社長の子じゃありません――でも、逃がしてもらえない のすべてのチャプター: チャプター 201 - チャプター 205

205 チャプター

第201話

智宏は、三久のお腹がまだそれほど目立たない時期であることも踏まえ、あれこれと注意事項を並べ立てた。帰り道、三久は梨々香に電話をかけ、由樹と鉢合わせしたことを話した。「神様も、あなたの妊娠生活にとんでもない試練を用意してるんじゃないの!?酒井のやつ、よりによって産婦人科なんかに何しに行ったのよ。まさか婦人科の病気にでもかかったっていうの?」梨々香は聞いているだけで肝を冷やした。三久は車を走らせながらちらりと時計を見て、「これからそっちに寄るね。何か食べたいものある?買っていくよ」と応じた。「小さめのミルフィーユ、あと……」梨々香が話し終えるより先に、通話が途切れた。由樹から電話がかかってきたのだ。三久は電話に出た。「社長」「夜の十時に、アルカディアまで迎えに来い」由樹の低い声が響く。「はい」アルカディアは西戸市随一の豪華社交クラブであり、そこに出入りできること自体がステータスと権力の象徴だった。もっとも、由樹は仕事に追われる身であり、そのような場所にはめったに顔を出さない。三久がまた夜遅くに由樹を迎えに行くと知り、梨々香はこんな時間まで人使いが荒すぎると悪態をついた。「高いお給料をもらうのも楽じゃないのよ」三久はこの生活リズムにすっかり慣れていた。ただ、今日の智宏の言葉を思い出すと、腹の子に少しばかり申し訳なくなる。三食きちんと食べるよう心掛けてはいるものの、仕事の忙しさで体力を削られ、どうしても十分な栄養が摂れずにいた。「あの秦先生、結構イケメンじゃない」梨々香はネットで龍太郎のことを調べ上げ、写真まで見つけていた。「本人はどんな感じ?」と三久に尋ねる。「私の好みじゃないよ」三久はゆっくりと首を横に振った。「あなたの言葉で言うなら、細身の犬系ってやつ」梨々香は男を色々なタイプに分類していた。狼系、子犬系、細身の犬系、猛犬系……ほかにもまだたくさんのタイプがあって、三久にはとても覚えきれない。「あたし、細身の犬系、好きなんだよね」梨々香は迷いなく言った。「今度、自分で会いに行ってみようかな」三久は蒼汰をあやしながら、じろりと梨々香を睨んだ。「あの人、あなたの婦人科の診察もするんだよ。まさか、ズボンまで脱いで診察台に寝転がって、先生をからかうつもりなの??」梨々香はぴたり
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第202話

三久は驚いた顔で龍太郎を見た。由樹のような男が、愛情もないのに結婚などするだろうか。よほどの事情でもない限り――たとえば、自分に責任を取るためでもなければ。龍太郎の問いに、由樹は答えをはぐらかした。「飲みすぎだ。とっとと帰って酔いを冷ませ。くだらないことを言うな」そう言うと、龍太郎の上着を掴み、その頭めがけて放り投げた。「先に帰る」言うが早いか、由樹は個室を出て行った。三久も我に返り、すぐさま後を追った。龍太郎は頭に落ちてきた上着を掴み取ると、室内の他の面々に一声かけ、足早に後を追った。三人は連れ立ってエレベーターに乗り込んだ。個室にはタバコと酒の匂いが充満していて、三久は息苦しさを覚えていた。由樹と龍太郎はまるで酒とタバコに漬け込まれていたかのように、体からその匂いを漂わせている。三久は思わず二歩下がり、隅の方へと身を寄せた。「由樹とはもう何年になる」龍太郎はエレベーターの壁にもたれたまま、振り返って三久を見た。由樹も彼女へと目を向ける。「五、六年ってところか」「五年七か月です」三久は頷いて答えた。「なら、君の知る限りで聞かせてくれ。君のところの社長は、村上に愛情があると思うか」龍太郎はこの話題に、ずいぶんと興が乗っているようだった。由樹は眉をひそめ、不快さを滲ませた。「もちろんございます」三久は答えた。それを聞くなり、龍太郎は突然笑い出した。「ははっ……本当に愛情があるなら、どうしてこんなに長い年月をかけて、やっと実を結んだんだ?」三久は目を伏せ、素知らぬふりをして聞かなかったことにした。由樹も答える気配はない。狭いエレベーターの中は、一瞬、水を打ったように静まり返った。やがて「ポーン」という音とともに扉が開いた。「由樹さん、龍太郎!」エレベーターの外で、千歳が息を切らして立っていた。黒いエルメスのバッグを腕にかけたまま一歩前に出ると、由樹の腕に抱きつき、そのまま外へと引っ張り出す。それからようやく、三久の存在に気づいた。けれど今はそれどころではないとばかりに、どこか警戒した眼差しを龍太郎へと向けた。「龍太郎、帰国したなら一言くらい言いなさいよ。私と由樹さんが結婚するの、知ってるでしょ?それなのに集まりに呼ぶのは由樹さんだけで、私は呼ばないってどういうこと?」
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第203話

