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第3話

Penulis: 金魚の記憶
午後、玲司の母・黒瀬雅子(くろせ まさこ)が病院にやってきた。部屋に入るなり、バッグを椅子に置いて、私をたしなめるような口調で言った。

「日和、お父さんが入院したのに、そんな大事なこと、どうしてすぐに教えてくれなかったの?」

父の手を拭いているところだった。

「教えましたが」

雅子は一瞬言葉に詰まったが、すぐに笑みを浮かべた。

「玲司は仕事が忙しいのよ、もう少し分かってあげて。彼の立場じゃ、どれだけの患者が命を待ってると思ってるの」

私は何も答えなかった。父はベッドに横たわったまま、少し申し訳なさそうな目をしていた。

「ご迷惑をおかけしております」

雅子はすぐに手を振った。

「何言ってるの、水くさいわね。もう家族同然なんだから」

そう言うと、バッグから赤い招待状の見本帳を取り出した。

「そうだ、結婚式の招待状、作り直させたのよ。前に日和が選んだくすみブルーは地味すぎるし、縁起も良くないから。汐音ちゃん、あの子はセンスがいいから、この箔押しのやつを選んでくれたの」

私の手は、父の指先で止まった。

「汐音さんが招待状を選んだんですか?」

雅子は当然のように頷いた。

「そうよ。あの子は小さい頃から玲司と一緒に育ってきたんだから、彼の好みを一番わかってるの」

その招待状を見つめた。表紙には、洒落た英字の飾り文字で、こう書かれていた。

【Happy Wedding】

皮肉なものだ。

雅子は続けた。

「それと結婚式当日の席次だけど、汐音ちゃんは体が弱いから、メインテーブルの近くに席を取らせるわ。玲司も世話しやすいでしょう」

私は顔を上げた。

「結婚式の当日まで、彼女の世話をするんですか?」

雅子の表情が、少し冷めた。

「日和、そんなにみみっちいこと言わないで。汐音ちゃんには両親がいないのよ、玲司が少し気にかけてあげるくらい、何が悪いの?もうすぐうちの花嫁になるんだから、細かいことに気を取られてちゃダメよ」

父が小さく咳をした。

「日和、雅子さんも結婚式のために心配してくれてるんだ」

私はタオルを洗面器に入れた。水面が小さく揺れた。

「おばさん、結婚式は一旦保留にさせてください」

病室が静まり返った。雅子の笑みが、そのまま固まった。

「何を言ってるの?」

「父がこんな状態で、結婚式を挙げる気になれません」

雅子が眉をひそめた。

「お父さんには介護士がついてるでしょう。それを理由に両家のことを台無しにするつもり?ホテルも、ゲストも、メディアも全部手配済みなのよ。今さら中止だなんて、みっともないでしょう」

彼女は少し声を落とした。

「それに、玲司がどういう立場か分かってるの?みんなが彼を見てるのよ。こんな騒ぎを起こしたら、彼の顔に泥を塗るようなものじゃない」

私は彼女を見た。

「父が命を落としかけていたとき、玲司は汐音さんの世話をしていました」

雅子の顔が、完全に強張った。

「日和、そんなに根に持つものじゃないわ。玲司だって、後からちゃんと来たじゃない」

後から。みんな、「後から」という言葉が好きだ。後から来た。後から埋め合わせた。後から弁解した。でも、あの救急救命室の外の夜、そこにいたのは私一人だった。

ドアの外から、足音が聞こえてきた。玲司がドアを開けて入ってきて、ちらりと私たちのほうを見た。

「どうした?」

雅子がすぐに言った。

「本人に聞いて。結婚式を保留にするって言うのよ」

玲司が私を見た。表情は静かだった。

「日和、外で話そう」

廊下に出ると、彼は病室のドアを閉めた。

「結婚式は止められない」

最初に口にしたのは、理由を尋ねる言葉ではなかった。私は壁にもたれて、小さな声で言った。

「父には、世話をしてくれる人が必要なの」

「一番いい介護士を手配する」

「必要なのは、娘なの」

玲司は眉間を揉んだ。

「今、お前はまともに考えられる状態じゃない。決めるな」

ふいに、疲れを感じた。

「玲司、わたしは患者じゃない」

彼の動きが止まった。私は続けた。

「診断も、手配も、してもらう必要はない」

彼は私を見つめ、声を落とした。

「日和、あの日は俺の対応が悪かった。でも結婚式は遊びじゃない。一度の不手際で、俺たちの関係を否定するな」

一度の不手際。私は彼の腕時計の、銀色の針を見つめた。それは去年、私が贈った誕生日プレゼントだった。手術室では派手なものは着けられないと彼が言うから、一番シンプルなデザインを選んだ。汐音が一度、「素敵ね」と言ったことがあった。気づけば、それ以来ずっと彼はその時計を身につけていた。

彼に尋ねた。

「もし結婚式の日、汐音さんがまたパニック発作を起こしたら、玲司は行くの?」

玲司は黙り込んだ。答えは、もう明らかだった。

私は小さく笑った。

「ほら、騙す気にすらならないのね」

彼の顔が、わずかに変わった。

「日和、そんなに言い切るなよ」

いつの間にか、汐音が来ていた。手には、あの招待状の見本帳を持っている。

「玲司くん、おばさんが誓いの言葉を見てほしいって……わたし、また日和さんを怒らせちゃった……?」

玲司は彼女をちらりと見て、声を和らげた。

「いや、先に入っててくれ」

私はうつむいて、指輪を少し回した。指輪は関節に引っかかって、抜けなかった。少し痛い。

玲司が手を伸ばし、揉んでくれようとした。私はそれをかわした。彼の手が、宙で止まった。

汐音はその様子を見て、そっと目を伏せた。

「やっぱり帰ろうかな……」

玲司は手を引っ込め、振り返って彼女を支えた。

「勝手にどこか行くなよ」

その場に立ったまま、二人が並んで病室に入っていくのを見ていた。ドアが閉まる直前、雅子のため息が聞こえた。

「やっぱり汐音ちゃんの方が、聞き分けがいいわ」

私はうつむいて、ようやく緩めることができた指輪を見つめた。それが掌に落ちたとき、音はとても小さかった。誰も振り返らないほど、小さな音だった。

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