LOGIN結婚五周年の記念日。 白石琴音(しらいし ことね)は、凄惨な交通事故に巻き込まれた。 大型トラックに、両足を何度も、何度も――実に九回も轢き潰されたのだ。 幼馴染でもあった夫の一条蒼真(いちじょう そうま)は、瀕死の妻を救いたい一心で自らの血を半分以上も提供し、医者に「どうか助けてくれ」と泣きすがった。 奇跡的に一命を取り留めた琴音。朦朧とする意識の中、我が身を削ってくれた夫へ感謝を伝えようとした彼女の耳に、病室の外から蒼真と秘書との会話が飛び込んできた。 「社長、今からでも緊急手術をすれば奥様の足は助かるかもしれません。本当に……このまま治療を放棄して、奥様を一生車椅子にするおつもりですか?」 蒼真は顔色一つ変えず、背筋が凍るほど平坦な声で答えた。 「そうだ。俺がわざわざ人を雇って轢かせたんだぞ、あいつを一生歩けなくするためにな」 「俺が愛しているのは、昔から真白悠里(ましろ ゆうり)だけだ。あの時、一条家が彼女との結婚を猛反対し、あいつの命まで狙わなければ……俺が自分の心を殺してまで、家柄だけが取り柄の琴音に近づき、結婚して子供まで作る必要なんてなかった。愛する女に、俺の妻という『立場』を与えてやれなかったことだけが、俺の生涯最大の悔いだ。だからこそ、せめて『結婚式』だけは悠里に挙げさせてやらなきゃならない」 「だが、もし琴音がそのことを知れば、絶対に式に乗り込んで狂ったように喚き散らすだろう。だから、足を奪ったんだ。一生家に閉じ込めて、何一つ真実を知らないまま生かしておけばいい」 秘書は耐えきれずにため息を漏らした。 「……社長が真白様を愛しておられるのは存じております。ですが、奥様はそこまでされるような罪を犯したのでしょうか?奥様は何も悪くありません。あなたが別の女性を愛していることも、あの日、奥様が痛みに耐えて産み落とした我が子が、直後にあなた自身の手で息の根を止められたことも……。今、奥様が我が子として愛し育てているのが、あなたと真白様の間にできた子供だということも、奥様は何もご存知ないんです。それだけでも十分にむごい仕打ちだというのに、さらに両足まで奪うなんて……」 だが、その言葉は冷酷な声によって無残に断ち切られた。 「あいつがどれだけ苦しもうが、俺の知ったことか。俺が守りたいのは悠里、ただ一人だ。 あいつが両足を失おうが、腹を痛めた子供が死のうが――悠里が流す一滴の涙には、到底及ばない」
View More意識を失う直前、蒼真の目の前を、琴音の顔がフラッシュバックのように横切った。必死に瞬きをしたが、その懐かしい顔はすぐに幻のように消え失せた。冷たいアスファルトの上に倒れ伏し、全身の骨がバラバラに砕け散ったかのような激痛に襲われる。耳元で人々の騒がしい声と車のクラクションが響き、自分の凄惨な姿を指差して騒いでいるのが聞こえた。言葉ははっきりとは聞き取れなかったが、ただ一つ分かるのは、両足から完全に感覚が失われ、焼け付くような痛みだけが支配しているということだった。寒い。骨の髄まで凍りつくほど寒い。全身の震えが止まらないのに、誰一人として温もりを与えてくれる者はいなかった。……車に轢かれるというのは、こんなにも痛く、恐ろしいものだったのか。あの時、俺が雇った人間に何度も、何度も車輪で轢き潰された琴音は……今の俺よりも、ずっと絶望的で無力だったに違いない。因果応報だ。ついに神が、彼女に代わって俺に天罰を下したのだ。救急隊員にストレッチャーで運ばれ、けたたましいサイレンの音が響き始める。薄れゆく意識の中で、付き添っている看護師たちのヒソヒソ話が耳に入ってきた。重すぎる瞼を開けようとしたが、どうしても開かなかった。「ねえ、聞いた?この人、一命を取り留めても、そのまま真っ直ぐ警察行きらしいわよ。なんでも、産まれたばかりの自分の子供を殺した上に、愛人まで死に追いやったんですって」「ええっ!?