LOGIN祖父が遺した一つの昔話――。 「薔薇のように気高く、向日葵のように眩しく、百合のように艶やかな女。彼女に恋をした者は、誰一人生きて幸せになれなかった。」 二十一歳の朔夜は、秋の繁華街で祖父が語った伝説そのものの女性・鞠子と出会う。彼女は初対面のはずなのに、朔夜の名前を知り、「私はあなたをお慕いしております」と微笑む。 惹かれた者は破滅する――その伝説は本当なのか。それとも、彼女には誰にも語れない秘密があるのか。 これは、呪われた恋の始まり。
View More昔、昔のまた昔のお話です。
とある街に、一人の女性が現れました。 薔薇のように気高く、 向日葵のように眩しく、 百合のように艶やかな女性でした。 しかし彼女に恋をした者は、 誰一人として生きて幸せにはなれませんでした。 その理由を知るものは、誰もいません。 ただ一つ、皆が口を揃えて言うことがありました。 ——彼女自身は、恋を知らない、と。 そのはずでした。 これは、ひとつの恋物語なのか。 それとも...... ...... ...... あれは、俺が21歳の秋だった。 バイト帰りの俺は、夜の繁華街を歩いていた。 そのまま自宅に帰れば......という気分ではなくて、とはいえどこに入る気にもなれなかった。 ただ人の波に乗りながら、 ぼんやりとふらふら歩いていた。 昔から夜の奏でる雰囲気が好きで、 親の目を盗んでは月の照らす世界を眺めていた。 ネオンが濡れた路面に溶けて、 オレンジと青と赤が滲んでいる。 酒の匂いと揚げ物の匂いと安い香水の匂いが混ざり合い、どこかの店から音楽が漏れていた。 知らない曲だけど何故か耳心地は良くて... 俺はイヤホンを外して、ポケットに突っ込んだ。 なんとなく、音楽を聞くのはもったいなく感じた。 繁華街の中ほどにさしかかったとき、 人の流れがわずかに乱れた。 川の中に石が落ちたとき、 そこだけ水面が揺れる。あんな感じだった。 「...??...」 人の波が、一点を中心にして、 ほんの少しだけ歪んだ。 俺は何気なくそちらを見た。 人混みの中に、一人の女の子がいた。 小柄な姿な女の子だがその子だけが、 はっきりと見える。 カメラのピントを合わせられた。 そんな感覚だった。 周りの景色ごと、その女の子を中心に焦点が合っているような。 肌が白くて夜のネオンの下でも、 その白さは際立っていた。光を含んだような白さだった。 髪は黒く、長く、しなやかに... 腰のあたりまで緩やかに流れている。 切れ長の目が、ゆっくりと動いた。 そして、俺の目を見つめた。 ...!?...足が止まった。 止めようと思ったわけじゃない。 ただ、止まった。 女の子は俺に微笑んだ。 その笑顔を見た瞬間に... 俺の胸の中で何かが揺れた。 懐かしいような、怖いような、 どちらとも言えない感覚だった。 どこかで、見たことがある。 この女の子を、俺はどこかで—— そのとき、記憶の底から声が聞こえた。 しわがれた、低い声。 縁側で聞いた、夏の夜の声。 「昔、ある所に、えらいべっぴんさんがおった。」 俺は息を吸った。 そういえば... じいちゃんが、昔、そんな話をしてたような... 俺は人混みの中に立ったまま、 記憶を手繰り寄せようとしていた。 女の子はまだそこにいる。 微笑んだまま、俺を見ていて... 逃げるでもなく... 近づくでもなく... ただそこに立っていた。 まるで俺が思い出すのを待っているように。 じいちゃんの話。 夏の夜の話。 縁側で、蚊取り線香の煙の向こうで、 晩酌が好きなじいちゃんが語っていた。 ...そうだ。 あれは俺が、まだ七つか八つの頃だった。 ....... ... . 幼い朔夜と祖父・玄一郎の縁側の夜 毎年夏になると、俺は母親に半ば放り込まれるように祖父の家へ預けられた。 母が夏場だけ繁忙期を迎える仕事をしていたからだ。 だから俺の夏の記憶はほとんど 祖父の家の匂いでできている。 畳の青臭さ。 蚊取り線香の煙が縁側を這う午後。 冷蔵庫でいつも冷えていた麦茶の、少し苦い味。そういうものが混ざり合って、 俺の夏という季節を作っている。 祖父の名前は霧島玄一郎といった。 