分享

第7話

作者: 猫ちゃん
「渉、食事が冷めるぞ」

悠斗はそう言うと、エビを一つ、凪のお皿に乗せてやった。

悠斗がその場を収めてくれてはいたものの、食事は気まずい雰囲気のまま、お開きとなった。

帰り際、渉は凪をバス停に置き去りにすると、何も言わずに車を走らせて行ってしまった。

……

そのことについて、凪は特に何も感じなかった。静かにホテルに戻ると、彼女から渉に連絡することはなかった。

凪はテキパキと雑務を片付けて、Y市でのしがらみを一つ一つ断ち切っていった。

時折、直美から送られてくるメッセージを開いた。

トーク画面には、ここ数日、二人が何をしたのかが、細かく報告されていた。

心の痛みが麻痺してくると、逆に少し可笑しく思えてきた。

メッセージを送りつけてはしゃいでいる直美が、まるで哀れなピエロのように思えた。

凪は一度も返信せず、ただ後々のために、静かにスクリーンショットを保存した。

……

やがて月曜日になった。凪が買ったのは、午前11時半の飛行機のチケットだ。

彼女は朝早くに起きて荷物をまとめ、朝食をとるために部屋を出ようとした。その時、渉がスペアキーでドアを開けて入ってきた。

パリッとしたスーツを着こなしていたけれど、彼の表情はあまり良くなかった。

凪はとっさにスーツケースを背後に隠し、一瞬、心が乱れた。

彼女が渉のそばを離れることなど、今までほとんどなかったのだ。

以前、二人が喧嘩をした後、酔っ払った渉が凪の手を掴んで言ったことがある。「もし俺から離れようとしたら、家に閉じ込めてやる。一生、誰にも会わせない」と。

あの頃は、どんなにおかしい言葉でさえ、凪には甘く感じられた。

愛していたから。

でも今は、ただ嫌悪感しか残っていなかった。

渉はしばらく凪をじっと見つめていた。

この二日間、彼はずっとイライラを溜め込んでいた。

なのに凪から連絡がなかったことで、渉は抑えきれない焦りを感じていたのだ。

今、彼女が部屋でおとなしく待っているのを見て、重苦しかった胸が少し軽くなった。

「荷物は置いていけ。後で仁に取りに来させる。さあ、行くぞ、婚姻届を出しに」

かつてあれほど強く望んでいたことなのに、今はもう心に何の波も立たなかった。

凪はリュックを背負い直し、差し出された渉の綺麗な手を見つめた。

「急がないで。その前に、ちょっと付き合ってほしい場所があるの」

渉は腕時計に目をやり、珍しく少しだけ辛抱強い態度を見せた。

「わかった。あまり長居はできないよ。十時から会議があるんだ」

まったく、多忙なスケジュールの合間を縫って、自分と籍を入れに来てくれたんだね。

車はすぐに旧市街に停まった。

まだらになった石畳の道の両脇には、古い住宅が立ち並んでいる。

観光地として再開発されてからは、二人がここに来ることはなかった。

「どうして急にここへ来たくなったんだ?」

車を停めた渉は、凛々しい眉をわずかにひそめた。心の中で、不安な気持ちが再び渦巻き始めた。

彼は無意識に凪の手を握り、自分の手のひらの中に収めて、ようやく安心した。

凪は抵抗せず、もう片方の手で遠くの公園を指さした。

そこはかつてバスケットボールコートだったが、後にとり壊された。

「高校二年生の時、隣の学校の男子に告白されたことがあったよね。それに腹を立てたあなたは、その人たちと3on3で勝負した。あなたは勝ったけど、足を骨折してしまった。あなたは痛くて泣きじゃくりながら私に抱きついて、責任を取れって言ったわね。

大学一年生の時、付き合い始めてから、あなたは真夜中に私をここに連れてきた。そして、花火を打ち上げてプロポーズしてくれた。まだ学生なのに、あなたはすごく焦って、先に婚約だけしておこうって言った」

