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All Chapters of 月灯りの花嫁。: Chapter 111 - Chapter 120

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13話-4 再会の果てに。

* * *冷え切った執務室で、ルファルはひとり、冬へと変わる凍てつく朝を迎えていた。机に左肘を突き、吐息をひとつ。白く濁った息が、窓の外へと消えていく。リリシアと約束を果たしたあの日から、どれ程の月日が流れただろうか。あの日の翌日から、世界はまるで自分達を分かつかのように、イーグルの怪異の予兆を撒き散らし始めた。増殖する怪異、時折異様に輝きを増す月──。終わりなき対応に追われる日々の中で、リリシアと過ごす穏やかな時間さえも失いつつある。邸宅に戻る時間は削られ、互いに交わす言葉は減り、ただ焦燥だけが胸を焼く。リリシアの体調は、あの予兆に時折蝕まれている。首に下げたネックレスが最悪の事態を防いでいるとはいえ、リリシアの顔色を見る度に心が痛む。膝の上で髪を撫でた、あの日。リリシアがようやく、姉であるユエリアから受け取ったという「月の花の髪飾り」について恥じらいながらも、あの穏やかな瞳で打ち明けてくれた姿。あまりの切なさに、今となってはそれすらも、夢だったのではないかとすら思えてくる。『今日は夜には帰宅する』そう約束した。……帰れるだろうか。ルファルは手に額を預け、零すようにその名を呼んだ。「リリシア……」* * *ハクヴィス邸の静寂の中、リリシアは書斎の窓を拭いていた。布を通して伝わるガラスの冷たさが、冬の訪れを告げている。吐く息は白く、心細い程に澄んでいた。(もう、冬になるのね……)――――ルファル様とは、最近ほとんど会話が出来ていない。イーグルの怪異の予兆の影響で、時折、毒に当てられたように体調が優れない夜もある。それでも、今朝は自分でも驚く程、身体が軽かった。きっと、そう。ルファルが『今日は夜には帰宅する』と、あのように優しく約束してくれたから。かつては、月が出る夜など来なければいいと、心底恐れていた。月の光が強くなる程に、世界も自分自身も蝕まれていくようで。けれど、今は違う。――――夜がこんなにも待ち遠しいなんて、わたしは、生まれて初めて知った。冷たい窓を磨きながら、心はすでに、玄関先でルファルの帰りを待っている。「……ルファル様、早く……会いたい」リリシアは窓に指先を添えて、そっと呟く。せめてこの一晩だけは、誰にも邪魔されない光の中で、愛しい人の温もりに触れていたいと。切なる願いを冷たい
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13話-5 再会の果てに。

* * * ハクヴィス邸の部屋の机で、リリシアは浅い微睡(まどろ)みの中にいた。 不意に、コンコン、と控えめな扉を叩く音が静寂を破るように響く。 『……リリシア様』 扉越しに聞こえたのは、ソフィラの落ち着いた声だった。 リリシアは重い瞼をゆっくりと持ち上げる。 『少し、お越し頂けますでしょうか』 胸の奥が、小さく波打つ。 何かあったのだろうか。 戸惑いながらも廊下に出ると、ソフィラは静かに先導する。 やがて邸宅を出て歩みを進め、付近の花畑へと向かう。 この花畑へ来るのは、これが初めて。 不意に冷たい風が頬を撫でたその時、リリシアの視界が止まった。 長く、絹のように美しい髪。 憧れ続けた、あの凛とした立ち姿。 「お姉、さま……?」 ――――間違えるはずがない。 わたしが、ずっと、ずっと、待ち望んでいた人。 「リリシア!」 「お姉さま……っ!」 名前を呼ぶと同時に駆け出していた。 冷たい冬の空気の中、互いの温もりに触れる。 抱き締め合う感触に、涙が溢れた。 夢ではないのだと、この温もりが証明している。 「お姉さま、まさか、またお会い出来るだなんて……」 「ルファル様に送って頂いたブレスレットのおかげよ。少しずつ……本当に少しずつだけれど回復して、こうして外へ出られるようになったの。貴女に、リリシアに会いたくて」 ユエリアの言葉に、胸が熱くなる。 ――わたしのせいで、あんなにも苦しめてしまったのに。 「動けるようになられて良かった……本当に、本当によかった……っ、ごめんなさい、お姉さま」 「謝らないで、リリシア。貴女のせいではないわ……あら」 ふと、ユエリアが優しく微笑みながら、髪に付けた月の花の髪飾りに視線を落とした。 「私の贈り物、まだ大切にしてくれていたのね。ありがとう」 お礼を言われただけで、胸がぎゅっと締め付けられる。 (お姉さまが、笑っている。それだけで、わたしは……) ふたりは名残惜しそうにそっと腕を解く。 「リリシア、ルファル様にお礼を言わなくては。ルファル様は今、どちらに?」 「ルファル様は最近とてもお忙しくて、今も宮殿に……。けれど、夜には戻られるはずです」 ひらりと、空から白いものが舞い降りた。 「あ……」 それは姉と今年初めて見る雪だった。 「雪……綺麗ね……くしゅん」
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14話-1 ほんとうの幸せ。