享年七十九歳。俺が十五の春に逝った。 体の大きな人だった。 若い頃はかなり男前だったらしく、古いアルバムの写真を見ると、確かにそれなりの顔をしている。 だが俺が知っている玄一郎はすでに皺だらけで、白髪で、声だけがやけに若かった。 低くて、よく通る声。 その声で話されると、なんでも本当のことのように聞こえた。 あの夏の夜、祖父が俺に語って聞かせた話を 俺はずっと忘れられずにいる。 忘れようとしても、忘れられなかった。 あれは昔話のつもりで語られた話だった。 少なくともそのときの俺はそう思っていた。 だが今になって思えば... あれは昔話などではなかった。 あれは体験談だったのだと、俺は思っている。 その夜は妙に蒸し暑かった。 夕立が来るかと思って待っていたが、 雨は結局降らず、空だけが分厚い雲に覆われたまま夜になった。 庭の木が一枚も葉を揺らさない 妙に静止した夜だった。 俺は縁側に寝そべって、 腹の上に漫画を乗せたまま眠りかけていた。 祖父はその隣に座って、いつもの湯呑みにお気に入りの酒を入れて晩酌をしていた。 虫の声だけがやけに大きく聞こえた。 「おい!朔夜!何しとるんか?」 呼ばれて、俺は薄く目を開けた。 「...ん?」 「眠いんか?眠いなら布団で寝ないと...」 「んーん」 眠かったんだが祖父に呼ばれると、 なぜかそう答えてしまう癖が俺にはあった。 祖父の声には不思議な引力があった。 逆らえない種類の重力とでも言えばいいか。 「じゃあ...寝れる話しちゃるわ」 俺は漫画を脇にどけて、体を起こした。 「どんな話なの?」 「んー、昔話や」 「怖い?」 祖父はしばらく考えるように黙った。 湯呑みを口に運ぶ。 蚊取り線香の煙が細く揺れる。 「怖いとは違うなぁ」 そう言ってから、祖父は少し笑った。 「でも、忘れられん話や」 俺は胡座をかいて祖父の方を向いた。 縁側に腰掛けた祖父の横顔は、 逆光の中で不思議に若く見えた。 皺も、白髪も、その瞬間だけどこかに消えていた気がした。 ただ一人の男が、夜の庭を見つめている。 そういう絵のように見えた。 「昔、ある所に」と祖父は言った。 いつもの昔話の始まり方だった。 だが声の質が、いつもと少しだけ違った。 「昔、ある所に、えらいべっぴんさんがおった」 祖父の語り口は独特だ。 関西とも九州とも違う、 どこか曖昧な方言が混じっていて、 俺には出どころがよくわからなかった。 親に聞いたこともあるが「じいちゃんの言葉はじいちゃんだけのものやから」と母はいつも笑って誤魔化した。 現代語に翻訳するなら、こういうことだと思う。 昔、ある場所に、たいへんな美女がいた。 「その女はな、薔薇みたいな気品があってな」 薔薇のような気品。 「向日葵みたいな笑顔でな」 向日葵のような笑顔。 「百合みたいな艶があった」 百合のような艶やかさ。 三つの花で説明された女。 俺は子供心に、どんな花にも例えられる女というのは一体どんな顔をしているんだろうと思った。 薔薇と向日葵と百合を一度に咲かせた庭など現実には存在しない。 季節が全部ばらばらだから。でもその女はそういう、季節を超えた種類の美しさを持っていた... ということなのだろうと今は思う。 「一度見た男はみんなその女に惹かれた」 祖父は湯呑みを一口飲んで、続けた。 「惹かれるだけならまだよかったんやけどな」 その言葉に、俺は背筋がうっすら伸びるのを感じた。 「どういうこと?」 「惹かれた男は、皆...死んでいったんや」「――え?」 聞き間違いかと思った。 「行方が、分からない……?」 「はい。ご家族から捜索願が出ています。」 頭の中で、何かがぐらりと揺れた。 「そんな……。」 「最後に、紗英さんに会ったのはいつですか?」 佐伯が、優しい声で尋ねてくる。 その柔らかさが、逆に不気味に感じられた。 「……四日前です。」 「四日前、というと?」 「お店の営業が終わったあとです。ふたりで、軽く飲みに行きました。」 「なるほど。その後は?」 「店を出て、それぞれ帰りました。それ以来、会ってません。」 「連絡は?」 「してません……。次のシフトで会うと思っていたので。」 「シフトの日は?」 