……

「凪ちゃん、一体どうしたんだ?」

渉の声に、思い出が遮られた。

凪は振り返って彼を見た。

「初めて直美のことで喧嘩したのもここだった。あなたは、取り壊し途中のバスケットコートに、私を一人置き去りにした。方向音痴の私は、二時間以上も歩いてやっと家にたどり着いたけど、足はもうマメだらけだった」

それ以来、彼女は二度とここには来なかった。

渉の心臓は、まるで大きな力で締め付けられるようだった。

彼は彼女を腕の中へと引き寄せた。

「凪ちゃん、そんなのはもう過去のことだ。俺が直美の面倒を見るのは……」

凪はそっと身を引いた。

「行こう。新しくできた公園がどうなってるか見てみたい。昔よく飯食いに行った店、残ってるらしいし。久しぶりに、ちょっと味見してみない?」

彼女は強く握られていた手を引き抜き、一人で前を歩き始めた。

渉は胸にこみ上げる感情を抑えて後を追った。この時間、観光客はいなかったけれど、いくつかのパン屋は開いていて、近所の住民をもてなしていた。

店の誰かが、水を道にざっとまいた。

渉は眉をひそめてそれを避け、とっさに凪を自分のそばへ引き寄せた。

「今日は特別な日だ。高級な料理予約したのに。どうしてもここで食べたいのか?」

この通りの店はどこも、渉が彼女を連れてきた場所だった。

自転車に乗り、笑い声の絶えない人々の間を駆け抜けた。

あの頃の渉は、まだY市の富豪に認められていない、ただの隠し子に過ぎなかった。

コネもなく、金もなく、誰にも相手にされなかった。

恒業グループが今の渉を作り上げ、彼を中島家の次期当主の座に押し上げた。

絶大な権力を手にしたのだ。

でも、渉は自分がどこから来たのかを忘れ、凪への約束も忘れてしまった。

「今日は、これが食べたいの」

凪の突然のわがままに、渉は一瞬、戸惑った。

十数年もそばで見てきた彼女は、甘えん坊で、生き生きとしていた。

でも、いつも彼のことを中心に考えていたはずだった。

なのに、いつからだろう、すべてが変わってしまったのは。

渉はまた、あの夜の中島家の屋敷での出来事を思い出した。以前の凪なら、中島家で自分の顔に泥を塗るようなことは決してしなかっただろう。

彼女は、自分が何を一番気にしているのかをよく知っていたからだ。

古い木製の椅子に座り、凪はパンとコーヒーを注文した。

渉は彼女から渡されたコーヒーを受け取り、心の中はますます空っぽになっていった。

「凪ちゃん、今日、仁に直美を迎えに行かせる。これからは、あの家には俺たち二人だけだ。昔みたいに」

渉の世界では、凪はいつだって、やりたい放題でいられる。

そして彼女は、彼だけのものだ。

それは変わらない。

絶対に変わるはずがない。

「さあ、食べろ。食べ終わったら、すぐ婚姻届を出しに行くぞ」

渉は少し焦っているようだった。

凪の心は、激しく揺さぶられた。

昔みたいに?

その時、唐突にスマホの着信音が鳴り響いた。

それは、渉が直美のために特別に設定した着信音だった。

以前、直美が発作を起こして電話してきた時、渉はスマホをマナーモードにしていて出られなかった。そのことをひどく後悔した彼は、病室の外で自分の髪を激しくかきむしっていた。

あの時、凪は初めて、渉が自分以外の女性に情を移しているのを目の当たりにしたのだ。

「出れば」

凪は俯いて食事を続けた。

渉は彼女の顔を見つめた。鳴り響く着信音にイライラを抑えきれなかったが、それでも通話ボタンを押した。

「直美、今日はちょっと忙しんだ。何かあったら仁に電話して……」

電話の向こうから聞こえてきたのは、仁の声だった。

「社長。山下さんが、二宮さんを元気づけようと温室で花の手入れをしていたんですが、喘息の発作が起きても休もうとしなくて……結局、温室で倒れてしまったんです。今は救急処置室にいます。社長には連絡するなと言われたんですが、容態があまり良くないです」

