Masuk「いつでも相手になります」凪は凛とした態度で答えた。その態度に、莉子はさらに怒りを燃え立たせた。「いいわ、大地さんが怖くないっていうなら、一緒に二宮グループのところに行きましょう!」大地が、凪のことをよく思っていないのを知っていたのだ。二宮グループへ行けば、いとこである大地が自分の味方をしてくれるに違いない。自分のほうが圧倒的に有利だと感じた莉子は、凪に向かって得意げに顔を上げて、挑発的な視線を向けた。しかし凪は動じることなく、静かに頷いた。「莉子さん、後で泣き言は言わないでくださいね」「ふん!大地さんがいとこの私を可愛がるか、男を追って家出を繰り返していた娘を信じるか。見ものだわ!」二人は睨み合い、空気は張り詰めていた。莉子は話をつけようと、凪を連れて二宮グループへ急いだ。……二宮グループの社長室で、大地は、渉と新しいプロジェクトについての打ち合わせをしていた。そこへ、秘書が慌てて飛び込んできた。「社長、ミツキホールディングスの責任者である丸山様が、どうしてもお会いしたいとおっしゃっております。止めることができず……」「ミツキホールディングスは凪に任せたはずだろう?なぜ急に……」大地は眉をひそめ、そっと渉の方へ目を向けた。親戚同士の醜い争いは、さすがに部外者には見せたくない。だが、大地が言い終わるよりも先に扉が開かれた。莉子は警備員を振り払い、涙を流しながら無理やり押し入ってきた。彼女は渉の姿に気づくこともなく、いきなり大地へ向けてバッグを投げつけた。「大地さん!凪にひどいいじめを受けたの!あの子、私が育てた社員を勝手に全員クビにして、私まで追い出そうとしているの。他の人には退職金を払うくせに、私には一円も払ってくれない……大地さん、私はこれからどうすればいいのよ!」ひとしきり愚痴をこぼすと、莉子は泣きながら大地の横へ駆け寄り、その肩を叩こうとした。大地は眉をひそめて彼女の腕を避けて言った。「莉子、話なら後で聞く。いまは中島社長が……」「どうして今じゃだめなの!今日解決してもらわないと、私は帰る場所までなくなるかもしれないわ。うぅっ!」「……」大地はため息をついた。その時、部屋にやってきた凪は、中に座っている渉の姿を目に留めた。渉は凪を見るなり、
ロビーにいた役員たちは全員、静まり返った。莉子の顔から笑みが消えた。彼女がまだ何か言おうとする前に、凪はすでに隣の陽菜へと目を向けていた。「私と一緒に人事へ行って、ミツキホールディングスの社員のデータを集めてちょうだい。それから、経理の全データをロックして。30分後には、私の秘書もチームを連れて来るから、帳簿の照合と人員の整理をするのよ」「はい」陽菜はうなずき、受付で預かったカードキーを手に、凪を追ってそのまま上のフロアへと上がっていった。陽菜にとって、これが初めての仕事だった。しかし彼女は恐ろしいほどの手際の良さで動いた。経理部も総務部も何が起きているか理解できないうちに、出入りを禁じられ、事態が収束するのを待つことしかできなかった。しばらくすると、泉が新しい人事や経理の担当者たちを連れて現れ、作業に加わった。その間、莉子は何度も凪との話し合いを求めた。だが、凪はそれを一切受け付けなかった。役員たちの持ち物を次々と押さえ、陽菜と泉と共に重要書類を集めると、すぐに信頼できるチームに調査を依頼した。こうした状況が丸二日間続いた。ミツキホールディングスでは、清掃員と警備員以外の人間が一人残らず一掃された。そして、莉子が再び凪と顔を合わせた時のことだ。入り口の通路には多くの人が押し寄せ、オフィスの扉をドンドンと叩いて大声を上げていた。「辞めさせるなら退職金を出せ!」「俺たちはミツキホールディングスで何年もやってきた古参なんだ!言葉だけで退職させようなんて都合のいいことは通用しない!」「不当解雇として訴えてやる!」目の前に広がる怒りの渦の中、凪は椅子に座り、穏やかな表情で言った。「陽菜、賠償を求める人間をリスト化して。規定に基づき、適正な額を支払いなさい」あまりの対応の早さに、社員たちは呆気にとられた。納得できた者もいれば、できなかった者もいた。紆余曲折あったものの、最終的には大半の者が合理的な金額を受け取り、立ち去った。これにより、ミツキホールディングスの人員入れ替え作戦は完全に成功した。そんな様子を見ていた莉子は、怒りに駆られながら群衆をかき分け、凪の机を力いっぱい叩いた。「全員追い出して会社を潰す気なの?!ミツキホールディングスは私が必死で育ててきた会社よ!」莉子の手駒だっ
