共有

海の藻屑

作者: エチカ
last update 公開日: 2026-07-05 19:15:38

 リゼルは殴られた蟀谷の辺りを抑えて、炊事場にいるレヴィンの元まで戻って来た。

「……リ、ゼ……おこられた? いたい?」

 レヴィンはバツが悪そうな顔をして、身を屈め覗き込んでくる。

「大丈夫だ」

 自分の軽率なミスが、大事に至る所だった。

 これまでのベルなら、大人しく書庫で読書しているだろうとばかり思っていたのだ。

 あの雨の中、まさか屋敷を抜け出すなんて……。

 屋敷中探してもベルが何処にもいないと分かった時、リゼルは自分の発言の過失に気付いた。

 ――余計な事はなさりませんよう。

 そう言った時、彼女は悔しそうに唇を噛んだ。

 侍女の範疇を超えた発言だと分かっていた。

 なのに、止められなかったのは、
この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード
ロックされたチャプター

最新チャプター

  • 没落した薔薇は、碧夜の星になる   傷付いた獣

     分厚い木の扉が大きな音を立てて閉じられ、小さな物置のようなその部屋は薄暗く埃臭い。 床の上に放り出されたラヴェルは身を起こして、入り口付近に佇むランベルトを睨む。「ランベルトッ! こんな事をしたら妹が悲しむって分からないのっ?」「ベル様……もう、そんな次元の話ではないのです」 ランベルトの表情はこんなこと望んでいないのに、彼の行動はそれに反している。 ラヴェルは一歩一歩距離を詰めて来るランベルトから、後ずさりした。「私に手を出せば、貴方は極刑よ」「存じております」 もう言葉での脅しには何の意味もないのかもしれない。 ランベルトの目はこちらを見ている様で見ていない気がした。「皇太子殿下の側近である俺が貴女を汚し、貴女は皇太子殿下の婚約者の座を失う。そして俺を側近へと抜擢した皇太子殿下の評判も地に落ちる。そう言う筋書きなのです」 冷静に淡々とそう述べるランベルトは、跪き身を寄せる。「それでは貴方の妹は誰が助けるって言うの?」「俺がこの役目を果たせたなら、地下から出られる約束です。俺はそれでいい」 ラヴェルはそれを聞いて「そんなバカな……」と漏らす。 妹が地下から解放される確約なんて無い。 しかも、本人は首をはねられる事も厭わない覚悟で、そんな曖昧な約束を信じるなんて――。 ランベルトの手が肩を掴み、石床に縫い留められる。「ちょっ……触らないでっ!」「俺にはもう、この方法しか残っていません」 ラヴェルは頬に滴って来た水滴を感じて、ハッとランベルトを見た。 ボタボタと涙を流しながらも笑っているランベルトは、もう正常な判断が出来ている様には見えなかった。「やめなさいっ! ランベルトッ! 離してっ!」 ラヴェルは力の限り

  • 没落した薔薇は、碧夜の星になる   問答 Ⅱ

     ランベルトの言葉に耳を疑い、ラヴェルは振り返る。 ダフィーニアを庇うように立っているランベルトを見て、気付いてしまった。 よく見ると、彼の制服の裾には目立たない程度の血が滲んでいる。「あ! そうだわ。あの侍女が運ばれたのはオルレイン医師の所ですの。今頃、どうなっているかしら?」 オルレイン――その名を聞いて、ラヴェルは息を飲む。 彼はアンドールの検体を探していると聞いている。 リゼルの体を見られたら……「今頃、人の形をしていないかも」 明らかにこちらを挑発している。 でもここで心を乱せば、この娘の思う壺だ。 ラヴェルは奥歯を噛み締め、怒りを腹の底へと押し込める。 上位貴族の腹の探り合いに比べたら、まだ可愛いものだ。「オルレイン医師というのは、良識のない方なのですか?」「どういう意味ですの? オルレイン医師はとても博識で素晴らしい人よ」「なら、王宮医の彼が皇太子殿下の賓客である私の侍女に、そんな手荒な事はなさるはずがありませんわ」「殿下の威光を翳すなんて、なんて品がないのかしら!」「そのお言葉、そのままお返しします。ダフィーニア様」「なっ……何てことっ!」 彼女との会話は、まるで子供を相手にしているような錯覚を覚える。 ラヴェルは彼女を憐れむ様に見て、ランベルトへ向き直った。「ランベルト」「はっ」「もう一度言います。お帰り頂いて」 ラヴェルは低くて冷たい声で、ランベルトにそう告げた。 視線を逸らすことなく、無言の圧で彼の選択を待つ。「ランベルトッ! この人を拘束して! 私の言う事を聞かないと、妹がどうなっても知らないわよッ!」 妹――その言葉にランベルトは痛みを堪えるような顔をする。