* * * ルファルは回廊を駆けていた。 凛とした背筋を伸ばし、一歩踏み出すごとに冷徹なまでの美しさを纏うその佇まいは、まるで氷の刃のよう。 ルファルが通り過ぎる度、使用人達は息を呑み、道を空ける。 宮殿の玄関まで辿り着くと、控えの間からソフィラが駆け寄ってきた。 常に感情を排した冷ややかな面持ちのソフィラが、今、珍しく顔を青ざめさせている。 「ルファル様!」 「ソフィラ、急用とは? ……何があった」 ルファルの短い問いに、ソフィラは深々と頭を下げる。 「――大変申し訳ございません。リリシア様が、ユエリア様に連れ去られました」 ルファルの瞳が大きく見開かれる。 リリシアが、ユエリアに? 「顔を上げろ。包み隠さず詳細を話せ」 命じられるがまま、ソフィラは顔を上げ、震える声で言葉を紡ぐ。 ソフィラの報告は簡潔だった。 ユエリアが自分にブレスレットの礼にと来訪し、サプライズでの面会を願い出たユエリアに応じてリリシアと花畑で再会を果たしたこと。 そして、雪が降り始めた隙に傘を取りに戻った僅かな時間の間に、ふたりの姿も、馬車も、跡形もなく消え失せていたこと。 「……ルファル様、こちらを」 差し出されたのは、砕け散った月の花の髪飾りだった。 これは自分の家から去る前にユエリアから受け取ったという髪飾り。 触れると、微かなイーグルの怪異の気配が残っていた。 ユエリアの容体がブレスレットで好転して動けるようなった事はハノから報告を受けていたが、これ程劇的な回復は不自然だ。 イーグルの怪異がユエリアを操り、邸宅へ訪れ呼び出し、リリシアを拉致した。 母親も御者も操られていたとすれば、全ての辻褄が合う。 ルファルは唇を噛み締め、砕けた髪飾りを握り締める。 こんなことになるのなら、もっと前に早い段階で邸宅に帰るようにすべきだった。 後悔が胸を刺す。 「カイス、シャイン皇帝は」 「まだ皇帝の間におられるかと。直ちに拝謁の要請を――」 「その必要はない」 ルファルの冷徹な声音に、控えていたカイスとソフィラが凍りつく。 ルファルは迷うことなく踵を返し、皇帝の間へと向かった。 * * * 「シャイン皇帝、ルファルでございます。緊急の用件で御目通り願いたく」 『入るが良い』 許可を得て皇帝の間へと足を踏み入れ、ルファルは静かにシャ
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14話-2 ほんとうの幸せ。