渉の表情が、みるみるうちに険しくなった。

「すぐ行く」

電話を切ると、彼は冷たい視線で凪を見つめた。

「庭は元通りに直すと言っただろ。どうしてそんな些細なことで直美を追い詰めるんだ?婚姻届はまた今度にしよう」

そう言うと、渉は背を向けて去って行った。

またしても、同じ場所で。彼は凪を一人置き去りにした。

籍を入れるはずだった、その日に。

大股で去っていく渉の後ろ姿を見ても、凪の心は大きく揺らぐことはなかった。

以前はよく考えたものだ。もし自分も病気だったら、渉は公平に扱ってくれるのだろうか、と。

でも、どうしてそんな必要が?

愛していると言いながら誓いを裏切った男なんて、もう価値がない。

コーヒーの湯気で目の奥がツンとした。凪は静かに食事を終え、歩きたかった道を最後まで歩いた。そしてホテルに戻って荷物を持つと、まっすぐ空港へ向かった。

在 APP 繼續免費閱讀本書
掃碼下載 APP

最新章節

  • 許すとでも?私を15年愛す極上の夫を選ぶわ   第184話

    ミツキホールディングスは以前、コネで入社した人間で溢れかえっていた。しかし、実務は有能な人間がやらなければならない。宏介は、低い給料で人の倍の仕事をこなす、会社にとって都合のいい有能な社員だった。だから、凪は彼を会社に残した。宏介は、社内が再び機材で埋め尽くされていく光景を見つめながら、メガネの位置を直し、冷静に忠告した。「機材がそろったからってなんですか?見た目だけ取り繕っても、中身が伴っていなければ意味はないですよ。ミツキホールディングスには今、まともな案件が一つもないので、いつかこれらも全部返品することになるでしょう。あなたが今していることは、あがいているだけですよ」凪は、宏介の言葉に怒るどころか、ふっと笑った。「確かにそうかもしれない。だが、私の目の前に座っている植田部長は、一体どういう理由でまだここに残っているのかしら?」宏介は黙り込み、手首の古い腕時計を弄んだ。宏介は大学を卒業してからずっとミツキホールディングスにいた。誰よりも、会社の事情を理解していた。都会でやっていけるかどうか不安だった宏介は、ミツキホールディングスで働いてきたことで、ようやく地に足をつけて生きていけるようになった。コネばかりで、誰からも見下される場所だったとしても……宏介は、ここで自分の居場所を見つけることができた。ミツキホールディングスが潰れない限り、ここを離れたくないのだ。自分も、あがいているのだ。凪はそんな宏介の思いに気づき、笑みを浮かべた。「私を、信じてみてくれない?」宏介が顔を上げた。窓から差し込む日差しが凪の笑顔を照らし、そばでは作業員が新しい機材を次々と搬入している。新しい人材、新しい備品、そして新しい未来。宏介は視線をゆっくりと、凪の背後に掲げられた「ミツキホールディングス」の巨大な文字に向けた。最後にもう一度だけ、賭けてみようか。……夕日が沈みかけていた頃。新しい機材の導入と人員の配置は、無事に終わった。凪はまだ確認していない書類に目を通しながら、陽菜と宏介に手を振った。「二人とも、先に上がっていいわよ。私はもう少し仕事を片付けてから帰るから」今は二人とも手が空いている。わざわざ無理をして付き合わせる必要はない。凪の性格を理解している陽菜は、「お先に失礼します」

