LOGIN旅行結婚をしようと決めてから、もう二年が経った。 それなのに、深沢拓海(ふかざわ たくみ)はいまだに私たちの旅程を決めていなかった…… 私、斎藤晴香(さいとう はるか)は、もう待てなかった。 私がもう一度彼を問い詰めると、彼はようやくタブレットを取り出し、自分で作ったという旅行プランを見せてくれた。 「晴香、俺はただ、この旅を最高の旅行にしたかっただけなんだ」 二年間ずっと溜め込んできた不満と、彼に対する疑念が、私の胸の中でぐるぐると渦巻いている。 スマホがピコンと鳴り、彼は立ち上がって少し離れた場所へ移動した。 タブレットには、彼がログアウトし忘れたLINEの画面が開いたままになっており、ピン留めされたアシスタントの女の子からの通知が飛び込んできた。 【拓海さん、すごすぎるよ! たった二日で旅行計画を立てちゃうなんて……お礼に、二人分の航空券を買っておいた♪】 【独身旅行なんだから、晴香さんを連れていっちゃダメなんからね♡】 チャットの履歴には、拓海が細かく書き込んだ旅行プランがぎっしりと並んでいた。 彼が私に見せたプランはすべて、この二日間のうちに、あの女の子のために作ったものだったのだ。 それなのに、私は丸二年もの間、待ち続けていたというのに…… 耳元に拓海の声が響く。 「晴香、今月は景色がよくないから、来月出発することにしないか?」 「もういいわ」 私は冷静だったが、同時に全身が強張るのを感じていた。 「拓海、私たち、別れよう」
View More――番外編:深沢拓海の視点――晴香と付き合い始めて、十年が経った。彼女が相変わらず綺麗だった。でも俺は少し飽きてしまった。愛していなかったわけじゃない。むしろ逆だ。距離が近すぎたのだ。あまりにも親密になりすぎて、彼女が自分の一部であるかのように、そばにいるのが当然だと思い込んでいた。だから晴香が時折口にする願いや不満も、つい後回しにしてしまった。生活に追われるうちに、恋人同士だった頃の甘さを忘れていた。晴香がずっと俺に愛情を注ぎ続けてくれていたのに、俺はそれを受け取ることに慣れきって、自分から返そうとしなくなっていた。結婚旅行の計画ですら面倒に感じていたくらいだ。どうせ晴香は俺のものだ。これから先も、ずっと一緒にいる。「愛し合う心が長く続くのなら、毎日寄り添わなくても構わない」という言葉を都合よく自分に言い聞かせていた。そんな平穏が崩れたのは、俺がハメられたあの日だった。結衣が俺の隣で涙を流しながら震えていた。認めざるを得ない、俺は彼女を可哀そうに思った。あの子は若く繊細で、触れれば散ってしまう花びらのように見えた。最初はあの子に何の感情もなかった。あったのは恐怖だけだ。晴香にどう説明すればいいのか分からなかった。だが、晴香は何も知らないまま、今まで通り優しく接してくれる。だから俺は、結衣の言葉に少しずつ流されていった。誰にも言わなければいい。なかったことにしてしまえばいい。そうすれば何も変わらず、全部元通りだ。後ろめたさと同情というその二つの感情に押されるまま、俺は何度も結衣の頼みを聞いた。やがて結衣は、晴香に全部話すという風に俺を脅すようになった。最初はやめろと説得していたはずなのに、いつしか俺は結衣の機嫌を取る側になっていた……そして、晴香から別れを切り出されたあの日、彼女は俺と結衣との熱心なメッセージのやり取りを目の前に突きつけてきた。その期に及んでも、俺はまだ決定的な過ちを犯した自覚がなく、ただ「少し距離感が近すぎただけだ」と言い訳を考えていた。だが脳内には激しく警報が鳴り響いていた。怖い、すべてを知られるのが恐ろしい、と。後ろめたさと焦りの中に、俺は何度も嘘を重ねた。あの日、俺は玄関の外で待ちながら、もう二度と許してもらえないかもしれないと本気
ドアを閉めても、外からは足音が聞こえてこない。それから数日間、拓海は私の前に姿を見せなくなった。その代わり、私の部屋の向かいを借りているらしい。向かいの窓辺に置かれた花瓶には、毎日新しいバラが一輪ずつ飾られている。何度か深夜まで残業したときも、拓海は私の後ろを無言でついてきて、家まで送り届けてくれた。そんな日々が続く中、海外赴任を目前に控えたある日、母から電話がかかってきた。「晴香、本当に拓海くんとは終わりにするつもりなの?」「お母さん、仲直りさせようとする話なら聞きたくない」私の言葉が終わるか終わらないかのうちに、母の次の言葉に、私は思わずマウスを動かす手を止めた。「仲直りさせようとは思ってないわ。晴香、会社に申請して早く海外に行きなさい。あの安井結衣さんが、ビルから飛び降りたんだって」一瞬、空気が止まったように感じた。結衣のことは大嫌いだけど、その死を耳にして、人としてやはり心が激しく動揺した。電話の向こうで、母がまくし立てるように話を続ける。「昨日、この辺で一番高い商業ビルから飛び降りたんだって。屋上に残されていた彼女のスマホはね、拓海くんへの不在着信で埋め尽くされていたらしいわ。あの子、拓海くんに何度も何度も電話をかけたのに、彼が出ないからって、そのまま飛び降りちゃったの。お母さんも、まさかこんな大ごとになるなんて思わなかったわ。ただの痴話喧嘩だと思ってたから。こんなことになると分かっていれば、最初から仲直りさせようと勧めなかったのに」母の話では、社内のグループチャットの件が大炎上した後、結衣は仕事を失い、業界内でも悪評が広がり、どこからも採用されなくなったらしい。生活に行き詰まった彼女は、拓海の実家に押しかけて責任を取れと迫った。拓海は彼女を精神科の病院へ連れて行き、彼女の両親に連絡を入れた後、私のところへ来たのだという。拓海はその後のことは知らないはずだが、母の話では、結衣の母親はDVの被害者で、すでに精神を病んでいる。父親は極端な男尊女卑の考え方で、娘を身売り同然に嫁がせて結納金をふんだくることしか考えていない男だ。その父親は彼女を精神病院から無理やり退院させると、拓海の実家に怒鳴り込ませて金をむしり取ろうとしたらしい。結衣にとって、拓海は最後の藁だった。彼
