LOGIN誰もいなくなった教室。
俺は窓際の席に座ったまま動かなかった。 夕日はもう落ちている。 薄暗い教室で。 机に額を押しつけ、小さく息を吐く。 「……最悪」 ぽつり、と漏れる。 分かってた。 こうなるのが嫌だった。 人と近づけば。 勝手に期待して。 勝手に大事になって。 最後には離れる。 だから。 最初から距離を取っていた。 ……なのに。 放課後。 教室の扉が開く音を待つようになった。 吹奏楽部終わりの、 「つかれた〜」 その声を聞くと安心して。 どうでもいい話をする時間が。 一日の中で、一番落ち着く時間になっていた。 ――私は、今の湊くん結構好きだけどな。 その言葉が。 頭から離れない。 たぶん。 柚は深い意味で言ったわけじゃない。 でも。 少しだけ期待した。 期待してしまった。 それが。 怖かった。 静かに目を閉じる。 もし。 このまま本当に好きになったら。 きっとまた。 失うのが怖くなって。 自分から壊してしまう。 ___ 次の日。 私と大智くんたちは、結局学校で湊くんに声をかけることができなかった。 誰も近づくな。 そう言っているみたいな空気をまとっていて、いつものグループでさえ、どう接すればいいのか分からなかった。 放課後。 部室を出ても、足はすぐに教室へ向かなかった。 昨日のことが頭から離れない。 「もう帰ってくんないかな」 そう言った湊くんの苦しそうな顔。 もし今日も拒絶されたら。 そんなことばかり考えているうちに、気づけば教室の前まで来ていた。 一度深呼吸をして、ゆっくりと扉を開ける。 ガラッ。 静かな教室。 夕日が差し込む窓際を見ても、そこにいるはずの姿はなかった。 「……いない」 思わず小さく呟く。 私は自分の席に座り、湊くんがいつも眺めている窓の外へ目を向けた。 毎日ここから何を見ていたんだろう。 そんなことを考えていると。 「……来たんだ」 後ろから聞き慣れた声がした。 振り返ると、教室の後ろ扉の前に湊くんが立っていた。 片手には缶コーヒー。 もう片方の手は制服のポケットに入っている。 その姿を見た瞬間。 胸の奥が、ほっと緩んだ。 来てくれた。 ……違う。 ここにいてくれた。 湊くんは数秒だけ私を見つめると、ふっと視線を逸らした。 「……今日、来ないかと思った」 静かな声だった。 昨日、あんなふうに突き放されたのに。 怖くなかったわけじゃない。 でも。 「来ない方がよかった?」 そう聞くと、湊くんはすぐには答えなかった。 教室に靴音だけが響く。 ゆっくり窓際まで歩いていき、いつもの席の横で立ち止まる。 小さく息を吐いてから、ぽつりと言った。 「……そうやって普通に来るの、ずるい」 「え?」 「昨日あんな言い方したのに」 その表情は、初めて見るものだった。 困っているようで。 怒っているようで。 でもどこか安心しているようにも見える。 湊くんは窓の外へ視線を向けた。 「普通、ちょっと距離置くだろ」 「置いたよ。一回」 私がそう言うと、湊くんは少しだけ目を伏せた。 「……それは俺が悪かった」 思わず目を見開く。 湊くんが、こんなふうに素直に謝るなんて。 教室に夕日が差し込む。 その光の中で、湊くんは静かに続けた。 「昨日さ」 「うん」 「……柚が今の俺でも”好き”って言った時」 心臓が跳ねる。 湊くんは苦笑するように少しだけ笑った。 「ちょっと期待した」 その一言で、時間が止まったような気がした。 湊くんはすぐに目を逸らす。 「だから嫌だった」 「……」 「勝手に期待して、勝手に怖くなって」 声が少し掠れる。 「またそうなるくらいなら、最初から近づかなきゃよかったって思った」 何も言えなかった。 この人はずっと怖かったんだ。 嫌われることも。 離れられることも。 でも、それ以上に。 誰かを好きになってしまうことが。 少し間を置いて、湊くんが口を開く。 「クラスのやつに変なこと言われてさ」 視線は窓の外へ向いたままだった。 「それのせいで、俺と関わってる人まで根拠ないこと言われてる」 静かな声。 でも、その奥には諦めみたいなものが滲んでいた。 「迷惑かかるくらいだったら、一人でいた方が楽だった」 もう一度だけ目が合う。 「……なのに、来ちゃったから」 最後の一言だけ、少し弱かった。 責めているわけじゃない。 困っているような。 諦めきれないような。 そんな声だった。 私は湊くんを見上げる。 