「ここが本当にヤクザの本拠地だったら、お二人をただで帰すわけがないだろ?」警備員は鼻で笑った。陽菜が、世間知らずの田舎者に見えたからだ。今時、ヤクザだなんて大げさなことを言う奴がいるとは。言い終えると、警備員はそのまま二人を外へ押し出そうとした。陽菜は反射的に体を縮こまらせた。すると、凪は毅然とした態度で一歩前に出ると、陽菜をかばった。「私は本社から派遣された君たちの新しい上司よ。話は聞いてないの?」「お前が?」警備員は吹き出した。「ミツキホールディングスの上層部といえば、みんな毎日仕立ての良い高価なスーツを着てるような人たちだよ!」凪は、怒りを我慢した。母が生前、一生懸命に作り上げたミツキホールディングスが、どうしてこんな風になってしまったのだろう?腹の底から怒りが湧き上がり、凪は目の前の警備員を突き飛ばした。そして受付に戻り、指先でカウンターをコンコンと叩いた。「だったら、その仕立ての良い高価なスーツを着たお偉いさんを、今すぐここへ呼んできなさい」「何様のつもりですか……」受付の女性は呆れたように言いかけ、文句を言おうとしたその時、凪は鼻で笑い、二宮グループの社員証を彼女の前に投げつけた。「私は、二宮グループの副社長であり、本社の社長の娘だわ。いい服を着ていようがいまいが、あなたたち、これからは私に雇われる身になるの。理解できるかしら」そう言い放つと、凪は優雅に背を向け、陽菜を連れて待合室へと歩いた。「10分以内に上の人間が来なければ、全員クビよ」「そんな!」受付の女性は顔色を変えて凪の社員証を確認し、慌てて上司に電話をかけた。警備員は腰が抜けそうになり、焦りながらも二人に温かいお茶を差し出し、謝り続けた。「自分がバカでした。どうか、お許しください!クビには……」「これ以上喋ったら、今すぐクビにするわよ」凪は顔も上げずに言い放った。警備員はすぐに口を閉じた。隣で陽菜は、すっかり凪に圧倒された。凪は口が達者なだけかと思っていたが、これほどの迫力があるとは。怒った顔が怖すぎる。それから間もなくして、ミツキホールディングスの責任者である丸山莉子(まるやま りこ)が、役員たちを引き連れて慌てて駆けつけてきた。少し小太りの莉子は、首にしっかりと毛皮のマフラーを巻
振り返ると、なんと渉はまだ凪の後ろ姿を目で追いかけていた。直美は激しい焦りと苛立ちに襲われ、目に涙をためて渉に歩み寄った。「全部、私の体が弱いせいだわ。凪さんのように、渉さんの代わりに外で働いて支えてあげることができなくて……それにしても、凪さんが黒崎さんと一緒にいた時は、あんなお金の使い方はしていなかったじゃない。黒崎さんだって、浮気相手にもらった服を着て外を歩くような人じゃないし。ねえ、渉さん。これって……凪さん、もしかして新しい恋人ができたんじゃない?」直美は「新しい」という部分を特に強調した。その言葉を聞くと、渉の脳裏に、先日見かけた車内の男の顔が浮かび、表情を曇らせた。自分のライバルは、空の他にもいるというのか?渉は冷たい表情のまま、すぐさま秘書に詳細を調査するよう命じた。彼の背後で、直美は満足げに口元を歪ませた。渉はいずれ、あの女の汚い本性を見抜くはず。そうなれば、たとえ後から空に見捨てられて渉のところへ戻ってこようとしても、きっともう無理だわ。渉の隣にいられる権利は、最初から自分だけのものなのだ。……凪はシャツを持って、車に戻った。すると突然、葵からの通知が立て続けに届き、スマホが小刻みに鳴り響いた。今度は何の用かしら?凪はうんざりとした気持ちで、スマホを開いた。まず目に入ってきたのは、一枚の写真だった。