  • 許すとでも?私を15年愛す極上の夫を選ぶわ   第183話

    「そのバッグ、いいわね。ミツキホールディングスの新しい管理者として、身につける物にも気を配らないと。それ、譲ってくれない?」「冗談じゃないわ!」葵は我慢できなかった。グループの備品を勝手に持っていくのはまだいいけど、自分の限定モデルのバッグまで狙うなんて、何様のつもりなの?葵が何か言い返そうとする前に、傍らにいた明里は思い切って限定バッグを奪い取り、凪に投げつけた。「たかがバッグでしょ?私からの就任祝いよ!」「お母さん!なんで彼女の肩を持つのよ?お母さんの娘は私でしょ!予約して半年待ってようやく手に入れたバッグなのに、どうして……」葵は驚いた後、怒りを募らせた。明里がいきなり凪の味方になるなんて、まるで別人になったようだ。明里は説明もできず、無理して話を進めた。「今度また新しいのを買ってあげるから!」「そういう問題じゃないの、限定品だからそもそも手に入らないのよ!」と葵が声を荒らげた。喧嘩の声にうんざりした凪は、バッグを手首にひょいとかけ、堂々と明里の傍を通り抜けた。「就任祝い、ありがとうございます。あ、そうそう、業者さん。この扉の鍵も忘れずに持って行ってください。使えるものは全部持って行かないともったいないですから!」「はい、お任せください。鍵からロックまで全部ですね」業者が慣れた手つきで次々と解体していき、あっという間に最上階にあるものを持ち出していった。大地たちは、すっかり物がなくなった部屋を見つめ、呆然と立ち尽くした。葵はついに悔しさで泣き出した。「ううっ、機材は持って行っていいけど、どうしてお母さんは私のバッグまで……」「たかがバッグじゃない?」明里は葵の腕を引っ張った。「あのミツキホールディングスが稼ぎ出して二宮グループにお金が入るようになったら、いくらでも買ってあげるから!」また新しいバッグを買ってもらえると聞いて、葵は何とか文句を呑み込んだ。大地は、普段と違う明里の様子が気になったが、凪に利用価値があることを思い出し、彼女の言動に納得した。明里は二宮グループの将来のために、娘の大切なバッグまで差し出した。これからは、明里をもっと大切にしよう。大地は明里に情のこもった眼差しを向けた。しかし明里はその視線に背筋が凍り、こう考えた。じっと見つめてきて、もしか

  • 許すとでも?私を15年愛す極上の夫を選ぶわ   第182話

    大地の中で複雑な感情が渦巻いた。凪が立ち去ろうとしたその時、彼は低く声を上げた。「中島グループのプロジェクトは二宮グループの方で契約する。代わりにここの備品は好きに持っていけ。だが、目に留まったもの全部持っていくのはやめろ!」最後にそう吐き捨てると、大地は踵を返した。そして秘書に命じて、渉との契約書を隠させた。凪は鼻で笑った。「まるで強盗扱いね」こっちはやるべきことをしているだけなのに。……12時ちょうど。葵が慌てて社長室に駆け込んできた。「お父さん、大変!お姉さんが使われていないパソコン30台と、最新のプリンターも全部持ち出したわ。最上階のデスクセットもほとんどなくなった。それだけじゃない、会議室の引き戸まで外していったのよ!」なんのつもりだ!大地はガタッと立ち上がり、葵と一緒に社長室を出たところで、ちょうど明里と出くわした。二人の殺気立った様子に驚いた明里は、光生の件がバレたと勘違いし、思わず目を逸らした。「大地、まさか……」「お姉さんときたら、ここの引き戸すら持ち出したんだよ!お母さん、説明してる時間はないの。急いで止めに行かなきゃならないんだから!」葵が怒りを隠さずに言った。明里は胸をなでおろして、道を開けた。しかし二人が大慌てで凪を追って上の階へ行くのを見て、やはり安心できず後を追った。三人が最上階まで辿り着くと、引き戸はすでに全部外されていた。凪は業者に向かって丁寧に指示を出している。「レールとローラーも一緒に外しておいてください、扉だけあっても意味はないですから」大地は怒りで呼吸が苦しくなった。彼は震えが止まらない指で、凪を指して言った。「好きに持って行っていいとは言ったが、限度があるだろ!金になるならなんでもやるのか?ミツキホールディングスはそんなに金がないのか?扉まで外して行くなんて!」凪は声の方へ振り返った。そして、心細そうにうつむく明里の姿を捉えた。ちょうどいい。凪は顔に笑みを浮かべ、含みのある視線で明里の方を見つめた。「仕方がないじゃない。ミツキホールディングスの業績があまり良くないわ。資金が足りないから、その原因を突き止めて解決したいところだけど……」明里はさっと顔を上げると、自分を睨んでいる凪の目と目が合い、背筋が凍った