夕日が逆光になって、表情はよく見えない。 でも。 きっと今、この人は誰よりも不安なんだと思った。 「……私さ」 ゆっくり口を開く。 「最初、湊くんのこと怖かったよ」 湊くんの眉が少しだけ動く。 「話しかけんなオーラすごかったし」 「……否定できない」 思わず笑ってしまう。 「でも、話してみたら普通だった」 「普通ってなんだよ」 少しだけ空気が和らぐ。 私は続けた。 「ちゃんと笑うし、優しいし」 湊くんは黙って聞いている。 「私が部活終わりに来るの、待ってたりするし」 「待ってない」 「いや待ってるね」 即座に否定する湊くんに、思わず笑いがこぼれる。 その笑い声につられるように、湊くんの肩から少し力が抜けた気がした。 でも。 私は真剣な声に戻る。 「確かに嫌なこと言う人はいるかもしれない」 湊くんが静かにこちらを見る。 「でもさ」 机の端をぎゅっと握る。 少し震えているのが、自分でも分かった。 「私まで勝手に”迷惑だ”って決めつけないでよ」 その言葉に、湊くんが固まる。 私は息を吸って続けた。 「私は、ここ来る時間好きだった」 「……」 「湊くんと話すのも好きだった」 恋愛とか。 そういう意味じゃない。 ただ、この放課後が大事だった。 だから。 「周りが何言っても」 私は湊くんをまっすぐ見つめる。 「私は、自分でここに来てたよ」 その瞬間。 湊くんの表情が少しだけ崩れた。 泣きそうにも見える顔。 でもすぐに視線を逸らして、小さく笑う。 「……ほんと変わってる」 「またそれ言う」 「だって普通、離れるだろ」 「湊くんが離れろって言ったんじゃん」 「……あれは」 「傷つくよ、普通に」 湊くんは言葉を失った。 長い沈黙のあと。 本当に小さな声で。 「……ごめん」 今までで一番弱い声だった。 私は少し笑って言う。 「……だから明日も明後日も、ずっとここ来るから。待っててね」 湊くんは少しだけ困ったように笑う。 「……また来たければどうぞ」 いつものぶっきらぼうな返事。 でも。 数秒してから、小さく付け足した。 「……やっぱ嘘」 私は顔を上げる。 湊くんは照れくさそうに視線を逸らしたまま。 「……俺、待ってる」次の日。 放課後の教室で、 一人、窓際の席に座って柚が来るのを待っていた。 夕日が机をオレンジ色に染める。 時計を見る。 そろそろ部活が終わる頃だ。 「……そろそろかな」 誰に言うでもなく呟いて、 ドアの外へ目を向ける。 その時だった。 廊下の方から、 聞き慣れた声が聞こえた気がした。 教室の後ろ扉からそっと覗くと、 少し離れた廊下で柚が男子生徒と話していた。 ——仲いい人、多いもんな。 最初はそう思った。 でも。 数秒眺めているうちに、 違和感を覚える。 笑っている。 なのに。 いつもの笑い方じゃない。 どこか困ったような、 逃げ場を探しているような笑顔だった。 その瞬間。 考えるより先に、 体が動いていた。
胸の奥が、ぎゅっと熱くなる。 おもわず数秒固まってしまう。 湊くんも、 言ったあとで自分が何を口にしたのか気づいたのか、 気まずそうに視線を逸らす。 「……今のなしで」 「え、やだ」 即答してしまった。 湊くんが思わず吹き出す。 「はや」 「だって珍しいじゃん。湊くんがそんな素直なの」 「うるさい」 照れ隠しみたいに返しながらも、 その表情はどこか安心しているようだった。 窓の外は、 もう少しずつ暗くなり始めている。 教室には、 夕焼けの名残みたいなオレンジ色だけが静かに残っていた。 私は机に頬杖をついて、 湊くんを見る。 「待ってるんだ」 「……まぁ」 「へぇ〜」 「その顔うざい」 「にやけるの我慢してる」 「我慢しなくていいだろ、別に」 湊くんはそう言って、 少しだけ目を細めた。 その笑い方が、 前よりずっと柔らかい。 たぶんこの人は、 急に変われる人じゃない。 また誰かに何か言われたら、 きっと傷つくし、 自分から距離を取ろうとする日もある。 でも。 それでもいいと思った。 慎重なところも。 簡単に踏み込まないところも。 弱い自分を隠そうとするところも。 全部ひっくるめて、 今ここにいる湊くんなんだ。 教室に静かな時間が流れる。 でも今日は、 その沈黙が苦しくなかった。 湊くんがふと窓の外を眺めながら口を開く。 「……なんかさ」 「ん?」 「柚がいると、教室ちゃんと教室っぽい」 思わず笑う。 「なにそれ」 「一人だとさ。ただ時間潰してるだけだったから」 その言葉に、 私は少しだけ目を伏せた。 ——あぁ。 この人も同じだったんだ。 この放課後を。 私と同じように、 大切な時間だと思ってくれていた。 それから二人は、 他愛もない話をしながら笑い合った。 昨日までのぎこちなさが嘘みたいに、 いつもの空気が少しずつ戻ってくる。 気づけば外はすっかり暗くなっていた。 「そろそろ帰るね」 いつものように席を立つ。 すると湊くんも、 何事もないように立ち上がった。 「今日は俺も帰る」 自然に隣へ並
