LOGINミレイユは、突然現れたレオンハルトに息をのんだ。
だが、彼は師匠のことで疑われている私に対しても、役人たちのように攻撃することはなかった。
レオンハルト自身も、ダリウスから嘘をつかれて、予定外のトラブルに巻き込まれているというのに。
誠実な人だわ……
その柔軟な対応に、ひどく傷つけられてしまった今、とても感謝していた。
◆「第一騎士団長って、すごく素敵ですよね」そんな話を、店で耳にした。
「そうなの?」
ミレイユは、顔立ちの良いダリウスが、師匠の周りでいつもうろついているせいか所謂イケメンは見慣れていた。
「先ほど、ミレイユさんがお客様を対応されていた時に、ちょっと商品を見て帰られたんですよ」
「へえ、それはちょっと見てみたかったかも……」
顔は物語の王子様みたいなんですよ。それに、第一騎士団ってエリート
ミレイユは、レオンハルトの姿を見て一気に緊張の糸が切れたように涙がボロボロ溢れて来た。レオンハルトさんが、私を見捨てずに戻ってきてくれた。そう思うとホッとした。「ご、ごめんなさい……レオンハルトさん……」声が震え、言葉が途中で途切れる。やっぱりどんなに自分を奮い立たせても、不安で仕方ない。手で顔を覆い、止まらない涙を必死にこらえようとするがうまくいかない。師匠がいなくなってから、ずっと張り詰めていたものが一気に押し寄せてきたみたいだった。「大丈夫だ、怒ってなんかない……」レオンハルトも自分の口調を反省する。普段は男ばかりの職場で、肉体労働も多い。つい物言いがきつくなってしまうのだ。レオンハルトは、ミレイユの涙を見て動揺していた。今まで、こんな至近距離で、しかも一対一で泣かれる関係の女性はいない。しかも……俺が泣かせた?こういうとき、抱きしめるのが正解か……?いや、特別な関係じゃないし、一定の距離を取るべきか……レオンハルトは、冷静を装いつつ、頭の中ではプチパニックに陥っていた。カイルなら……いや、あいつは参考にならない。押し倒すからな。そうだ、まずは触れても違和感がない場所……そっと肩に手を置いてみる。
ミレイユに泣かれる少し前――指輪の転移で自室に戻った俺、レオンハルトは、そのまま第一騎士団へ足を向けた。レオンハルトが、私服姿でここを歩くのは珍しい。いや、かつてなかったかもしれない。すれ違う団員たちの視線も「え、休暇じゃなかったの?」と訝しげに向けられる。そして、有給を取ったのに結局来るのかよ、という迷惑そうな空気が廊下に漂った。こっちは、緊急事態なんだ!ミレイユの姿を思い出し、第一騎士団へ向けた足が早まる。「カイルはいるか?」声をかけると、事務机に肘をついていた副団長のカイルが顔を上げた。茶色の髪を指でかき上げ、気の抜けた笑みを浮かべる。「はーい……って、団長?あれ、今日休みでしたよねー?もしかして、これから仕事ですか。すいません、俺………今日は久しぶりに早く帰ろうと思ってたんですけどねぇ」言いかけて口を噤む。たぶんその続きは「行きつけの娼館に行こうと思ってた」だ。だがカイルは、レオンハルトがそういう場所を嫌っていて、話に食いつかないことをよく知っているので、言うのを避けたのだろう。「早く帰っていい。ただ、一つ仕事だけしてもらいたい」「……仕事、ですか?」レオンハルトは、嫌そうな顔をするカイルを団長室へ呼び入れた。そして、扉を閉める時に、周囲をきょろきょろ見回して、誰もいないことを確認する。「なんですか?えらく慎重ですねぇ」カイルは少し、警戒した様子でレオンハルトのことを見つめる。レオンハルトも、二人きりになると妙に喉が渇いて、ごくりと唾を飲み込んだ。「……女性用の服を買ってきて欲しい。ドレスじゃなく、動きやすい普段着を数枚。それと……下着を」「仕事ですよね?……それは…&helli
