LOGIN頭上からボタボタと酒を滴らせるリリムは驚いて固まってしまっている。
「自惚れるのも程々にせねば、可哀想を通り越して憐れです。己が身の丈に合わぬ欲を満たす為にサリバン公爵にまで恥をかかそうと言うのですか」
「ち、違……私は……」
「マ……マダム、娘は社交界デビューしたばかりなのです。このように責められては……」
「お黙りなさい、ファージ侯爵。デビューしてこの為体。親の品位が知れると言うものです」
論破されたファージ親子はぐうの音も出ない。
この様子を見ている他の貴族達も、ひそひそと訝し気な顔で囁いている。
礼節を弁えず、その上国王主催の夜会で禁止薬を使って筆頭貴族に仕掛けたのだ。
味方して弁解しようと言う人はいないだろう。「無知とは愚かな事です。この国の者は知らぬ者が多
「誰に……?」「あれはナタリスの双子の弟。つまり、エルダーも俺の義弟だ」「あぁっ! そっか、眸の色が一緒だ……」「エルダーは特警の専属拷問官だ」「拷問官……サリバン家のご子息って……」「義父の血が一番濃いのは、エルダーの様な気がするな。もう一人アエラスと言う弟がいるが、それが一番真面だな」 そう言って公爵は困った様に笑った。 今回の件も含めて、オルタナはナタリスの思い描いた通りに動かされた気がして、少し腑に落ちない気もした。 言い方は酷い物だったけれど、あそこでナタリスに豚と罵られ、自白剤を匂わせられなければ、今この結果に辿り着けなかったかもしれない。 あの衝撃的な罵詈雑言が、事ある毎に脳裏に浮かんでいたのは確かだ。 ナタリスは十年前の魔女ドーラの逮捕劇の後、公爵が魔女ドーラの傍に潜り込ませた特警所属の軍医だ。 彼なら祖母の“魔女の薬”や“遣り口”を知っていても不思議じゃない。 大佐の状況がエルダーからナタリスへと漏れていたとしたら、あのサリバン家の別荘の地下でこうなる様に仕向けたのかもしれない、と――。「ナタリス様は今、どうしてるの?」 最後にナタリスを見たのは王都に戻る前、サリバン家の別荘で公爵にガン無視されて落ち込んでいた時だ。「モリガンへ戻した。モリガンの医療班が伯爵の容態を診ているから、そっちに行かせた」「モリガン伯爵の容態、悪いの……?」「良くはないな。もう殆ど意識がないから、今回の手が使え無いのが残念だ」「そっか……」 父親と言う存在を知らないオルタナからしてみたら、大佐の父親への執着は理解し難い。 でももしモリガン大佐が娘を想う気持ちの半分でも大佐に向けてくれたら、こんな事にはならなかったかも知れない。「じゃあ、もう大佐は
「名を名乗れ」「……る、あど」 拙くそう答えた大佐を見てその男は、目を見開いて驚いたような顔でこちらを振り返る。「感謝致します、王妃陛下と……オルタナ様。初めまして、特警のエルダーと申します。会話が出来るなんて、驚きです」「後は俺達に任せろ」「じゃあ頼んだわよ、ノエル。お二人共、行きましょう」 ミレーに促され、ノエルとエルダーを残して鉄扉の外へと出る。 二人の姿が鉄扉に阻まれ見えなくなった後、ガゴンと大きな音を立ててミレーが外から鍵をかけた。 オルタナは何も言わず王妃と顔を見合わせ、無言のまま手を握り合う。 足早に石造りの地下の廊下を出口まで急ぐ。 ミレーが「ちょっ……」と慌てて付いて来て、何か言いたげだったが構わずに早歩きで外へと逃げる。「ちょっと⁉ お二人共、どうしたんですっ?」 外へと通じる階段を息を切らして駆け上がり、晴れた空の下へと飛び出した。「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」「やったわねっ……オル、ティ……」「大、せいこ……だね、ラッ……ティ……」 正直、怖過ぎた。 心臓が早鐘を打っている。 それは王妃も同じだったらしく、二人で手を繋いだまま見合って息を整えた。 訳が分からないまま着いて来たミレーが、首を傾げてこちらを伺う。「大丈夫ですか? お二人共……」「うん、平気。ありがとね、ミレー。付き合ってく