暗がりの中に立つ空と、美しい女性の姿だった。隅の方にいるが、寄り添って互いに向けた優しい笑顔が見て取れる。かなり親密そうだ。続けて、葵のメッセージも目に入った。【これね、空さんが海外で作った愛人よ】【子どもも作れないような男に逃げられるなんて、お姉さんも大変ね。空さんがほかの女との間に子どもも作れなくて、本当によかったじゃない。そうじゃなかったら、とっくに捨てられていたでしょうね】【しっかりしがみついておかないとね。お姉さんと一緒にいた、あのみすぼらしい二人の友達みたいにならないように、気をつけたほうがいいんじゃない?】トゲのあるメッセージが続いていた。昨日の夕方に嫌みを言われた腹いせに、なんとしてでも言い返したかっただけだろう。本当にくだらない。凪は迷うことなく、葵のアカウントをブロックした。自分と空は最初からお互いの利益のために結婚したのだか
凪は呆れた。なんて自己中心的な人なの?自分がいつ、彼のために服を選んでいるなんて言ったの?「そこに鏡があるでしょう?自分の姿をちゃんと確かめて、立場をわきまえたら?私は恋人のためにシャツを選んでるの。部外者のあなたには関係ないでしょ?」凪は冷たく渉を一瞥した。そしてふと、素敵なシャツが目に留まった。空のしっかりした肩幅と引き締まった体に、よく似合いそうだ。凪はそのまま渉の肩を押しのけて、目当てのシャツに向かって歩き出した。ぶつかられた渉はよろけ、輝いていた表情は一瞬で暗くなった。凪の手がシャツに触れようとしたその時、直美が横からスッとそれを取り上げた。「凪さん、私と趣味が似てますね。この服、渉さんにぴったりだと思ったの」凪は手を止めた。さっきまでいいデザインだと思っていたのに。それが渉に似合うと言われた瞬間、急に嫌悪感を覚えた。「渉に似合うようなものじゃ、私の恋人にふさわしくないわ。欲しければお好きにどうぞ」凪はくるりと背を向けた。直美は悔しそうに歯を食いしばったが、店内で騒ぐわけにもいかず、腹を立てていると、凪がまた別のシャツに手を伸ばしているのが見えた。直美はすぐ先回りして、またシャツを横からひったくった。「これも渉さんに似合いそう!渉さん、これ着てみてよ。似合ってたら私、買ってあげるわ」そう言うと、直美は自慢げにシャツを渉に差し出した。凪の口から、クスッと小さな笑みが漏れた。そしてまた他のシャツの方へと歩き出した。直美はその笑い声を耳にし、馬鹿にされたのだと思い、怒りを募らせた。だが、凪が狙ったものを奪えたと思うと、満足感を覚えた。「渉さん、着てみてよ!」直美は嬉しそうにシャツをきれいに広げて、渉を試着室へ促そうとした。だが、値札に目を落としたその瞬間、直美は固まってしまった。目を疑うほどの金額だった。たかがシャツ一枚に、こんな値段がつくの?だから凪はさっき自分を見て、馬鹿にするように笑ったのね……自分の予算では、とても支払える額ではなかった。顔を真っ赤にした直美は、慌ててシャツを戻して愛想笑いを浮かべた。「このシャツ、あまり渉さんには似合わないみたい。他のでもっといいものを探してあげるわ」「すみません。彼女が先ほど手にしたシ
体が温まると、凪は猫を床へそっと下ろした。空が自分の荷物を片づけているのを見て、凪は尋ねた。「出張、お疲れ様です。順調でした?」「ああ、特に問題はなかったよ」でも少し疲れた。早くここに帰りたくて仕方がなかった。空は凪をじっと見つめた。そして彼の視線は、リビングに広げられた食器や陶磁器へ移った。その中には、確かに峰行が画像で送ってきた陶磁器があった。自分への贈り物だ。空はその陶磁器を拾い上げようとした。しかしちょうどその時、猫が器に入った水をぺろぺろと舐め始めた。空の瞳は、一瞬で冷たくなった。峰行のやつ、適当なことばかり言いやがって。空がその場を立ち去ろうとすると、彼の様子に気づいた凪が思わず問いかけた。「猫用に作りましたが、どうですか?」「悪くない」けれど、本当は気に入らないのだ。空の雰囲気は一変し、凍てつくような威圧感を放ち始めた。