レオンハルトは部屋を飛び出て、思わず口を押さえた。思わず、目が離せなかった。見てしまった。自分が着させたシャツから完全に透けたミレイユのボディーラインのシルエットを思い出し、首をブンブンと振る。――いや、下心なんてないんだ。それでも、なんだか胸の奥がチクッとする。ミレイユに対して申し訳なさと、どうしようもない気恥ずかしさでいっぱいになる。「さて、どうする。このままじゃいけないよな」今なら街まで行けば間に合うが……レオンハルトは、どこの店に行こうか少し考え、固まる。「突然女性の影もなかった男が、有給休暇中に年頃の少女用の服を何枚も買い込んだらおかしくないか?」店も想像ができない。街のマネキンに着せてある服を片っ端から買ってみようか?「いやいや、確実に噂になるよな。しかも悪い意味で」そもそも固定の女性もいないし、プレゼントを贈りたい人もいないから、センスもない。「うちの団員に女性はいないんだよな……誰か、協力者が欲しいな」脳裏に騎士団の顔ぶれが浮かぶ。みんな剣の腕は確かだし、人間性も良い奴が多い。だが、ミレイユにとって「安全」とは言い難いし、ダリウスのこともある。総司令官がいなくなるというのは、緊急事態で、みんなピリピリしているのに、ここの住処のことや、俺とミレイユが接触していることが周囲にバレたら終わりだ。……あ、そうだ。女遊びが激しい副団長のカイルならどうだ?あいつ、いつも女性に色んなものを贈ってるじゃないか。他の女性のプレゼントに紛れ込ませて、一緒に買ってもらおう。選び慣れてるし、カイルなら、妙な勘ぐりもされないはずだ。一度、騎士団の寮に戻るために、外の焚き火の火を安定させて、レオンハルトは立ち上がる。「何日もあんな格好で歩かれたら……
世の中には、自分のシャツを彼女に着せて喜ぶ……そんな趣味の連中がいるらしい。知ってはいた。いたが……。レオンハルトは、目の前のミレイユを見て、やらかしたと頭を抱えた。すまなかった。俺が悪かった。濡れた髪、下着なし、疲れで少し青白い顔――それでいて、ばっちりとした目でこちらを見上げて微笑むミレイユ。シャツ越しに浮かぶシルエット。 ――予想できたよな……俺この日ほど、自分の女性遍歴の浅さを呪ったことはない。「……っ」慌ててミレイユを室内に入れ、二階のベッドから布団を引きはがし、彼女の肩にぐるりと巻き付けた。「き、今日は緊急事態ですし……普段はもっと危機管理しっかりしてるんですよ?でもレオンハルトさんはいい人だってわかってるんで――」「いいかい! いい人でも悪い人でも、ダメだから!」耳まで真っ赤になって叫び、レオンハルトは踵を返す。「火をおこしてくるから!俺は、何も見ていないから!」 そう言い残し、レオンハルトは逃げるように部屋を出る。それを呆然と見つめるミレイユは、仕方ないよねと自分の姿を見直した後、やがて袋の中をごそごそとさぐる。「あ、パンがある」久しぶりの固形物だ。胃が驚かないように少しづつパンをかじりながら、小さく呟いた。「やっぱり……レオンハルトさんはいい人だよ……」空腹のあまり、先ほどまでは、胃の感覚すらなかった。だが一口食べれば食べるほど、逆にお腹が空いてくる。「コンロも見つかったって言っていたよね?」視線を本箱の辺りに向けると、確かに、小さなコンロと水場が隠れている。魔石をセットして、試しにカチッとダイヤルを回すと火もついた。それを見て、ミレイユはがっくり肩を落とす。「火をおこさなくても、ここでもじゃがいもぐらいなら茹でられたかもしれなかったな」ただ、この部屋には燃えやすそうな書物が山ほどある。レオンハルトが、燃えないようにコンロ周辺の紙は床にまとめてくれていたが、これらを片付けるまでは、いつ風で飛んで、燃えてもおかしくない。「やっぱり片付けが先か……湯を沸かして飲み物を飲むぐらいかな?」そもそもなんでこんなに、本や書類が多いんだろう?ミレイユは本棚に入りきらず、床に置かれた本のタイトルを見ていく。「錬金術と……魔術?」ぱらぱらとめくりながら、ミレイユは首を傾げる。 錬金術は、魔力