誰もいなくなった教室。 俺は窓際の席に座ったまま動かなかった。 夕日はもう落ちている。 薄暗い教室で。 机に額を押しつけ、小さく息を吐く。 「……最悪」 ぽつり、と漏れる。 分かってた。 こうなるのが嫌だった。 人と近づけば。 勝手に期待して。 勝手に大事になって。 最後には離れる。 だから。 最初から距離を取っていた。 ……なのに。 放課後。 教室の扉が開く音を待つようになった。 吹奏楽部終わりの、 「つかれた〜」 その声を聞くと安心して。 どうでもいい話をする時間が。 一日の中で、一番落ち着く時間になっていた。 ――私は、今の湊くん結構好きだけどな。 その言葉が。 頭から離れない。 たぶん。 柚は深い意味で言ったわけじゃない。 でも。 少しだけ期待した。 期待してしまった。 それが。 怖かった。 静かに目を閉じる。 もし。 このまま本当に好きになったら。 きっとまた。 失うのが怖くなって。 自分から壊してしまう。 ___ 次の日。 私と大智くんたちは、結局学校で湊くんに声をかけることができなかった。 誰も近づくな。 そう言っているみたいな空気をまとっていて、いつものグループでさえ、どう接すればいいのか分からなかった。 放課後。 部室を出ても、足はすぐに教室へ向かなかった。 昨日のことが頭から離れない。 「もう帰ってくんないかな」 そう言った湊くんの苦しそうな顔。 もし今日も拒絶されたら。 そんなことばかり考えているうちに、気づけば教室の前まで来ていた。 一度深呼吸をして、ゆっくりと扉を開ける。 ガラッ。 静かな教室。 夕日が差し込む窓際を見ても、そこにいるはずの姿はなかった。 「……いない」 思わず小さく呟く。 私は自分の席に座り、湊くんがいつも眺めている窓の外へ目を向けた。 毎日ここから何を見ていたんだろう。 そんなことを考えていると。 「……来たんだ」 後ろから聞き慣れた声がした。 振り返ると、教室の後ろ扉の前に湊くんが立っていた。 片手には缶コーヒー。 もう片方の手は制服のポケットに入っている。 そ
部活終わり。 忘れ物を思い出して、教室へ戻った。 夕方の校舎は静かだった。 吹奏楽部の音だけが遠くから聞こえてきて、廊下に差し込む西日が床を長く照らしている。 教室の扉を開ける。 そこには、湊くんがいた。 窓際の席。 頬杖をつきながら、ぼんやり外を眺めている。 扉の音に気づくと、湊くんはゆっくり振り向いた。 「おつかれ」 それだけ言って、また窓の外へ視線を戻す。 「……まだ帰らないの?」 と聞くと、 「うん」 短い返事。 それ以上は続かなかった。 「そっか」 それだけ返して、自分の忘れ物を手に取る。 用事は終わった。 そのまま教室を出て、静かに扉を閉める。 カチャン。 小さな音が廊下に響いた。 話すのも、こうやって忘れ物を取りに来たときだけ。 湊くんは誰にでもあんな感じだ。 静かで。 必要以上に近づかなくて。 でも、冷たいわけでもない。 だからこそ。 何を考えているのか分からなかった。 私はトートバッグを肩に掛け直し、部室へ急ぐ。 別の日、窓の外は少しずつ薄暗くなっていた。 吹奏楽部の音も止んで、校舎は昼間よりずっと広く感じる。 教室前の廊下で、足が止まる。 「……まだいるのかな」 自分でも意味の分からない独り言。 気になったって。 覗く理由なんてないのに。 小さく息を吐いて、もう一度だけ振り返った。 教室の後ろ扉。 その小窓から、湊くんの姿が見える。 さっきと何も変わらない。 頬杖をついて。 ただ窓の外を眺めている。 ……なんか。 一人なんだな。 その背中を見た瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。 でも同時に思う。 ――これ以上踏み込んじゃだめな気がする。 誰かの寂しさって。 勝手に触れていいものじゃないから。 私は踵を返す。 そのまま帰ろうとして―― 「あ」 バッグの中を探っていた手が止まった。 「……最悪」 ノートがない。 教室に置いたままだった。 小さく肩を落として、もう一度扉を開ける。 ガラッ。 その音に、湊くんが振り向いた。 「……どしたの」 「ノート忘れた」 「あー」 また静かな空気が流れる。 自分の席へ向かいながら、なんとなく口を開いた。 「湊くんってさ」 「ん?」 「いつも何見てるの?」 湊くんは少しだけ目を細める。