「しかし……」ルファルの言葉を遮るように、玉座のシャイン皇帝の瞳に、静かながらも鋭い光の炎が宿り揺らめいた。その圧倒的な威光を前に、ルファルは思わず息を呑む。「ここで明かさねばどこで明かす? これまでそなたの立場を守るがゆえに秘匿し、我の心の内に留めてきた。だが、時は満ちた。“月姫” となり得る存在――その光を失ってはならぬ」シャイン皇帝はルファルをじっと見据える。その眼差しは、底知れぬ静けさを湛えていた。「ルファルよ、リリシアを救いたいならば、己の全てを賭けよ」――リリシアを救う為ならば、全てを捧げてもいい。ルファルは沈黙ののち、深く頭を下げた。全てを受け入れる覚悟を決めて。その後、程なくしてカイスとソフィラが皇帝の間に呼ばれた。ふたりは戦場より届く魔術通信の受信という極秘任務。そしてシャイン皇帝直々の護衛役として、その身を捧げるよう直々に命じられた。ルファルは仮面を脱ぎ捨てるべく、支度の間へと向かう。暫しの時を経て、神魔術隊所属の全ての魔術師達が皇帝の間へと集結した。ルファルは、本来の身分を示す豪奢(ごうしゃ)な正装に身を包み、重厚な扉を押し開いて皇帝の間へと足を踏み入れる。その姿を目にした瞬間、周囲の空気が凍りついたかのようにざわめきが広がった。「え、え、ル、ルファル様!? ……とっても素敵!」頬を紅潮させたエルシーが、驚きと興奮を露わにする。「やはりな。あの気配……ずっと隠し通せるものじゃないと思っていたぜ」アルベルトは呆れたように笑う。「ようやく隠すのをやめたんだね」ハノは穏やかな笑みを浮かべ、全てを知っていたかのように静かに頷く。「……すごい。別の人みたいだ」リゼルは、少しだけ目を細めて呟く。「……マジかよ」テオは、吐き捨てるように短く言葉を零す。ルファルはシャイン皇帝の隣に立ち、彼らを見渡した。「これまで、この身分を隠していた。……私は」本来の名を告げた瞬間、エルシー、アルベルト、ハノ、リゼル、テオは一様に背筋を伸ばし、引き締まった表情でルファルを見据えた。ルファルは力強く命を下す。「これより、イーグルの怪異の在処を突き止め、討伐に向かう」* * *意識が戻った時、そこは冷たい霧に満ちた深い山の中だった。リリシアは、自身の置かれた状況に言葉を失う。体が、動かない。巨大な樹木の太い
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14話-3 ほんとうの幸せ。

* * *「リゼル、進むべき路(みち)は、ここで間違いないな?」鬱蒼(うっそう)と茂る山中を駆け抜けながら、ルファルは問いかけた。その背後で、小精霊の僅かな揺らぎを感じ取ったのか、リゼルが淡々と口を開く。「……間違いないよ。気配が濃くなっている。小精霊が騒いでいるんだ」その瞳には、すでにイーグルの在処(ありか)が映っているかのようだった。リゼルの小精霊を頼りにこの山まで辿り着いたが、進む程に邪悪な気配は濃度を増していく。この先にリリシアがいる。そう確信し、鼓動が早まる。「ルファル、空が」ハノの短い警告に、ルファルは魔術師達と共に駆けながら、一瞬、空を見上げた。焦燥がルファルの胸を焼く。夜が訪れれば、リリシアが身につけているネックレスがあっても、月の光を浴びれば呪いは加速する。一刻の猶予も許されない。「夜が近い。全員、急げ!」ルファルは号令と共に速度を上げた。やがて、ルファル達の行く手を阻むように、禍々しい邪気の障壁――透明な檻のような結界が立ちはだかった。「……ルファル、少し調べても良いか?」「ああ、頼む」アルベルトが障壁の前へ歩み出る。そして屈強な顎に手を添え、獲物を値踏みするような鋭い視線を結界に向けた。「見たところ、2人がかりじゃねぇと壊せそうもねぇ代物だな。テオ」「……チッ、あ~めんどくせぇ。俺がぶち壊してやるよ」テオが苛立たしげに舌打ちをし、その瞳に歪んだ狂気を宿らせ、結界に手を触れる。アルベルトも同時に手を触れ、力を込めたが、その強固な障壁は微塵も揺るがない。「そんな……っ! アルベルト様とテオ様の力でも壊れないだなんて……っ! ど、どうしましょう!」エルシーが顔を紅潮させ、信じられないものを見るような面持ちで声を震わせる。「エルシー、落ち着くです」肩の上の精霊が懸命になだめているが、事態は逼迫(ひっぱく)している。「全員、下がれ」ルファルは静かに命じた。魔術師達が後退すると、掌を障壁に向け、無詠唱で力を凝縮する。次の瞬間、月の魔術による渾身の一撃が、空間を切り裂いた。轟音と共に、結界は硝子のように粉々に砕け散る。魔術師全員がその破壊力に恐れを抱く。たが、静寂が訪れたその先で、ルファルは息を呑んだ。目の前には、ユエリアと空を覆い尽くす程の巨大なイーグルの怪異。そして――。リリシア
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14話-4 ほんとうの幸せ。