  • 許すとでも?私を15年愛す極上の夫を選ぶわ   第181話

    「ダメ!大地に言っちゃダメよ!」バレたら、自分と葵は、きっと家を追い出される……明里は慌てて凪に歩み寄り、必死に言葉を紡いだ。「お願い、もう少しだけ時間をちょうだい。金ならなんとか用意するわ。秘密さえ守ってくれるなら……もう凪に逆らったりしないわ!」凪は明里を冷めた目で見ると、手にしていた書類を彼女に見せつけるように整理した後、何も言わずに席を立った。「期待しておくわね」凪の足取りは軽やかだった。テーブルに並んだ豪華な料理など、目にも留めなかった。残された明里は、テーブルを叩くと、わめき散らした。「よくもあんなことを!この私を脅すなんて。しかも私を家政婦扱いして……」もう二度と凪の顔を見たくなかった。だが、どうすることもできない。明里は料理の皿を地面に叩きつけると、金を工面するために、弟の光生に電話をかけた。光生は相変わらずふてぶてしい態度だった。「12億はもう使ったよ。姉ちゃんは二宮グループの社長夫人なんだから、グループの金を使っても返済なんて必要ないだろう?」明里は怒りで声を荒らげた。「返済する必要はあるに決まってるでしょ!穴埋めできないなら、刑務所行きよ!」「刑務所?脅さないでくれよ。今まで好きなようにグループの金を使えたのに、今さらどうして……」「全部凪のせいよ!ミツキホールディングスを任された凪は、古い帳簿を掘り出してあなたがやっていたことを知ったの。12億を出せないなら、逮捕されるわよ!」凪のせいで屈辱を味わった明里は、乱暴に電話を切った。電話を切られた光生は、拳を震わせ、その目に殺意を宿した。「あの凪って女……俺の邪魔をするつもりなら、ただじゃ済まないからな!」12億など、用意できるはずもなかった。なら、凪も道連れだ。……翌日。凪は二宮グループへ直行し、使える機材を全部集めて、ミツキホールディングスへ運ぼうとした。気の利いた泉はすぐに引越し業者を手配し、速やかに梱包作業が始まった。グループ内がざわついた。「なんでわざわざ機材を持ち出すんだ?」「ミツキホールディングスは従業員も、備品も全部なくなったから、結局、本社から持ち出すしかなかったってわけさ」噂は大地の耳にも届いた。子会社に備品を持ち出すだと?あの潰れかけのところに?激昂

