All Chapters of 没落した薔薇は、碧夜の星になる: Chapter 1 - Chapter 10

29 Chapters

落ちる薔薇

 ラヴェルは、自分があとどれだけ持ちこたえられるのか分からなかった。 海水が無数の手のように、彼の鼻や口を引き裂く。  肺に流れ込み、空気のひと欠片まで押し出していく。 視界は閉ざされ、四肢も縛られている。 ラヴェルは誰かに捨てられた石のように、ゆっくりと真っ暗な底へ沈んでいった。 これが、ローゼン公爵家の嫡男の末路なのか? 二十分前まで、彼は王都で最も豪華な夜会にいて、クリスタルのグラスを手に、皆からの祝いの言葉を受けていた。「ラヴェル様、ご立派になられて」「ラヴェル様は王家からの期待も大きいですからな」 偽りの笑顔、追従の言葉。  彼はただ早く家に帰って、夜会服を脱ぎ、ベッドに横たわりたかっただけなのに―― 雷鳴がバリバリと天を走る。 夜会帰りのラヴェルは、屋敷に入って痛い程の沈黙に首を傾げた。  明かりがついているはずのエントランスも、出迎えるはずの執事の姿も見えない。 「何だ……? 誰か、居ないのか? クレイ……?」  やけに自分の声が響く。  広い屋敷の中にあるのは、地面を激しく打つ雨音と、吠え猛る風の声だけ。  それが静けさを濁らせていた。 誰も彼に応えなかった。  自室の前まで来て、ピタリと足を止める。 「……何だ?」  最初に気付いたのは血の匂い。  何か異変が起きている。  余りにも人気の無い屋敷に、無意味に背後を気にして振り返った。 「……?」  自室の扉を開けた先には、血塗れになって横たわったクレイの姿があった。  「クレイッ!! なっ、どうっ……」  言葉も思考回路も途切れ、ただ、ただ、横たわるクレイの硬い体を揺さぶる。  開け放たれたバルコニーへの窓がバタリバタリと風に踊らされていた。 「――クレイッ!!」  ラヴェルは諦めきれずに声を掛ける。  僅かに口を開いた様に見えたが「逃げっ……」と短く吐き出された。 震えるクレイの握りしめられた手がこちらの胸元を押し付ける様にして、何かを訴えて来る。 ラヴェルは反射的にその手を握る。 その手の内には、ローゼン家の象徴であるロゼリアと言う宝石が埋まった小さな鍵が握られていた。「しっかりしろっ! クレイッ!」 声を荒げ激しくクレイの体を揺さぶる。 だが、触れた手にぬるりとしたクレイの血がベッタリと付いて、微動だにしない彼がもう
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盗まれた日記

 ジェイドは白シャツにサスペンダーと言う軽装で、貴族の外出着とは言えない装いだった。「お加減はいかがですか? ラヴィ様」「あ、あぁ……大分良い」「貸して下さい。私が拭きましょう」「いや……それは……」 下位の貴族とは言え“旦那様”と呼ばれているという事は、デルメール家を継いでいるという事だ。 ヴェルモナ王国の南の辺境であるデルメール領。 小さな領地ではあるが、その昔は港を有した貿易の拠点として栄華を誇った土地でもある。 今は国境を持つバロー領に取って代わられて衰退した小さな辺境となった。 そんな古い家名で下位であっても、家督を継いだ者に身の回りの世話をさせるのは、気が引けた。「遠慮する事はありません。今でも、私にとってラヴィ様はお仕えするべき存在ですから」「……それはどうだろうな」 此処へ来てから自分の家の事がどうなっているのか、一切分からない。 父親や家に仕えていた者達がどうなったのか――。「お屋敷の事、ご心配ですか?」「あ、当たり前だ! ジェイド……ローゼン家はどうなったのだ……?」 寝台脇に座ったジェイドは、手に取ったリネンを下して悲し気にこちらを見た。 本当に知りたいのか? そう聞かれている様に見える。「やはり、もう誰も……」「……いえ、ローゼン公爵は“夜鷹”に」 そう言われてラヴェルは一瞬、息を飲んだ。「なんっ……だと?」「ローゼン公爵は先日の朝刊でネブラ機関に連行されたと記事になっておりました」 ネブラ機関――通称“夜鷹” 王の勅命だけを受け、貴族達の監視、粛正、場合によっては暗殺をも実行する秘匿機関である。「夜鷹……だとっ⁉ ネブラ機関が何故、ローゼン家に爪を立てる? 我々ローゼン家はヴェルモア王に忠
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掬い上げる手