* * *月紐で結ばれた髪が、冬風にさらりと揺れる。目の前に立つのは、リリシアが知る「ルファル様」ではない。高貴なる威厳と皇子の正装を身に纏った、全く別人のような御方。(皇子様みたいだと口にしたことはあったけれど……まさか、本当に)ルファル様がシャイン皇帝の弟君様だったなんて。帝都へ向かう前、あの邸宅の休憩室で無意識に零した言葉。あの時、ルファルの眉間(みけん)に差した微かな翳(かげ)りは、今思えばこの身分ゆえの重圧だったのだと納得する。「ルファル様がフェリカディア皇国の皇子殿下だったとは……。驚いたわ。けれど、そうね。条件次第かしら」「条件?」ユエリアが、胸に手を当て真っ直ぐにルファルを見据える。「私を貴方様の花嫁にして下さいませ」「お姉さま、何を……」口から零れたリリシアの声は、酷く震えていた。ユエリアはリリシアの動揺など気にも留めず、淡々と続ける。「そうしたら、リリシアを返して差し上げるわ」「ふざけているのか?」ルファルの冷ややかな声音が響く。けれどユエリアは、かつての慈しみなど微塵もない、どこか楽しげにすら見える微笑みを浮かべた。「そうよね、このような条件、呑めないわよね。だって、貴方にはラズエラ様という婚約者がいらっしゃるもの」胸の奥が、氷を突きつけられたように痛む。(そうだ、わたしはただの花嫁候補に過ぎないもの……)「冷酷無慈悲とのご噂は本当だったようね。ラズエラ様という方がいながら、リリシアを取り返しに来るだなんて。そんな貴方の元へ返されて、リリシアは本当に幸せになれるのかしら?」「それは……」ルファルが一瞬、揺らいだ。その迷いが、リリシアの心に深く突き刺さる。(だめ、連れ去られたのはわたしの弱さのせいなのだから)――ルファル様を、これ以上困らせないで。「やめて&hell
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15話-1 月の姫。

* * * 次の瞬間、イーグルの怪異が荒々しく翼を羽ばたかせ、空間を切り裂くような暴風が吹き荒れる。 ルファルは魔術師達と共にその咆哮にも似た風圧に身構えた。 結界を張り、力を巡らせて耐え忍ぶ。 しかし、強烈な奔流に意識が持っていかれそうになった瞬間、世界が反転した。 気づけば、ルファルは花畑が広がる月夜の草原へと独り、飛ばされていた。 静寂に包まれた夜。その先、緩やかな斜面の頂(いただ)きに月の光を一身に浴びて佇む影があった。 半怪異と化したリリシアだ。 リリシアはこちらを静かに、光のない眼差しで見下ろしている。 「リリシア……」 呼んだ名前は風に溶けた。 不意に、脳内にハノの声が響き渡る。 『私はユエリア。その他4名はイーグルの怪異を封じる』 声はそこで途絶えた。 その波動からして、向こう側の湖畔にハノとユエリアがいるのは明白だ。ならば。 ルファルは空を仰ぐ。 天へと伸びるあの長い階段は、イーグルの怪異へと続いているということか。 エルシー、アルベルト、リゼル、テオも恐らくその場にいるのだろう。 ルファルは再び、リリシアへと視線を戻す。 胸の奥が冷たく凍りつくような感覚に襲われる。 ――リリシアは、この戦いで命を落とすことになるかもしれぬ。 脳裏に、皇帝の間でシャイン皇帝から突きつけられた言葉が蘇る。 光の予見。そして、シャイン皇帝にリリシアを初めて会わせた際の自らシャイン皇帝に差し出した誓い。 リリシアが導く存在になり得ず、呪いで怪異となり、皇国を滅ぼす存在となったならば、自身の手で彼女を斬り、その責としてこの身を差し出すという、あの過酷な約束。つまり。リリシアはこれより“私に殺され、命を落とす”ということ。今の自分はリリシアを殺さねばならない立場にある。 神魔術隊の長として、このフェリカディア皇国の皇子として、シャイン皇帝との誓いを果たすという義務が。 ルファルはその義務を果たすべく剣の柄を握り締めた。だが、指先が震える。 ――――抜けない。 頭では理解している。これこそが、この理不尽な事態に決着をつける唯一の道なのだと。 だが、心は頑なにそれを拒絶していた。 ――その光を失ってはならぬ。ルファルよ、リリシアを救いたいならば、己の全てを賭けよ。 シャイン皇帝の厳かな命が、耳の奥で鳴り響く。 そ
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15話-2 月の姫。