  • 許すとでも?私を15年愛す極上の夫を選ぶわ   第180話

    陽菜は新しい車に乗り換え、運転の練習だと言って、凪を自分の住むシェアハウスへ連れて行った。車でも40分はかかる距離だった。凪が車を降りると、そこには窮屈そうな建物が立ち並び、日当たりも悪かった。陽菜について薄暗い路地を入り、シェアハウスの入り口を抜けて、陽菜の狭い部屋へ入った。すると男の入居者がキッチンへ歩いてきて、二人が目に入った途端、いやらしい目線を向けてきた。凪はゾッとして、鳥肌が立った。凪は、「ダメ。別の場所へ引っ越しなさい!」と言って、陽菜の手首を強く握りしめた。陽菜が何かを言い返す前に、凪は引越し業者に連絡を取り始めた。凪はミツキホールディングスの近くにあるワンルームの物件に、そのまま陽菜を連れて行った。陽菜は、南向きで掃き出し窓がついた綺麗なワンルームを見渡した。「こ、こんなところ、本当に私が……」「杏奈の友人として。それに何より、あなたの安全のためよ。だから受け取って」凪は部屋の鍵を陽菜の手に押しつけると、彼女に断る暇も与えず、さっさと車へ戻った。車に戻ると、後部座席にある封筒を確認した。そこには光生が12億を横領した証拠が入っている。光生。明里の弟なのだ。凪はアクセルを踏み、そのまま二宮家へ直行した。移動中、陽菜から感謝のメッセージが届いた。凪はそれに返信して、新しい家で安心して暮らすよう伝え、続けてミツキホールディングスの今週の改善点について打ち合わせをした。用件が終わる頃、ちょうど二宮家に到着した。家に入ると、使用人が恭しく凪へ挨拶をした。「凪様、旦那様と葵様は、まだお戻りではございません。奥様だけがいらっしゃいます」「ちょうどよかった。明里さんの手料理、久しぶりに食べたいわ」凪は微笑みながらダイニングへ向かい、持っている書類を脇に置いて座った。明里が使用人から話を聞き、眉をひそめた。「あの生意気な小娘!私を家政婦とでも思っているの!?」明里は怒りを覚えながら1階へ降りた。何かを言いかける前に、凪が指先で封筒を軽く叩いた。「弟さん、ミツキホールディングスで経理をしていたみたいね。彼の金の使い道について、食事の間にじっくり話したいわ。もし今日話せなくても、他の日に、お父さんが家にいる時に話してもいいけど」それを聞いた瞬間、明里の目に宿っ

  • 許すとでも?私を15年愛す極上の夫を選ぶわ   第179話

    凪は心の中で答えを出していたが、それを陽菜に詳しく教えることは控えた。「入籍済みの夫婦だから、彼も私には酷いことはしないわ」「え、えぇーっ!」陽菜は勢いよく食いついてきた。「私の憧れの人が、今の上司と夫婦だなんて!夢を見ているみたいですね。今度握手してもらうことってできますか?本当に尊敬していたんです!」凪は苦笑いした。空の代わりに約束することもできず、機会があれば伝えてみるとだけ答えた。陽菜は飛び上がるほど喜んだ。午後の仕事でも、陽菜は興奮気味に働き、3人分の仕事を驚異的な速さで片付けた。今日の騒ぎもあり、凪はみんなにしっかり休むようにと声をかけ、全員を定時より早く退社させた。凪が会社の外に出ると、目の前にはヘルメットを被り、原付バイクに跨った陽菜の姿があった。しかも、あちこち塗装が剥げている中古のやつだった。陽菜は、凪がエントランスで動かずにいるのを見て、凪の車に何か問題があったのだと勘違いした。「車が動かないなら、駅まで送りましょうか?」「……」凪は言葉を飲み込んだ。自分が一番に認めている社員が、毎日原付バイクで通勤しているなんて……ミツキホールディングスを支えるメンバーは、会社の看板を背負っているようなものなのだ。そう思い至った凪は、そのまま陽菜のヘルメットを取り上げて尋ねた。「免許はある?」「大学の時に取りましたけど、それがどうし……え?」陽菜が言い終わる前に、凪は彼女の手を引いて近くのディーラーへ向かった。店には多くの高級車が並んでいた。凪はスタッフを呼び寄せ、陽菜に向かって言った。「好きな車種を、どれでも選んで」陽菜は驚愕し、値札を見て激しく首を横に振った。「とんでもないです。原付があるだけで十分だし、遠出ならタクシーを使いますから……」「会社支給の社用車だと思えばいいわ。私に呼ばれた時、いち早く向かうためにはこれくらいがちょうどいいでしょう?SUVがいいと思うんだけど、好みのものはある?」凪は陽菜を連れ、スタッフと共に車を見て回った。何千万という額を聞き、陽菜は目眩がした。一生縁がないような金額だ。それでも凪に急かされ、困り果てた陽菜は一番安価なビーエムダブリューを指さした。「これなら……」ここにある中で一番安いものだ。陽菜はガ