  • 没落した薔薇は、碧夜の星になる   問答

     バロー伯爵と顔を合わせて数日が経つ頃、その声は切り裂くように飛び込んで来た。「ベル様っ、侍女殿がっ!」 毎日書庫へ行き、与えられた部屋で本を読むふりをしながら、皇太子に言われた事を延々と考えている。 その思考に終止符を打ったのはランベルトだ。 ラヴェルは驚き、一瞬瞳を瞬かせる。「ど……どうしたの? ランベルト」 いつもは寡黙な彼が、息を荒げて飛び込んで来た。 それだけで緊張が走る。 リゼルはお茶を淹れて来ると部屋を出て行き、しばらく経っていた。「何者かに刺されてっ……」「刺されたっ⁉」 ラヴェルは読んでいた本を閉じ、思わず立ち上がる。「リゼルはどこにいるのっ?」 ドレスの裾を持ち上げ、部屋を出ようとして、ドアの前に立ったランベルトに制された。「いけません、ベル様。何があるか分からない」「いいえ、リゼルは私の侍女よ。そこをどきなさい」「承服しかねますッ!」 ランベルトはそう言い切って、こちらをジッと見ていた。 彼には彼の責務がある。 皇太子に護衛を頼まれている以上、敬語対象に何かあれば、罰則では済まないだろう。 そこまで考えてラヴェルはふぅっと深く息を吐いた。「ランベルト、リゼルはどこにいるの?」「今は医務室で手当てを受けているはずです」 ラヴェルは治療を受けていると聞いて、ホッと胸を撫でる。「大丈夫なの?」「分かりませんが、呼吸は確認できております。背後から刺されたようです」「一体誰が&hel

  • 没落した薔薇は、碧夜の星になる   決心

     ジェイドは物言わぬネロを連れてバロー領へと入った。 港はかつてのデルメール領のように賑わい、国軍は国境付近に大きな砦を構えている。 他国からの移民も多く、紛れるには苦労しない土地ではあるが、ジェイドはローブを被ったまま歩いた。「ネロ、先に宿場へ行こう」 ただ頷き返すネロは、右手で行き先を指して歩き出す。 彼はこの土地に詳しく、道案内兼護衛として連れて来た。「東の風は乾いているな……」 南に位置するデルメールとは違い、湿度がなく乾燥している。 色とりどりのテントやはためく輸入物の反物が、賑やかさに拍車をかけていた。 宿場へと荷を下ろし、ジェイドはすぐさま地図を広げる。 目的はバロー領で密かに“生産”されているアンドールの子供達だ。 証言して貰えれば一番良いが、彼らを保護する事が出来ればやりようはいくらでもある。 ネロが地図の一か所を指してこちらを見た。「ここから入るのか?」 ネロは頷き、地図上を指で辿りながらある一点で止める。 そこはバロー領の玄関口とは違う、裏手の小さな海岸だった。「ここから船を?」 ネロは頷き、唇をゆっくりと動かして見せる。 彼がリゼルとレヴィンを連れて屋敷に現れた時から、数年。 彼の為にジェイドは読唇術を覚え、彼との会話を可能にして来た。「船をつけてあるのか」――こちらから脱出します「分かった。夜を待って向かおう」 ネロはコクリと頷いて、しっかりとこちらを見る。 元々、彼はバロー伯爵の部下として従軍していた軍人の一人だった。 だがバロー伯爵に迎合しなかった事で、アンドール達の監視員として地位を剥奪され地下へ送られた。「早く帰ら

  • 没落した薔薇は、碧夜の星になる   火種

    「ベル様、今日はいかがしましょうか?」 リゼルがいつものように支度を手伝いながらそう聞いて来る。 あの晩以来、何もする事が無く部屋で軟禁されているようなものだった。 許可されているのは部屋のテラスから出られる庭と、近くにある書庫だけ。 皇太子に言われた言葉たちは日増しに重みを増していく。「書庫に行って借りて来た本をお庭で読みましょうか」 ラヴェルの脳内は皇太子との婚約話をどう回避するかでいっぱいだが、リゼルにそれを悟らせたくなかった。 自分が皇太子妃になれば、全ては丸く収まる。 ジェイドも、デルメール領の民も、何も失わずにいられるのかもしれない。 自分がジェイドを手放せば――そこまで考えて、また振出しに戻る。 ラヴェルは首につけた夜境石のネックレスを無意識に握った。 支度の間、部屋の外で待たせていたランベルトは「どちらへ?」と短く問う。「書庫に本を取りに行くだけよ。貴方はお茶の用意を誰かに頼んでくれないかしら?」「かしこまりました」 本来なら護衛に頼む事でもない。 だが、先日のリゼルの件があってラヴェルは彼女をむやみに一人で歩かせたくなかった。 部屋から書庫へ行く途中、人の声が聞こえてラヴェルは足を止める。 後ろから付いて来ていたリゼルがすかさず一歩前に出て、様子を窺う。「お父様、勝手に入っては叱られてしまいますわ」「何、迷ったと言えば良い」 若い女性と、低い男性の声だ。 部屋に引き返すか、否か、迷っている内に彼らが突き当りの角から姿を現した。「……ここは皇太子殿下の居城だというのに、どこのご令嬢かな?」 体格のいい軍服を纏った男は、そう言ってこちらを不躾に舐めるように見る。 その隣には可憐を絵に描いたような少女が、似合わない赤いドレスを着せ

