Masuk定年退職した元教師・高橋裕子が、あるトーク番組に出演した。教え子には大企業の社長や有名な研究者が名を連ねる名物教師だ。 「最も印象に残っている生徒は?」 そう尋ねられると、先生は唇を噛みしめて、苦々しく笑った。 「一番、手がかかった女の子です。 学年一位だったのに、札付きの不良と付き合っていました。 その子の将来を思って、彼女が書いたラブレターを保護者に渡したんです。そうして、二人は別れることになりました。 でも結局、その子は大学受験に失敗してしまいました。逆にその男の子は一流大学に合格して、今では金融界の大物になっています。 人生って、本当に何が起こるかわからないものですね」 司会者も感慨深げにうなずいてから尋ねる。 「その教え子に、今伝えたいことはありますか?」 先生は小さくため息をついて、目にはうっすら涙を浮かべる。 「伝えたくても、もう届かないんです。 その子は白血病を患っていたんですが、治療費を工面できなくて……3年前に亡くなりました」 このシーンだけが切り取られて、SNSで瞬く間に拡散されてトレンド入りを果たした。 しかし、この物語のもう一人の主人公・一ノ瀬蓮は、そのことをまだ何ひとつ知らない。 国際的な金融カンファレンスを終えたばかりの彼は、婚約者・柚木瑞穂に贈るピンクダイヤのネックレスを買うため、オークションへ急いでいる。
Lihat lebih banyak蓮は精神を病んだとして、先生の勧めで入院することになった。秘書が必死に報道を抑え込もうとしたものの、半日もしないうちに【一ノ瀬グループ社長、精神状態に異常】という噂は瞬く間に世間へ広がってしまう。意識を取り戻した蓮が最初に目にしたのは、瑞穂からのメッセージだ。彼女はこのところ、ウェディングドレスを選ぶために海外に滞在している。海外に滞在している彼女に対して、蓮は特に気に留めなかった。彼女から届くメッセージにも、気が向いた時だけ短く返事をする程度だ。異変に気づいた瑞穂はそれ以上連絡してこなくなる。そして最後に届いたのは「婚約解消」を告げるものだ。蓮はぼんやりとした頭で画面をタップして、ただ一言、【分かった】とだけ返信する。一ノ瀬家と柚木家は、婚約を機に事業面でも深く結び付いていた。婚約解消となれば、両社の株価が大きく揺れるのは避けられない。特に精神状態を巡る報道の渦中にいる蓮にとっては、致命的なショックだ。だから退院後、蓮はすぐに仕事に没頭するようになる。海外市場への進出を狙って、自ら陣頭指揮を執ってクロスボーダーM&Aを進めることになる。海外へ行く前、彼は再び私の墓を訪れる。長い間佇んだ後、ぽつりと語りかける。「栞……俺は上手くやっていけると思うか?」私に残された意識は、もうほんのわずかしかない。空を漂うこともできず、墓石にもたれながら、力なく手を振る。「蓮、行って。これからは、自分の人生を歩んで」蓮の乗った飛行機は悪天候のため大幅に遅延した。乗り継ぎの空港で待たされている最中、取引先から提携解消の連絡が入る。どれだけ説明しても、相手が聞き入れることはなかった。帰国の便は、激しい乱気流に見舞われる。機内が悲鳴と泣き声に包まれる中、蓮だけが妙に静かだ。まるで、ずっと待ち望んでいた結末を迎えようとしているかのように。「……これで終わるのも悪くないな。栞、やっとお前に会える」けれど運命は、彼を死なせない。無事に着陸して、空港に降り立った彼を待っているのは、一ノ瀬グループの株価のストップ安という現実だ。提携解消により、資金繰りは急速に悪化して、会社は大きな打撃を受ける。そこへ追い打ちをかけるように、高校時代のスキャンダルが暴露される。【一ノ瀬グループ社長の母、既婚男性と不倫】という話題はニュースやS
先生の記憶の中の私は、とても強い人だった。志望校に落ちても泣かず、劣悪な工場で長時間働いても泣かなかった。白血病だと知らされた時でさえ、一滴の涙も流さなかった。先生は寂しそうに笑う。「『涙はあの日、全部流しきっちゃいました』って言ったの。何があったのか知らなくて、私のことをまだ恨んでるのだと思っていたわ。後からすべてを知って、いっそ恨まれ続けていた方がよかった。そうすれば、生きる気力まで失わずに済んだかもしれないのに」……抗がん剤治療は苦しかった。でも一番つらかったのは、死が少しずつ近づいてくる恐怖だ。生きたいのに、生きられない。もうすぐ死ぬなら、なぜこれほど苦しまなければならないのか。ベッドの上で絶望に喘ぎながら、生まれて初めて強い恨みを覚えた。けれど、誰かを恨むことすら、あの時の私には重すぎたのだ。先生の手を握って、外へ連れて行ってほしいと頼んだ。穏やかな小春日和の日、私たちは芝生の上を歩いた。先生は黙ったままで、私ばかりが、とりとめのない話を続けていた。高校の警備員さんって、顔は怖いけれど本当は優しいことや、教頭先生が大事にしてたモクレン、実は委員長が水をやりすぎて枯らしてしまったことなどを話し続けた。そんな学校中の噂話は、いつも蓮が聞かせてくれた。彼はどんな些細な話でも面白く話す天才だった。「私だって彼の立場なら、信じないと思います。大切な家族を失った人の前では、好きなんて気持ちは、本当にちっぽけなものですから」先生は複雑そうな表情で私を見つめて、何か言いたそうに口をごもらせた。その夜、何十機ものドローンが空へ舞い上がって、ハートの枠、そして蓮と瑞穂の名前を描き出していた。二人の婚約パーティーの演出だった。夜空に浮かび上がる二人の名前を見上げながら、心から納得していた。「これでいいんです。本当にお似合いですね」最後の力を振り絞って、彼らに祝福の拍手を送った。ずっと傍にいてくれた先生が、静かに呟いた。「もしあの事件がなかったら……あなたたちも、こんなふうに幸せになれたかもしれないのにね」首を横に振って、淡く笑った。「違うと思います。私たちはそもそも生きる世界が違うんです。あの事件がなくても、親の因縁は、いつか必ず私たちにも降りかかってきたはずですから。……もっと早く
