ログイン上手くいかない義両親と神代 仁香は新婚二ヶ月にして同居をする。問題が尽きない中、義実家で祭壇を見つけた。開かずの間にあった曰く付きの祭壇。義母の友紀は仁香に掃除をするよう命じる。その頃から、夫の功一の冷えた態度が一変し始める。 最近功一はもっとドライだったはず……思い過ごしか、気分屋なのか。戸惑う仁香は知らず知らずのうちに夫の中に巣食うナニカに魅入られていく。それは仁香を前世から追って来た悪神だった。
もっと見る雪荒ぶ道。
轍のついた路面の端で仁花《ニカ》は冷えていくサンダルの爪先を見詰めた。 眺めたところで仕方ないというのに、疲労と絶望で思わず顔を下に向けてしまう。仁花は両手に大きなナイロン袋を提げ、ありったけの日本酒を持っていた。瓶の重なり合い割れてしまうのを見越し新聞紙を持参したが、あまりの重さに一度雪の上へ袋を下ろした。
普段温厚な義父はいつも仁花を可愛がり、気遣ってくれる。そんな義父の頼みとあっては断れないのだ。例え酒が人格を狂わすとしても、味方になりうるのは義父だけ。
今晩、酒を買いに行って来いと義父が言うもので家を出たが、仁花は義母に車を置いていけと言われ徒歩で三キロ先の個人商店まで出向く事になったのだ。『こんな深夜に店を開けてくれ、なんて……あんた頭どうなってんの〜 ? 』
中年の女は眠そうな目を擦りながら、適当に会計を済ませた。
『あんた、歩きできたの ? だって、神代さんとこの嫁でしょ ?
あ〜、車は。そりゃペーパードライバーに雪道運転させるの怖いからでしょ ? お義母さん、心配なのよ』言われた言葉に信用も信頼もない。
他人なのだから他人事。 そんなの当たり前だ。仁花は真っ赤になった手を見詰め、指をハァっと温める。
闇の雪夜は猛烈な風の吹き流れる音から始まる。
そのうち耳が痛み、ザクザクという雪の感触が足から全身に響き、やがて自分の心音が脳を支配する。 ドクンドクンという頭の中身に感覚の無い爪先。 お洒落どころか服も買いに行く暇がない仁花にとって、この豪雪地帯は予想を遥かに超えた生活だった。「流石にサンダルしか持ってないのは、自分の責任かな」
気を取り直す。
口に出す事で自身の精神を保ちたかった。前も後ろも小さな街灯がぽやんとしているだけで、目の前の大きな雪はどんどん肩に積もっていく。
「ハァ……」
また下を向いてしまう。
もう限界だった。 このまま倒れてしまったらどうなるだろう。朝方、誰かが見つける頃には……。「駄目ね。そんな事は」
ナイロン袋を持ち上げてから、それに気付き全身の血の気が引いていくのを感じた。
雪の上に下ろした一升瓶の一部、雪の間から尖った石ころ頭を出していた。 認識するとすぐに襲ってくる酒の臭いと、先程までに無い袋の軽さ。慌てて袋の中を覗こうとした時、今度は割れた瓶の切っ先が袋の底を割いてしまった。
「そんな……もう嫌…… ! 」
除雪してできた路肩の雪壁に凭れてしゃがみ込んだ。
その時──
さく、さく……っと誰かの足音が近付いて来るのが分かった。
「コウくん」
夫の功一だった。
しかし、功一はにっこり微笑むと仁花の肩の雪を払い落とした。「探したよ。ここにいたのかい」
「…………う……ん」
様子がおかしい。夫の功一はもっと地元に帰ってたらは田舎生活にストレスが蓄積していて高圧的な人格になってしまった。
ところが今目の前にいる功一はまるで付き合いたての頃のように、以前のように笑いかけるのだ。「布のエコバッグなら大丈夫」
そう言ってナイロン袋から酒瓶を取り出し入れ替えようとする。
「あ ! それ ! 割れちゃっ……え ? 」
功一が手にする酒瓶はどれもスラリと傷一つ無く、割れどころか漏れてもいなかった。
「どうしたんだい ? 」
「あ、見間違えだったみたい。割っちゃったかと……」
「大丈夫大丈夫。さぁ、ニカ……帰ろう」
功一は布袋を手にすると、もう片方の大きな手で仁花の肩を抱き寄せ、背を支える。
辺りには酒の匂いが漂っていた。「転ばないように」
「あ、ありがとう」
転ばないように──。
昔はそんな気遣いもあったはずだ。しかし、今朝も朝食をとると会話もなく職場へ向かう功一がそんなことを言うとは珍しい。家の前まで来ると、門灯の下でもう一度、功一を見上げる。
どこかぼんやりしていて、今は話したくないように見えた。「ただいま」
「遅い !! 」
玄関まで聞こえる怒号。
義父は茶の間から身を乗り出すと仁花にグラスを投げつけた。パシッ !