次の日。 朝から教室はいつもより騒がしかった。 私が席へ向かう途中、大智が手を振る。 「なぁ、昨日さ!」 その声に振り向くと、大智の周りには湊くん含むいつもの男子四人も集まっていた。 「昨日二人で教室おったやろ?」 「最近仲良いよな!」 「何話してたん?」 一気に質問が飛んでくる。 「え、いや……」 どう答えようか迷っていると。 後ろから静かな声がした。 「……そういうの、ほんと迷惑だから」 湊くんの声で、教室の空気が一瞬で止まる。 「……え?」 大智も。 周りにいた男子たちも。 私も。 誰もすぐには言葉を返せなかった。 迷惑。 その一言だけが、妙に耳に残る。 湊くんは誰とも目を合わせないまま、机の上のペンを手に取る。 「別にそんなんじゃないし」 いつもと変わらない声。 静かな声。 だからこそ、余計に胸へ刺さった。 「いや、俺ら茶化すつもりじゃなくてさ……」 大智が気まずそうに笑う。 湊くんは小さく息を吐いた。 「……そういう風に言われるの嫌なんだよ」 それだけ言うと、また視線を落とす。 誰も何も言えなかった。 私は思わず目を伏せる。 別に。 付き合ってるとか。 そんな風に言われたかったわけじゃない。 でも。 “迷惑” その言葉だけが、何度も頭の中で繰り返される。 昨日。 「じゃあまた明日ね」 そう言った時。 少しだけ嬉しそうに笑った気がした。 あれは。 気のせいだったのかな。 「……ごめん、私戻るね」 なんとかそれだけ言って、その場を離れる。 誰も引き止めなかった。 廊下へ出る。 扉が閉まる音が、やけに大きく聞こえた。 泣くほどじゃない。 傷ついたわけでもない。 ……たぶん。 ただ。 “自分だけが、あの放課後を特別だと思ってたのかな” そう考えたら。 急に恥ずかしくなった。
その日の放課後。 吹奏楽部が終わっても、私は教室へ向かわなかった。 楽器を片付けながら、窓の外を見る。 夕焼けが校舎を赤く染めている。 ――今頃、いるのかな。 いつもの窓際で。 一人。 そう思った瞬間、自分でその考えを振り払うようにケースの蓋を閉じた。 もう気にしない。 そう決めたはずなのに。 帰り道。 無意識に校舎の窓を探している自分がいた。 それから数日。 放課後、教室へ行くことはなくなった。 彼と話すことも、ほとんどない。 きっと。 あの時間は湊くんにとって、一人になれる大切な時間だったんだ。 私は。 それを邪魔していたんだ。 そう思うと、申し訳なかった。 数日後。 また忘れ物をしたことに気づく。 「……今日はついてないな」 小さく呟いて、重たい足取りで教室へ向かった。 扉の前で立ち止まる。 深呼吸を一つ。 ゆっくり扉を開ける。 そこには。 やっぱり湊くんがいた。 一瞬だけ驚いたように目を見開く。 でも、それもほんの一瞬。 すぐにいつもの表情へ戻り、静かに窓の外へ視線を向けた。 私も何事もなかったように自分の席へ向かう。 教室は静かだった。 黒板に残ったチョークの文字。 半分だけ閉まったカーテン。 夕日に長く伸びる机の影。 何も変わっていない。 変わったのは。 二人の間の空気だけだった。 鞄を開いてプリントを探す。 その間も。 背中の向こうに、彼の気配を感じていた。 ……気まずい。 前なら。 どうでもいい話を一つくらいしていたのに。 何を話せばいいのか分からない。 沈黙に耐えきれなくなって、自分から口を開く。 「……まだ帰ってなかったんだ」 言った瞬間。 変なこと聞いたかもしれない、と思う。 湊くんは少しだけ間を空けて。 「まぁ」 とだけ返した。 それで終わり。 やっぱり。 もう前みたいには戻れない。 そう思ってプリントを鞄へしまった、その時だった。 「……最近、来なかったじゃん」 ぽつり。 独り言みたいな声が落ちる。 おもわず手が止まった。 ゆっくり振り返る。 湊くんは窓の外を見たままだった。 「……迷惑