 ジェイドは出先から帰って来てリゼルとラヴェルの会話を扉越しに聞く。 巷では公爵家の嫡男が王家の秘密を持って逃走した――と派手に吹聴されていた。 「さて、どうするか……」 ジェイドが幼い頃はまだデルメール家が貿易の拠点として栄えていた。 王家御用達の宝石商として栄華を誇るローゼン家と、輸出入を担うデルメール家は懇意にしており、二つ年下のラヴェルとは幼馴染として過ごした時間もある。 だがデルメール家は十年ほど前にとある事情で、衰退の一途を辿る事になった。 静かに、沈殿するように。 そんな昔の事を呆然と浮かべていると、来客を知らせるベルが鳴った。 マデイラの海辺で彼を拾い、屋敷へ連れ帰った事が厄介なヤツに知られていたらしい。「やぁ、デルメール男爵」「お前か。今は何の情報もない。帰れ」「あ、そんな連れねぇ事言って。ちゃんと土産持って来たってのに」「土産?」 軽薄で掴みどころのない情報屋であるセルジオは、色素の薄い色男で街でも浮世離れしている。 庶民の間を放浪し、娼館や裏の人間とも精通しているので、こちらが都合よく利用していた。 裏の人間ではあるものの、情報をかぎつければお零れを貰いにこうして訪ねて来るのだ。「最近、港に酔っぱらった海賊が紛れてるって話ですぜ」「……そうか」「ところで、男爵。昨日海で拾い物したでしょ?」「そっちが本題か。別にお前の飯の種なるような話は……」「またまたぁ……公爵家のお坊ちゃまが窃盗犯として逃亡してるそうじゃないっすか。そんなタイミングであんな錆びれた海に宝石が漂着したんだ」「ジオ、公爵領からマデイラの海までどれだけあると思っている? もし、公爵家の嫡男が海へ逃げ込んだとして漂着する前に死ぬのがオチだ」「それはそうですけど、どこで海に入ったかなんて分かんねぇじゃないですか」「今日は自棄に食い下がるな」
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貴方の秘密

「生まれ変わる?」 起き上がれる様になり、初めて食堂で一緒に晩餐をとった夜。 ラヴェルはジェイドにそう聞き返した。「えぇ、そうです」「ど、どう言う意味だ……?」「ラヴェル・ローゼンとしての全てを捨てて、別人としての人生を歩むのですよ」「別……人……。しかしっ……」「では、他に方法が?」 そう言われてラヴェルは唇を噛む。 ローゼン家の嫡男として追われている自分が、怪しまれずに外へ出るには、それしかない。 ジェイドが言っている事は正論で、それでもまだ自分の中に公爵令息としてのプライドが残っている。 口に運ぶはずのフォークに刺さったままの肉を握り締め、俯いた。「お気持ちは分かります、ラヴィ様。ですが、生半可な気持ちでは何も成せません」 席を立ち傍に来たジェイドは片膝をついてこちらを仰ぐ。「ラヴィ様、選んで下さい。このまま泣き寝入りして暮らすのか、真実を負う為に己を御するか」 そう言われてラヴェルは眉根を寄せて歯噛みする。 泣き寝入りするつもりはない。 だが、自分を捨てて生きる事への抵抗が今すぐ消える訳じゃない。 下から煽る様に見たジェイドが、ふっと笑みをこぼす。「沈黙するのも答えの一つです」「すまない……成り行きとは言え、こんな犯罪者を匿う様な事を……」「いいえ、寧ろ見つけたのが私で良かった。神の気まぐれに感謝しなければ」 ジェイドの瞳がこちらを捕らえる。 その瞳の奥には、憐憫も、分かりやすい優しさもない―― ラヴェルはその読めない視線が、冷たく暗い熱を帯びているように見えて、視線を逸らせなかった。 両の手を握り返す様に力を込めたジェイドに、ラヴェルは力なく微笑み返す。「貴方が目的を果たすまで、それま
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二人の秘密