大佐に言葉の意味が伝わっているのかは定かじゃないが、今だけは気圧されている場合ではない。「この度、薬学博士号を持った王妃様の協力を経てこの薬を再現するに至った。古の屈強な兵士達が、小鳥の様に囀る様になると言う“墓前の鳥薬”と呼ばれたものだ。お前も軍人なら耳にした事くらいはあるだろう?」 “墓前の鳥薬” 古文書の中で最も古い記録のある自白剤の一つで、生きている時は滅多に鳴かぬのに、死ぬ前になると美しい声で謳う夜鳴鳥に準えてそう呼ばれたと言われている。 その薬によって自白した兵士はその後、殺されると言う意味も含めて。「人を陥れ国を侵し、仲間を殺した挙句、このような有様になったお前をモリガン伯爵は見限ると仰せだ」 そう言ったオルタナの言葉に、大佐はピタリと動きを止め押し黙る。 隣で黙って見下していた王妃が、静かに口を開いた。「お前が謳わないのならば、モリガン家の為に布かれた箝口令を解こうか」「……だめっ、だめっ……おゆるし……だめっ……」「罪人のお前に指図される覚えはない。箝口令が解かれればモリガン家の威厳は失墜し、お前の父親も家督を譲る事になるだろう。カラザ・エスメラルが飛んで喜びそうな話だ」「カ……ラザ……カラザ……カラザカラザカラザカラザ」 到底正気とは思えないが、会話の単語には反応出来ている。 血走った眼球から湧いて出る涙で石床に染みが出来ていた。 オルタナは冷静に状況を見ながら、次の言葉を選んだ。 この薬を飲ませる事が出来なければ、ここに来た意味はない。「大好きな父上に見捨てられて良いのか? モリガン大国の王族の末裔がとんだ恥晒しだな」「ちち、うえ……ち、ち……ははっ……あーはっはっは……あはっ、ははっ」 顔を上げた大佐の額から、赤黒い狂気の雫が鼻骨を避ける様に二股に分かれ流れ落ちる。
「いいえ……それじゃあ、王妃の威厳がなくなるわ」 秒でフラれた……。 震えている小さな手をギュッと握りしめた王妃は、親の仇の様に鉄扉を睨む。 どんな時も王妃である事を求められるこの小さな少女が、鋼の心臓を持っているわけでも、折れない心を持っているわけでもない事を思い知らされる。「帰りは……手、繋いで……」「ん。分かった」「オルティは怖くないの……?」「そうだね……怖くないと言えば嘘になるけど、少し慣れてるかな……」 戦争を経験した軍人が自我を失い、その面倒を看る家族が良く店に来ていた。 人間性を保てなくなった家族を殺す事も出来ず、記憶の中の真面な家族を取り戻す事も出来ず、祖母の香辛料に一縷の望みをかけて訪れるのだ。 モリガンの寒くて薄暗い環境下では閉鎖的な生活を余儀なくされる事も多く、家の中で制御の利かない獣を飼っている様な状況に家族ですら病んでしまう事もある。 時には暴れて手を付けられない等の理由で、こちらから家を訪ねて行く事もあって、オルタナはそう言う光景を何度か見ていた。 些細な破裂音に発狂したり、血を見るだけで泣き喚いて暴れたり、何もない空を見つめて延々と叫んでいたり。 彼らの目前にはそこにない戦時下の惨状がいつまでも広がっている。「モリガンには退役軍人も多いからね……」「そう……」「お二人共、お心の準備は宜しいですか?」「行ける? ラティ」 覚悟を決めた王妃がグッと顔を上げてふぅ――――っと長い息を吐く。「良いわ、開けてちょうだい。ミレー中尉」
茶器の乗ったシルバーのトレイを持って、呆れた様な顔をしている。「お茶に誘っておいてお茶を出さないとは、ラティ様はバカですか?」「なっ、バ、バカって……」「じゃあ、アホですか?」「そっ……そんな風に言わなくても……」「ウケイ、不敬罪だ」「これは失礼致しました、王陛下。この様に気の利かぬ王妃に育てたつもりは無かった故、つい本音が……」「相変わらずウケイ殿は義姉上に手厳しいのだな」「あ、先生……お茶は僕が……」「いいえ、オルタナ。誘ったのはこちらなのですから、座ってなさい」「はぁ……」 さっきまでにこやかだった王妃がむくれている。 それすら意に介さないウケイはその場にいた全員にお茶を給仕すると、その場を去ろうと身を翻す。「ウケイも一緒に……」「いいえ、私は仕事があります故、研究室に戻ります」「……そう」 ウケイはいつもより気が立っている様に見えた。「あぁ、そう言えばウケイがアウルム修道院から鴉を飛ばして知らせてくれた件だが」 そう前置きした王陛下は、ファージ侯爵家は爵位剥奪の元、国外追放となる事を教えてくれた。「証拠は揃ったのですか? 陛下」「お前の腹の虫はこれで収まるか? ウケイ」「陛下、答えになってません」「ウケイ殿、ファージ侯爵家の諸々の悪事に関する証拠は、既に私の手元に」 公爵はそう言って眩しい物でも見る様にウケイを見る。「どうやって手に入れたのです? 夜会での一件はラティ様から伺いましたが、仕事が早すぎやしませんか? 公爵様」「その夜会の間に、駄犬に取りに帰らせました。証言した褒美を与える約束でしたから、杖を作ってやりましてね」「取りに帰らせた……ははっ、なるほど」 何が、