一条蒼真って言ったら、愛妻家で超有名な社長じゃない!そんな恐ろしいことするはず……」「男なんてみんな息をするように嘘をつく生き物よ。歴代の女たちの末路を見てごらんなさいよ、どの子も悲惨なもんじゃない」「『亡き妻を愛し続ける』なんて美談を並べてる男に限って、中身はクズの極みってことね」「でも、こうして車に轢かれて悲惨な姿になってるんだから、間違いなく天罰が下ったのよ」「あはは、自業自得よね。新しくできた彼女を追いかけて、酔っ払ったまま車道に飛び出したらしいわよ。この状態じゃ、両足は確実に切断ね」「じゃあ、その新しい彼女は、もう彼を見捨てるでしょうね?」看護師たちはクスクスと冷ややかに笑い合った。「当たり前じゃない。救急車が来た時、その彼女の姿なんてどこにもなかったわよ」「それに、警察が彼の数々の犯罪の証拠を掴んだ
彼がようやく本題に入ろうとしているのを見て、紗雪は立ち去るのをやめ、再び彼の向かいの席に腰を下ろした。「教えてちょうだい。あなたの亡くなった奥様と、あの真白さんという女性は、一体どういう関係だったの?そしてあの子供は、真白さんの子なの?それとも奥様の子なの?」蒼真は頭を抱え、ひどく混乱した様子だった。彼はグラスの強い酒をイッキに飲み干すと、その酔いの力を借りるように、すべてを吐き出し始めた。「紗雪……話すよ。君には、俺のすべてを話す。だから……どうか俺を見捨てないでくれ」紗雪は、酔いと絶望で潤んだ彼の目を静かに見つめ返し、わずかに頷いた。「……ええ。話して」彼女の承諾を得て、彼はついにすべての防壁を下ろし、過去の凄惨な出来事を一つ残らず語り始めた。悠里との関係、琴音を騙して結婚したこと、交通事故を仕組んで彼女の足を奪ったこと、そして――。「俺は、琴音に申し訳ないことをした。彼女が死んでから、俺は心から後悔して、彼女に償いたいと強く願ったんだ。でも……神は俺に、そのチャンスすら与えてくれなかった」彼の目から、ツーッと一筋の涙がこぼれ落ちた。「俺は、琴音を死なせる気なんてなかった。ただ……あの時は、目を塞がれていたんだ。演技をしていたのは俺だけじゃなかった。悠里もずっと演技をしていたんだよ!あいつは俺の前で、控えめで、優しくて、善良な女のフリをして……俺に、琴音への憎悪を植え付け続けたんだ。俺が本当に愛し、大事にしなければならなかったのは、琴音の方だったのに……!もし時間を巻き戻せるなら……俺は絶対に、琴音を幸せにしてみせるのに……!」彼がどれほど痛切な後悔の言葉を並べ立てようとも、紗雪の心には、さざ波一つ立たなかった。目の前で鼻水と涙にまみれて「心から悔い改めた」と咽び泣く男を見て、ただ吐き気を催すほどの強烈な嫌悪感しか感じなかった。彼女は、その激しい嘔吐感を無理やり飲み込み、最も重要な核心を突いた。「……つまり。あなたの奥様が命がけで産んだ子供は、本当にあなたが、自分の手で首を絞めて殺したということね?」蒼真は両手で顔を覆い、顔を上げることもできずに嗚咽した。「……そうだ、俺だ俺は完全に狂っていたんだ!自分の血を分けた子供に手をかけるなんて……!紗雪、俺が今どれほど地
悠里の狂ったような暴露を聞いた涼真は、顔に明らかな怒りを滲ませ、一条家の面々を鋭く睨みつけた。先ほどまでの和やかな態度は微塵もなかった。「……事情はよく分かりました。一条家は、ご自身の身内の恥を完全に処理してから、他家との付き合いを考えるべきですね。我が結城家は、これほど泥沼のような家庭と縁を結ぶ気は毛頭ありません。一条社長。今後一切、私の妹に付きまとうことはおやめください」そう吐き捨てると、涼真は紗雪の手を引き、振り返ることもなく怒りも露わに車へと向かった。蒼真は血相を変えて追いかけようとしたが、悠里に腕を死に物狂いで掴まれ、身動きが取れなかった。宗政の手前、その場で力任せに女を殴り飛ばすわけにもいかず、彼はただ屈辱と怒りに顔を歪めるしかなかった。