 夜な夜な行われていたあの異常な行為――誰かに見られていたなんて。「あれは……」「ジェッ……ジェイドッ! あれはそのっ……父上がっ……」  慌てたラヴェルの声は裏返る。 物心が付いた頃には母親はいなかった。 それ故か、ラヴェルは父親に何を強制されても否と答えたことはなかった。  それが異常なのだと知ったのは丁度精通を迎えた頃だ。「実父と関係を?」「はっ? いや違うっ……あれはそのっ……自慰をッ……」「自慰を?」 視られていたのだ――と言えず、ラヴェルは口籠り俯いた。 父は屋敷にいる夜、必ず訪ねて来る。 「始めなさい」  その一言で、何をしろと言われているかは暗黙の了解だった。 指一本触れることは無いが、自分を慰める姿をただ視られていた。 ラヴェル自身、あの時間が何だったのかよく分かっていない。 だが体も出来上がっていない頃から覚えさせられたその行為は、未だに体に染みついている。 視られていなければ達せない。「ローゼン公爵は自分の息子に何故その様な事を?」「わか……分からない……」「成長を確認する為でしょうか?」 そう言ったジェイドの言葉は、余りにも無機質でラヴェルは「え?」と呟くように零した。 他家のそんな異常な状況を知りながら、真剣に問うジェイドが不思議に思えた。 知られれば脅迫するか、吹聴し笑われるような話だとばかり思っていたからだ。「貴方の体がどう変化するのか、見たかったのでは? と」「へん、か?」「貴方は特別ですからね」「し、知らない……分からない……」 もう何もかも知られているのだと分かって、ラヴェルは両手で顔を覆う。 唯一の拠り所となったジェイドにその
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白い欲

 碧い光を放つその泉は、ゆらゆらと湯気を湛えて揺らめいている。 おとぎ話なら女神でも湧いて来そうな美しさだ。 湯気に混じってデルメール家の庭に咲く花のような匂いが立ち込める。「ダンスレッスンで足が痛いでしょう? 浸けてみて下さい」 ジェイドにそう言われてラヴェルは首を傾げた。「い、いいのか?」「この温泉は私しか知らないデルメール家の財産なのです。今日からは貴方と私の、二人だけの秘密だ」 そう言われてラヴェルは「では有難く」と肩を竦めた。 ゆっくりと足を浸け、その温かさにホッと息を吐く。 お湯、というよりは少しぬめりがある気がする。 岩肌に腰掛けるとジンワリと夜着が水分を吸って重くなる気がした。  だが、それもこの場所では仕方がない。「熱くはないでしょう?」「あぁ、大丈夫だ。このお湯は少しトロミがあるのだな」「えぇ、女性の美容にも効果があると思われます」「な、何故……報告しないのか? と聞いても良いか?」 ラヴェルは遠慮がちにそう問う。 普通に考えれば、この温泉を売りに観光事業を営むなり、このお湯を使って何かしらの特産品でも作れば、観光客の多いデルメールなら大きな収益になるはずだ。 それを黙っている理由が分からなかった。 ジェイドはそれにクスリと笑って「こんな日が来るかと思って」と口角を上げた。「何と勿体ない事を……」「そうでしょうか? 私は今、この場所を皆に教えなくて良かったと思っていますよ」 ラヴェルはそう言われてカッと体温が上がる。 時折、ジェイドから甘い言葉を聞かされると、その意味を問いたくなる事があった。 好意と呼ぶには曖昧なそれに、心が跳ねる事を、視線を逸らして気付かぬふりをする。「ジェ……ジェイドは浸からないのか?」
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宝石の行方

「あの、ジェイド……」「あぁ、何も気にしなくて良いのです。ここでは自分に素直になって良いのですよ」 ジェイドは体を離してもなお、その視線を外そうとはしない。 視られている――そう思えば思う程、ラヴェルの白濁とした熱が競り上がる。「好きになさい。視ていますから」 他家の、しかも幼馴染に痴態を晒すなど、公爵家の嫡男としてあるまじき行為だ。 しかも相手は男だというのに。 それでも、父親からの視姦と言う妙な癖を植え付けられているラヴェルの理性は、この状況下でそう長くはもたなかった。 恐る恐る自分のものを握って、久しぶりの摩擦に声が漏れる。 反響した自分の声が余りにも耳に付く。 羞恥と快楽の波の合間を射抜くジェイドの視線。 その熱い視線だけで息が上がって、声が漏れる。 ここには二人しかいない――そう言ったジェイドの言葉が脳内を巡る。 誰も見ていない。 いや、ジェイドだけが自分を見ている。 父親以外、誰にも見せた事のないはしたない自分を、彼だけが視ている。 その特別な空間と時間に、思考回路は酔い、正しい答えなど導き出せるはずもなかった。 ジェイドに指一本触れられるわけでもないのに、ラヴェルの楔は硬く、赤く熟れる。 我儘な子供のように、食いしばる歯列の間から愚図るような声を漏らす。 快楽だけを追いたくなって瞼を閉じると、ジェイドはこっちを向けと言わんばかりに顎を持ち上げた。「私を見ながらイって」 そのジェイドの言葉に、恐る恐るジェイドの瞳を捕らえた。  昂る欲と競り上がる白蜜を、堪えなければという無意味な葛藤。  だが、その無意味な抵抗も、ジェイドの視線に射抜かれてしまう。  ラヴェルは背筋を這い上がる痺れを感じて一気に――果てた。 上がった息を整えようとするラヴェルの
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言葉遊び