軽い音を立てて、そのグラスを功一が手にとった。
「……」
義父は顔を顰めたが、ふと功一を見て怪訝そうにするのだ。
「おい、どうした ? 」
「いや……なんかボーっとするんだよ……。
まあ、いいや。重てぇな。ニカ、自分で持てよ ! 」「あ、うん。ごめん」
突き返された布のエコバッグを見て義父は持ってこいと手招きする。
「遅くなってごめんなさい」
「遅いし、吟醸じゃなくて大吟醸らよ ! 」
呂律の危うい義父のテーブルに酒瓶を並べ追えると、仁花は自分の物ではない古風な柄のエコバッグを手に廊下を歩き、洗濯機の中へそれを入れた。
「こんな場所に呼び出しやがって ! 」 功一が草木を掻き分けて進んでくると仁香も美羽も既に準備済みだった。 納屋の前に並ぶ供物に周辺を囲う紙垂の付いた縄。「クソ ! 」 一歩踏み込んでしまった功一の靴は地面にズブズブと飲まれていく。「逃げられません。納屋の中に呪術が……まさかこんな場所にあるなんて」 功一の祭壇は納屋の中にあった枯れ井戸の奥底に確認された。「功一さん、この土地を売ってどうするつもりだったの ?」 功一は無言でそっぽを向く。「おそらく、井戸を潰さない事を言い付けて売るつもりだったのだろうね」 井戸は古来より塞いではいけないものだ。恐らく守られるだろう。「でも今日までだ。わたしが責任持って護摩焚きする。 異界の悪神とは今日これまで」 美羽が大きな壺の蓋を開ける。「それでも仁香さんに礼を言うのね。貴方達を無の世界に放り込んだりしないそうよ。 そしてこの壺に二人を封印したらわたしが持ち帰る。 一生分の祈祷料を払ってでも、佐喜男さんや塁さんに呪いが降りかからないようにとね。配慮したのよ。貴方も神代家も、仁香さんには感謝しなさい」 やがて美羽の経が始まった。 一瞬、仁香と変貌した功一の視線が絡んだ。「糞女ぁぁぁっ」 ルシウスだったものから視線を逸らすと、仁香も美羽の側で手を合わせ始めたのだった。 □□□□□□ 雪解け水が流れる川の上。 高速道路へ向かう大きな橋の手前のスペースにて、塁の運転で来た佐喜男と友紀が二人を見送りに来た。 仁香と功一は再び都心部へ戻り、別居を決めた。 本来仁香の家へ婿へ入るべきと美羽に言われたが、塁にもしもの事があったらと、功一は事情を理解したあとも首を縦には振らなかった。「近いうち、お伺いしたいから……仁香さん、お父様に予定を聞いていただけるかしら」 友紀の様子はまさに憑き物が落
美羽は経を止めると、ゆっくりと仁香の方へ向き直る。 感覚か雰囲気か。 仁香と美羽の視線が合う。けれど互いに先程までと違った空気が張り詰める。「あんたが……あぁ、あんたがそうかい……」 美羽の唇から漏れる声は何故かとてもしゃがれていた。「俺ぁ、ちゃんとここに造ったんだぁ」「まさか。あなたは……」「ん。功一が産まれた時になぁ。俺がここを造ったんだぁ。 引戸の奴には随分止められたけど、悪神等を封じ込めるにはこの世界の神仏では無理だから」「功一さんのお祖父さん !! でも……それなら男性が短命という噂は…… ? 」「祭壇を造ってから止まっただろう ? もともとは悪神親子の呪いのせいで、一族は呪われてた。 別な次元ってのは存在するんだ。自分たちと同じ魂の構造で。