* * *静寂を裂くように、月光の降り注ぐ湖畔でふたつの影が対峙していた。「リリシアが相手じゃなくて、残念だったわね」ユエリアの声音は美しさを纏いながらも、どこか冷たく澱んでいる。対するハノは、ただ静かにユエリアを見据えた。水面を渡る風が、ハノの髪を優しく揺らす。「……何が言いたい」ハノの短い問いに、ユエリアは薄く笑った。「だってハノ様は、あのリリシアを好いておいででしょう? どうせならハノ様が命をなくす最期の瞬間、その愛しい手で消されたかったのではなくて?」ハノは眉一つ動かさず、毅然と言い放つ。「私は怪異になど負ける訳がない。例え怪異の身に成り果てようとも、リリシアがそのような真似をするはずがない」ハノは腰に差した、柄のようなものに静かに手をかける。「ゆえに私も、リリシアが大切に想っている貴女を斬る訳にはいかない……貴女を救い出してみせよう」その瞬間、大気中の水分が渦を巻き、吸い込まれるように柄へと集う。透き通るような「水の刃」が形成され、月光を反射して煌めいた。「……お話にならないわ。私の視界から、今すぐ消えなさい!」ユエリアが叫ぶと、彼女を包んでいた邪気が黒き茨へと変貌し、奔流となって放たれる。だが、ハノは水の剣を一閃させる。黒き茨は邪気ごと両断され、浄化の雫となって霧散していく。――私は、ベルフォード家の長女。4歳の時、儀式で木に触れ、美しい黄色の花を咲かせ、月の魔術を持ち合わせていることが分かった。両親は「ベルフォード家の自慢の娘」と私を誇り、期待を寄せていた。けれど6歳の時、妹のリリシアが生まれ、私は「姉」という重責を背負わされた。自慢の姉として優秀で居続けなければならない。何よりも、妹よりも愛されていなければならない。けれど、あの日。リリシアの儀式に巻き込まれ、呪いが私の未来を閉ざした。縁談は全て立ち消え、光の当たらない部屋で伏せり続ける日々。それなのに、リリシアだけがハクヴィス邸へ。そこで命を落とすどころか、ルファルの花嫁候補へ出世した。けれど母は自分がこうなったのは全てリリシアのせいだと、私に毒を吐き続けた。『リリシアが……私の全てを奪ったのよ』気づけば胸の奥底は、リリシアへの嫉妬と憎しみという名の煤(すす)で真っ黒に塗りつぶされていた。自分は祝福されて生まれたはずだったのに。ハノ
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15話-3 月の姫。