「村上、前にも言ったはずだ。俺を怒らせるなら、それ相応の代償を覚悟しろ。それでも痛い目を見たいなら、好きにしろ」千歳は冷ややかに笑った。「秦家全体に恥をかかせたくないなら、由樹さんとの関係を壊したくないなら、あんたは私の言うことを聞くしかないの。脅すのはやめてよ!」龍太郎は歯を食いしばり、感情のない目で彼女を見据えた。「由樹はお前を愛したりしない。一生涯、決してな」一瞬、千歳の顔から血の気が引いた。「あんたには関係ないでしょ!」歯を軋ませながら言う。「頼んでたことはどうなったの?三久のお腹の子が誰の子か、いつになったら分かるの?」龍太郎は張られた頬を手で撫でながら言った。「あいつは別の医者のところで妊婦健診の登録をした。俺にはどうしようもない」「何ですって?」千歳の顔が険しくなる。「『酒井家の若奥様』であるお前なら、もう一度くらい手を回せるんじゃないか?あいつをその医者から俺のところへ転院させればいいだけの話だろう」龍太郎は皮肉たっぷりに言った。千歳は怒ったように言った。「神崎の目を盗んであんたを送り込むだけでも、どれだけ苦労したと思ってるの?そう簡単に二度もできるわけないでしょ」「神崎?」龍太郎の目に興味深げな色が浮かんだ。「ずいぶんと大がかりな芝居だな。あいつまで巻き込んでるとは」「高みの見物を決め込むのはやめてよね。連絡を待ってなさい」千歳は吸い殻を彼に投げつけると、背を向けて立ち去った。龍太郎は、彼女にとって最も重要な手駒だった。この駒を最大限に働かせなければならない。遠ざかっていくその背中を見つめる龍太郎の眼差しは、氷のように冷え切っていた。けれど千歳が握っている弱みを思うと、彼は歯を食いしばり、踵を返して車へと向かった。……静まり返った車内。窓は半分開き、風切り音が響いている。由樹は眉間を指で押さえながら、墨色の瞳で窓ガラスに映る三久の横顔を見つめていた。艶やかな黒髪、白磁のような肌。ほのかな香りが鼻先をかすめる。最近、三久と二人きりになるたびに、彼の胸の奥にはどこか落ち着かない感覚が湧き上がってくる。何か言いたいのに、何を言えばいいのか分からない。どうやら自分だけが、この空気を気まずく感じているようだった。それなのに、三久はいつも通り平然としている。由樹は目を閉じたが、
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第204話