ルシウスと父親は……ガルンと言ったか、向こうの世界で魂を封じ込められ、行き場を彷徨いやがて自分たちと同じ構造の魂がいるこの世界へ目を付けやってきた」「お祖父さんは何故、気付かれたのですか ? 」「もともと引戸んとこは口寄せができる爺様がいてなぁ。神代家に忠告はしていたのさ。 たまたま俺が建てただけで、親族は皆、神代家に憑く悪神の存在を耳にしてはいたんだ。 しかし、この大きな家がそういった行動を許さんで。 俺が祭壇を建てたときは本当に反対されたな」 神代家に憑くルシウスと領主。その存在が悪神とされ歴代当主の寿命を奪ってきた。「じゃあ、やっぱり祭壇を撤去したらまた神代家の寿命は……」「そうだな。また呪いが始まるだろうな。 だがな、巡り巡ってようやくあんたが神代家へやってきた。功一にとってはあんたと一緒にいるのが一番いいんだろうな。 だからね。本当の祭壇を見つけたら、この住職さんに焚
「では二階に」 仁香が美羽を誘導しようとすると、美羽がスッと片手を上げて制する。「ごめんなさい。暫く無言になるわね。 あと、美佳はどっか行ってて」「もう。ごめんね。じゃあわたしこっちにいていい ? 」 そう言い美佳はリビングの窓辺の椅子を指した。「はい。大丈夫。あ、よかったらカウンターのお菓子でも」「ありがと♡」 仁香が振り返った頃には既に美羽は階段下からジッと一点を見上げるように固まっていた。「……ああ、そう。じゃあいいけれど」 何やら独り言を呟き仁香へ向き直る。「こういうのってさ。抜き打ちで来ないとバレちゃうんだよね」「でも、誰にも言ってないのに…… ? 」「昨日、電話は部屋でしたんでしょう ? 」 確かに連絡を取ったときは寝室にいた。「あの時、功一さんも一緒にいたわ。寝てたけど……それは大丈夫ですか ? 」「それはその子がどうにかしてくれたみたい」 そう言い、仁香の足元を美羽がいう。しかし、仁香には何も見えないのだ。「多分、たぬきかなぁ…… ? 野生動物を保護した事無い ? 」 仁香には確かに覚えがあった。「父親の仕事の関係で。たぬき……引き取ったことがあります。 凄い。どうして分かるんですか ? 」 仁香の質問に美羽は難しそうな顔をして語った。「この子はずっと仁香さんに憑いてた良い子なんだけど、あの祭壇をきっかけに力をつけたのね。物音を聞いたことない ? 足音とか」「そういえば、祭壇を見つけた日も物音が……昨日も」「今回の事は無責任に聞こえるかもしれないけど、前世の関わりの中で今世で回避できなかったイベントみたいなものなの。深く落ち込まないで」「はい……」
「ルシウス様、大丈夫なのですか ? 」「ルシウス様 !! 」 庭にいた女たちが屋敷から出てきたルシウスに群がった。ルシウスはすっかり血に塗れたシャツを脱ぎ捨て、普段は袖を通さない法衣に身を包んでいた。「ルシウス様、太陽神に選ばれたと聞きました。おめでとうございます。 ところで。その……ミレアという私の友人を見掛けませんでしたか?」「ああ、君は確かいつも彼女とペアを組んでいた娘だね。 これから行くところにいるはずさ。一緒に来るかい?」「はい ! お邪魔でなければ」 他の奴隷たちの羨む視線を振り切り二人は門を出る。「あの、ミレアは敷地の外には行かないと思いますが」「君は知ってるんだろ ? ミレアはアスターといるよ 」「そうですよね。ルシウス様にはバレちゃいますよね」「君、名前は ? 