一条家から十分に離れたところで、車を運転していた涼真が、ふと肩の力を抜いて笑い声を上げた。「すべて君の予想通りだったな。あの悠里、ついに耐えきれずに自爆しやがった。あんな真似をして一条家の面子を泥で塗りつぶしたんだ、あいつは絶対にただじゃ済まないぞ」助手席の紗雪の顔には、すべてを計算し尽くした冷酷な笑みが浮かんでいた。「ええ。あとは、あのクズどもが、醜く共食いするのを見物させてもらうわ。一条家の人間は、骨の髄まで冷酷で残忍よ。今、奴らは喉から手が出るほど結城家との繋がりを欲している。その誠意を見せるためにも、悠里への『処分』は決して軽いものにはならないはず。それに、蒼真はとっくにあの女に嫌悪感を抱いていた。さらに一条家の逆鱗である『湊の出生の秘密』を世間に喚き散らすという最大のタブーを犯したのだから。私たちと本当に政略結婚できると信じ込んでいるなんて、滑稽よね。自分たちがどれだけ薄汚いクズか、身の程を知ればいいのに」彼女の、一瞬の隙もない復讐鬼のような顔を見て、涼真は安堵の笑みを浮かべた。「俺は、君がA市に戻ってアイツの顔を見たら、またあの男の甘い言葉に騙されやしないかと少し心配していたんだ。だが……どうやら俺の杞憂だったようだな」紗雪は内心で苦い笑いをこぼした。あれほど凄惨な地獄を味わわされて、再び奴の安っぽい言葉に騙されるほど、私はもう愚かではない。まずは一人目。悠里への罰は下された。次は――あなたよ、一条蒼真。再び悠里のニュースを耳にしたの
一条家を追い出された悠里の顔は、どす黒い憎悪で歪んでいた。何年も、何年も耐え忍んできた。自分の感情を押し殺し、影の存在に耐え忍んでいれば、最終的には必ず一条家の妻の座に収まれると信じていた。やっとの思いで本妻の琴音を地獄に落とし、待ちに待ったその日が来るはずだったのに……そこへ突然現れた「結城紗雪」。結城グループの圧倒的な財力と名声。もし宗政や一条家の重役たちがそれを知れば、喜んで彼女を新しい嫁として迎え入れるに決まっている。そうなれば、私にはもう二度とチャンスは巡ってこない。悠里は焦燥感で狂いそうだった。このまま黙って引き下がるわけにはいかない。こうなったら、最後の手段に出るしかない。すべてを暴露し、世間に「湊が私の産んだ息子だ」と知らしめるのだ。そうすれば、一条家も世間体を取り繕うために、私を正妻として認めざるを得なくなるはずだ。一つの狂気じみた計画が、彼女の頭の中で形作られていった。一方、その後の数日間で、蒼真と紗雪の距離は飛躍的に縮まっていた。彼はすっかり彼女に夢中になり、ついに紗雪を一条家の本邸に招き入れ、父である宗政にも引き合わせたのだ。最初、宗政はこの「琴音にあまりにも似すぎている女」に対して強い警戒心と不安を抱いていた。しかし、彼女の身元が名門・結城グループの令嬢であることを確認し、さらに彼女の控えめで上品な立居振る舞い、ダンスや絵画といった完璧な教養を目の当たりにすると、宗政の警戒心はあっさりと解け、むしろ「これ以上の嫁はいない」と歓迎するようになった。そして今日。紗雪は兄の涼真と共に、一条家での晩餐会に招待されていた。両家が和やかに談笑し、最高の雰囲気に包まれていたその時。突然、屋敷の外から、耳をつんざくような女の金切り声が響き渡った。「蒼真ッ!私たち母子を捨てる気なの!?琴音が死ねば、絶対に私を一条家の妻にしてくれるって約束したじゃない!!私は何年も何年も惨めな思いに耐えて、自分の産んだ子供さえ抱きしめることを我慢してきたのよ!いつかあなたが、私を堂々と一条家に迎え入れてくれる日を信じて!!それなのに、新しい女ができたからって、私たちをポイ捨てするつもりなの!?」閑静な高級住宅街に、その狂乱の声は嫌というほど響き渡った。当然、ダイニングで食事をしていた全員の耳に
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