蓮の動きは早かった。頭の傷を縫い終えたばかりだというのに、秘書はもう調査結果を持ってきている。町の北外れにある廃ビルで、あの日の男たちと再び顔を合わせることになった。不思議なことに、もう怖くはない。一人ひとりの前まで漂っていって、じっと顔を見つめる。私を傷つけた奴らも、ごく普通の人間の顔をしている。どうして何も悪いことをしていない私は死ななければならなかったのか。どうして罪を犯した奴らがのうのうと生きているのか。蓮がやって来る前に、奴らはすでに散々痛めつけられていた。顔を腫らして、まともに言葉も発せない者が何人もいる。蓮の視線が向けられるたび、奴らはびくっと首をすくめた。「社会のゴミめ。まだ生きてたのか。てめえらに人生を狂わされた人間は、3年前に死んだ。……これが公平だと思うか?」男たちは横一列にひざまずいて、不安そうに顔を見合わせる。その中の一人が震えながら口を開く。「お、お兄さん……人違いじゃないか?何も悪いことした覚えねぇよ」周囲の奴らも慌てて同意する。「そうそう!俺たちは何もしてねぇ!」蓮の周囲の空気が一瞬で凍りつく。歯を食いしばって、こめかみの血管が浮き出る。「覚えてない、だと?忘れられてたまるかよ?」蓮は一番近くにいる男の胸ぐらをつかんで、本当に殺してしまいそうなほどの力で首を絞める。彼の瞳には、その場にいる全員を焼き尽くす業火のような怒りが燃え盛っている。首を絞められた男は必死にもがきながら、苦し紛れに言葉を絞り出す。「お、思い……出した!あの、女だ……」蓮は男を力任せに地面へ叩きつける。男は大きく息を吸いながら後ずさりして、化け物を見るような目で蓮を見上げる。 「俺たちのせいじゃない……あいつが誘ってきたんだ!夜中にあんな格好して、一人で歩いてたんだからよ!」蓮はゆっくりと歩み寄る。転がっていた鉄パイプを拾い上げて、手の中でひょいひょいと重さを確かめる。地獄から這い出てきた悪鬼のような禍々しいオーラを纏っている。「てめえらは、生きてる資格なんてない」次の瞬間、鉄パイプが男の頭へと容赦なく振り下ろされた。……私は廃ビルの外で蓮を待つ。思っていたより早く、彼は外へ出てきた。彼は水道の蛇口の前にしゃがみ込んで、黙って手を洗い始める。最初は丁寧に洗っていた。でも、
こんな蓮を見るのは初めてだ。一瞬、現実を受け止めきれないように固まる。瞳が大きく揺れて、喉の奥からかすかな息が漏れる。まるで、見えない手で首を絞められているようだ。さっきまで胸に抱いていた、わずかな希望も、いまや粉々に砕け散っている。蓮は何か言おうと口を開くが、声がうまく出ない。「……そんなはずない」だが現実は容赦なく突きつけられる。警察の記録には、被害者として私の名前がはっきりと書かれている。全身打撲、右腕骨折という痛々しい診断結果に、蓮の視線が釘付けになる。わずかに残っていた希望さえ打ち砕かれた。胸の奥に押し寄せた悲しみと後悔はあまりにも大きく、目は充血して、息をするのも苦しそうだ。よろめく体をなんとか支えようとするが、力が入らない。蓮はゆっくり息を吐いて、爪が手のひらに食い込むほど拳を握り締める。背筋が凍るほど冷たい声で命じる。「……あいつらを探せ。それと、栞の母親に会わせろ」もう3年も母に会っていない。精神状態が落ち着いた後、彼女は家を売って引っ越した。近所の人たちは「再婚したんだろう」と噂していた。母はただ、私にも、あの家にも絶望しただけなのだ。母が幸せなら、それでいい。ずっとそう自分に言い聞かせてきた。だから、薄暗い部屋で、蓮がそのひどく老け込んだ女性に向かって「おばさん」と呼びかけた時、一瞬誰のことか分からなかった。しばらくして、それが母だとようやく気づいた。彼女はすっかり年老いて、生気も失われている。狭くて古びたアパートに住んで、スーパーの値引き弁当で食いつないでいるようだ。蓮が名乗ると、焦点の合っていなかった母の目に、わずかな光が宿った。「……あんた、栞の人生をめちゃくちゃにしただけじゃ飽き足らないのか?今度は私に嫌がらせしに来たのか?」蓮は無言のまま、あの記録を母の前に差し出す。「栞が死んだこと、知ってるか?」母はコップの水を一口飲んで、淡々と言う。「あんなブラック工場でずっと働いてたんだ。死なないほうがおかしいだろうよ。死んだ方が、あの子は楽だったんだよ。私が足手まといになることもないし……」蓮は両手を強く握り締めて、必死に怒りを押し殺している。「実の娘だろ!あんな酷い目に遭ったんだぞ!母親ならどうして守ってあげなかったんだ?どうして犯人を野放しにしたんだ?」母