「三日前です。」 「その日、紗英さんは?」 「来ませんでした。連絡もなくて……店長も心配してました。」 「なるほど。」 黒田は、手元のノートに何かを書き込んだ。 その仕草の一つひとつが、やけに重く感じられる。 「朔夜さん。」 「はい。」 「紗英さんとは、恋愛関係にありましたか?」 直球すぎる質問に、思わず言葉が詰まった。 「――いえ、違います。ただの、バイト先の先輩後輩です。」 「そうですか。」 黒田が、俺の顔をじっと見つめる。 その視線に、思わず目を逸らしそうになった。 「ただ紗英さんのスマートフォンが、自宅近くの路上で発見されています。」 「――え。」 「本人の姿はありませんでした。」 その一言で、俺の思考が完全に止まった。 スマホだけが、路上に。 紗英本人は、いない。 「そんな……。」 声が、震える。 「じゃあ、紗英さんは……。」 「まだ分かりません。」 黒田が、遮るように言った。 「だからこそ、事件性がある可能性も含めて、あらゆる方向から調べる必要がありまして。」 事件性――。 その言葉の重さに、背筋が冷たくなった。 「朔夜さん。率直に伺いますが、あなたと紗英さんの間に、何かトラブルはありませんでしたか?」 「トラブル……。ないです、そんなの。」 「金銭的なこと、恋愛的なこと、どんな些細なことでも構いません。」 「本当に、何もないです。」 声が、少し大きくなってしまった。 自分でも驚くほど、動揺していた。 「……失礼、責めているわけではありません。」 黒田が、少しだけ口調を和らげる。 「念の
タクシーを降りた紗英は、夜明け前の住宅街をひとり歩いていた。火照った頬に、冷たい風が心地よい。「朔夜になんて事言ったんだろ……。」口元を押さえ、思わず笑ってしまう。「我ながら、めちゃくちゃ恥ずかしいよ。」もらってくれる、なんて。酔った勢いとはいえ、よく言えたものだと自分でも呆れる。でも――と、紗英は思う。嫌そうな顔はしていなかった。あの戸惑った表情を思い出すと、また頬が緩んだ。「ま、いっか。」「なんてね、で済ませとこう。」自宅マンションまでは、あと少し。街灯の少ない裏路地に入ると、辺りは急に静かになった。自分の足音だけが、アスファルトに響く。その時だった。背後から、エンジン音が近づいてきた。タイヤが軋む音とともに、黒いバンが紗英のすぐ後ろで急停車する。「え……?」振り返る間もなかった。スライドドアが勢いよく開き、中から黒い覆面を被った男が二人、飛び出してくる。「な――」声を上げる暇もなく、太い腕が紗英の体を捕まえた。「ちょっ!何っ――」口を大きな手で塞がれる。革の匂いと、汗の匂いが鼻をつく。「キャァ……ンンッ!」くぐもった悲鳴だけが、誰にも届かないまま夜に消えていく。必死に抵抗するが、女の力ではどうにもならなかった。体が宙に浮き、そのままバンの中へ引きずり込まれる。スライドドアが、乱暴に閉められた。「……っ、ンーッ!」薄暗い車内。紗英の視界に映るのは、覆面の奥の、感情の読めない目だけだった。エンジン音が唸りを上げ、バンは静かな住宅街を走り去っていく。紗英のスマートフォンだけが、アスファルトの上に落ちたまま、通知の光を点滅させていた。――それに気づく者は、まだ誰もいなかった。気づけば、倉庫のような場所に連れ込まれ、紗英は柱に括りつけられていた。何が起こったのか、理解できない。怖い。苦しい。視界を奪われたまま、闇の中で音だけを頼りに状況を探る。そんな中、男たちの声が聞こえてきた。「……あの人に言われてるんだ。さっさと片付けるぞ。」「はい!わかりました。」片付ける――。その言葉の意味を、紗英は必死に考えていた。「……っ、ンー!ンーッ!」猿轡越しにくぐもった声を上げても、誰も反応しない。冷たいコンクリートの床。かび臭い空気。かすかに聞こえる、換気扇のような機械音。ここがど