しかし、凪はそれに気づかず、玄関から2つのカップを手に取って空に手渡した。「これは空さんのために作ったのです。この前あげた柿の置物だけじゃ適当すぎると思って、仕事の合間に、新しいカップを作ってみました。この青の模様は空さんの部屋のインテリアにぴったりだと思います」受け取った2つのカップは、少しひんやりとしていた。だが、空の機嫌は良くなり、さっきまで気に食わなかった猫の姿すら可愛らしく見えてきて、こう返事した。「綺麗だ」凪はほっと胸をなでおろした。空に喜んでもらえてよかった。凪は空の荷物を手に取り、一緒に片づけようとした。「気に入ってくれてよかったです。それと、荷物整理も手伝います。早く済ませてゆっくりと休みましょう。猫を探してくれた、お礼ですから」空は拒まなかった。片付けを終えたあと、空はベッドに入ってすぐに、深く穏やかな眠りに就いた。まるで、出張中に凪と会えず、張り詰めていた日々の寝不足を補うかのようだった。……翌日、ショッピングモールにて。凪は紳士服店に入った。昨日、空が猫を探す時に、着ていたシルクのシャツがボロボロになってしまったのだ。凪はそのお詫びとして、新しくシャツを買ってあげようと考えた。店に入ると、店員が愛想よく近寄ってきた。「いらっしゃいませ、恋人へのプレゼントをお探しでしょうか?」
「水でも飲んで。直美がまだ目を覚まさないから、そばを離れられないんだ。凪ちゃん、いい子だからさ。俺も疲れてる。これ以上、わがまま言って俺を困らせないでくれるか?」電話は、一方的に切られた。ツー、ツー、という無機質な音が耳に突き刺さり、凪は目の奥がツンと熱くなった。昔、胃穿孔で手術を終え目覚めたとき、渉は彼女を抱きしめて長いこと泣いていた。ベッドのそばにひざまずき、大きな体を丸めて、まるで迷子になった大型犬のように彼女の首筋に顔をうずめていた。その声はひどく嗄れていた。「凪ちゃん、俺も辛かった。お前が手術室にいた時、胸が張り裂けるほど苦しかったんだ。分かるか?お前は、俺の命そ
渉の目に一瞬、気まずそうな色が浮かんだ。「凪ちゃん、直美のマンションがリフォーム中で、ペンキの匂いがひどくて、体に良くないから……」凪の心はきつく締め付けられた。もう気にならないと思っていたのに。でも、息が詰まるほどの痛みが、全身に広がっていく。「ホテルに泊まるお金もないっていうの?」直美は目を赤くしながら、バイオリンを片付け始めた。「私のせいで喧嘩しないで。今すぐ出ていくから」彼女は慌てて荷物を取りに行こうとして、テーブルの角に体をぶつけた。「痛っ」と声を漏らし、胸を押さえる。その息遣いは、か弱くて艶めかしい。「大丈夫か?なんて不注意なんだ。どこをぶつけた?薬
今回は文章はなく、写真だけだった。それは、眠っている渉の写真だった。男は後ろから直美を抱きしめ、腕の中にすっぽりと収めて、深く眠っていた。直美は恥じらうような笑顔を浮かべている。唇は腫れあがり、開いたネグリジェの襟元からは、キスマークがいくつも見えていた。昨夜、何があったかは言うまでもない。凪と渉は五年付き合って、一番深い関係には一度もならなかった。付き合い始めの頃、気持ちが抑えきれない渉は、凪を強く抱きしめてこう言った。「凪ちゃん、早く大人になって……」その後、渉はもうそんな風に凪を抱きしめることはなく、ただ、結婚してからにしようと、なだめるだけだった。凪はず
二宮凪(にのみや なぎ)はシルクのネグリジェを身にまとい、大きな窓の前に立っていた。外に広がる街の灯りをしばらく眺めた後、スマホを取り出して実家に電話をかけた。「例の縁談、受けるわ」電話の向こうは一瞬沈黙したが、すぐに凪の父親である二宮大地(にのみや だいち)の隠しきれない喜びの声が聞こえてきた。「凪ちゃん、いつ帰ってくるんだ?父さんが迎えに行くからな」久しく呼ばれていなかったその呼び方に、凪は思わず鼻の奥がツンとなった。「来週の月曜」それだけ言うと、凪は電話を切った。母が亡くなった途端、この男は待ちきれないとばかりに、愛人と娘を家に連れ戻ってきた。あの二人を憎







