に世間の流れを作れる。智美はその場で依頼を引き受けた。喜んだ陽葵が、ラインを交換しましょうと無邪気に提案してきた。智美が連絡先を交換すると、陽葵は今度は一緒に写真を撮りたいとねだった。二人で並んでセルフィーを撮り終えると、陽葵はにっこりと礼を言って去っていった。智美はその出来事を、特に気にも留めていなかった。しかしその夜、家に帰ってから何気なくSNSを開くと、陽葵が二人の写真を投稿しているのに気づいた。少しの好奇心から陽葵の過去の投稿を遡ってみると、奇妙な写真が二枚、目に留まった。一枚は、先日の食事会で撮られたらしいセルフィー。その背景の少し離れた場所に、端正な横顔の男性が写り込んでいた――悠人だ。もう一枚は、病院で点滴を打っている写真。そこには、隣で電話をかけている男性が偶然を装ってフレームに入り込んでいた――悠人の秘書だ。
陽葵はこれまでにも女優として活動してきたが、巡ってくるのは五番手や六番手といった端役ばかりだった。それゆえ、ヒロインに次ぐ重要なポジションである二番手の役が取れると聞かされても、すぐには信じられなかった。「山本家はいくつかの映像制作に出資していて、業界には顔が利くのよ。二番手の役なんて、取ってくるのは造作もないわ。信じられないというなら、契約書を交わしましょうか」そこまで言い切られては、陽葵の心も動かざるを得なかった。……火曜日の夜、悠人は友人の飲み会に招かれていた。10分ばかり顔を出して挨拶だけ済ませ、すぐに智美の待つ家へ帰るつもりだった。ところが主催者があまりに熱心で、なかなかその場を抜け出せない。そこへ、必死に謝る声と、微かなすすり泣きが聞こえてきた。涙を浮かべた若い女性が、足元をおぼつかせながら、こちらへ倒れ込んでくる。悠人は微動だにしなかった。代わりに秘書がすかさず前へ立ちはだかり、倒れ込んできた女性を危なげなく受け止める。悠人は冷めた目で一瞥しただけで、表情ひとつ変えなかった。正直なところ、この手の見え透いた手口はこれまでに何度も見てきた。今さら驚くようなことでもない。若い女性が儚げに振る舞って同情を買い、男に拾ってもらおうとする――他の男ならそれで心を動かされるかもしれないが、悠人にはまったく通じなかった。案の定、相手は悠人を目当てに近づいてきたのだ。秘書に遮られながらも、陽葵はあからさまに悠人を見上げ、可哀想な泣き顔を作って訴えかけた。「岡田社長、さっき飲み物を小原(おばら)社長にかけてしまって、罰ゲームで一気飲みさせられそうで……もう限界なんです、どうか助けていただけませんか?」悠人はまともに取り合わず、隣にいる友人に静かに告げた。「すまない、家族のところへ帰らないといけない。今日はここで失礼するよ」友人も、悠人が決してこういう手に乗らない性格だと熟知していたため、苦笑いしながら頷いた。「分かった。またの機会にな」陽葵には一瞥もくれず、悠人は秘書を引き連れて足早に出ていった。地下駐車場から車が滑り出たとき、さっきの女性が物陰から飛び出してきて、車のすぐそばで派手に転んだ。運転手が慌てて急ブレーキを踏む。それでも悠人は車を降りず、秘書に様子を確認させた。戻ってきた秘書が淡々と
倫也はまだ床に頭を打ちつけて命乞いをしている。悠人は無言で近づき、彼のみぞおちを深々と蹴り抜いた。いつもは温厚で冷静な悠人は、さながら復讐の修羅だった。容赦のない拳が、倫也の肉を打つ。何度も、何度も。側に控えていたボディーガードたちも、その形相に戦慄した。普段の悠人は、常に氷のような理性の塊だ。感情を荒立てることなど滅多にない。それだけに、今回の静かな激怒は恐ろしかった。だが誰も止めることはできない。ただ沈黙を守り、見ているしかなかった。悠人は拳が痛むほど殴り続け、ようやく荒い息を吐いて手を止めた。床に伸び、鼻も目も腫れ上がって呻いている倫也を見下ろし、冷たく言い放
ビルを出ると、聖美がまだ呆然としていた。「黒崎の御曹司と知り合いだったの?」智美が困ったように答える。「彼がホテルで花を贈ってきた『遊び人』なのよ」聖美が納得し、同時に心配そうに言った。「じゃあ、この取引関係を口実にまた嫌がらせしてくるんじゃない?こういう男には何人も会ってきたけど、みんな執念深くて、目的を達成するまで諦めないのよ。女性を獲物扱いして、全然尊重しないんだから」智美が答える。「大丈夫、これまでも彼には何もさせなかったし、これからも変わらないわ」……帰り道、礼央に友人から電話がかかってきた。「礼央、海知市に戻ったんだろ?一杯やろうぜ。最近いい女と何人か知り合
智美は首を振って、ため息をついた。「お金持ちも楽じゃないのね。まさか、誰を好きになるかまで制限されるなんて」祥衣が呆れたように言う。「でも、せめてそのお孫さんには責任感があるわよ。下手に女性を騙して結婚するより、ずっとマシじゃない?」「……それもそうね」その頃、訳も分からず「男好き」だと誤解されている悠人は、オフィスで不意にくしゃみをした。ちょうどそこへ、美羽がドアをノックする。悠人はティッシュで鼻を押さえながら、彼女に入るよう促した。美羽は入室し、彼の様子を見て不思議そうに尋ねた。「ボス、風邪ですか?」「いや」悠人はティッシュをゴミ箱に捨て、本題を促す。「何か
美奈子は言葉に詰まった。もはや何を言っても無駄だと、身に染みて思い知らされた。彼女は半ばヤケになって言い放った。「英二郎を許さないっていうなら、私、毎日岡田グループの本社ビルの前で立ってやるわ。『岡田グループは身内さえ非情に切り捨てる、血も涙もない企業だ』って書いたプラカードを持ってね。今の時代、誰かがそれをスマホで撮ってSNSに上げたらどうなるか、分かってるんでしょ?コンプライアンスだ何だってうるさい世の中よ。炎上して株価が暴落しても知らないから!」和也は嘲笑した。「おばさんが俺を拉致した件を、ネットで拡散し、詳細を公表するだけだ。さて、山本家がその醜態を晒せるか見ものだ
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