「君に会わせろと煩くてな」「へへっ、一年強請ってやっと今日お会い出来ましたねぇ」 ラヴェルは微笑み返す。 流石、と言うべきだろうか。 情報屋としての執念――にしては長い気もするが、隠されていると知りたくなるという事だろうか。 通常、情報屋は旬なネタを欲しがるものだ。 一年も経っているというのに、海に打ちあがった宝石を見せろと言い続けるのは、違和感があった。「でも、強請って良かった。こんなに美しい宝石様にお会い出来て」「光栄ですわ、セルジオ様」「ちょうど一年前、公爵家の盗難事件があったでしょう? だから私は、宝石様は逃亡した公爵家の嫡男じゃないかって疑っていたんですよ」「私が女でガッカリなさった?」 想定内の会話が出て来て、ラヴェルは用意してあったセリフを上手に演じる。「いいえぇ、これで“エルメダの日記”の盗難事件は振出しですがねぇ」「まだその事件は何の進展もないのですか?」「そうみたいですよ。王様が代替わりして間もなく起きた大きな事件だったから、血眼になって探してらっしゃるようですけど……」 ヴェルモア王国の国王が代替わりしたのが三年前。 確かに若き新王にとって、自分の代で“王家の秘密”が盗まれたのは大きな過失だろう。「だからね、今後は王国の辺境にも捜査が入るとか。主要な疑わしい土地はもう調べがついたって事ですかねぇ」 ローゼン家の領地だけでもかなり広い。 そこを調べ尽くすのに一年掛かったという事だろうか? 一年経っているのに父親が生かされているのは、逃亡犯である自分を炙り出す為なのだろうか――?「ジオ、それは何処情報だ?」「関所の奴らに聞いたんですよ。王都から捜査隊が派遣されてくるってね
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草海老の嫉妬

 ジェイドは遠くなるセルジオの背中を苦い顔で見る。  セルジオを見送った際、去り際にあの男はこう言った。「隠すのにも限界がおありでは?」 意味ありげにそう吐き捨てて、ニヤリと笑って去って行ったのだ。 本来ならセルジオにも会わせるつもりはなかったが、拒み続ける事でより怪しまれる危険性を回避したかった。 あの男がラヴェルを“女”だと判断する事が、街の噂の強化に繋がると判断したのだ。 男だとバレてはいないだろう。 だが、これ以上屋敷に閉じ込める事も難しいのかもしれない。 王都の捜査隊の手が届く前に、ベルとして領民に認知させるべきか――――?「ジェイド?」「あぁ、何でもない。食事が出来る頃だな、降りようか、ベル」 サロンで読書を嗜んでいたラヴェルの横で、これからの事に思考を燻らせていたジェイドは、そう答えてラヴェルの髪を撫でる。 こういう行為がラヴェルにとっては“女性として扱う為の演技”だと思われている事は否めない。だが、ジェイドからすれば男だろうと女だろうと、ラヴェルに対しての己の振舞いが変わるわけでは無い。 ただ仕えていた頃と比べたら、その立場は一転していると言って良いだろう。 あの洞窟内で、痴態を晒す快楽を得てから、ラヴェルはよりこちらへの依存を見せている。 本人が気づかぬ所で、じわじわとあの魔女の秘薬は効いているらしい。 食堂に向かうと執事のネロがテーブルを用意し、コクリとこちらを見て頷いた。「さぁ、ベル。座って」 自分の定位置の隣の椅子を引いてエスコートし、ネロへと視線を投げる。 その視線を理解し、次々に運ばれてくる晩餐は地元特有の食材が多い。 海産物も農産物もデルメールには変わったものが多く、王都では貴族でもおいそれと食べれない高級食材もある。  物言わぬ執事の手によって並べられる皿を、ラヴェルはいつも不思議そうに眺める。
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