* * *リリシアは、意識の底へ、底へと沈んでいく。冷たい茨が全身を絡め取り、自分という存在を締め上げていくようだ。――救いたい。ただそれだけを願ってきた。生まれ育った家も、お父さまも、お母さまも。そして何より、わたしの唯一の光であったお姉さまを。けれど、どれほど手を伸ばしても、そこには温もりなど存在してなどなかった。日々積み重ねてきた努力も、祈りも。全ては最初から、無意味な、独りよがりな願いに過ぎなかったのだ。両親の愛情は、初めからユエリアという光にしか向けられていなかった。――わたしは、この世から消えることだけを望まれていた。存在すること自体が、汚れ。この胸を締め付ける呪いさえも、わたしを家から追い出す為の都合の良い口実に過ぎなかった。ルファル様も、いずれはラズエラ様と結ばれる身。以前、わたしを好きだと、どんなに過酷な運命であっても変えてみせる、必ず花嫁にしてみせると、と約束して下さった。けれど――そんな言葉はあまりに遠い夢物語に過ぎない。ラズエラ様と婚約なされた時点で最初から無理に決まっていた。わたしのような者が幸せになれるはずなどなかったのだ。幸せになれないのなら、いっそ。この世から、わたしという存在の全てを、この闇に溶かして消し去ってしまえばいい。月が煌々と輝く夜、花畑が広がる草原の緩やかな斜面の頂きで、リリシアは自らを消し去る為の邪気の結界を張った。誰も寄せ付けない、拒絶の檻。どろりとした邪気が、リリシア自身の身体を毒のように少しずつ蝕んでいく。「リリシア、やめろ」聞き慣れた、凛とした声が響いた。ルファルが、迷いのない足取りで、一歩、また一歩と近づいてくる。はぁ、はぁ、と荒くなる息。心が苦しい、痛い。痛くてたまらない。それでも、この拒絶の檻だけは誰にも破らせない。「……嫌っ……来ないで!!」リリシアは拒絶の想いを込めて、結界を極限まで強めた。――けれど。パリィ、ン。硬質な音を立てて、リリシアの全てだったはずの結界が、突き抜けたルファルの体によって紙屑のように一瞬で砕け散る。呆然とするリリシアの身体をルファルが強引に引き寄せ、その腕の中に隠すようにして抱き締めた。無詠唱で放たれる月の魔術が、周囲の澱んだ邪気を霧散させていく。その光はあまりに眩しく、けれど同時に、リリシアが放つ凄まじ
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15話-4 月の姫。

リリシアを縛り付けていた冷たい茨が、解けていく。(いいの……? 本当に、ルファル様の元へ戻ってもいいの……?)あんなにも、この世から自分の存在そのものを消し去ってしまえばいいと願ったはずだった。けれど、心の奥底で、小さな灯火(ともしび)が震えている。……本当は、消えたくない。貴方の元へ帰りたいと、切に願っている。わたし、ルファル様との、約束を果たしたい。最後の一片が解けた瞬間、リリシアの瞳に光の世界が戻ってきた。そこには、ただ真っ直ぐにリリシアを見つめる、愛しき人がいた。「……ルファル、様」「リリシア、戻ったようだな……良かった……」ルファルの腕が、迷いなくリリシアを強く抱き締める。彼の体温が、リリシアの凍てついていた心に流れ込んでくる。 ぽろりと、涙が頬を伝った。(ああ、夢じゃないんだ……わたし、本当に戻って来れたんだ……)「リリシア。おかえり」(玄関先でルファル様のお帰りを待つはずが、逆になってしまったけれど)「……ただいま、ルファル様」その言葉を紡いだ途端、約束を果たした安心感と張り詰めていた糸が切れた安堵で、嗚咽が漏れる。「っ……ルファル様……わたし、貴方を、傷つけて……っ、ごめんなさい、ごめんなさい……うわああああぁぁ……!」嗚咽が止まらない。自分のせいで負わせた傷が、申し訳なくて。貴方の命を奪うことさえ厭(いと)わなかった自分が、恐ろしくて。大粒の涙が、ルファルの肩を濡らしていく。ルファルは何も言わず、切なげな瞳を伏せ、ただ、体を震わせて泣きじゃくるリリシアを抱き締め続けた。やがて呼吸が落ち着くと、ルファルは長く美しい指先で、目元の涙をそっと拭った。「落ち着いたか」「……はい。戦場だというのに、情けない姿を……申し訳……」「もういい。謝るな」ルファルは、その涼やかな瞳を少しだけ細め、リリシアの身体を労(いたわ)るように見つめた。「この体の傷は、お前を救う為に刻んだものだ。気にする必要はない」「ルファル様……」ルファルの視線が、遥か高みへと続く、天へ繋がる階段へと向く。「あちらの階段は……?」「……イーグルの怪異へと通じる道だ。エルシー、アルベルト、テオ、リゼルがすでに討伐に入っている」「ハノ様は?」「お前が泣いている間に天の階段からハノの気配を感じた。ユエリアと一戦を交え、今は4名
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