第3章 日常瑞稀との時間を終えた俺は、安堵から気づけば意識が飛ぶように眠っていた。目が覚め、軽くシャワーを浴びて大学のレポートを机に広げ、期限の近い課題を黙々と進めた。気付けば時計は午後六時半。「……そろそろ行くか。」制服に着替え、いつものBARへ向かった。店の扉を開けると、ウイスキーと木の香りが迎えてくれる。「おはようございます!」「おはよう、朔夜!」カウンターの奥から明るい声が返ってきた。「今夜もよろしくね。」彼女の名前は神代紗英(かみしろ・さえ)。俺の一つ年下だが、この店の看板バーテンダーだ。接客もカクテルも一流。将来は自分のBARを開くことを夢見ていて、店長からの信頼も厚い。俺も密かに尊敬している先輩だった。「今日は少し混みそうだから、グラス多めに出しておこうか。」「了解です。」「あと、氷も追加お願い!」「はい!」営業前の店内は慌ただしい。グラスを磨き、氷を補充し、酒瓶を並べる。そんな準備の時間も、いつの間にか好きになっていた。開店時間になると、店内にはジャズが流れ始める。俺がカウンターへ入ると、紗英が横目でクスッと笑った。「朔夜。」「はい?」「カウンターに立つ時はね、もっと笑顔。」「え?」「せっかくそんなにかっこいい顔してるのに、真顔だともったいない。」「いや……そんなこと言われても。」「ほら、少し口角上げて。」言われるまま笑ってみる。「そうそう!」紗英は満足そうに頷いた。「その方が絶対いい。」「ありがとうございます……。」「こうやって素直に直せるところ。私は結構好きだよ。」「褒められてるんですか?」「もちろん。」そう言って笑う紗英につられて、俺も思わず笑ってしまう。「よし!今日も楽しんでいこう!」「はい!」その一言だけで、不思議とやる気が湧いてくる。営業が始まると、店内は次第に賑わいを見せた。紗英はお客様一人ひとりの好みを覚えていて、「今日はいつものハイボール?」「今日は甘めにしましょうか?」そんな何気ない一言だけで、お客様の表情が柔らかくなる。俺もドリンクを運びながら、その接客を必死に真似していた。長かった営業も終わり、時計は午前2時を回っていた。「お疲れさま!」「お疲れさまでした。」店内を片付けながら、グラスを洗っていると、紗英が隣へ
......昨日...... ... 「ふふっ...うちの顔に、何かついてはります?...」... 「昨日?...昨日は...」 昨日はバイト帰りの途中に寄り道をして、 鞠子と会ってた。 「助けて...朔夜...」 この時、素直に言えてたら... 「一瞬でも、朔夜の女になれたんは嬉しかったよ...」 いや、言えるはずがない。 俺は咄嗟に、嘘をつかずに事実を隠した。 「昨日は、バイト帰りに繁華街を散歩しながら 帰ったよ。」 瑞稀はこちらを真顔で目を見開きながら 詰め寄ってくる... 「本当に!!?本当に何もなかったのですか!?」 「あぁ...普通に散歩して帰ったよ...」 このテンションの時の瑞稀はやばい... どうにかやり過ごさないと... 「あぁ...本当だよ。嘘はついていない」 瑞稀は数秒間、重なるぐらいの距離で俺を覗く。 「嘘...ですよね?フフッ...朔夜さん、今回は詰めが 甘いみたいですよ。」 !?!?...見られていたのか!?... でも、何も悪気は... 「ほっぺた、誰かに殴られたんでしょ? 腫れてますわよ。ほら、手当しますわ。」 「あぁ、ごめん。 瑞稀に心配かけたくなかったからさ」 ため息をつきながら、 「救急箱とってください...」と待つ瑞稀に 焦りを隠しながら、俺は手当をしてもらう。 以前、瑞稀は親との家庭環境のもつれから 精神的な発作を起こして両親を殺めようとした。 両親が世間に知らせてはいけないと、 表だった公表はされていないが... こうやって、瑞稀が自由気ままにできるのは ある意味両親にさえ恐れられている。 「まぁ、よかったですわ...」 ため息混じりに言葉を切り出す瑞稀... 「何がよかった?」と返すと、 「もし、女の子と会っていることを 隠しているのなら... 私......どうなるかわからなかったから...」 ははっ...とリアクションをした俺は そのまま手当を受けた。 そこに、瑞稀の携帯から着信がなる。 「失礼、少しお外で話してくるわ...」 携帯を持ち、外に出る。 俺は深いため息をついた。 危なかった... 今は、鞠子と出会ったことや 祖父の話はするべきじゃない。 鞠子が本当に呪いの類であっても、瑞稀は その相手を消滅させ