それに妄想で孕むなんて事が三年も続くだろうか――? そのこと自体が不思議に思えた。 ただ黙って話を聞いていた向かいに座る王妃と目が合う。 その刺さる様な視線が同じ疑念を持っているように見えた。「昔からモリガン伯爵家の家督相続で候補に囁かれているのは、実弟と義弟のどちらかだ。ルアドは体躯の割に承認欲求と劣等感の塊。彼は正直モリガン伯爵の足元にも及ばない。姉を人知れず埋葬し、自分に家督を譲らない父親への反抗があり、そこをケルメスに付け込まれてた可能性がある」 公爵はケルメスは自分の駒になりそうな者を巧みに見分ける才に長けており、真綿で首を絞める様な男だと付け加えた。「ケルメス……悪魔みたいな男だ」「目下一番の敵は、そのケルメス・ドヴァンニ。あの男はこの国の毒だ。その解毒の為にも、ルアドの証言が必要だ。お前の力を貸して欲しい」 公爵はそう言って、しっかりとこちらを見た。「うん。って言うか、今の話を聞いてちょっと気になってる事がある」「何だ?」「僕、ずっと不思議だったんだよね。モリガン軍の上位軍人にまでなった人が、あんな稚拙なやり方で人を殺すかな……」 こちらに罪を着せるつもりであったとしても、ダリスの存在を知らなかったが故に簡単に捕まってしまった。 審議所で見た時は裏切られた事のショックが大きくて、よくよく考える事もしなかったけれど、やはりあの大佐は自分が知っている大佐ではない気がした。 甘いと言われても子供の頃からモリガン大佐を見て来て、裏切られたのは揺るぎない事実だけれど、あんなに短慮で間抜けでは無かったはず。 大佐が姉を助けたい一心で、父親に認められたい一心で、教会から種芥子を手に入れようとし、逆にケルメスに騙される事になったのかもしれない。 昔、祖母が言っていた。 純粋な人ほど、心が染まりやすいのだと。 もし長年の薬の服用が何らかの影響があるとすれ
「モリガン大佐に頼まれていたのは、ただの香辛料で……」「それが、悪用されたようだ」「あ、くよ……う?」「適量を守ればただの香辛料も、摂取量を間違えれば毒になる。彼らが死ぬ前に飲んだ酒には大量の香辛料が混入されていた」「ま、さか……大佐が……? 嘘だ……」「まだ、真相は分からん。だが、こんな分かりやすい方法で六人も害したとなれば、お前は犯人に仕立てられたんだろうよ」
祖母は顔の上半分が薬草に被れて、まるで火傷の痕の様に爛れている。 その見た目から祖母は魔女ドーラと揶揄されていた。「あぁ、いや違う。気を悪くするな。彼女は栗毛で肌も小麦の様だった。お前は銀髪に白い肌をしているから、こんなに違うものかと……」「そ、祖母に会ったことがあるんですかっ?」「あぁ、一度だけ。モリガン伯が薬物兵器を研究していた者を監禁していると聞いて、見に行った」「そう、ですか……」
今からでも逃げるか……いや、無理だ。 少なくともローブの男と大柄なノエルと呼ばれていた男は間違いなくαだろう。 ミレーと呼ばれていたもう一人は女性だったが、纏う雰囲気がもう凡人のそれではない。 間違いない、全員αだ。 詰んだ。 でも、どこかで逃げなければ、このまま監獄にでも入れられたら、本当に人生が詰む。 ドーン王国では魔女狩りと称して薬師が大量に殺された時代があった。 当時の王が薬師に王妃を殺されたとして、国中の薬師を虐殺したのがキッカケだったとか。 そのせいでドーン王国は他国に比べ薬学が廃れて久しい。 現王レイモンドは積極的に他国からの薬も輸入し、自国の薬師を増やす政
ベルの花が鳴く頃、モリガン区の雪も少し解け始める。 雪原から顔を出した青白いベルの花は、リンリンと鳴いて春を告げるのだ。 そんな北の果てに不穏な噂が流れていた。「王都じゃ余計に死人が出たってさ」「ここじゃ当たり前だが、去年は寒かったからねぇ」「何でも王都じゃ病で死んだ者は、教会で死体を燃やすんだと」「罪も犯してないのに病で苦しんだ挙句、体を焼かれるなんて酷い話じゃないか」「王様も教会には強く言えないんだろうさ」「サンノ国から来られた王妃