」「エリーです」「そうか。エリー。さあ、あの丘の上だ」 ルシウスはすぐ門から出て岸壁沿いにある小さな遺跡を指した。 海から吹き上がる潮風で風化した、形の崩れた物だ。背丈ほどある大きなリング状の祭壇だったが、崩落してからは太陽神の祀りは街中で行われるようになった。 街中で太陽神を民衆が拝むのとは違い、まさにここは本殿だ。 岸壁からは広大なコバルトブルーの海が見え、大きな夕日が沈む直前だった。「太陽神の遺跡……」 エリーは辺りを見渡すと不思議そうにルシウスを見上げた。「二人はどこに?」 ルシウスもまたエリーを見下ろした。 ボロを着ていてもしっかり結ばれた服の袖、まとめられた髪。そしてその表情は無邪気さはなく、明らかにルシウスに警戒心を顕にしていた。「大人しくしていろ」 突然、笑みの消えたルシウスにエリーは素早く反応した。 ガギィ!!「クソッ ! 何様のつもりだ !? 」 エリーは隠し持っていた鉄の棒で、ルシウ
想定外か、予想通りか──朝起きると、家事は何もされていなかった。 佐喜男と友紀の食べた弁当の空が、乱雑にシンクへ置かれていた。「はぁ……」 思わずため息が出る。 しかし、早寝をしたせいか寝起きがよく、いつもより早い時間にスッキリ目を覚ました。今から炊飯をしても間に合うだろう。 キッチンのカウンターには弁当箱の入ったランチバッグが二つ。 一つは美千花の息子 賢治のものだ。中身を見て好き嫌いをチェック。嬉しいことに昨日も完食。少し嬉しくなる。 功一の弁
南の島の庭園はいつも緑が豊かで、雑草を残らず抜く作業も枝の剪定も苦にならなかった。先にいた同性の使用人達も皆、同じ身分で優しかった。 しかし自分には秘密があった。 いつも仕事が終わると各自、小屋へ戻り話したり水を飲んだり自由だ。その中で、いつもの景色を眺めに行くと嘘をついて自分だけ崖へ行く。 いつも自分が先に来ていて、ガサガサと茂みの音が鳴るのを待つ。 そして草木を掻き分けて現れた男は大きく手を伸ばし、自分をきつく抱きしめる。 背中越しに感じる温かさはいつもと変わらない。「待たせた」 二人は
部屋から部屋へ掃除機を犬のように連れて歩く。 友紀が自室からひょっこり顔を出すと、トイレへ向かった。 その間に掃除しろ、というサインなのだ。「ホイホイホイ〜」 さっさかさっさか。 作業だ。 これはただの掃除。家事だ。 そう思わないと心が病んでしまう気がして、小声で窓を開け埃を逃がす。(大丈夫。先月まではこの部屋に入れてもくれなかったんだから。考えれば自分の部屋を勝手に掃除されるっていう方も負担よね。 わたしも理解しなくちゃ……)
駅前でいつも功一と仁香は待ち合わせをした。 都会の冬はいつもビル風が強く、冷たくなった仁香の耳を功一は笑いながらポケットから出した手でぴっとりと触れて温めてくれた。 仁香は建築会社の事務員を、功一は不動産業の営業の端くれとして仕事上知り合いになった。 功一の仕事ぶりに仁香の上司や現場から多くの高評価がフィードバックとして上がってくる。土地が絡む話は大抵、揉めがちで大金を支払う者は企業、個人問わず神経質になりがちだ。 功一の勤めていた梅田不動産は先々代の社長が多くの土地を所有し莫大な資産を築いたが、その息子の代に変わると見る見る間に失速。 そこで頭角を現したのが功一だった。 仕事