「どうしてあんたなの?」摩美は、由樹が千歳と一緒に帰ってきたものと思い込んでいた。近づいて、由樹の傍らにいるのが三久だと分かると、摩美の顔が曇った。「こんばんは」三久は丁寧に告げた。「社長をお送りしました」そう言うと由樹に向かって会釈した。「他にご用がなければ、これで失礼いたします」「ああ」由樹は短く返事をしただけで、三久の車が走り去るのを待たずに、先に邸内へと足を向けた。摩美は三久にひと言ふた言小言を言い、今後は由樹と二人きりで過ごさないよう釘を刺すつもりだった。けれど二人はそのまま別れてしまい、摩美は仕方なく由樹の後を追った。「千歳ちゃんとの結婚式もどんどん近づいてるのよ。そろそろ準備に取りかからないと」「母さんに任せます。村上家の皆さんと相談して進めてください」由樹は玄関で靴を脱ぐと、そのまま二階へ上がろうとする。摩美は階段の下で呼び止めた。「たくさんのことを両家で話し合わなきゃいけないの。あんた、いつなら時間が取れるの?」「あなたが代わりに進めてくだされば結構です」由樹は足を止めて振り返った。「仕事が忙しいので」「仕事を言い訳にしないでちょうだい!」摩美は苛立たしげに言った。「一生に一度のことなのよ。真剣に向き合いなさい」由樹は腰を階段の手すりに預けた。頭上の豪奢なシャンデリアの光が、その姿を丸ごと包み込んでいる。「……もう二度目ですが」「過去のことなんて、今さら持ち出してどうするの!」摩美は怒りで胸を上下させた。「あんなのは、なかったことにするのよ!」由樹の眉がわずかに動いた。だとすれば、三久が今、あれほど素っ気なく彼に接するのも、あの二年間の結婚生活をなかったことにしているからなのか。彼は薄い唇を真一文字に引き結んだ。「いつなら時間が取れるの?村上家の皆さんと食事でもしながら、式の詳細を詰めましょう」摩美は努めて穏やかに話を持ちかけた。由樹は腕時計に目を落とし、伏せた瞼の下に感情を隠した。「三久に手配させてください」そう言うと、彼は踵を返して階段を上っていった。摩美はとうとう堪忍袋の緒が切れた。「あんたのことなのに、どうして秘書なんかに手配させるのよ!そんな態度で、村上家の皆さんが安心して千歳ちゃんをあんたに任せられると思ってるの!?」その怒声を背に、由樹
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第205話

例のプロジェクトも軌道に乗り始め、三久は再び十七階から最上階のオフィスへ戻ることになった。翌朝、出社の支度をしていると、スマホが鳴った。洲人からの電話だった。「神崎社長」「なんだ、まだ俺を避けてるのか」九洲グループの人間と何度も顔を合わせる機会があったのに、三久はそのたびに欠席していた。確かに洲人を避けたい気持ちもあったが、それ以上に単純に忙しすぎたのだ。「何かご用ですか?仕事中なので」三久はそっけなく問い返した。洲人は鼻を鳴らした。「一応、教えておいてやる。あの秦ってやつ、酒井とも村上とも知り合いだぞ。あいつを主治医にしてたら、妊娠のことがバレるぞ」彼も最近は忙しく、病院側の動きを見落としていた。今日になってようやく、三久のもともとの担当医が辞職していたことを知った。代わりに龍太郎が異動してきて、三久を担当することになっていたのだ。「教えていただきありがとうございます。もう別の先生に変えました」三久は丁寧に礼を言った。もしあの日、病院で由樹と鉢合わせしていなければ、今頃、彼女の担当医は龍太郎になっていたはずだった。洲人は「へえ」と声を上げた。「そんなに先を読んでたのか?しばらく見ない間に、お腹はまた一回り大きくなってるんじゃないか?まだバレてないのか?」善意の忠告に、野次馬のような意地の悪さが混じっていた。「ご期待に添えず申し訳ありませんが、今のところはまだです」三久自身も待っていた。妊娠が知られる日を。まさか千歳の方から何の動きもなく、会社でも誰一人気づかないとは思いもしなかった。「ちっ、まあいい。プロジェクトが一段落したら、祝勝会でも開いてやるから、絶対来いよ」洲人は恩を売るように言った。「酒井の前で、君が最大限の歩合をもらえるように口添えしてやるぞ」このプロジェクトがうまくいけば、三久は百万円単位の歩合を手にできる。それがあれば、今の切り詰めた生活も多少は楽になるはずだった。もし業績が良ければ、もしかすると、もう一度退職を切り出すチャンスが巡ってくるかもしれない。「ありがとうございます、神崎社長」三久はもう一度礼を言って電話を切った。ツーツーという通話終了音が、洲人が続けようとしていた言葉を遮った。彼は通話が切れたスマホの画面をじっと見つめ、舌打ちをした。「はぁ…
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