拓海の声は、すっかり生気を失ったように掠れていた。私は指先を、通話を切るボタンへ伸ばした。「晴香!切らないで、頼むから話を聞いてくれ!結衣とのことは、嵌められたんだ。本当に何も知らなかった!あの一回だけで、それ以降は一線を越えたことなんてない。疑うなら調べてくれてもいい!もう会社も辞めた。晴香、何をしてもいいから、頼むからブロックだけはしないでくれ……」私は通話を切った。スマホをしまいながら、心の中で自分を笑った。今さらあの人の口から、まともな言葉が出てくるなんて期待した私が馬鹿だった。拓海の新しい番号も、もう一度ブロックした後、私は仕事にすべてを注ぎ込んだ。七海部長は本当に約束を守る人で、何人もの男性を紹介してくれた。でも、誰かと付き合う気分にはなれなかった。仕事の成果が積み重なるにつれ、努力はちゃんと給料という形になって私のもとへ戻ってくるようになっていた。「斎藤、今回の海外赴任の枠、あなたを推薦しておいたわ。海外支社のマネージャーポストが空いているの。私の一番自慢の部下なんだから、現地で恥をかかせないでね」七海部長から異動願いの書類を渡された瞬間、私は胸の奥が浮き立つのを抑えられなかった。その夜の打ち上げの席で、部長はすっかり酔った目で私を見つめてきた。「斎藤、ひとつだけ秘密、教えてあげる。海外支社、業績がいいだけじゃないのよ。マネージャーアシスタントってめちゃくちゃ格好いいんだから!三カ国の混血だよ!肩は広いし、腰は引き締まってて、脚も長くて……」私は慌てて七海部長の口を塞いだ。それ、ここで言っちゃっていい話なのか!?笑いさざめく中、ふと顔を上げた私は、見覚えのある瞳と目が合った。拓海が部屋の片隅に立っている。すっかり気落ちした様子だ。驚くほど痩せていて、頬はこけ、骨と皮ばかりのようになっている。それでも元々の顔立ちが良いため、何人かの女性社員が彼にLINEを聞きに来ている。視線をそらす前に、七海部長に肩を叩かれた。「斎藤、まさかあの男に興味あるんじゃないでしょうね?ちょっと憂いを帯びた王子様みたいな顔してるけど、あれは浮気野郎よ。もうクビになったわ。うちの会社、社内恋愛は禁止じゃないけど、交際中の不貞は別の話だから」「いいえ。あんな人に気を持つわ
社内のグループチャットが、私を罵るコメントで埋め尽くされていた。流れていくメッセージを遡って読んで、ようやく事情を把握した。拓海が結衣を一人で家に残して行ったらしい。そして結衣は手首を切って自殺を図り、様子を見に行った同僚に発見されて、かろうじて一命を取り留めたという。【@斎藤晴香 あんた人間として最低じゃない? 若い子を自殺に追い込むなんて。自分も女のくせに、よくもまあ嘘の罪を着せて彼女を陥れるような真似ができるわね】【いい歳して本当にみっともない!だから深沢さんもずっと結婚しなかったわけだわ。本性を見抜いてたんだよ】【私はもう上司に、斎藤晴香を会社から追い出すように提案しておいたから!】動くのが早いね、結衣らしいやり方だ。その時、スマホが鳴った。私の直属の上司・早見七海(はやみ ななみ)部長からの電話だった。「斎藤、支社のほうから同僚への誹謗中傷で苦情が上がっているわ。本社に異動してきたばかりでこんな騒ぎを起こすなんて困る。早めに対応してちょうだい」「承知しました」通話を終えると、グループチャットはさらに荒れていた。どうやら拓海が私のために弁明しようと発言したらしく、彼まで一緒になって叩かれている。先ほど私を実名で告発していた社員は、得意げに本社とのやり取りのスクリーンショットまで貼り付けている。【斎藤、もう本社から連絡来ただろ?あんたみたいな人はクビになって当然だ】【もし結衣ちゃんが死んだら、あんたは人殺しだからな】それと同時に、拓海が社内チャットツールでメッセージを送ってきた。【晴香、あの時は感情的になって言い過ぎたって言えばいい。みんな分かってくれるから】【もう結衣を刺激しないでくれ】【俺は退職届を出した】【君は本社にも行かなくていい、また昔みたいに二人でやり直そう】【これからは同僚と顔を合わせることもない。でも結衣はこれからもここで生きていくんだ。少しくらい彼女の立場も考えてやってくれ】【もし本当に自殺なんてされたら、君だって苦しむことになるだろ】胸が痛い。心の奥に押し込めたはずの感情を、拓海は何度でも引っ張り出して揉み返してくるようだった。こんな状況になっても、彼はまだ結衣を守ろうとしている。十年間積み重ねてきた想いは、そのたびに削られ、擦り
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