  • 没落した薔薇は、碧夜の星になる   聖女

     上着もはおらず軽装のまま姿を見せた皇太子は、リゼルの怪我を聞きつけて見舞いに来たらしい。「ベル、侍女の怪我の具合はどうだ?」「殿下、恐れ入ります。本人は大丈夫だと……」「こちらの通達が遅れたばっかりに、すまなかった」「いえ……」 ラヴェルは殊勝な皇太子の態度に、反論も出来ずただやり過ごそうとした。 傍に立って首を垂れるリゼルは、きっとまだ痛いままだというのに……。「少し、話せるか?」 そう言った皇太子は、こちらではなくランベルトとリゼルの方へと視線をやる。 暗に“出て行け”と言いたいのだ。「では、我々は外で待機しております」 こちらの返答も聞かずにランベルトはリゼルを連れて部屋を出る。 仕方ない。 この状況では、皇太子を拒否する事は出来ない。「何のお話でしょうか? 殿下」「まぁ、そう急くな」 皇太子はソファに腰掛け、足を組み、対面に座れと促す。 若い後継者ではあるが、ラヴェルはこの男を侮るほど世間知らずにもなれなかった。 夜会では礼儀的に声を掛け合う程度、仲良く話した記憶もあまりない。「侍女には悪い事をした。後で詫びを贈ろう」 詫び、といいながら表情が詫びているように見えない。 でも彼にはそれが許されるだけの権力がある。「いえ、その様なお心遣いは無用です」「その内、私の婚約者が城内に招かれていると噂になるだろう」「左様でございますか」「ベル」 名を呼ばれて顔を上げると、皇太子が前のめりに肘をつき見つめている。 嫌な予感がした。「何でございましょう?」「君はとても美しいな」「はぁ……恐

  • 没落した薔薇は、碧夜の星になる   貴方の秘密

    「生まれ変わる?」 起き上がれる様になり、初めて食堂で一緒に晩餐をとった夜。 ラヴェルはジェイドにそう聞き返した。「えぇ、そうです」「ど、どう言う意味だ……?」「ラヴェル・ローゼンとしての全てを捨てて、別人としての人生を歩むのですよ」「別……人……。しかしっ……」「では、他に方法が?」 そう言われてラヴェルは唇を噛む。 ローゼン家の嫡男として追われている自分が、怪しまれずに外へ出るには、それしかない

  • 没落した薔薇は、碧夜の星になる   掬い上げる手

     ジェイドは出先から帰って来てリゼルとラヴェルの会話を扉越しに聞く。 巷では公爵家の嫡男が王家の秘密を持って逃走した――と派手に吹聴されていた。 「さて、どうするか……」 ジェイドが幼い頃はまだデルメール家が貿易の拠点として栄えていた。 王家御用達の宝石商として栄華を誇るローゼン家と、輸出入を担うデルメール家は懇意にしており、二つ年下のラヴェルとは幼馴染として過ごした時間もある。 だがデルメール家は十年ほど前にとある事情で、衰退の一途を辿る事になった。 静かに、沈殿するよう

  • 没落した薔薇は、碧夜の星になる   盗まれた日記

     ジェイドは白シャツにサスペンダーと言う軽装で、貴族の外出着とは言えない装いだった。「お加減はいかがですか? ラヴィ様」「あ、あぁ……大分良い」「貸して下さい。私が拭きましょう」「いや……それは……」 下位の貴族とは言え“旦那様”と呼ばれているという事は、デルメール家を継いでいるという事だ。 ヴェルモナ王国の南の辺境であるデルメール領。 小さな領地ではあるが、その昔は港を有した貿易の拠点として栄華を誇った土地でもある。 今は国境を

  • 没落した薔薇は、碧夜の星になる   仄暗い瞳

    「ぐえっ――! げほっ、げほっ――!!!」 ラヴェルは必死に目を開け、直後に海水を激しく吐き出した。  肺が引き裂かれたように痛む。  呼吸の一つ一つが拷問だった。 「ゔっ……」 「ラヴィ様っ! お

続きを読む
無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status