  • 許すとでも?私を15年愛す極上の夫を選ぶわ   第6話

    名家に生まれた人間であれば、直美に染み付いた育ちの悪さは一目で見抜けるものだ。どんなに取り繕ったところで、無駄なことだった。静香は凪のことすら気に入らないのだから、直美のことなど好きになるはずもなかった。凪が現れると、静香の怒りは一気にそちらへ向かった。「自分の男もろくに繋ぎ止められないなんて、だらしないわね。あんな女を家に上げるなんて」渉は直美を背後にかばい、冷たく威圧するような声で言った。「直美は俺の友達だ。おばさん、言葉には気をつけて!」凪は初めて中島家に来たときのことを思い出した。あの頃は家に入る前から、渉に何度も念を押されたものだった。中島家の人たちと

  • 許すとでも?私を15年愛す極上の夫を選ぶわ   第5話

    達也が不意に言った。「二宮さん、松浦グループに来る気はありますか?あなたには……」彼が言い終わる前に、凪はきっぱりと断った。「ありません!」その華奢な後ろ姿を見つめる達也の瞳に、特別な感情が宿った。それは感心であり、少しのときめきでもあった。……メモに書いておいた用事が、また一つ片付いた。凪はホテルで半日休んでから、家に戻った。庭はひどく荒れていた。直美が、彼女の服を着て、高そうなショールを羽織っていた。そして、まるで家の女主人のように、使用人たちに大切に育てられた花を根こそぎ引き抜けと指示していた。凪が車から降りるのを見て、直美は得意げな表情を浮かべた

  • 許すとでも?私を15年愛す極上の夫を選ぶわ   第4話

    「水でも飲んで。直美がまだ目を覚まさないから、そばを離れられないんだ。凪ちゃん、いい子だからさ。俺も疲れてる。これ以上、わがまま言って俺を困らせないでくれるか?」電話は、一方的に切られた。ツー、ツー、という無機質な音が耳に突き刺さり、凪は目の奥がツンと熱くなった。昔、胃穿孔で手術を終え目覚めたとき、渉は彼女を抱きしめて長いこと泣いていた。ベッドのそばにひざまずき、大きな体を丸めて、まるで迷子になった大型犬のように彼女の首筋に顔をうずめていた。その声はひどく嗄れていた。「凪ちゃん、俺も辛かった。お前が手術室にいた時、胸が張り裂けるほど苦しかったんだ。分かるか?お前は、俺の命そ

  • 許すとでも?私を15年愛す極上の夫を選ぶわ   第1話

    二宮凪(にのみや なぎ)はシルクのネグリジェを身にまとい、大きな窓の前に立っていた。外に広がる街の灯りをしばらく眺めた後、スマホを取り出して実家に電話をかけた。「例の縁談、受けるわ」電話の向こうは一瞬沈黙したが、すぐに凪の父親である二宮大地(にのみや だいち)の隠しきれない喜びの声が聞こえてきた。「凪ちゃん、いつ帰ってくるんだ?父さんが迎えに行くからな」久しく呼ばれていなかったその呼び方に、凪は思わず鼻の奥がツンとなった。「来週の月曜」それだけ言うと、凪は電話を切った。母が亡くなった途端、この男は待ちきれないとばかりに、愛人と娘を家に連れ戻ってきた。あの二人を憎

更多章節
探索並免費閱讀 優質小說
GoodNovel APP 免費暢讀海量優秀小說,下載喜歡的書籍,隨時隨地閱讀。
在 APP 免費閱讀書籍
掃碼在 APP 閱讀
DMCA.com Protection Status