「何日も食べてないなら……試し切りより先にやることがあるだろうに」レオンハルトは深くため息をついた。そういえば――ふとここに降り立った時のことを思い出した。最初に来たとき、彼女は煤だらけだった。足元には焚き火の跡。「あれは……まさか、料理しようとして失敗した痕跡だったのか?」取り調べから何日も食べていないのなら、空腹どころか命に関わる。目の前に、翌日には収穫できる野菜を目にしたら、すぐそれを食べたいと思ったに違いない。だが、経験のないものが、突然火おこしをして、調理!なんて、普通は上手くいかないだろう。「食べ物の確保が先だな……一度戻るか」レオンハルトは、早く戻って何か食べれるものを……と思案した。だが、ミレイユは首を縦に振らない。「いえ、野営のやり方さえ教えてくれればあとはやるので、戻ったらもう、自分とは関わらないでください」そう、困ったように眉を下げてレオンハルトに訴える。「考えが甘い。ちょっと教えただけで魔物だらけの森で生き延びられるほど、この世界は優しくないよ」レオンハルトは、ミレイユに対して諭すように声をかける。「まずはしっかりご飯を食べてから次のことを考えよう」レオンハルトには、考えがあった。転移用の指輪は、指にはめた場所から“ここ”へ、そして“ここ”からはめた場所へ戻れる仕組みのようだ。しかも、転移魔法のように光をまき散らすこともなく、外から見られる心配はなさそうである。ただし使うなら、鍵のかかった室内一択だが。「すぐ食べられるもの、取ってくる」急いで塔の前に戻り、ミレイユを塔の中に入れたら、レオンハルトは急いで指輪を外した。指輪を外すと視界が切り替わり、そこはいつもの自室。「魔術師団の魔法使いでも高度な技術を要する転移を、この小さな指輪一つでこなせるのだから、やはりダリウスの彼女というのは、すごい錬金術師なんだろうな……」ミレイユは、自分の師匠の凄さに気づいてなさそうだが、とんでもない技術を持っている。よく国が囲おうとしなかったものだ……そう考えて、まてよ......と行動が止まる。ああ、だからダリウスの彼女でずっといられるのか……公爵家次男のダリウスが、いくら好きだからと言って結婚せずにずっと平民の彼女と居続けるにはそれなりの理由が必要だろう。しかも、結婚する気だとダリウスは言ってたんだよ
「塔から出て水場の横の道を少し行けば、広いところがあったはずだ」レオンハルトのその声に、ミレイユはうなずき、軽く鈴を鳴らす。魔物避けの鈴は、魔物の三半規管をつぶすぐらいだから、どんな大音量、もしくはキーンとくるような音がと想像していたが、チリンチリンと軽い音を鳴らすだけだった。「えっ?それだけ……本当に効くのか、これ?」思わず、身構えていたレオンハルトは拍子抜けする。「それがですね、売れずに商品にならなかった理由です」ミレイユが、困ったように、鈴を指でつまみながら笑う。「五回分しか使えないのに、みんな効果が不安でガラガラ鳴らしすぎちゃって。で、次に使おうとしたら、ただの鈴になってた……っていう」あまりにも分かりやすい失敗談だ。確かに、その聞き逃しそうな鈴の音では、買ったとしてもありがたみがなさすぎるし、不安で鳴らし続けてしまいそうだ。だが、ミレイユにとっては、日常茶飯事だと笑っていた。「そうやって師匠と試作品を作っては失敗していました。そして、また作って……の繰り返しで、この世に誕生していないものはたくさんあるんです。安全が確認できない物は店に出さない――それが月影亭の方針なんですよね」なるほど。それなら、王都の数ある錬金術師の店の中で、月影亭が突出して人気だった理由も頷ける。品質が良くて、使いやすく、店の看板娘がミレイユなんだろう?だが……あの店がなくなったら、ポーションや錬金術の関連商品がごっそり市場から消えるんじゃないのか?大丈夫なのか、これ。